167話 布被りのペガサス Ⅴ 1
夜の遊園地。これで何度目だろう、この夢を見るのは。
ルナが両手を見ると、相変わらずもっふりとした毛皮で、ピンクのウサギだった。
めのまえにはコーヒーカップの遊具。動いてはいない。
近くには、ホットドッグとポップコーンの屋台があって、ランプがついていた。何度かここには来たはずなのに、屋台の存在には気づかなかった。
ルナが恐る恐る屋台を覗くと、「いらっしゃいませ」と中から声がかかる。
アライグマ――でも、アライグマにしては随分と大きい――影が、細長いパンに焼きたてのソーセージを挟み、たまねぎをのせて、マスタードとケチャップをかけている。
大きなアライグマは、ホットドッグを油紙で包み、紙袋に、熱々のそれを四つ、詰めた。
「毎度どうも」
そういってアライグマは、ルナに紙袋を差し出した。ルナが受け取って、お金を探すと、屋台のランプは消えていた。アライグマも、影も形もない。
ルナが隣の屋台を覗くと、今度はコウノトリ――が首だけをひょこっと屋台から出して、ルナのほうを見ていた。
「お待たせしました」
コウノトリが差し出したのは、香ばしいポップコーンがあふれるほど入った、バケツのほどの大きさのカップだった。ルナはポップコーンを受け取り、「あの、お金」と言うと、「あなたもう、払ったじゃありませんか」とコウノトリは言った。
ルナは払った覚えがない。
コウノトリがいた方の屋台のランプも消えた。
ルナが両手に、ホットドッグとポップコーンを抱えたまま呆然としていると、カポカポと、蹄の音がした。振り返ると、そこにいたのはペガサス。白い発光体。
ルナは思い出した。この子は「布被りのペガサス」だ。
あのときほど大きな布は被っておらず、頭にちょんと、ベールみたいにハンカチをかぶせている。
「お言葉に甘えて、来ちゃったわ」
ペガサスは自分の背に、天秤の様に紐をかけて、小さな甕をふたつぶら下げていた。
「わたしが持ってきたのは、はちみつ酒と、すもも酒なの。ウサギさんはホットドッグとポップコーンなのね。美味しそう」
「う、うん」
ルナは、展開が読めなくてうなずくしかなかったが、やっとルナではないルナ――ピンクのウサギが現れた。ルナはいつのまにかルナにもどっていた。めのまえには、小さなピンクのウサギ。
「お待たせしちゃって」
ウサギは言った。
「さあ、フクロウさんに会いに行きましょう」
フクロウさん?
ウサギが先導し、ルナとペガサスが後ろをついていく。ペガサスが、ルナにも説明してくれた。
「“天翔けるペガサス”さんと出会ったのはいいけれど、彼、とっても忙しいの」
自分はまだペガサスとして未熟で、彼と一緒にあちこち飛んでいくことはできないのだと、布被りのペガサスは哀しげに言った。
以前、この布被りのペガサスは、ピンクのウサギに導かれて、同じペガサス仲間――“天翔けるペガサス”に出会った。仲間がいなくて寂しがっていた二頭を、ウサギが引き合わせたのだが、せっかく出会ったのに、なかなか一緒にいることができないのだそうだ。
「せっかく番いに出会ったのに――わたしはほとんどひとりぼっち。寂しくて、寂しくて……。コーヒーカップに乗って泣いていたら、ウサギさんが来て、友達を紹介してくれると言ったの」
それはよかったね、とルナが言うと、ペガサスは嬉しげに微笑んだ。
「彼女も――フクロウさんも、お友達がいなくて、とっても寂しがり屋なんですって。わたしと気が合いそう」
今日は、そのフクロウとペガサス、そしてピンクのウサギとで、食べ物を持ち寄って、お茶会をするのだとか。
(なるほど、このホットドッグとポップコーンは、おみやげなんだね)
ペガサスの弾んだ声を聞きながら、やがて三人(ひとりと一匹と一頭?)は遊園地の敷地内の、深い深い森の奥へと入っていく。
この森は、先日、巨大な蛇たちと会ったところだ。木々のざわめきが、すこし怖い。
ルナも怖かったが、ペガサスも怖かったようで、「ウサギさん、ウサギさん。ほんとうに、こっちでいいの? こんなところにフクロウさんが?」と何度も聞いた。
ピンクのウサギは、「あら、フクロウさんのすみかは、森の中と相場が決まっているものよ」と笑って取り合わない。
ペガサスとルナは怯えて寄り添いながら、ウサギのあとをついていく。
やがて真っ暗な森に、ぽうっと明かりがついている場所が見えた。不揃いな、音楽の音も聞こえる。
「なんて音だ! 耳障りな! そんな下手な演奏で、僕の友が満足できると思っているのか!」
鋭い声に、ペガサスとルナはひゅっと飛び上がった。
「処刑だ処刑だ! 連れて行け!!」
「お、お許しください閣下! “残虐なフクロウ”さま!」
バイオリンを演奏していたフクロウが、ほかのフクロウに引きずられて行こうとするのを、あわててルナは止めた。
「ちょ、ちょっと待って!」
ルナの制止に、一番大きなフクロウが首をくるりと真後ろに向けて睨んだ。ぎょろりと動く金色のまなこ。ルナはその視線の鋭さに、ふたたび飛び上がりかけた。
「――だれだ? ……おや!“月を眺める子ウサギ”さんじゃないですか。これはこれはようこそ。いらっしゃい、いらっしゃい。遅かったですね、心待ちにしていましたよ。楽団の演奏練習を、もう百回もしていたところなんです。こいつらときたらちっともうまくならない! ああ、そんなことはどうでもいいんです、僕にお友達を紹介してくれるなんて、あなたはなんて素敵なウサギなんだ! ありがとう、ありがとう。ほんとにありがとう! さあさ。パーティーの用意はできてます。座って座って!」
フクロウは、「処刑だ!」と言ったことなどすっかり忘れたようにルナの手を羽根でとり、テーブルに招こうとした。
開けた庭には、たくさんのランプとロウソクが灯り、まるで昼間の明るさだ。大きなテーブルには、ケーキや丸ごとのチーズ、スコーンやサンドイッチがところ狭しと並べられ、不恰好な花束が、花瓶に突っ込まれて飾られていた。
フクロウたちの楽団までいる。
「あの……フクロウさん、とにかく処刑はやめて」
「処刑は中止だ!」
フクロウは叫んだ。
「ああ……ありがとうございます閣下……ウサギさん……」
処刑と言われたフクロウは解放され、涙を流してお礼を言った。
「そうですね。よく考えたら、こんな楽しい席で処刑なんてするものではなかったな。すみません。部下どもは甘やかしちゃならないんです。これでもフクロウですから!」
ルナはマジマジと、“残虐なフクロウ”といわれたフクロウを見た。
よく見れば、右羽根は折れているのか、不恰好に曲がっていて、それに数多の傷と、眼帯。
残虐な、なんて形容詞がつくだけあって、恐ろしげで、とても堅気のフクロウには見えなかった。マフィアのボスとか――処刑人とか――そういう形容詞がよく似合う。
こんな怖そうなフクロウを、ペガサスの友達に?
ピンクのウサギは自分だが、自分ながらよくこんなことを考え付いたものだと、ルナは呆れた。
「さあ、ペガサスさん、席に着きましょう」
ピンクのウサギがペガサスを促した。フクロウは、そこで初めて、自分の友となるペガサスを見た。
「……美しい!」
ぽうっと、フクロウの頬に赤みが差した。
「いえあの――ペガサスは美しいものだとは聞いていましたが――僕は初めて見ました。――なんて美しい――あの――ほ、ほんとうに、ペガサスさんが僕のお友達に――? いいんですか? ――ほんとに?」
フクロウは、さっきの凶暴さがなりを潜めたようにどぎまぎし、花瓶から、そっとバラの花を一輪とって、ペガサスへ恭しく差し出した。
「あの――これは、記念に」
ペガサスは、花を受け取らなかった。わなわなと震え、二歩、三歩と後ずさる。
「“残虐な”フクロウですって!?」
ペガサスは前足を高々と上げ、
「ウソでしょ!? わたしのお友達になってくれるひとって、このフクロウさんなの? ウソよ、ウソだと言って!」
金切り声で叫び、羽ばたいて逃げようとした。
ルナは、フクロウがとても傷ついた顔をするのを見た。
彼女は(この恐ろしいフクロウは女性だった!)ひどく悲しげな顔で、そっと、バラの花を地面に落とした。
「あっ……、いえ! いいんです。ウサギさんのせいではありません」
ルナがなにか言う前に、フクロウは、ポロポロと涙をこぼしながらそっと背を向けた。
「僕はどうせ日陰の身。フクロウですから。それに残虐なフクロウなんて、名前を聞いただけで、嫌われてしまうのには慣れています。いいんです、フクロウですから! 僕は残虐なフクロウ。それだけのことをしてきたのですから。これからも僕は残虐なことをするでしょうし、そうしなくてはいけません。だって、それが僕の役割だから。僕は孤独です。残虐だから、孤独なんです。フクロウたちは僕を恐れ、ほかの生き物もみな、僕の姿を見た途端に怯えます。いいんです。今さら、友達が欲しいなんて、そんな虫のいいお願いが叶うなんてことは――ましてや、こんな綺麗なペガサスさんが僕の友達になんて、もったいない――」
ルナはなんだか、フクロウがかわいそうで、そっとその傷ついた羽根を撫でた。
だが、フクロウの独白を聞いたのはルナだけではない。気づけば、ペガサスが、自身が持ってきたはちみつ酒の甕を、そっとテーブルに置いたではないか。
「ご、ごめんなさい――わたしの悪いクセ。見かけだけで判断してしまうなんて」
ペガサスは申し訳なさそうに謝り、
「わたしも寂しかったの――友達が欲しかったのよ。だからフクロウさん、お友達になって」
フクロウは、信じられないことを聞いたかのように、くるくると首を、三百六十度、回した。
「ほ、ほんとに――いいんですか――僕なんかで――」
「こ、こちらこそ――わたしなんかで、いいのかしら――わたし、つまらないペガサスよ?」
「つまらないペガサスなんていやしません! 僕だって、こんなつまらないフクロウです……!」
ペガサスとフクロウでは、握手は難しかったが、手を取り合わんばかりの勢いで、ふたりは寄り添った。
よかった、仲良くなれそう、とルナがほっとしたところで、ピンクのウサギが手を叩いた。
「さあ! パーティーを始めましょう!」
ルナもウサギもペガサスもフクロウも――たくさんの部下フクロウたちも、それはそれはたくさん食べた。サンドイッチやチーズやハムも美味しかったし、ホットドックも美味しかった。
ペガサスが持ってきたお酒で、みんな上機嫌になり、フクロウは自らバイオリンを弾き、楽しい宴は朝まで――ルナが目覚めるまで、続いた。
目覚めたのは、ルナだけではない。
遠くL系惑星群、L20。
首都マスカレードの、高級住宅街。
「……チーズまじうまい……」
目覚めたフライヤの、第一声がそれだった。




