174話 羽ばたきたい孔雀と偉大なる青いネコ Ⅰ 1
金にならない芸術なんて、ただのクズよ!
(アンジェラ・D・ヒースの語録より)
「また週刊誌が騒ぎ立てているね」
わざとらしく咳払いをし、いかにも困ったという顔をして、つり目の女――女のようにも、男であるようにも見える――は、音を立てて週刊誌を閉じた。
ララのそばには、性別不明な人間が多い。ララ本人が、男とも女ともいえない人物だからかもしれないが。
その手にあるのは、芸能人や著名人のゴシップを、悪意を込めておもしろおかしく取り上げている週刊誌だ。美しいガラス彫刻のテーブルの上に五冊はあった。同じ週刊誌が五冊ではなく、別々の出版社が出しているゴシップ誌が五種類――そのどれもが、トップ記事として、アンジェラの件の台詞を取り上げていた。
評価はさまざまである。傲慢だの何様だといったこきおろすものから、アンジェラでなければ言えないだろうという皮肉めいたものから。雑誌でこれなのだから、ネットではもっとひどい有様だろう。
「ねえアンジェラ」
つり目の監視者は、ネコなで声で言った。
「ちょっと今回ばかりは、言い過ぎたと思っているのだよね? ねえ……」
ララの取り巻きのひとりではあったが、ララに愛でられるよりはアンジェラを愛でたいほうの監視者は、アンジェラに寄り添うように近づいて肩を撫でた。とたんに、アンジェラの鋭い拒絶――顔に傷でもつけんばかりの勢いで腕をはらったが、監視者は微動だにしなかった。
「機嫌が悪いね、女王様」
触れられるのに嫌悪を催したわけではない。アンジェラの目は逆に――欲望に煮えたぎっていた。
「あたしを抱くの。抱くなら抱きなさいよ!」
「そうしてほしいのね」
息を唸らせているアンジェラをうっとりと見つめ、
「でもまだダメ……私は、ララさまから言いつかっているんだから。ねえ、アンジェラ。今回ばかりは言いすぎたのだよね?」
額と額を合わせる――アンジェラは、焦れたように怒鳴った。
「ララがなによ!!」
アンジェラは、怒鳴った勢いで自分の頭が破裂したかと思った。現実には、脳がぶれるほどのつよさで床に叩きつけられたのだが。当然のように、美しい顔に傷はつけられていない。
「顔しか価値のない鳥頭の女を一匹飼っていると思えば、我慢はできるけれどもね」
監視者はアンジェラのあらぬ場所を踏みにじりながら嗤った。アンジェラの絶頂に、笑いは大きくふくらんだ。
「アンジー、あなた、不安でならないでしょうよ」
アンジェラの涙は、悦びも不安も、一緒くたになったものだ。監視者は知っていた。
「わかるよ――でも、ララ様のお立場を傷つけることは、だれにも許されないの。私からもララ様からも、相応の仕置きがあると考えて頂戴。でもね、」
アンジェラは、歓喜の声を漏らした。もう言葉は、耳の入り口を通り過ぎていくだけだ。
「ララ様は、アンジーの言葉には微笑んでいらしたよ。さすがアンジーね……って」
「ララ……」
アンジェラは虚空に手を伸ばした。
砂漠でドライアップ寸前の旅人が水を求めるように。
赤子が、母を求めるように。
つれない恋人の背を追いかける女のように。
「ララ、ララ、ララ」
「そう。あなたはアンジェラよ。アンジェラはアンジェラらしくありなさい。欲望のままに求めて感情のままに荒れて吠えて、迸るように生み出しなさいな」
一度朽ちて、果てるまで。
「それが、ララさまの伝言よ」
土曜日のことだった。本日はいよいよ、アンジェラのガラス工芸教室の日だ。
なんと、ミシェルはあの倍率に、当選していたのである。
ミシェルが当選したということは、なにか裏があるのか。しかし、不思議なほどクラウドは騒がなかった。
アズラエルのほうが、「本当に行く気か。面倒はもうゴメンだ」と何度もミシェルを止めようとしたが、当のミシェルが、なんだか達観したような顔をして、テンションも低めなので、そろって続く言葉を失ったのだった。
「……ミシェルが当選したってことは、このイベントに、ララは噛んでないってことかもしれない」
クラウドは、気にしていないわけではない。
アンジェラが関わるすべてのイベントや催しに、ララが逐一目を光らせているわけではない。
クラウドは、様子がおかしいというよりかは――とても不思議な様子のミシェルを、だまってじっと、見つめていた。
アズラエルはアズラエルで、ちょっとした事件が――事件というほどのことではないが――があったので、ガラス教室のことからは気がそれてしまった。
「ルナあ! 俺の服と靴は!? カバンは!?」
ピエトは今日、学校は休校で、朝早くから叫んでいた。つい先日まで、自分が着ていた服や靴、長年愛用してきたカバンがどこにも見当たらなかったからだ。
トランクス一丁で部屋からキッチンへ駆けてきたピエトに、ルナはひどく申し訳なさそうな顔をした。
「ご、ごめんね……。捨てちゃったの」
ルナは白状した。
「ええーっ!?」
ピエトは悲鳴を上げ、とたんに泣きそうな顔になった。大切にしていたものを捨てられて、でもルナ相手には怒るに怒れず――といった具合だ。
「な、なんで捨てたんだよう……ボロだったから? ゴミだと思った?」
「ごめんね、ほんとにごめん。たぶん、思い出のものだったんだよね?」
ルナが平謝りに謝るので、ピエトは、
「別に思い出ってわけでもねえけどよ……」
とふてくされてうつむいた。
カバンと服、靴は捨てられていたが、ピピの思い出の品を入れている段ボールには手を付けられていなかったし、カバンも靴も服も、もともとぜんぶ盗品だ。新しい服も買ってもらったし、惜しいわけではない。なかったが――。
「俺が捨てろって言ったんだよ」
新聞を広げながらのアズラエルの台詞に、ピエトは瞬間沸騰した。
「なんでだよ!! 人のモン勝手に捨てやがって!!」
アズラエルには遠慮なく怒鳴ることができる。ルナにはできないが。
ピエトはだんだん! と飛び跳ねながらアズラエルの元へ行き、最終的に蹴とばした。だがアズラエルからデコピンという反撃を食らい、額を押さえてうずくまった。
「クソガキ」
アズラエルは新聞をたたみ、ピエトと同じようにしゃがみこんで小さな頭を小突いた。ルナはハラハラしながら、エプロンの端を握ってその光景を見つめていた。
「おまえがラガーで当たり屋にぶつかったのは、運が悪かっただけだと思ってンのか。え?」
「……?」
ピエトは、涙目でアズラエルをにらみあげた。アズラエルの言っている意味が、分からない。
「このあいだラガーで、おまえがスリにだまされたことはただの偶然で、運が悪かっただけだと、そう思ってんのかって聞いてンだ」
ピエトは目をぱちくりとさせた。ルナもだ。
アズラエルはピエトの反応を見、やれやれと大げさに肩を竦め、深い深い嘆息をしつつ、言った。
「もとはと言えば、あの格好のせいなんだぞ」
ピエトは、思いもよらないことを言われて、たちどころに怒った。
「なんでだよ!!」
ピエトは今までだってあの恰好だったが、当たり屋なんてスリに出会ったことはなかった。あの日のことは、運が悪かっただけだ。
だがアズラエルはますますあきれ顔になった。その態度が気に入らなくて、ピエトはますます機嫌が悪くなった。
「少なくとも、学校に行ったときの恰好でラガーに来てたら、当たり屋はおまえを狙わなかった」
ピエトの足の踏み鳴らしが止んだ。「……なんでだよ」
「あのな、当たり屋ってのはな、スリなんだ」
「ンなことわかってるよ!!」
わざとピエトにぶつかり、ピエトの懐に自分の財布を入れ、自分の財布が盗まれたと訴え、金をふんだくる――そのシステムは、ラガーの店長から聞いた。
「ぶつかる相手もスリじゃねえと、成り立たねえんだぞ。当たり屋ってのは」
「……!」
ピエトはやっと意味が分かったようだった。怒りが急にしぼんだような表情で、
「……じゃあ、あいつらは、俺がスリだって、知ってたの……」
アズラエルはやっとあきれ顔をやめた。
「あいつらはルナみたいに、小奇麗なかっこうしたいいトコのお嬢ちゃんは、狙わねえ。あたりまえだ。ルナが、あんなボロボロの恰好したスリの財布を盗むかってンだ。ルナが警察を呼べば、逮捕されるのは当たり屋のほうだ。当たり屋が、いくらルナがスッたといっても、警察がどっちを信用すると思う。分かり切ってることだ。だから当たり屋は、同じスリしか狙わねえ。スリは警察には行けねえだろ。警察に行ったら、自分もつかまるから、当たり屋に適当に払って、それで済ませるんだ。おまえだってそうだろう? あれがエルトで起こったことなら、有り金あいつらにぶちまけて、逃げるのが関の山だったんじゃねえか? 警察には行けねえ。お前もつかまる。警察はスリを二匹つかまえて喜ぶだけだ」
「……」
「おまえみたいに薄汚れた格好で、ポケットに手ェ突っ込んであたりをキョロキョロ、ひっきりなしに見てるようなヤツはな、俺だってスリだとわかる。L8系や4系からきた、原住民のガキだってな。ましてや同業者なら一発だ。おまえはいかにもカモですって顔で、歩いてたんだよ」
「……!」
ピエトは反論もできずに立ち尽くした。
「おまえ、傭兵になりたいんじゃなかったのか」
急にアズラエルの声が、ヒヤリとした。ルナも驚くほど。ピエトの顔にもさっと緊張が走る。
「な、なりてえけど……でも、」
「俺は、スリを育てる気はねえぞ」
ルナは口を挟もうとして、黙った。ピエトが固まっている。
「いいか。これは原則だ。過去を捨てきれない傭兵は死ぬ」
「……か、こ?」
ピエトが蚊の鳴くような声で言った。
「俺が、親父にちゃんと傭兵として扱われはじめたのは、おまえと同じ年だよ」
「……え」
アズラエルが自分のことをピエトに話したのは、これが初めてだ。ピエトは驚き、目を見開いた。
「ちょうどそのころ、俺の一家は悪い奴らに追っかけまわされてL18から逃げてる時期だった。出発してまもなく、俺の荷物はぜんぶ親父に捨てられた。L18を臭わせるものはすべてな。服どころじゃねえ、数少ない友達との思い出の品も全部だ。怒った俺が親父に食ってかかったら、かえってきた言葉がこれだ」
「――傭兵は、過去を捨てきれないと、死ぬって?」
「ああ。親父は俺から、徹底的に軍事惑星のにおいを消そうとした。俺をL52の学校に入れて、上流階級のガキどもと同じ生活をさせた。一年間――それで俺は、こんなにもお上品に育ったってわけだ」
「……」
ルナもピエトも突っ込みたいところはいっぱいあったが、アズラエルは特に突っ込みは期待していないようだった。
「L4系にもいったぜ。地球人が大っ嫌いな原住民の巣で暮らしたこともある。……傭兵は、どんな場所にも違和感なく溶け込めなければ、死ぬということがわかったよ。さすがの親父もそこは一週間で出たけどな」
ピエトが、ごくりと息をのんだのがわかった。
「俺の親父ほど徹底してやるつもりはねえ。だが生半可な覚悟は許せねえ。――傭兵になれなかったら、いつでもエルトにもどって、スリにもどれると考えてる、おまえのな」
図星だったのか――うつむいていたピエトの肩がビクリと揺れた。
「ちこ、持ってきてくれ」
『承知しました』
ちこたんが、大きなゴミ袋を運んできた。
「それ――」
ピエトがゴミ袋に飛びついた。中には、ピエトのずだ袋のような革カバンにくつ、服がまとめて押し込まれていた。
まだ、捨てられていなかったのだ。
「自分で決めろ」
袋の中を覗き込んでいるピエトに、アズラエルは言った。
「ほんとうに傭兵になりたいなら、そのゴミ袋を自分でゴミ捨て場に持って行け。嫌なら、捨てなくていい。だが、そうしたらおまえはたぶん変わらねえ」
ピエトはごみ袋の端を、手に筋が浮くほど握りしめて、考えていた。
「一生、スリのままだ」
アズラエルの言葉に、ピエトは彼を見つめ、ルナを見た。ふたりとも、息をつめて――特にルナのほうが、緊張した面持ちでピエトを見ていた。
ピエトはもう一度唾をのみ、ごみ袋の中身を凝視した。そして目をぎゅっと閉じて、「あ、あのさ……」と声を振り絞るようにして、言った。
「……俺、これ捨ててくる。どこに捨ててきたらいい?」




