172話 過去から届いた絵画 3
郵便庁舎に着くまでに、ルナはぼへーっとミシェルの言葉の意味を考えていたし、ミシェルはいつのまにか寝ていた。クラウドもアズラエルもとくにしゃべらなかったし、静かな車内のまま、郵便庁舎に到着した。
「ミシェル、着いたよ。ミシェル」
ルナはミシェルを揺すったが、「……ン~、もう着いたの?」と、ミシェルはひどく眠そうだった。
「車の中で寝てる?」
ルナは聞いたが、「ううん。行く」とぼんやり顔のまま車から出た。
中央区役所の第一駐車場は、今日はすいていた。めのまえに巨大なビル――ルナたちが宇宙船に入ったときにさまざまな手続きをしにきた、中央区役所である。その四階に、郵便庁舎が入っている。
ルナたちは広いロビーを抜け、エレベーターで四階へ上がった。受付でルナが通知を――だれかさんが破いたのでセロハンテープで補修したものを――出すと、「こちらへどうぞ」と担当の役員が案内してくれた。
エレベーターで地下三階へ。郵便物の倉庫がある。
「こちらですね」
倉庫で示された郵便物を見て、ルナもクラウドもアズラエルも、予定外だという顔をした。絵は、普通自動車に入る大きさではなかった。二メートル四方もありそうな、大きな包み。通知には、絵の大きさは書いていなかったのだ。
「乗用車でお越しですか――でしたら、お届けしますが」
役員は言った。今の時間帯に手続きすれば、今日中にお届けが可能です、と。
「あ――えーっと……。すみません。ちょっと相談してから、また来ます。一時間後くらい――あの、取り置き期間は、あと三日ですよね?」
クラウドの言葉に役員は、不思議そうな顔をしてうなずいた。
「そうですね。しかしこちらのお荷物は、発送先がすでに消失しておりまして。代わりの返送先もございませんので、お客様がお受け取りになられない場合は即時廃棄となりますが……よろしいでしょうか?」
「あ、だいじょうぶです。ちゃんと受け取りますので――でも、すみません。もう一度来ます」
クラウドは、不審そうな顔の役員をあとに、そそくさと三人の背を押してエレベーターを上がった。
中央区役所を出てすぐのカフェに、四人は入った。飲み物を注文したあと、
「さて――どうするか」
クラウドが口火を切った。
「まずは、届けてもらう方向で」
「冗談じゃねえ。請求書が入ってたらどうすんだよ。押し売りだったらどうすんだ。俺は絵なんぞに一デルだって払う気はねえぞ。第一、あんなでかい絵、家に持って帰ったって飾れるかよ。廃棄でいい廃棄で!」
アズラエルが断固としていったが、クラウドは「アズの意見は却下」とすげなく言った。
「クーリングオフがある。――ま、サルーディーバ記念館からってだけで、裏があることくらいわかるだろ。押し売りなわけないでしょ。記念館を騙ったサギなんて、聞いたことないよ。アズは、サルーディーバ関連なのが気に食わないだけ――ルナちゃんは、まるで見当がつかないんだよね。今回の件」
「う、うん」
ルナは、足りない頭で必死に考えた。だが、サルーディーバ記念館から絵が送られてくる予定はなかった。夢も見ていない。サルーディーバ記念館、というものがあることも、ルナは今日知ったのだ。
ルナはサルーディーバさんに相談してみようかといおうとしたが、アズラエルが怒りそうなので黙っていた。それを言うのは、最終手段にしておこう。
「でも、ルナちゃんあてに届いたんだよね? どういうことだろう……」
クラウドが思考スタイルに入った。
ミシェルがココナツジュースを飲みながら、「とりあえずあれ、何の絵なの?」と聞いた。
ルナとクラウドは顔を見合わせ、「何の絵だろ」と尋ねあった。
中身を見るには梱包を解かなければいけない。だが倉庫で梱包を解いてしまったら、その場で再度梱包は難しい。かなり丁重に、複雑に梱包してあることが伺えた。中身はかなりの貴重品だ。
サルーディーバ記念館からの絵となれば、世界遺産にもなっている百五十代目サルーディーバの絵にほかならないだろう。傷をつけでもしたら――世界遺産の弁償代など考えたくもない。
「だから、一回持って帰って、」
「絶対だめだ」
なぜか、今回はアズラエルが意固地だ。譲らない。
「アズ」
「ダメだっつったらダメだ。あれはなんだか嫌な予感がする」
ルナはびっくりした。アズラエルの腕に鳥肌が立っているのだ。
「俺は見たくない。なんだか知らんが、あの絵は絶対見たくない。家にも持ち帰りたくない!」
そういって、黙ってコーヒーを飲みほし、pi=poのウェイトレスをつかまえて、二杯目を注文した。
「見たくないって……じゃあ、どうすれば」
ルナが言いかけたところで、クラウドがひらめいた。
「じゃあ、こうしよう。あの梱包は、俺とミシェルとルナちゃんとで、あの倉庫であける。開けたら、庁舎内にある荷物保管庫を借りて、そこに預けよう」
中央区役所の中にある中央銀行には、貴重品をあずかる保管庫がある。アズラエルも自身の傭兵道具を預けているところだ。無論有料で、保管料は安くはないが、預けるとしても一週間くらいだろう。中身を見なければ話も始まらないが、アズラエルが持って帰りたくないというのだから仕方がない。
「俺が見なくていいんなら、特に問題はない」
アズラエルはついに三杯目のコーヒーを注文した。
「アズ、だいじょうぶ?」
ルナが心配そうに言った。アズラエルの顔は、真っ青になっていたからだ。
「大丈夫だ」
彼はそういったが、大丈夫そうには見えなかった。
アズラエルがロビーに待機して、クラウドとミシェルとルナが、もう一度役員とともに地下三階の倉庫にもどった。ここで中身をたしかめるというと、役員は困った顔をした。当然だろう。恐ろしい額の保険がかかった荷物を、ここであけるというのだ。
だが、クラウドがしつこく説得した。すぐ銀行の保管庫に預けるということで、承知してもらった。
クラウドが厳重な梱包を解いていく。役員がソワソワと落ち着きなく、それを眺めていた。
(――あ)
徐々に露わになる中身――ルナは、途中でそれが何の絵か、わかった。そして、アズラエルの体調不良の理由も。
「あ、これ」
クラウドが、絵の上に被さっていた布を退けた。全貌があきらかになって、ミシェルが驚き顔でつぶやく。
「これ、“船大工の兄弟の絵”じゃない? マ・アース・ジャ・ハーナの神話の」
ミシェルの言葉通りだった。
ふたりのたくましい男性――船大工の兄弟が、枯れ枝を抱いて、悲痛に泣き叫んでいる絵。
ルナは、こくりと唾をのんだ。
茶褐色の髪の兄と、銀色の髪の弟と。船大工サルーディーバの、息子たちの物語。
「……思い出した」
「え?」
クラウドとミシェルが、ルナを見つめた。ルナは思い出した。
「これ、“八つ頭の龍”さんにあげなきゃいけないんだ。約束したもの」
クラウドが、絵を銀行の保管庫に預ける手配をしたり、ララに電話をしている間、ルナとミシェルもアズラエルと一緒にロビーで待っていた。すべての手配を済ませ、クラウドがロビーにもどってきたのは三十分後だった。
「ララは、今宇宙船を離れているらしい。連絡が取れない」
クラウドは肩をすくめた。
「帰ったら連絡をもらえるように、言づけてはおいたけどね――アズ、平気?」
「ああ」
アズラエルは、すこし顔色がよくなっていた。
「梱包の中には、とくに請求書みたいなものは入っていなかったし、あの絵はやっぱり、無償でルナちゃんに譲られたものだと考えていいんじゃないかな」
ルナはぜんぜん、譲られる理由がわからなかったが、船大工の絵を老ヒツジからもらう夢を見たのはたしかだ。絵をもらうはずが、実際にもらったのはシャンデリアの模型で、ルナはそれを、八つ頭の龍にあげたのだった。椿の宿で熱を出したときに見た夢だ。
「ほかの絵はすべて焼却処分だったというけれど――あれだけ残された。サルーディーバ記念館が閉館したのは三月だ。今は六月。なにか問題が起こったら、とっくにマスコミに流れてるだろうし、それもない。極秘裏に、ルナちゃんに送られたものなんだろう」
「その――何代目だかの――サルーディーバが、送りなさいって言ったんじゃない、ルナに」
ミシェルはなにげなく言ったことだが、彼女が百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりだということは、ミシェルをのぞく三人が知っている。ミシェルもほんとうは知っているはずなのだが、すっかり忘れていた。自分の前世のことなどは。
本人(?)が言うならそうなんだろうと、ルナとクラウドは結論付けた。アズラエルも苦い顔をしていたが、ふたりと同じようなことを考えていたにちがいない。
「百五十六代目サルーディーバが、そう書き残していたんだろうね。――ほんとのところ、意味はまだ、」
「わかってる。まともに考えちゃパンクするネタだろう」
アズラエルがいい、クラウドも、「アズもわかってきたじゃないか」と笑った。
「うんあのね。あたしね、夢の中の遊園地で、やぎさん――あ、羊さんだ! に美術館を案内してもらったの。でね、どれか絵をあげるって言われて、あの絵を選んで――八つ頭の龍さんが泣いてて、ぐるぐるして冷えピタ貼って、あたしシャンデリアをあげて、」
「よくわかった。クラウドの報告書を読む」
アズラエルの一刀両断にルナはモギャーと怒ったが、怒りのうさこたんはいつもどおりスルーされた。
「まあ、これでよかったのかもしれない。百五十六代目のサルーディーバが描いた神話の絵だ。ララに預ければ、真砂名神社に飾ってもらえるだろうし、そうでなくても、美術館とかツテがあるだろう。一件落着だね」
「うん」
ルナは頬をふくらませたまま、うなずいた。話を聞いてもらえなかったことは不満だが、ララに渡してもらえるなら文句はない。
――正しくはあの絵は、サルーディーバが描いた絵ではなく、百五十六代目サルーディーバの前世である、謎の画家――L78の農家の姉妹の、妹――が描いた絵だ。
百五十六代目サルーディーバは、グレン・E・ドーソンが宇宙船から持ち出した絵を、宇宙船に返すためにそうしたのだった。
彼に、「船大工の兄弟の絵」を持ち出すように指示したのも、かのサルーディーバだったが、(もっとも、彼は絵を指定したわけではなかったが)ミシェルの何気ない言葉は当たっていた。サルーディーバは、記念館の館長に、すべてを焼却するときに、ルナという人物に船大工の兄弟の絵を送ることを、遺言として残していたのだった。
ルナに届けた意味は、ミシェルとルナが、ララと出会えるようにするためだ。
――そして、もうひとつの目的のために。
「じゃあ、用が済んだからK12区に行こう! あたしおなかすいたよ~!」
ミシェルが背伸びして立った。もうとっくに昼時は過ぎていたし、カフェでは飲みものを飲んだきり。ルナも朝食が早かったので、自覚した胃袋はさっそくぐうと鳴った。
「腹ァ減ったな。肉食えるとこいこうぜ」
「賛成~、あたしハンバーグ食べたい」
アズラエルが身を起こし、ミシェルがハンバーグ、ハンバーグ♪ と歌いながら席を立った。
ミシェルがクラウドと手をつないでエントランスを出、アズラエルがのっそりそのあとをついていくのを後ろから眺めながら、ルナは見えるはずもないのにそっと後ろを振り返った。
船大工の絵。今は、管理倉庫で眠っている。
さっき絵を見た瞬間、一度だけ胸がうずいた気がした。だが、アズラエルほど拒否反応は示さなかった。
ルナは、幼いころマ・アース・ジャ・ハーナの神話を読んだことがある。船大工の兄弟の話も読んだことがあるはずなのだが、なぜか記憶に残っていない。
宇宙船に乗ってからは、マ・アース・ジャ・ハーナの神話の本は読んでいない。こわくもあるし、もういいだろうと思う節もあるからだ。
『……この絵は、あなたにとっては痛みを覚えるばかりでしょう』
『……ええ』
ルナは夢の中であの絵を見た。
『でも、もういいんです』
ルナはそう言った。夢で羊のおじいさんと会話をしながら。そうだ、きっと、もういいのだ。
たとえあれが、「はじまりの物語」であったとしても――。
『……苦しみや悲しみ、つらさ、そういった経験は、もう、いらないだろう? おまえがいらないと思ったら、それでもう、忘れていいものなんだ。いつまでも後生大事に自分の中にしまっておく必要はない。捨ててしまっていいんだ。むやみやたらに傷つきたがる必要もなければ、大切にしまっておく必要もない。長い年月が、苦しみの経験を癒し、浄化してくれる。不思議だろう? 苦しみは長い年月の中でやがて喜びや嬉しさと混じりあって熟し、それは不思議な強さや、安心の元になるんだ。捨てても捨てきれなくても、やがて円熟する。おまえにもアズラエルにも、そういう強みがあるんだ。今はまだ、真新しいキズに、気を取られているだけだ。傷もやがてかさぶたになり、綺麗にかさぶたも取れる時が来る』
いつか、どこかで、グレンが言った言葉を思い出す。
(そうであったらいい。アズも、グレンも、セルゲイも。――あたしも)
グレンは、あの絵をどう見るのだろうか。セルゲイは?
(アズラエルも、あの絵を、あたしと同じ気持ちで見られるときがくるんだろうか)
ルナはエントランスに背を向け、車に向かいながら、ひそかに願った。




