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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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175話 羽ばたきたい孔雀と偉大なる青いネコ Ⅱ 2


 サルーディーバ記念館やサルーディーバと特別な縁故が? とララは聞いたが、クラウドは否定した。


「いや、ルナちゃんは正真正銘、L77で生活してきた普通の子だよ――まあちょっと、カオスなところがあるけど――宇宙船に乗ってからの彼女の数奇な人生は、直接本人から聞くか、アンジェリカに聞いたらいい」

「アンジェに?」

「ああ。ララが納得いく説明はしてくれるんじゃないかな。――ZOOカードのことも含めて」


 クラウドがZOOカードと言った途端に、ララの思考回路に熱が灯ったようだった。

 ララもクラウドも、互いに出方を探るように沈黙したが、やがてララが口を開いた。運ばれたコーヒーで口を湿らせてから。


「分かった。その子のことはアンジェに聞いてみよう。――ところで絵は、いつ渡してもらえるの」


「そのことなんだけどね」

 クラウドは、いよいよ本題だというように、顎の下で両手を組んだ。

「まだ、渡せない」


 ララが、ぎょろりと目玉を剥いた。龍の逆鱗(げきりん)に触れる、というのはこういうことかもしれない。さすがのクラウドもすこし肌が粟立(あわだ)ったが、ミシェルのためだ。引くわけにはいかない。


「すぐには渡せないっていうことかい」

「そういうことだ。――ララ、今日はアンジェラのガラス教室だ。覚えてる?」


 どんな交換条件を出してくるかと、逆鱗をぶわりと膨らませたララは、予想外の言葉に驚いたのだろう。すっと怒りの気配が静まった。


「もちろん。言われた通り、ミシェルは抽選から外したよ」

「それが、当たっちゃったんだ。今、講習会に行ってる」

「なんだって?」


 その反応は、ララが今日の「次第」をなにも知らないということを示していた。


 クラウドは、ミシェルを講習会に行かせる手前――事前に、ララに事情を話していた。ミシェルが申し込んだものではないこと、L77のミシェルのもと師匠が、勝手に申し込んだものであること。


 そもそも抽選に当たらなければ、それでしまいだった話である。

 そのはずが、ミシェルが、当選してしまった。


 さすがにクラウドは不思議に思い、調べた。


 これは、もとはといえば、宇宙船側の、熱烈なアンジェラファンのスタッフが、ララに頼み込んで実現させた、なかば強引なイベントだった。


 アンジェラが宇宙船に乗ってから、彼女の個展は何回となく開かれてきた。そのとき、営利目的を超えたところで頑張ってくれた有志スタッフの頼みごととなれば、ララも断りづらい。


 アンジェラが、自分の技術を人に教える気がなく、講習会をひらくことを嫌っていても。


 ララの命令だから仕方がない。アンジェラは最初、そういう気持ちで嫌々ながらも承諾したのだが、もとから嫌なことは絶対にやらないアンジェラだ。


 講習会の内容は二転三転し、結局、アンジェラのわがままで、最初行うはずだったガラスを熱してグラスを作る実技講習は、なしになった。


 予定とはだいぶ異なってしまったイベントに、一般公募された――アンジェラの講習会とあれば、彼女からの直接の指導を期待している一般のファン――を呼ぶわけにはいかなくなった。


 よって、抽選で受かり、すでに連絡してしまった二名――エレナを含む――以外は、ララの取り巻きから希望者を募ることになった。


 講習会は結局、どうしてもアンジェラがやりたくないとわがままを通したため、今さらだが、ララが自腹を切って内容を大きく変更させた。


 アンジェラは自分の美術に対する思いを語る――それもスタッフが作った前原稿で。


 参加者には、出血大サービスとばかりにアンジェラの画集と作品をプレゼントする。画集は三万デル、グラスは普通に店頭に出せば、百万近くの値が付く、サイン入りの一点ものだ。アンジェラマニアなら垂涎(すいぜん)の最新作。


 ララは、アンジェラと自社の信用のためにここまで骨を折った。三十分の講義くらい、我慢しろとララはこってりと言い聞かせたはずだった。


 ここまでもさんざんだが、ミシェルが当選したとは、どういうことだ?


「あたしは、ミシェルって名は当選させるなと担当に――」

「俺が得た数日前の情報だ」


 ここ数日、ララは宇宙船を離れていた。アンジェラのイベントだからといって、ララがすべて企画し、動かしているわけではない。


「結局、アンジェラのいつもの気まぐれで、講義は10分になった」


 君が屋敷にもどれば、耳に入ることだろうけど、とクラウドは前置きした。


「なんだって?」


 そんな勝手を、許した覚えはない。ふたたびララの逆鱗がふくらんだ。


「もともと、アンジェラは今日の講義をボイコットするつもりだった――君の留守に乗じてね」

「……」

「スタッフの苦肉の策は、最終的にミシェルをアンジェラに攻撃させることだった」

「……どういう意味だい」


 ララの周辺だけ空気が変わって、傭兵かSPかといった男たちをも怯ませた。


「スタッフのだれかも、アンジェラが、参加者の一人であるミシェルに個人的関わりがあって、彼女を嫌っていることを知ったんだね。彼女が、ミシェルに嫌がらせをしたいけれど、ララに止められているのも分かっていた。ミシェルを苛める目的だけで、アンジェラは今日の講習会に出かけたんだよ。そうでなかったら、あの倍率で、ミシェルが抽選に受かるわけないだろう? ――スタッフは、それでもアンジェラに講習会はしっかりやってくれ。講習会が終わったら、ミシェルとケンカをしてもいいからって――そう説得したらしいけど、上手くいったかどうか。アンジェラのことだ。講習会前に爆発してるんじゃないかと思うけどね」


 講習会が台無しになっていないことを祈るよ、とクラウドは言った。


 ララの鋭い歯ぎしりで、自分の胴体が真っ二つになるような感覚を、まわりの男たちは味わった。それほどの怒りが込められた歯ぎしりだった。


「それであんたは――あたしに何を望んでるの」


 ララの凄みのある声が、風に乗ってクラウドを取り巻いた。


「アンジェラにペナルティーを」

 クラウドははっきりと言った。

「今日、ミシェルは傷ついて帰ってくるだろう。俺はそれを覚悟で行かせた。アンジェラに会うことも、アンジェラがああいう人間だと知って会いにいったことも、ミシェルの責任で、ミシェルの自由だ――俺は止められない。ミシェルもじゅうぶん考えて、アンジェラとの接触を望んだわけだから――だが、俺も黙ってはいられない。恋人を泣かせて、黙っているわけにはね」


「……どんなペナルティーをお望みだい」

「それは君に任せる。アンジェラにとっての最高のペナルティーがどんなものかは、俺には分からないから」


 クラウドの言葉が終ったところで、ララは「会計してきな」と男の一人をレジにやらせた。


「アンジェラに仕置きしたら、あんたに報告するよ」

「そうしてくれるとありがたい」

「報告と一緒に、絵も渡してくれると嬉しいんだけどね」


 ララは立って、返事を待たずにテーブルを離れた。


 クラウドはララに声をかけなかった。かけられなかったのだ。彼女の姿がリムジンに消え、そのリムジンすらも見えなくなってから、身体全体で「ふうーっ」と深呼吸をした。

 まだ少し手が震えている。全身にびっしりと冷や汗をかいていた。


(怖いひとだ)


 クラウドは汗が冷えるまで待った。アンジェラへのペナルティーがどんなものになるか、クラウドは想像したくもなかった。ララがアンジェラを可愛がっていることは知っているし、ララの会社にとってもアンジェラは大切な芸術家だ。命にかかわることはないだろうが、あのララの怒りようは、クラウドも震えあがるほどだった。


(だけど今釘を刺しておかなきゃ、今後、アンジェラがどんなふうに出るか分からない)


 アンジェラは、ララの言うことを聞かないことが往々(おうおう)にしてある。そしてララは、アンジェラには甘い。今回の講習会の妥協(だきょう)など、その最たるものだ。だから、今回のように、ララにもなあなあの態度を取らせるわけにはいかないのだ。


 ハンシックの事件のあとも、彼女は手痛いペナルティーを食らったはず。けれど、アンジェラの暴動は、ほとんどララの気を引くためだ。ペナルティーがペナルティーになっていないとしたら、どうだ。


 今回は、ちがうかもしれないが――ともかく、アンジェラの行動はほとんど予想がつかない。それだけのエキセントリックな人間相手に、常識も良識もあったものではない。


 こちらに害がないよう、注意を払って取引するだけだ。


 あれはルナに届いた絵だ。クラウドが勝手に取引材料につかったのは悪いと思ったが、船大工の絵を質に、ミシェルの安全を保障してもらわなければならない。


(ごめんね、ルナちゃん)





 ルナは、そわそわ、そわそわと、強面の男たちに囲まれたクラウドと、ララのテーブルを眺めていたが、ただでさえ遠い上に、テーブルが筋肉ダルマな男たちにみっしり囲まれてしまったせいで、様子も伺えなくなってしまった。


(なに、話してるのかな……)


 ルナがもうちょっと近づこうかなと思ったころには、カフェテラスの席はすべて埋まっていた。

 やがて、男たちの囲みが崩れたかと思ったら、ララはさっさと帰ってしまった。


(あ、……あ~あ)


 結局、クラウドとララの会話はまるで聞けなかった。クラウドは、ちゃんとララに絵を渡す約束をしたのだろうか。


 ルナがウサ耳をゆらゆらさせながら、ぬるくなってしまったジュースに口をつけていると、クラウドも席を立った。そして――こちらにやってくるではないか。


「……」

 ルナがぼけっとしている間に、クラウドはルナの向かい席に座った。

「ルナちゃん、バッグ忘れたの」

「……」

 ルナはぽかん、とクラウドを眺めた。


「ち、ちがいます……るなちゃんじゃないです……」


 あわてて帽子を目深にかぶり、首を振ったが、すでに正午を過ぎていた。ピエトを伴ったアズラエルが申し合わせたようにのっそり到着し、

「ようルナ。ストーカーの用事とやらはすんだのか」

 と、ルナの隣の席に座りながら言ってしまったので、ルナは最終的に叫んだ。


「あたしはルナちゃんじゃないです!」


 ルナちゃんじゃないルナと、アズラエルとピエトとクラウドは、とりあえずリズンで昼食を済ませた。ルナは必死でルナじゃないと言い張っていたが、だれもがルナをルナとしてあつかったので、ルナは窮地に追いつめられた。


 昼食を済ませたあと、アズラエルとクラウドはわざと「ルナ、会計頼む」と言って席を立った。二人の予想通りルナは「財布がない!」と叫び、最終的に自分がルナだと認めざるを得なくなったのだった。


 会計はクラウドが済ませ、変装が失敗したルナは落ち込んでいたが、クラウドのストーカーとしてリズンに来ていたことは自供した。そのついでに、「ララさんにはいつ絵を渡すことにしたの」とクラウドに聞いたが、クラウドは「そのうち渡すことにした」とあいまいな言い方をした。


 ルナはまったく腑に落ちなかったが、家についてしまい、それ以上の追及できなかった。



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