172話 過去から届いた絵画 1
「これでよしっ……と」
ピエトがラガーに行って、ひと悶着起こした日から、三日経っていた。
今日は、ピエトがK16区の学校に行く日だ。ピエトの装いは、新しい小奇麗なポロシャツに紺のジャケット、半ズボン、新しいスニーカーに通学用のバックパック。ルナは、そのバッグの端に、母星の神社からもらってきたお守りをくくりつけてやった。
「ルナ、これなに?」
ピエトは、薄桃色の小さな守り袋を不思議そうに触った。
「おまもり! ピエトの病気が早く治りますようにって」
大切にするんだよとルナが言うと、
「おまもりなの? じゃあ俺、首からかける」
ピエトは、ルナがくくりつけた紐を四苦八苦して解き、そのままペンダントのように首から下げた。
「おまもりは嬉しいけどよ、」ピエトは言った。「新しい服とか、いらなかったのに」
ルナは、ため息をつきつつ、買いに行ったときと同じ説明を繰り返す羽目になった。
ピエトがこれから行く学校は、L6系から7系のこどもが多いから、ちゃんとした格好でないと入れてもらえないの、と。
ピエトは、カバンも服も持っているから買わなくていいとさんざんゴネたが、ルナはまさか、いくら洗っても土のにおいが取れない、ぼろぼろの垢じみだらけのTシャツと、大人のズボンを断ち切ったであろうズボン、盗品にちがいない、破れる(!)寸前の皮バッグ、サイズの合っていない、これも盗品であろう、穴をテープで補強した大人用革靴を履かせて登校させるわけにはいかなかった。
ルナは、ピエトが何を着ていようがカバンがぼろぼろだろうが、一向にかまわない。だが、世の中にはTPOというものがあるのだ。
ピエトが今まで通っていた学校は、辺境の惑星群や、L4系やL8系のこどもばかりだったから、ピエトがどんな格好でいようが気にする大人も子どももいない。
しかし、これから通う学校は、L6系からL7系の子どもが多い学校。下手をしたらL5系の子もいるかもしれない。そんな中に、浮浪者同然の格好で行かせるわけにいかなかった。
この三日、毎日お風呂に入れるのも大変だったのだ。清潔を保つのも、病気を治す大切な手段であるというのに。ピエトは放っておけば一週間は入らなかっただろう。K19区にいたときは、病院に行く日しかシャワーを使わなかったというのだから恐れ入る。
ルナが当初考えていた以上に、ピエトの生活習慣と、ルナたちの生活習慣は違っていた。まだピエトがこちらの言うことを聞いてくれるから、助かっているのだ。タケルとメリッサの苦労がしのばれた。
実際、ルナはとても心配だった。たぶんピエトは原住民だということを隠さないだろうから、学校でいじめられたりするかもしれない。
いざとなったら星海寺だ。もうそれしかない。
「準備できたか」
アズラエルが歯を磨きながら、ピエトの髪の毛をちょいとつまんだ。
「おい、ちょっと来い」
ピエトが洗面所に連行されていく。ルナは目だけで二人の後ろ姿を追った。洗面所から、ピエトの「つめてえ!」という笑い声が聞こえてきた。
このあいだ、ラガーから帰ってきてから、二人の間のわだかまりは解けたのか――無視し合っていたあの朝はどこへやら。仲良くなったというほどべったりとはしていないが、なにか、男同士の結束の様なものをルナは感じていた。
なにがあったのかとルナが聞いても、ふたりは「男と男の約束だ」といって、ルナに教えてはくれない。
ピエトは急にアズラエルのいうことをよく聞くようになったし、アズラエルも、最初の不機嫌が嘘のようにピエトをかまいだした。
ピエトが素直に服を買い与えられたのも、床で寝るからいいといってきかないピエトが、ベッドを買うことにゴネなかったのも、アズラエルのおかげである。
「傭兵になりたいんだろ。だったら俺の言うことを聞け」
すべてがそれで済んだ。
(ピエトは、傭兵になりたいのかあ)
アズラエルを見ていれば、そう思うのも無理はないかもしれない。アズはカッコいいもんね! とルナはなるべくならアズラエルの前で言ったほうがいい台詞を、脳内だけで再生した。もったいない。
兎にも角にも、なかよしになったということはとてもいいことだった。どつきあっている時間のほうが多い気もするが。
ピエトの部屋は、物置にしていた空き部屋をつかうことにした。この三日の間にピエトのベッドと学習机、クローゼットがないので、洋服ダンスを買い、ちょっとした子ども部屋のできあがりだ。ルナは子ども部屋のドアを開けながら、満足げにうなずいた。
ピエトのぼろぼろの洋服と、バッグと革靴をゴミ袋にまとめて片付けながら、新しく買った子ども用のTシャツやトレーナーを洋服ダンスに入れていく。
小さな洋服ダンスはあっという間に埋まった。ピエトが下着すらつけていないと知ったときは少々呆然としたが、アズラエルが選んでくれた真新しいトランクスもここにそろっている。ちょっと買いすぎてしまったかもしれないと思いながら、ルナは、アズラエルのほうが、「あれも買え、これも買え」とうるさかったなあと、一人思い出し笑いをした。
ピエトは新しい服やはいたことのない下着に、居心地の悪い顔をしていたが、スニーカーだけは気に入ったようだ。「なんだこれ、早く走れる!」と大喜びだった。
サイズの合っていない大人の皮靴を履いて、あれだけのスピードで走れたのだから、ぴったりサイズのスニーカーを手に入れたピエトはもはや無敵だ。
スニーカーを買った日は、ピエトは大はしゃぎで公園を走り回り、あっという間に靴擦れをつくった。
「なんかへんな感じ!」
玄関先までドタバタとかけてきたピエトの頭は、見事、アズラエルの手によってセットされていた。ツンツンに立たせた流行りのヘアスタイル。
雑誌の子役モデルのようだ。
「ピエト、L5系の子みたいだよ!」
昨日までの、浮浪者モデルのピエトとは別人のようである。ピエトはアズラエルに似ている、つまり顔立ちはイケメンなのだ。これはモテるだろうなあ、とルナはひとりでもふもふ、ほくそ笑んだ。だれかが親ばかだといっても一向にかまわない。
「俺、かっこいい? ルナ!」
「うん! かっこいい!」
「アズラエルよりも!?」
「うん!」
「おいちょっと待て」
異論のある男が約一名いたが、口に歯ブラシを突っ込んで、よれよれの部屋着Tシャツと穴の開いたジーンズの入れ墨男と、L5系のモデル系イケメンでは、勝負あったようなものだった。
玄関先でふざけていると、インターフォンが鳴る。タケルたちだ。ピエトを学校に連れて行くために迎えに来たのだ。
ピエトはルナたちと一緒に住むことになったが、実際に養子縁組をしている、ピエトの正式な親はタケルとメリッサだ。だから、今日の転校初日も、彼らが付き添う。
ルナが「おはようございます!」といってドアを開けると、タケルとメリッサも「おはようございま……」といいかけて驚きの顔で固まった。もちろん、ピエトを見てだ。
ピエトは、やはりむすっとしたまま玄関に背を向けていたが、アズラエルが、「おいピエト。約束だぞ」と凄むと、いやいやながらも――本当に嫌そうにではあったが――彼はタケルたちのほうを向いた。
「……おはよ、ございます」
それだけ、ぽつりと言った。びっくりしたのはルナだったが、タケルとメリッサのほうが、もっと驚いているにちがいなかった。
ルナのほうからは見えなかったが、タケルたちからは見えた。ピエトの、拗ねたような、不満も混じった、上目づかいの顔が。
メリッサの目が潤んだのが、ルナにもわかった。
「……おはよう」
彼女は言った。
タケルも、「おはよう」と万感の思いを込めて告げた。
タケルたちの気持ちが、ルナにもわかった。ルナも泣きそうだった。
ピエトはきっと、一度も彼らにあいさつなどしなかっただろうし、きっと彼らがいくら言い聞かせても、こんな恰好はしなかっただろう。
学校など関係なく、タケルもメリッサも、ピエトに新しい服や靴を与えたかっただろうし、身なりを整えさせたかっただろう。だがピエトは、ふたりを嫌っていたから、言うことを聞かなかった。
いや、正しくは嫌っていたのではない。アズラエルはピエトに言った。「八つ当たりはもうやめろ」と。
タケルとメリッサのせいでピピが死んだのではない。彼らだって、ピピを助けようと頑張ったのだ。おまえが彼らを責める謂れはないのだと、アズラエルはピエトにはっきりと言った。
ピエトは、それがわからなかったわけではない。
そして、ルナたちと出会うまでは、寂しさから抜け出せなかっただけ。
「……アズラエルさん、ルナさん」
「ありがとうございます……」
タケルとメリッサが――特にメリッサが半泣きの顔で頭を下げたので、ルナはあわてて、「あたしは何も――、」と言いかけたが、メリッサがルナの手を取ってぎゅうぎゅう握りしめながら、「ありがとうございます」と本気泣きをはじめてしまったので、ルナは答える言葉を見失った。
礼を言われる覚えはない。むしろルナは、メリッサたちからピエトを取り上げたような気すらしていたのだから。
アズラエルは相変わらず傍観者を決め込んでいる。なにもいわない。
ルナは戸惑うままだったが、メリッサの様子を見つめるピエトの表情がひどく複雑だったので、ルナは戸惑いを一瞬、忘れた。
「なあ、帰りは三人で食事でもしてくるんだろ」
アズラエルの言葉に、メリッサはやっと顔を上げ、笑顔を取りもどした。今日は学校の中を案内されて、所属するクラスで自己紹介をしてきて、一時間ほど授業を受け、昼前には終わりだ。
タケルがハンカチを彼女に手渡しながら、「ええ、ぜひそうして来たいと思います」と言ってから、はたと気が付いたように付け加えた。
「ピエト君、レストランで食事、できるのかい……?」
大人四人が息を詰めて――ピエトの返事を待った。ピエトは非常に困った顔をしながら、目だけで二度、三度、ルナとアズラエルに助けを求めたが――ルナとアズラエルは何の助け舟も出してはくれなかった。
仕方なく、ピエトは顔を背けながらつぶやいた。
「ゼ、ゼラチンジャーのついた、オムライス……」
「え?」
ピエトがやっと、絞り出すように言ったひとことが、それだった。タケルとメリッサは同時に疑問符を飛ばしたので、ピエトは口を尖らせながらもう一度言った。
「ゼラチンジャーのついたオムライスがいい。……なかったら、カルボナーラでいい」
タケルとメリッサは、ゼラチンジャーの意味が分からなかったのですこし固まったが、すぐに「わかった、そうしよう」と笑顔になった。きっと行きの車中で、ふたりはゼラチンジャーのことをピエトに尋ねるだろう。
「は、早く行こうぜ! 学校、遠いんだろ!?」
ピエトはひどく照れたような顔をして、タケルとメリッサをせっついた。
「ルナ、アズラエル、行ってきます!」
タケルとメリッサが挨拶をするまえに、ピエトは二人を玄関の外に追いだし、無理やりドアを閉めた。
アズラエルは苦笑し、ルナはドアの外にも聞こえるように大きな声で、「いってらっしゃい!」と叫んだ。




