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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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168話 布被りのペガサス Ⅵ 4


 ――エルドリウスは、次の日の朝はやく家を出て、出張先にもどったけれど、フライヤはエルドリウスを見送ることができたし、はじめて、行ってきますのキスをほっぺたにされても、悲鳴をあげることなく見送ることができた。赤面だけは止められなかったけれども。


 オリーヴには生殺しだと(ののし)られようが、エルドリウスと一緒のベッドで休むこともできた。フライヤにとっては、大きな進歩なのだ。エルドリウスは、最初のころの強引さとは裏腹に、フライヤに無理強いするようなことはなかった。


 フライヤの毎日の任務は、心理作戦部に経理書類を取りに行くことと、アイリーン隊長のご機嫌伺いをする、という内容に、正式に決まった。


 庶務部は恒常的(こうじょうてき)にヒマであることは事実だし、経理部は毎月どころか毎日(!)心理作戦部から経費を受け取ることができ、連絡を取ることに怯えずに済むようになったので、フライヤさまさまだった。


 おまけに、フライヤが来るとアイリーンの機嫌はかなり良くなるので、心理作戦部の隊員にも大いに歓迎された。だから、だれもそれを反対する者はいなかった。


 そして一週間たったが、フライヤは寂しくはなかった。毎日、アイリーンとお茶をするのがとても楽しかった。オリーヴも一度、様子を見に来てくれたし、「エルドリウスが寂しがるといけないので」毎日メールも欠かさなかった。エルドリウスからメールの返事は、間があいても、きちんと届いた。





 今日もフライヤは、ベリー入りのハーブティーを引っ提げて、心理作戦部の隊長室に向かった。アイリーンの部下とも顔見知りになってきて、今日も気合いの入った敬礼をされて、苦笑いで会釈をしつつ隊長室に入った。


「お邪魔します」


 アイリーンはめずらしく机に向かって、一枚の紙相手に唸っていた。


「ど、どうしたの、アイリーン」


 アイリーン隊長から、アイリーンと呼び捨てになるまでに、アイリーンの懇願ともいえる説得と、一週間の日にちを要したが、それと同時に、フライヤは、エルドリウス、と普通に呼べるようになっていた。


「エーリヒのヤツ、また突っぱねやがった……!」


 アイリーンの形相は、二週間前のフライヤなら腰を抜かして即座に逃げ出さんばかりの厳めしい面構えになっていたが、いまのフライヤにとっては、怯えるほどのことではなかった。


「え、えーりひ?」

「L18の心理作戦部の隊長だ。奴ら、テコでもL03の情報は渡さない気でいる。いったい、だれがL18の肩代わりをやってると思ってるんだ……!」


 アイリーンは憎々しげに唸ったが、フライヤは勝手に戸棚からティーカップを出して、紅茶を淹れはじめた。慣れてきたものである。


「L20はL44やL8系ばかり担当してきたから、辺境の惑星群には弱いんだ。だが、L18がバブロスカの裁判のせいで機能しなくなってるから、L20が肩代わりしなくちゃならない。L18は辺境の惑星群ばかり担当してきたから、情報が蓄えられてるはずなんだ。今こそ情報を共有しなきゃならないってのに、あいつらときたら……、」


「ちょ、ちょっと、そんなことあたしに言っていいの?」


 あたし、部外者だよとフライヤはあわてて言ったのだが、アイリーンは何を勘違いしたのか、しゅんとした。


「い、いや、あー……、すまない。僕は、こんな話ばっかりだな。ごめん。若い子が好む話なんかできっこなくて……」

「いや、あたしもできないよそんな話」


 フライヤも、どちらかといえば同じ年ごろの子が好むファッションやテレビ、ゲームの話にはついていけない。むしろ、


「いいの、あたしL03オタクだし」


 辺境の惑星群についてなら、夜通し語れる自信がある。フライヤはただ、自分は心理作戦部ではないのに、そんな情報を聞いていいのかと心配しただけだ。


「え、えるぜろさんおたく?」

 アイリーンがまるっと復唱した。


「あ、あたしね、辺境の惑星群についてなら、アイリーンがドン引きするほど語れる自信ある」

「え?」

「しゃ、しゃべって、いい?」


 フライヤの目の輝きに、アイリーンは思わずうなずいてしまったのだが、後悔することになる。


 一時間、アイリーンは目と口とを真ん丸にして、フライヤの話を聞いていた。口を挟む隙が――あのアイリーンが――なかっただけなのだが。一時間で済んだのは、アイリーンの顔つきがあんまりだったので、やっとフライヤが空気を読んだ、せいである。


「ごめんなさい……つい、夢中になって。趣味のことになると、つい……」


 しゅんとしたフライヤに、アイリーンは、「き、君はくわしいんだな……」としか返す言葉がなかった。


 引いていたというよりも、L03の歴史を語るフライヤの話がまったく理解できず、耳を素通りして行ったアイリーンだったので、励ます言葉すら見当たらず、「ケ、ケーキを食べよう!」と冷蔵庫からケーキの箱を出すのが関の山だった。


 アイリーンは今日もチーズケーキ。フライヤは、チョコレートのケーキ。はじめてここでケーキを食べたときとは、別の店のものだったが。


「最初に、アイリーンがおすすめしてくれたあのチーズケーキ、おいしかったなあ」

「あのチーズケーキ、僕の実家でつくったチーズを使っているんだ」

「え? そうなの?」


 フライヤはびっくりして言った。


「すごく美味しいチーズケーキだったよ? 材料のチーズが美味しいんだね」

「当然だ! 実家のチーズは絶品だよ。今度持ってくるよ。僕の実家は酪農をやっていて、僕はその家の長女だった」


 アイリーンは、フライヤが相手だからなのか、軽い調子で話しはじめた。


「オデット家は遠い親戚でね、僕の養父母は子どもができなくて、遠い親戚の酪農家から子どもを引き取ったわけだ。オデット家は代々、心理作戦部の幹部を出している家柄だから、僕も心理作戦部に入ることが決まっていた」

「……」

「養父母は僕を可愛がってくれたよ。実の子どものように。でも、心理作戦部は守秘義務が厳しいところだし、貴族軍人の家だから、僕の出自は隠さなきゃいけない。だから、僕はあの家を出てから、実の父母には会ったことがないんだ。でも、その寂しさを感じる隙間もないほど、養父母は僕を思いやってくれたから」


 アイリーンの言葉に、寂しさや悲しみは感じられなかった。だが、アイリーンは片足が義足で、目は眼帯をしている。その目も足も、任務で失ったにちがいなかった。女性だった彼女が、男の肉体を持っていることも、その奥にはまだフライヤが知らない過去がある。


 農家の長女として生まれて、ほんとうなら足も目も失うことなどなかったはずの彼女の、これまでの過酷な生き方を思えば、フライヤはケーキが喉に詰まった。


「でも、家族が作った、懐かしい味にはいつでも触れられる。僕は、チーズが売っている場所も知ってるし、チーズケーキも食べられるから。寂しいと思ったことはないよ」


 フライヤは鼻がツンとしたが、泣くのは失礼な気がした。たとえ泣いたとしてもアイリーンはびっくりして慰めてくれるだけだろう。だがフライヤは、涙ごとケーキを口に押し込んだ。


「フライヤという友達もできたし、ね」

 満足そうに大口あけてケーキを頬張るアイリーンに、フライヤは、

「ほ、ほんとにあたしなんかが友達で、いいの?」

 と聞いた。


 かえってきた言葉は、

「き、君こそ、よく僕なんかと友達になってくれたよ」


 フライヤは、やっぱりアイリーンと自分は、似たところがあるのかもしれないと思った。


「あたしなんて、つまんないL03オタクだけど、これからもよろしく」

「ぼ、僕だって! 流行の話とか分からないし、つまらない話しかできないけど……!」


 感激したのか、目を潤ませてケーキを喉に詰まらせたアイリーンに、フライヤは紅茶を差し出した。


 今日のケーキパーティーも、ホラー・スポットのような地下四階に似合わないくらい、ほのぼのと終わったのだった。




「あ、母さん? あたし、フライヤ。……うん、元気かなって。メールでもよかったんだけどさ、お願いしたいことがあって。声も聞きたかったし。……うん、うん、エルドリウスさんとも仲良くやってるよ。……あのね、今年もそろそろ時期だと思うんだけど、また、蜂蜜酒とすもも酒、作る? あ、ほんと? もしよかったら、多めに作って、送ってくれないかな? ……うん、久しぶりに飲みたいなって。エルドリウスさんにも飲んでもらいたいし、友達にもあげたいの。――そう、友達ができたの」


 久しぶりに母親と長話をし、電話を切ったフライヤの頭に、ふっと浮かんだものがあった。


『僕の生家で作っているチーズなんですよ』


 いつだっただろうか。そんなことをいった、眼帯のフクロウが夢に出てきたのは。




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