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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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170話 ライオン、ふて腐れて子持ちになる Ⅱ 1


 そのころ、アズラエルはラガーのカウンターでひとり、彼にしては恐ろしいほどらしくなく、両手をポケットに突っ込み、ぼうっと宙を眺めていた――。


 本人にとってはそんな感じだったが、アズラエルの姿を見て声をかけようとした知りあいがことごとく逃げていくのは、どうしたってそんな(てい)には見えないということだ。


 一度来たら、半分は減らすはずのボトルキープのウィスキーの瓶からは、一杯作られただけ。それすら手を付けず、ほとんど素面(しらふ)の状態でアズラエルはそこにいた。


 ぼんやりした状態でも、ルナとアズラエルでは外見が徹底的にちがう。ルナの場合はアホ面間違いなしだが、アズラエルの場合は、考えごとに頭を埋め尽くされた状態の外見は、非常に劣悪な環境になる。


 すなわち、だれも近づけないほど怖かった。顔が。


 アズラエルは心外だろうが、その凶悪な顔のおかげでだれも近づかず、思考に集中できるのはいいことだっただろう。


 とりあえず、ラガーの店長にとってはアズラエルの顔など凶悪の部類に入らないので、(本人が三割増し怖い面をしている。)たまにぼそっと話しかける程度にしていた。だが、なにか考え事をしているであろうことは分かったので、だいたいそっとしておいたというのが正しい。


(なんで、ガキの面倒なんか)


 アズラエルの思考はずっと堂々巡りだった。


(ガキの世話をするためにこの船に乗っているわけじゃねえんだが?)


 今までだったら――ルナと出会う前だったら、すぐに宇宙船を降りる方を選択していたに決まっている。


(そもそも、なぁ……)


 あの、いかにも嬉しそうなルナの顔。しかも、みんなそろって、ピエトをアズラエルの息子扱いする。冗談ではない。


 そんなことより、ルナの心境がわからないアズラエルだった。

 ルナのあの態度は、アズラエルとピエトと自分で、家族になろうとでもしているようだ。


(俺とルナは、付き合ってないんじゃなかったっけ)

 今さらだが。本当に今さらだが。


 本当に今さらだった。

 なんとなく、お互いに、「つきあってくれ」とか「恋人同士になろう」とか、何らかの主張があれば、すぐにでもそういう関係になれる気はしている。


 ルナは、グレンにもセルゲイにもなびかない。懐いてはいるが、なびかない。ほかに好きな男がいるわけでもない。


 だからといって、ルナがこれからほかの男を恋人にするようなことがあったとしても、寛容にはなれない気がした。


 いつかはルナに恋人ができることもあるだろう。そんなときになったら自分はお役御免だ。そんなふうに考えていたこともあった。


 それがどうした、いまは。


 ――自分で「ボディガード」と宣言して、線を引かないと、ほんとうに勘違いしそうだった。


 自分は、ルナの恋人ではない。

 まして、家族なんかではない。


 妻を持つなんて――だれかと結婚するなんて、考えたこともなかった。

 結婚。そして家族を持つということ。

 自分にはありえないことだと思っていたわけではない。でも、いままでつきあっていたどの女相手にも、そんなことは考えたことがなかった。ただ、自分は、傭兵として任務の最中に死ぬんだろうな、と思っていたから、考えたことがなかっただけだ。


 メフラー親父に、「おまえは生き急いでるなあ」と言われ、バーガスには「おまえは長生きしねえな」と笑われ、ロビンにも「おまえはホント傭兵らしい傭兵だな」と呆れられていたから。


 父方の祖父は難病だった祖母のために、かなり危険な仕事ばかり選んでしていた。高額な報酬だったからだ。祖父が大怪我をして動けなくなってから、アズラエルの父のアダムが、その危険な仕事を肩代わりしていた。


 アダムも、結婚なんて考えていなかったらしい。危険な仕事ばかり請け負い、難病で金ばかりかかる母親を持っている自分と結婚する女なんていないと思っていた。でも、そんな奇特な女がいた。エマルだ。


 エマルと結婚してアダムは少し落ち着いた――命を大事にするようになった。自分で傭兵グループを立ち上げて、仕事を選ぶようになった。しかし、好きで危険な任務を選んでいたわけではない。若いころは、「死にたくない」とばかり思っていたといっていた。


 代々、そんな環境だったからだろうか。

 アズラエルも、長生きするとは思っていなかった。

 でも、三十手前には死ぬと思っていたのに、まだ生きている。

 父のアダムも生きている。――祖父母は亡くなったが。


「……」


 ルナとの同居は続いている。よく考えたら、それも不思議だった。たいしたものだった。

 退屈はしていないからか?

 今はもう、宇宙船を降りたい気持ちもなくなっているのが不思議だった。

 ずいぶんほだされたものだ。

 しかも、こんなところで、家族まで持とうとしている?

 アズラエルはそこまで考えて、ちょっぴりぞっとしたのだった。


(ルナは)


 ――ルナは、好きだと思う。

 それは間違いない。いきなり子持ちになるのはごめんだが。

 一緒に寝ることもあるのに、手もだせない自分が不思議だった。

 はっきりしない自分がわからない。

 枯れたのかと思ったこともあったが、そういうわけでもなさそうだ。


 自分はいったい、なにを嫌がっているのか。

 おびえているのか。


 ――おびえ?


 恐怖。

 死も恐れずに仕事をしてきた傭兵が、何におびえているというのだ?


 ピエトがラグ・ヴァダ人だとか、アバド病だとか、可愛くないガキだとか、結婚とか子持ちとか冗談だろ、という思いも本物ではある。

 だがそれらは、実のところたいした問題ではない。ほんとうは。


 アズラエルの本心は――怖かった、だけだ。


 前世とか、過去とか、ルナやサルーディーバたちの話を鵜呑(うの)みにしているわけではない。

 なのに、理性では抑えきれない、胸底からこみあげる気分の悪さ。

 具体的な幸せがめのまえにチラつけば、同じだけ恐怖もあふれ出る。

 ルナを失う恐怖。――いや、厳密には、ルナとの幸せを失う、恐怖。


(なぜ、そんなことを考える)


 アズラエルは冷や汗が滲んだ掌を拳にして、そっとカウンターの上へ置いた。


 アズラエルは、ルナのためになら傭兵をやめてもよかった。

 そんな思いが浮かんで絶句したこともある。

 ルナを大切にしたい。幸せにしたい。その気持ちは紛れもなく本物だが、同時に湧き起こる疑念――。


 また、ルナを苦しめないと――傷つけないと、ほんとうに約束できるのか?

 

 “いままで”だって、アズラエルは決してルナを苦しめたいわけではなかった。

 壊したいわけではなかった。


 ――殺したい、わけではなかった。


 ピエトに笑いかけるルナの姿を、あの朝の、食卓の何気ない光景を、本当の自分は好ましく思っていた。

 ほしかった姿だ。ルナを妻にし、子どもをつくり、幸せな家庭を築く。

 アズラエルがほしかったものだ。望んでいたもの。ピエトは邪魔などではない、アズラエルが望んでいた光景がめのまえにあったのだ。


 ルナと築く、幸福な家庭の縮図――だがそれを直視したとたんに、それが崩壊するさまも容易に想像できた。


 ――そう、それを壊すのは自分だ。

 幸せを、完膚(かんぷ)なきまでに破壊するのも、自分。


(バカなことを)


 また、自分は失敗するのではないか。ルナを、壊してしまうのではないか。


 なぜこんなことを考えるのかがわからない。アズラエルは、ルナのこと以外に関しては、すべてにおいて楽観的だと思う。ルナのことだけだ。ここまで意味不明な取り越し苦労をしてしまうのは。


 嫌な汗をごまかすように、ひとつ大きく息を吐き、グラスの酒を(あお)った。


 解決のめどなどつかない。つきようがない。これは、アズラエルの中でだけしか、解決しえない問題なのだから。


(考えたってどうにもならねえことだな)


 アズラエルは、一度顔をぬぐい、体全体で大きくためいきを吐いた。

 氷がとけて、大分薄くなっていたそれをひと息で流し込み、「オルティス、もう一杯くれ」とグラスを掲げて見せた。そこで、やっと気づいた。


(だれだ)


 アズラエルは今日初めて、店内の様子に注意を払った。壁ぎわのボックス席で女と飲んでいる男と目が合う。ぴたりと目があった、ということは、相手のほうがずっとアズラエルを見ていたということだ。男はまるで旧知のように親しげに手を振った。


 グラスに新しい氷と酒を入れてアズラエルへ差し出したラガーの店主に、アズラエルは聞いた。


「だれだアイツ」

「おまえの知り合いのことなんざ、オレが知るかよ――って、ああ、アイツは知ってる。え? おまえ知らねえのか?」

「知らねえ」


 水色のソフトモヒカンの男なんて、一度見たらなかなか忘れないとアズラエルは思うのだが。水色の頭に黄色いTシャツを着てピンクのジャケットなんて、どんな趣味の持ち主だ。


「ロビンが、あいつはおまえと同期だって言ってたぜ。なんだっけ? たしか、あー……、アンダー・カバーとかいう傭兵グループの、」

「ライアン?」


 アズラエルが言ったと同時に、左肩がポンとたたかれた。


「この薄情モン、おれの顔忘れてたろ」


 笑ったライアンが、アズラエルに断わりもせず隣に腰を下ろしていた。


「おまえの顔、個性的なわりに覚えられねえんだよ」

「言いやがって」


 大笑いするライアンは、気を悪くはしていないようだった。彼にとっては、「人に顔を覚えてもらえない」ことが仕事を有利に運ばせる特権であるのだから。


 彼の傭兵グループはその名の通り、探偵まがいの特殊な傭兵家業を請け負っている。


 水色ソフトモヒカンの、個性的なはずなのに覚えにくい顔のライアン・G・ディエゴは、アカラ第一軍事教練学校で、アズラエルの同期ではなく、ひとつ下の学年だった。アズラエルにひとつだけ言い訳を許すならば、ライアン、学生時代は水色ではなく、地毛の黒髪だった。だから気づかなかった。


 ライアンは、アズラエルと特に親しかったというわけではないが、当時ずいぶんと恐れられていたアズラエルにも、物おじせず話しかけてきためずらしいタイプだった。


 アズラエルを先輩呼ばわりもせず、特に恐れ入ることもなく、どちらかというと一匹狼のような男で、「なあ、おれが傭兵グループ作ったら入ってよ」などと勧誘ばかりしてきた変わった後輩だった――というのがアズラエルの印象。


「宇宙船に乗ってたのか」

「アンタ、久しぶりとかねえの? 挨拶は人間関係を円満にする潤滑剤だぜ」

「口をひらけば挨拶より先に勧誘してたやつがよく言うよ」

「そんなこともあったよな懐かしい。うんまあね。チケット当たってさあ。オルドと乗ったよ」


 アズラエルが聞こうと思ったことは、勝手にそちらからしゃべってくれた。


「オルド? しらねえな」

「知っといてくれよ。おれのグループのナンバー2なんだからさ」

「今年一月に作ったばっかのグループなら、名前が浸透してなくてもしょうがねえだろ」

「そうだなあ。まだメジャーには遠いなおれたちのグループは。だからさ、メジャーなアズラエル先輩が入ってくれよ。おれのグループに」

「来たな勧誘」

「いやまあ、それがおれの挨拶だし?」


 アズラエルがうっかり受け答えしてしまったせいで、ライアンもここで飲むのだと思わせてしまったのか、ラガーの店長がビールを持ってきた。もちろんライアンにだ。何も言わなくても欲しい酒が運ばれてくるということは、ライアンもこの店の常連になっているらしい。


 アズラエルは仕方なくタバコをつけて、灰皿をライアンのほうへ押しやった。ライアンもたしか吸うはずだ。一人で飲む計画は台無しになったが、こいつをこの席から追い出す理由も、アズラエルには見当たらなかった。


「アズラエルはクラウドってやつと乗ったんだろ?」

「ああ」

「宇宙船楽しい? ヒマじゃね?」

「ああ」

「なんで降りねえの?」


 最後の質問だけは口調が変わっていた。本気で聞きたい質問のようだった。


「俺の勝手だろ」


 ライアンは、あまりにそっけない答えに口をぽかんとあけ、それから声高く笑った。それ以上、追求しては来なかった。


「たしかにアンタの勝手だな。なあ、春にバーベキューパーティーやったっていうじゃねえか。店長に聞いたぞ。楽しそうだな。またやるんだろ? おれたちも呼んでくれよ」

「別にいいが、傭兵以外も来るぞ。ドーソンのおぼっちゃまも来るんだってこと、覚悟しておけよ」

「いんじゃね? おれは楽しくやれりゃなんでもいいし。ドーソンの坊ちゃんとふたりっきりは勘弁してもらいてえけどな。……かわいい子、来るんだろ?」


 ライアンは上目づかいでウィンクした。大きくタバコの煙を吐きながら。


「アズラエルの彼女、L77の超かわいい子だっていうじゃねえか。な、おれにL7系の女の子紹介してくれよ」


 このとおり! とアズラエルに手を合わせるところは、相変わらず憎めないキャラの男だ。


 だが、ライアンの中身を表面通りに見ていると痛い目にあう。アズラエルの身辺はとっくに調査済みだろう。伊達に「アンダー・カバー」を名乗っているわけではない。ライアンがアズラエルに近づこうとするのは、単に知己だからというだけではないことは、アズラエルの傭兵としての勘が察知していた。


「……おまえの彼女も、傭兵には見えねえけどな」


 アズラエルは、ライアンがボックス席に残してきた彼女を見もせず、言った。

 

 さっきライアンと目があったときに女の容姿も見た。どこかで見た顔だと思ったが、思い出せなかった。ただ、即座に顔をそらしたわりには、アズラエルがそちらを見ていないときは、焼け付くような視線を捻じ込んでくる。――女のほうも、アズラエルを知っているということだ。


 ライアンは、ちらりと背後のボックス席を見、にやりと笑った。


「アンタ、あの女のこと覚えてねえの」


 あの女? 恋人ではないのか。恋人ならば、あの女呼ばわりはないはずだ。だが、先ほどボックス席にふたりいたときは、ライアンは女の肩に手を回して抱き寄せ、親しげといってもおかしくないそぶりだった。


「ああ」

 アズラエルは言った。「だけど、あいつは俺の顔を知っていそうだな」


 ちりちりと、焼けつくような視線をアズラエルは感じた。好意的な視線ではない。視線に感情を表す表示でもついていたなら、そこには恨みと怒りと、それから怯えという語句が並んでいたにちがいない。


「なあ、アズラエル」


 ライアンの顔は相変わらず笑顔のままだったが、声色はワントーン下がった。


「おれはアンタを昔から勧誘してきただろ? ようするにアンタのことは嫌いじゃない。そういうわけで、おれがこうしてアンタに近づいたっていうのも他意はない。アンタが警戒しているほど、おれに裏はねえよ」


 ライアンの言っていることは本当かもしれないが、アズラエルは警戒を緩めなかった。もともと傭兵は、傭兵を信用しない。気心が知れるほど、長い付き合いでもなければ。


「だからなんだ」

「おれはなるべくなら、アンタとのつなぎは失いたくないんだ。ロビンとアンタを天秤にかけるんだったらアンタだって話だ」

「なにが言いたい」


 意味深なライアンの台詞に、アズラエルは少し苛立った。


「傭兵はどんなくだらない依頼でも、金を積まれりゃ受ける。おれもそう。くだらないことはくだらないが、由緒正しいお偉方の依頼ならなあ。でもま、あいつもきっと本気じゃねえ。本気じゃねえが、仕事はバシッとやる。それがプロだからなあ」


 アズラエルのこめかみがブチッと切れる寸前で、ライアンは立ち上がって、来たときと同じようにアズラエルの肩をたたいた。


「ロビンに気をつけな」


 貸しひとつねといったまま、ライアンは、ビールを持ってボックス席にもどって行った。



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