169話 ライオン、ふて腐れて子持ちになる Ⅰ 2
「ルナ、カフェ・モカってやつ買って来たぜ」
ルナはピエトの声で目が覚めたようにはっとした。
見れば、ピエトが湯気の立つ紙カップをテーブルに置いている。ルナはあれからリズンのカフェテラスの椅子に座り、ぼうっとしていたのだった。
タケルの言った意味を考えていたのだが、考えたところで何もわからず、堂々巡りになっていた思考だ。
「ご、ごめんね。ぼーっとしてた」
ルナは立ち上がり、ピエトが代わりに買ってきてくれたテイクアウトのカフェ・モカを左手に、右手はピエトと繋いで、「じゃ、かえろっか」と言った。
「なあルナ、アイツは? 傭兵は?」
「傭兵じゃないの。アズラエルお兄ちゃん、でしょ」
アズラエルは、石油王のところへ顔をだし、そのままジムへ行って帰りはラガーに寄ってくるから夕飯はいらない、とルナに告げていなくなっていた。
ひとりでジムに行ってラガーというコースは、アズラエルがなにか考えごとがあるときの定番コースなのだ。アズラエルも、ひとりで落ち着いて考えてみたいのかもしれないとルナは思った。
「今夜帰ってくるよ。アズはお仕事と、ジムと、ラガーに行くんだって」
「ラガー? ラガーってなに?」
「えっとね、バーって言えばいいのかな? 大人の人たちが、お酒飲むお店だよ」
「ルナは行かねえの」
「そうだなあ、あたしは、ラガーはちょっと怖いかなあ。アズもラガーは危ないから、一緒には連れていけないってゆうし」
「じゃあ、ルナはいっしょに行ったことねえのか!?」
「うん。昼間ならあるけどね」
「バッカだな! それぜったい浮気してるぞ!!」
「へ?」
ルナがマヌケな声を上げて歩みを止めると、ピエトが真剣な顔で怒鳴った。
「ルナはほんとにボケッとしてるよな! 傭兵が浮気しねえはず、ねえだろうが! ルナに来るなって言うのも、浮気してるからなんだぜ! 俺、そういうのいっぱい見てきたもん!」
ピエトは、ぶちまけるようにしゃべった。
ピエトの故郷では、箒を持った女房に追いかけられる浮気性の亭主の姿は、日常茶飯事というやつだ。
スラム化していたピエトのコミュニティーでは、こどもの教育上よくないという常識は常識ではないから、居酒屋も食堂も売春宿も一緒くたの場所に、ピエトはふつうに出入りしていた。つまり、居酒屋で堂々と浮気をする男たちや、原住民の商売女とイチャつく傭兵も腐るほど見てきた。
「傭兵は居酒屋にいくと酒より先にかならず『女!』っていうんだぜ。あいつだってそうだ」
「……えーっと」
ルナが最初に連想したのは、ピエトのいう、居酒屋で真っ先に「女!」と要求する傭兵――の姿をアズラエルに置き換えてみることだった。実にしっくりきた。
このあいだのアズラエルの話では、L85に任務に行ったこともあるようだし、きっと現地の居酒屋では、入った途端に「女!」と言っている気がした。アズラエルのことだから。
なにせ最初の自己紹介が「趣味は女あさり」である。あれだけ女運が悪くなければ、たぶん、ルナと暮らしてなんかいなかっただろうし。
そもそも、まだつきあってはいないのだけれども。
それよりも、アズラエルの口からはっきりと、「俺はボディガードだから」と線を引かれたのが、ちょっぴり効いていた。
それは、そうなんだけども。
いつも、「つきあってない」という言葉に対する報復だろうか。
(でも……)
ルナはしょんもりと肩を落とした。
(あたしみたいのは、アズにはおんなに思われてないんじゃないかな……)
一緒に暮らしていても、一緒に寝ることがあっても、いまだに手を出される気配は皆無。
(あたしからつきあってってゆったら、アズはつきあってくれるのだろうか)
ルナは、はじめて、ぼんやり、そんなことを考えていた。
「たぶん、ね、……アズは、浮気は、しないとおもう……てゆうか、浮気……」
浮気とは、ルナとアズラエルが付き合っていてはじめて成立する言葉だ。
ピエトはすかさず、その小さな頭を思い切り振った。
「ルナはのんきすぎるぜ! あいつはぜったい浮気してるっ!!」
この確信力はどこから来るのだろうか――ルナは困った顔をしつつ、
「う~ん、……とにかく帰ろうか、ピエト。カフェ・モカが冷めちゃうし、お昼も食べないと。午後からおでかけしたいところもあるし」
「ルナ、ルナはあいつが浮気しても平気なの」
「平気じゃないけど――うん。たぶんアズは浮気しないよ」
ピエトの言いたいことも分かるが、アズラエルは、浮気はしない。少なくとも今日は。
おそらくアズラエルは、ひとりになって、気持ちの整理がしたいだけなのだ。
だが、それをピエトが納得するように説明するには、たいそう骨が折れる作業のような気がした。
「うん。だいじょうぶ!」
ルナのきっぱりとした宣言にも、ピエトは、納得いかない顔をしていたが。
「お昼はスパゲティ食べよう! カルボナーラだよっ」
ルナが元気よく言うと、ピエトの興味は食べ物のほうに移った。よほどオムライスが美味しかったのか、ピエトは今朝も何を食べさせてもらえるのか興味津々で、ルナがキッチンで作るものを見ていた。
「かるぼなーら? すぱげてぃってなに?」
「食べてからのお楽しみ♪」
小さな子ウサギ二羽は、スキップしながら家路についたのだった。
「じゃあ行ってくるね」
「本当に大丈夫? ルナちゃん。俺が運転しようか?」
クラウドが心配そうに言った。
ルナは、アズラエルの車の運転席にいる。助手席にはピエトが。
宇宙船に乗って以来ペーパードライバーなルナだが、これでもアズラエルの車を二三回、運転させてもらっている。近場のスーパーに行く程度だが。
クラウドは不安そうだったが、アズラエルはちょっとためらいながらも、ルナが車を使うことを了承してくれた。ちなみにアズラエルは酒を呑んで帰るため、今日はタクシーを使ってでかけた。
「だいじょうぶだよ! ゆっくり行くし、高速は使わないって、アズと約束したし」
「そう?」
アズラエルの車は、彼の運転技術を学習したpi=poが搭載されているし、いざとなれば自動運転――目的地が決まっているなら、ルートを設定して自動にしてしまえばいいのだが。
「ルナちゃん、自動運転の設定できる?」
「できます。けども、自分で運転します!」
「そう? まあ……気を付けてね」
クラウドとミシェルと、ピエトと四人でお昼ご飯を食べたあと、ルナは意気揚々と自動車の運転席に座していた。助手席にピエトを乗っけて。
不安を隠し切れない顔をしたクラウドと、置いて行かれて不満そうなミシェルを見送りに立てて。
「……で、どこに行くんだっけ?」
ミシェルのセリフに、ルナはドアガラス近くまで顔を近づけて、
「中央区。……ピエトの弟のピピ君のお墓参りに行こうと思って。あと、帰りにピエトのアパートから荷物を持ってくるの」
遅くなるかもしれないから、ごはんはふたりで食べてねとルナが言うと、ああ、とクラウドがうなずいて、それからふと気づいたように言った。
「それって中央区の共同墓地?」
「うん。マリアンヌさんのお墓参りも一緒にしてこようと思っ――」
「それなら俺たちも一緒に行く。ミシェル、俺たちも出かけよう。ちょっと待っててルナちゃん」
「え? ええ?」
焦ったのはルナだった。
「やった! バッグ持ってくるね!」
一緒に出掛けられると喜び勇んで、バッグを取りにもどったのはミシェル。クラウドも財布をズボンのポケットに突っこんでもどってくると、運転席のルナに、後部座席へ行くよう促した。
「え? あの、でも、あたし、運転――」
「俺が運転するよ。――ルナちゃんも行く場所、もっと早く教えてくれたらいいのに。でもこれで安心した。俺が運転できるし」
「あたし、運転、」
クラウドは黙って運転席のドアを開け、ルナのシートベルトを勝手に外し、後部座席のドアを開けてルナをすみやかに移動させた。荷物のように運ばれたウサギが、何か言う隙はなかった。
――ぷっくりふくれたウサギと、上機嫌のネコを後部座席に、ピエトを助手席に乗せて、クラウドの運転する車は出発した。
L18の男性は、どうあっても運転席を譲りたくはないらしい。まさか、運転するチャンスを、クラウドにまで取られるとは思わなかったルナだった。
クラウドが運転手になったことにより、高速道路の使用が可能になり、ルナが予定していた時間よりよほど早く中央区に着いた。クラウドは一度、共同墓地に行ったことがあるらしく、カーナビも見ず、スムーズに到着した。ルナが自分で運転していたら、さんざん迷っていたかもしれない。中央区はずいぶんと道が入り組んでいた。
「へえ。じゃあラグ・ヴァダ人っていっても、L4系にいるラグ・ヴァダ人とはちがうんだ」
「ちげえよ! あいつらは純粋なラグ・ヴァダ人じゃなくて、べつの民族の血がまじってるってじっちゃんがいってた! 純粋なラグ・ヴァダ人はエルトしかいねえんだ」
「君たちは、普段、何をして暮らしていたの」
めずらしくクラウドはピエトを助手席に乗せて、(なんとミシェル以外を!)ずいぶん熱心に話しこんでいた。ピエトの話すことは、クラウドの知的好奇心を大いに満足させているらしい。
ピエトも、朝は「あいつムカつく!」と言っていたが、基本的に子どもをあまり子ども扱いしないクラウドの態度を、ピエトは気に入ったようだ。アズラエルはともかく、クラウドとは打ち解けてくれているようで、ルナはほっと胸をなでおろした。
「でもま、アズラエルと結婚するまえから子持ちになるって、なんだかルナらしいや」
「そ、そうかな? でもあのね、アズとはまだ」
「わかったわかった。つきあってない」
どのあたりがルナらしいのか、ルナにはまったく分からなかったが、ミシェルはひとりで納得したようにうなずいている。ミシェルはピエトが一緒に住むことに関して、特に意見はないようだった。悪い子ではないし、賑やかでいいんじゃないという、こちらはこちらでミシェルらしいさっぱりとした意見だった。
中央区の街並みに、ふいに現れた針葉樹林の小さな森。車はその中に入って行った。すぐにひろい駐車場に出る。タクシーが何台か停まっていた。
途中で見つけた花屋で、大きな花束をふたつ買った。花束のひとつはピエトが持っている。
「ルナ、ありがとな! 俺、ピピのところに来たかったんだ」
たくさんの墓が並ぶ広い墓地だ。これらの墓は、すべて宇宙船内で亡くなった人の墓地なのだろうか。
もっと小ぢんまりとした場所を想像していたルナは、公園のような広さに驚いた。迷ってしまいそうだとルナは思ったが、ピエトは迷わず、ピピの墓まで先導した。
ピピの墓は、小さな大理石の半円形の墓石で、出身星と生年月日と没年月日、名前が刻まれている。
「すごいじゃない。まっすぐ来れるなんて」
ミシェルが誉めると、「何回も来てるんだ」とピエトは言った。
「タケルに言うなよ。俺、学校サボって来てたんだから」
「え!? ひとりで?」
ルナが驚くと、ピエトは、
「タクシーに乗れば来れるぜ? メシ一回分我慢すれば来れるもん」
と自慢げに胸を張った。
食事を抜いてまで、弟の墓へ来ていたのか。ルナは言葉を失った。このことを、タケルとメリッサは知っていたのかどうか。ピエトの行動は、彼らの目を盗みがちであったことは間違いない。
ピエトの報酬の半分は、ピエトの望みで、L85のピエトが住んでいたコミュニティーの、育て親へ送られている。
だが、食費に困るほどの金額しか残らないわけではない。
この宇宙船で船客が受け取る金額は、貴賤も年齢の差もなく一律だ。ルナとピエトが毎月もらう金額は同じ。よほどの頻度で、ピエトがこの場所に来ていたことになる。食費がタクシー代に化けるほど。
「花はその辺に生えてるの抜いてたぜ。宇宙船のなかって、花まで売ってンのな。生えてるのにしたらいいのに」
どうやら、周りの花壇の花を引っこ抜いていたらしい。
「これらの花は引っこ抜いちゃいけないよ。鑑賞と景観のために、船内の人がわざわざ手入れして植えてるんだから。野生の花じゃないんだよ」
クラウドの説明は、ピエトにはよくわからなかったようだが、取ってはいけないということはわかったらしい。
「宇宙船のなかって、なんでも金かかるなあ」
大人びた口調で言うピエトに、三人の大人は苦笑いした。
「ピピ、俺、ルナと暮らすことにしたよ」
ピエトは墓の前に花束を置いた。
「ルナが買ってくれたんだぜ! すげえだろ」
そう言ってピエトは墓の前にしゃがみ込み、しばらくじっと墓石をみつめていた。
ピエトの弟のピピのことは、車中でミシェルにも話していた。ミシェルとルナは顔を見合わせ、なんとなく、ピエトより先に涙ぐみそうだったので、大人二人は辛うじてこらえた。
ピエトも目のふちにいっぱい涙がたまっていたが、それが落ちる前に立ちあがった。
「今日は忙しいからさ、また来るよ、ピピ」
涙をごまかすように小さな身体をぴんと跳ねあげ、ピエトは「もういいよ!」と言った。
「まだ行くところ、あるんだろ?」
クラウドもまた、こちらは人外の記憶力の持ち主なので、一度来ただけだったマリアンヌの墓に、これまた迷いもせず辿りついた。ルナたちはクラウドのあとをついていくだけでよかった。
マリアンヌの墓にはまだ、墓石の前に枯れた花があった。こちらは小さなウサギの絵がついたガラスコップに飾られていた。ガラスコップは、ロビンがマリアンヌに買い与えたものだ。彼女がまだ生きていたころに。
クラウドは枯れた花をまとめてゴミ捨て場へ持っていき、近くの水場でコップを漱ぎ、コップにではなく、墓前に花束を横たえた。コップに差すには、花束が大きすぎた。
この共同墓地は、定期的にひとの手が入って掃除されているのだろうが、今日は掃除の前に来たらしい。
枯れた花は、ヴィアンカが供えたものか、それとも、ロビンか。クラウドは、あのロビンが今でも感傷的に墓参りをするとは考えなかった。
「……まあ、ヴィアンカのほうで正解だろうな」
だが事実、ロビンはクラウドより定期的に、この墓に訪れていたのだけれども。
「これはだれ?」
「うんとね――クラウドの、おともだち」
ピエトに聞かれ、ルナは正直、マリアンヌの存在をどういっていいものか考えたが、そう答えた。間違いは、ないと思う。
「うんまあ、そうだね。宇宙船に入ってからできた友人かな……」
クラウドも肯定してくれたので、それでよかったらしい。ミシェルも神妙な顔でマリアンヌの墓を見つめていた。
ルナもミシェルも、マリアンヌには一度もあったことがない。それでも、この存在感の大きさは不思議なくらいだった。
気づけば、クラウドがじっと自分を見つめていることに、ミシェルは気づいた。
「なに?」
「いや――まあ――ミシェルが妬かないかなって」
「は? 妬くようなことでもしてたわけ?」
相変わらずミシェルの返事はツンツンしていたが、ルナにはちょっぴり分かった。驚くべきことに、ミシェルはちょっとだけ、ヤキモチを妬いているのだ。
「ふふ……」
ルナは含み笑いをし、隣のピエトに、「何笑ってんだルナ?」と尋ねられ、それがアズラエルの口調とだいぶ似ていたので、「なんでもないの」とウサ耳をぴこぴこさせながら答えた。
なんとなく、マリアンヌも笑っているような気が、ルナにはした。




