172話 過去から届いた絵画 2
「……だからさ、アズとルナちゃんからも言ってよ」
さて、こちらはクラウド。
朝から泣きそうだった。今日は朝から半泣きの人間が多いとルナは思いながら、クラウドの台詞を流した。アズラエルはとっくの昔からスルーである。
「ミシェル、アリスの夢を見たっていうのに、内容は言えないんだって。……どうして? 俺に言えない夢でも見たの?」
「俺に聞くな」
半泣きのクラウドを追い払いながら、アズラエルはコーヒーを飲んだ。
「ルナちゃんは? ルナちゃんは、夢を見てない? ミシェルと同じ夢を見たとか」
「う、う~ん……悪いけど、今日は、あたし見てないや……」
ルナはほんとうに夢は見ていなかった。見ていたら、ちゃんとクラウドに報告している。
「なんで? どうして? たかが夢だろ? 秘密にすることはないじゃないか。なんで俺に言えないの。俺に言えないような夢でも見たの。たとえば浮気を暗示する夢とか。俺以外に好きな男ができた夢とか!」
ルナはアズラエルと顔を見合わせた。クラウドの落ち込みようはひどかった。
クラウドはイケメンを超越した美形で、人の百倍頭もいいのに、ミシェルが関わると、どうしてこう残念な男になるんだろう。
「き、きっと、ミシェルが言えないのにも、何か意味があるんだよ……。たぶん、クラウドに言えない夢とかじゃなく」
ルナは精いっぱい励ましたが、クラウドの元気はもどらなかった。
今朝は、ピエトの登校のために、ルナとアズラエルは、ピエトとともに朝早く朝食をとった。いつもの時間よりずいぶん早かったので、今日の朝食は別々――クラウドとミシェルも久々に自室で、ふたりで朝食をとった。そのときに、夢の話になったのだった。
今朝はめずらしく、ミシェルが不思議な夢を見たらしい。
彼女は夢の話をしかけ、「――あ、だめだ。これ、クラウドに言うなって言われたんだった」という言葉を残して話をやめてしまった。
「俺にいっちゃダメだって? どうして?」
クラウドは尋ねたが、ミシェルは「知らない」と言ったきり、夢の話を終えようとした。
だがそこであきらめるクラウドではない。ミシェルが自分に秘密をつくるなんて、クラウドは我慢できないのだ。
しつこすぎるクラウドにキレたのは、ミシェルだった。
そういうわけで、部屋から追い出されたクラウドは、泣く泣くアズラエルたちの部屋に来たわけである。
ミシェルのことになると、完全に冷静さを欠くクラウドは、さめざめと泣きながらテーブルに突っ伏していた。ルナはどうしていいかわからなくてウロウロしていたが、アズラエルは「ほっとけ」と新聞を広げている。
クラウドに砂糖入りのコーヒーを出したあと、ルナは、手持無沙汰に新聞に挟んであったチラシを手に取った――ところで、玄関先からカサリと音がした。ポストになにか入った音。
「郵便屋さんだ!」
ルナはちこたんより早く、ぺっぺけぺーと玄関に走り、ドアを開け、郵便受けから封筒を取り出した。残念ながら、事務的な白封筒で、ツキヨおばあちゃんからの手紙ではなかった。
ルナが送り先を見ると、『中央区郵便庁舎』とある。宛名はルナの名前だ。
ルナがふたたびぺっぺけぺーとリビングにもどると、「ツキヨばあちゃんから手紙か?」とアズラエルが聞いてきた。
たいていの連絡は、pi=poか、メールのやり取りで済む昨今、封書はめずらしかった。ルナたちの部屋に届く郵便も、ツキヨおばあちゃんからの手紙か荷物、あるいはルナの両親からの荷物くらいなものだ。
「ううん。中央区の郵便庁舎からだよ」
ルナはその場でビリビリと封を切って開けた。用紙が一枚、入っていた。
「あ」
用紙を読んだルナは、すっかり忘れていたことに気付いた。おそらくアズラエルもだろう。一ヶ月の旅行に行くときに、郵便庁舎のほうへ荷物の取り置きを頼んだのだ。その、取り置き期間の期限が迫っているとの通知だった。
「なにか、荷物届いてたのか」
アズラエルも意外そうに言った。郵便庁舎へ荷物の取り置きを頼んだのは、ツキヨおばあちゃんが何か送ってよこすかもしれないから、念のため――で、実際は何も届かないだろうとアズラエルは思っていた。
ルナもだ。ルナの両親から何か送ったという連絡はなかったし、ツキヨおばあちゃんからもない。ということは、荷物が届く当てはない。
「うん、えっと――え?」
ルナは覚えのない送り先に、首をかしげた。
「L05――サルーディーバ記念館?」
「サルーディーバ記念館?」
クラウドがその語句に反応して、がばっと身を起こした。
「どういうこと? サルーディーバ記念館は、もう閉館になっただろ」
「閉館だと?」
サルーディーバと聞いたとたんに顔をしかめたアズラエルが、ますます顔を凶悪にした。
「三ヶ月くらい前かな――記念館は閉館したはずだよ。なんでも、百歳を超える管理人が急死したらしくて。それで、そこは百五十六代目サルーディーバが描いた絵を主に展示していたはずなんだけど、サルーディーバの遺言通りに絵をぜんぶ焼却したとかなんとかで、世界遺産保護団体が抗議を――」
「絵、だって」
「「え?」」
シャレではなく、アズラエルとクラウドが同時に聞き返した。
「絵ってかいてあるよ。郵送物は絵だそうです」
ルナが言うと、クラウドとアズラエルが同時に覗き込み、左右から引っ張ったので、紙はびりっという音を立てて破れた。
「やぶけた!」
ルナの悲鳴はだれも聞いていなかった。
「なんで、サルーディーバの絵が、ルナに届くんだ」
アズラエルは、またややこしいことが始まった、と獣みたいに唸って頭を抱えた。半分になった紙切れを放り投げて。アズラエルとは逆に、クラウドは急に元気が出たようだった。クラウドの手元に残った半分の紙切れには、郵便庁舎の電話番号が書かれている。
「いつご在宅か、ご連絡いただければお届けに伺いますだって――来るのを待つつもりなんかないだろ? 取りに行くよね?」
クラウドはすでに携帯電話を手にしていた。アズラエルは吠えた。
「あたりまえだ! こっちは絵なんぞ注文した覚えはねえんだ。その場で送り返してやる!」
「送り返すもなにも、記念館は閉館したって言ったじゃないか。――まあ、絵をどうするかについては、行ってから決めよう。――あ、もしもし、郵便庁舎ですか。ルナ・D・バーントシェントです」
クラウドは勝手にルナを騙り、本日荷物を取りに行く旨を連絡してしまった。ルナは、何かの間違いだったらどうするんだろうと思ったが、とりあえず現物を見ないことには始まらない。
それより彼らは、荷物受取のときに必要な通知を破いた。
「あの……ルナちゃん」
ルナが半切れを持ってぼへっと突っ立っていると、クラウドが頭をかきかき、佇んでいた。
「たぶん、ミシェルまだ怒ってるだろうから、ルナちゃんが声かけてくれないかな……。一緒に行こうって」
「いいけど」
クラウドがしつこすぎたのが、悪いのだと思う。言いたくないというのをしつこく聞くから。
ルナはそう考え、考えたのちに顔を上げ、
「クラウドは反省していますか」
ルナはぷんすかと言ったが、クラウドはいつのまにかルナのまえから姿を消していた。もう彼はテーブルに座って、アズラエルのパソコンでなにか調べ始めている。
「クラウドは反省するべきです!!」
ルナはモギャー! と怒ってバタバタと部屋を出て行った。その丸い後ろ姿を呆然と眺めたアズラエルは、「どうしたんだあいつ……」とあきれ、クラウドは、「ルナちゃんまで怒らせちゃった……」とつぶやいたが、目線はパソコン上から動かなかった。
反省の色は、まるでなかった。
かくして四人は、すぐにアズラエルの車で中央区の郵便庁舎へ出発した。
ミシェルはとくに怒ってはいないようだったが、やはり夢の話はする気はないようだった。ミシェルは、ルナも同じ夢を見ていたと思ったらしく、「え? ルナは見なかったの」と不思議そうに言った。
「うん、昨夜はね、夢は見なかった」
本当はルナも、ミシェルがどんな夢を見たのか聞きたくてうずうずしたが、話してはいけないというなら、聞けない。
「ルナも出てきたんだよ。あの、ピンクの、“月を眺める子ウサギ”」
ミシェルは後部座席で、前方の二人に聞こえないようにこっそり言った。
「え? そうなの?」
「うんだから、ルナも見てると思ったの。でも、クラウドには言うなって言われただけだから、ルナには言っていいのかなあ」
ミシェルは悩むように腕を組んだ。ルナはちょっと考えて、首を振った。
「言うなって言われたんなら、やっぱり言わないほうがいいと思うよ――それにあたしがミシェルから聞いたら、あたしのほうにもクラウドがしつこく聞いてくるかもしれないし」
ルナの台詞に、ミシェルがうんざり顔でつぶやいた。
「L18の男のあの異常な粘り強さって、どっから出てくるんだろうね……」
「ほんとにそうだね。なっとう食べないのに」
「ルナ、いま納豆関係ない」
ミシェルはクールに突っ込み、「夢なんかどうでもいいんだよ。それよりこれ、あげる」と言って、バッグから、小さなウサギのマスコットを取り出した。
「うわあ! 可愛い!!」
ルナは歓声を上げた。羊毛フェルトをちくちくと縫って作る、かなり手間のかかるマスコットだ。ミシェルはピンクのウサギをルナに渡し、「こっちはピエトにあげて」と茶色いウサギを出した。
「ウサギとネコしか作ったことなくて。ピエトのZOOカードはわかんないから、とりあえず余ってた綿で、茶色ウサギ」
ミシェルの直感には、あとで大変に驚くことになったが。
「ありがとう! ピエトも喜ぶよ」
「どうかなあ。ピエトは男の子だし、マスコットは嫌かも」
ゼラチンジャーのキットがあればよかったねと言いつつも、ミシェルはちゃんとピエトの分は手製の布袋に入れて、プレゼント仕様にしていた。
「ねえ、アズラエル。中央区の帰りに、K12区のショッピングセンターに寄る時間ある?」
K12区は、中央区の隣だ。そう遠くはない。アズラエルは、「かまわねえが、なんでだ」と聞いた。
「大きな手芸屋さんがあるの。ちょっとほしいものがあって」
アズラエルは了解した。ミシェルはすとん、と座席に腰を下ろすと、
「キラとシナモンに頼まれててさ。ビーズの、ネックレス」
と言った。
ミシェルが行きたいといった手芸屋さんは、ミシェルがK12区のショッピングセンターに行ったときは必ず立ち寄る大きな店舗で、様々な種類の布から、手芸用のキットやら、何百種類ものビーズやらが置かれているところだった。
ミシェルは、ビーズでアクセサリーも簡単に作ってしまう。それもビーズとは思えないつくりで、大分センスがいいものだから、女友達の間ではとても評判が良かった。
「そういえば、アンジェラのガラス工芸の教室って、もうすぐじゃない? 当たったの?」
ルナが思い出したようにこっそり言った。やはり前の座席には聞こえないように。
ミシェルの師匠のロビンが、地球行き宇宙船で開かれるアンジェラのガラス工芸教室に、ミシェルの名で応募してしまったのは、ルナも聞いていた。
不思議なことに、あれほど止めていたクラウドも、何も言わなかったとか――。よりによってクラウドである。夢の話すらここまでしつこく聞いてくる男がなにも言わなかったなんて。
しかし、ミシェルは急に、薄目になった。テンション高めで、「そうだよね!」という返事を期待したルナは、そのテンションの低さにびっくりした。すくなくとも、今までの反応とはちがった。
「ミ、ミシェル?」
やはり当選が外れたのだろうか。だとしたら、ルナはミシェルには申し訳ないがほっとした。
アンジェラの作品が好きだということに文句を言うつもりは毛頭ないが、本人に関わるのは、もう、ほんとうにやめたほうがいいと思っていたから。
しかし、ミシェルから帰ってきた言葉は、ルナの予想もつかない言葉だった。
「……あたし、間違ったかも」
ミシェルのボヤキに、クラウドも思わず振り返ったし、アズラエルもちらりと目を向けた。
「ま、間違ったって?」
ルナが思わず聞くと、
「……あたし、本当は行くべきじゃないのかもしんない」
とミシェルは重々しくうなずいた。
どこへ、とは聞かずともわかる。
「どうしたのミシェル。どういう心境の変化?」
ルナの焦った声に、ミシェルは困ったように腕を組んで、足も組んだ。ミシェルは口をへの字に曲げて、しばらく沈黙し――やがて、もごもごと口を開いた。
「……バカなこと言ってると思うかもしれないけどさ」
ミシェルはまた、「う~ん」と首をひねってから、
「昨日の夢見てから、なんか変なの」
「変って?」
ルナの目には、ミシェルはいつも通りだ。なにも変なところなどない。
「変っていうか。……あたしがなんで、アンジェラの作品が好きなのかとか、行かないほうがいいとか、そういうの、なんかもう、だだだーって分かっちゃったの」
ルナは目をぱちくりとさせた。
アズラエルは「わからん」のジェスチャー。クラウドは、何か言いたいようだったが、ミシェルの言葉を待っていた。
「いや、もちろん行くよ? 受講日には。でもたぶん、ロクなことにならないのも、なんとなくわかってる。アンジェラに近づかないほうがいいっていうのも、アンジェに言われた言葉の意味も、ようやく分かった気がする。それが分かった途端にさ、急にどうでもよくなっちゃって――ああ、あたしはやっぱり、アンジェラの作品は、見てるだけでいいんだなって。憧れでいいんだなって。あたしは、彼女と同じものは作れない。そうなの、当たり前なのよね。それが分かっちゃったの。意味わかんないでしょ。でもあたしもこれ以上、説明のしかた、わかんない。でも、今のあたしは、ガラス工芸の教室でなにかが起こっても、たぶんだいじょうぶ。アンジェラの作品を嫌いになるってことはないし、好きなままでいられると思う」
ミシェルは続けた。
「アンジェラは、ガラス工芸だけじゃない。彼女の作品には彫刻もあるし、絵だって描くの。だけど、あたしが好きな彼女の作品は、ガラスを加工したものだけ」
ミシェルは、自分の手のひらを広げ、見つめた。
「今朝、ふと気が付いたの。あたしが興味あるのは、アンジェラの“ガラス作品”だけ。それでね、あたし、もしかしたら前世でいろいろ、絵をかいたり何かを作ってきたりはしたけど、――ガラスの作品だけは、作ったことがないんじゃないかって」
ルナは目を見開いた。
「だから、ガラス工芸があたしにとっては新鮮なの。でも、それは、あたしが求めてる芸術の一部にすぎなくて――やったことがないことだから、新鮮で楽しいの。それだけなのよね。それで、あたしがアンジェラの作品が好きな理由はさ、」
ミシェルは、一呼吸置いて、言った。
「彼女がたぶん、あたしがとっくの昔に失っちゃったものを、持ってるからなんだ」
アズラエルは、最終的に理解することをあきらめたように頭をかいた。クラウドは考え込んだままだった。きっとクラウドにさえ、ミシェルの言った意味は分からないとルナは思い、ミシェルは自分の言葉がうまく通じなくても、それでいいと思っているようだった。
ルナには、ミシェルの言わんとすることがなんとなくわかった。けれど、ミシェルがそれ以上詳しく説明できないのと同様、それをミシェルに伝える言葉が選べなかった。
でも、すこし気になった。
アンジェラのガラス工芸教室は、抽選だった。それもものすごい倍率の。
ミシェルの言い方では、もうすでに抽選に当たったような言い方だった。




