166話 こんにちは、ピエト 3
「うんめえ……っ!!」
ピエトは、ルナが作ったオムライスを頬張り、歓喜の声を上げた。
「おめーら、いつもこんな美味いもん食ってんのか!? ったく、だから地球人って太ったやつが多いんだぜ!」
ピエトは、インスタントのコンソメスープにも感動して、目を輝かせた。
今日のメニューは、ルナがあり合わせで作ったオムライス、市販のコンソメスープ、ブロッコリーとニンジンを蒸し、コーンを散らしただけのサラダ。
ピエトだって、宇宙船に乗って数ヶ月経っている。ラグ・ヴァダ人の食生活がどうであれ、今は宇宙船暮らし。なのに、オムライスやスープの類も知らないとは。K19区にだってレストランはあるし、外食すればむしろ、こういったもののほうが多いはずなのに。
タケルやメリッサは、ラグ・ヴァダ人の食事を作ってやっているのだろうか。だが多忙なあのふたりが、そんな手の込んだ真似ができるとは思えない。pi=poに、原住民の食事のレシピが入っていただろうか?
「ピエトくん、いつも、タケルさんやメリッサさんとはなにを食べてたの?」
「地球人と一緒にメシなんか食えるかよ!」
米の粒を飛ばしながらのピエトの絶叫に、ルナはあたしも地球人なんだけどなあと思ったが、黙っていた。
「地球人の作るモンはいっぱいカラダの毒になるもんが混じってて、よくねえってじっちゃんが言ってた! だから、俺、レストランとかいかねえよ。野菜とか売ってるとこで、イモが売ってるから、蒸して食う」
「お、おいもさんだけ!?」
「なにか悪ィかよ。たまに肉も食うぜ? 宇宙船って、店に鳥まるごと、置いてねえのな! バリバリ鳥の血とか、アバド病にいいって言うぜ。でもここ、バリバリ鳥が飛んでねえし。あの――海の上とんでるやつ、なんだっけ?」
ルナは「血……」と蒼白な顔をしながら、「う、うみつばめ? かもめ?」と尋ねた。
「そうかもめ! あれ石ぶつけてつかまえてみたんだけどよ、浜辺でたき火して燃やしてたらすっげー怒られて。ムカついた」
「そりゃおまえ……怒られて当然だ」
ラグ・ヴァダ人の野生のルールは、この宇宙船内では通用しない。これではタケルもメリッサも苦労したことだろうと、ルナとアズラエルは同情した。
「でもさ、ピエトくん」
「ピエトでいいよ!」
アズラエルはちらりと、悪ガキを見下ろした。どうもこのクソガキは、ルナに懐いている。
「じゃあ、ピエト。このオムライスにはお肉もお野菜もいっぱい入ってるの。ピエトもこれから、おいもだけじゃなくて栄養のあるもの食べないと、病気が治らないよ」
ルナが言うと、ピエトはスプーンをかじって、複雑な顔をした。
「それ……医者にも言われた……」
「でしょ? だからこれからは、地球人の食べ物は嫌だ、じゃなくて、ちゃんと食べようよ」
「ルナが作る?」
「え?」
「ルナが作ってくれんなら、俺たべる。知らねえやつが作ったくいもんなんか俺、食えねえもん」
キラキラした目で言われてルナは、ぐっと詰まった。可愛い……!
でも、タケルに、なんと言われるか。
「おいクソガキ、調子に乗るなよ」
「うっせえハゲ! てめーに頼んでねえよ!」
「残念だったな、まだハゲちゃいねえ」
どこかの銀色ハゲとちがってな。アズラエルはこめかみに青筋を立てながら否定した。
「ピエト、タケルさんやメリッサさんは、知らない人じゃないでしょ……」
「あいつらは嘘つきだ!!」
ピエトが、今度ははっきりとした拒絶を示した。
「あいつら、宇宙船に乗ればピピが助かるって言ったのに、嘘ついた! ピピは死んじゃったよ!!」
「ピエト……」
「おまえの弟は手遅れだった。それだけだ」
アズラエルの容赦のないひとことに、ピエトが何か叫ぼうとして、ぐっと黙り込んだ。みるみる、その目に涙が浮かんでくる。ルナは思わず叫んだ。
「アズ!」
「タケルは嘘をついたかもしれねえが、それはおまえを助けるためだった。おまえの弟が死んだのはタケルのせいじゃない。病気だったからだ」
アズラエルは食事を五分で片付け、さらに、食器を片付けながら言った。
「(おまえと弟をこの宇宙船に乗せるために、どれだけの人間が命を懸けたと思ってる)」
アズラエルの言葉を聞いて、ピエトがうつむいていた顔を跳ね上げる。
「(タケルもそのひとりだ。当選したチケットは、いつ盗まれてもおかしくなかった。おまえらの命が奪われる可能性だってあっただろう。でも、おまえらきょうだいはふたりとも、無事に宇宙船に乗った)」
ルナは口をぽかんと開けて、アズラエルを見た。アズラエルの口からするすると出てきた言葉は、L系惑星群の共通語ではない。少なくとも、ルナには、アズラエルが何を言ったのかまるで分からなかった。
「(恨む相手がちがうだろ。おまえがしてるのはただの八つ当たりだ)」
「アズは、何語をしゃべっていますか?」
ルナは聞いたが、だれからも返事は帰ってこなかった。
「(おまえ……ラグ・ヴァダ人か?)」
ピエトが、奇妙な顔をしていた。急にアズラエルに興味を示したような――心を開いたような、そんな顔を。
「(なんでそうなる。俺は傭兵だ。“地球人の傭兵”だよ。おまえらの天敵だ)」
「(……傭兵)」
ピエトは傭兵、と聞いたとたんにまた表情をなくした。
L18の傭兵は、ラグ・ヴァダ人の過激派ゲリラを何人もその手にかけている。ピエトの星では、傭兵は、ラグ・ヴァダ人の天敵と言っていい。アズラエルは、傭兵と聞けば、このラグ・ヴァダ人の子どもが自分たちと関わりを持ちたくないと感じると思って、そう打ち明けた。
だが、アズラエルの予想は、外れた。
「(おまえ――強いのか!?)」
うつむいていたかと思ったら、今度は満面の笑みで目を輝かせたピエトに、アズラエルは驚いた。そしてちょっと引きながら、「(俺は傭兵だぞ。よ、う、へ、い、だ。てめえら原住民のゲリラをたくさん……発音間違ったかな)」と首を傾げた。
「(傭兵だろ! 強いんだろ! 軍に雇われて戦う兵隊だろ!)」
「(……まあ、間違ってはいねえな)」
自分の発音と、ピエトの認識が。
ルナは、会話に置いて行かれてふて腐れた。ルナにはさっぱりわからない。アズラエルとピエトは、ルナの分からない言語で会話しているのだ。
「もう! ふたりして何語しゃべってるの!」
「ラグ・ヴァダ人のことばだよ。ルナはしゃべれねえのか?」
ピエトが言うと、「ラグ・ヴァダ人のことば! なんでアズがしゃべれるの」とルナが絶叫した。
「カタコトだよ」
「じゅうぶん、なにかいっぱい話してたよ!?」
アズラエルの語学力はたいしたものだった。カタコトどころか、十分会話できている。
「おまえ傭兵か! すげえな!」
「あのな、傭兵は、ラグ・ヴァダ人の過激派ゲリラをだな……、」
「知ってる」
ピエトは、凶暴な顔をした。
「あいつらと俺たちを一緒にすんなよ。かげきはの奴らは、俺たちの仲間もいっぱいころしてるんだぜ。――あいつらは、戦争をしたいんだ。地球人とだけじゃなくて、俺たちもいなくなればいいって思ってるんだ。おんなじラグ・ヴァダ人なのに。あいつら、エルトを支配したいんだ。そんなことしたって、なんにもならないのにって、じいちゃんたちも言ってた」
エルト、とはラグ・ヴァダ人の言葉で、L85を示す。L85というのは勝手に地球人がつけた番号で、もとからその星に住んでいた住民には、星々の別の呼び名があった。そのことは、アズラエルもルナも知っている。エルトが、ラグ・ヴァダ語でL85だというのは知らなかったが。
「あいつらと俺たちを、一緒にすんな……」
一気に沈んだピエトの顔色。アズラエルは「悪かった」と素直に謝った。アズラエルが謝るとは思わなかったのか、ピエトは顔を跳ね上げた。
「悪かったよ。あいつらとおまえたちはちがうんだな。知らなかったんだ」
「べ、べつに――分かりゃいいんだよ!」
口を尖らせてそう言い捨てたピエトは、「(地球人の傭兵は、あいつらが悪さしてるのを、退治してくれたから――俺たちの村の奴らは、その、好きなんだ……)」とラグ・ヴァダ語でぼそりと言った。
過激派は、ピエトがいたコミュニティーから、女ばかりたくさんさらって行ったり、金銭を持って行ったりするらしかった。いくらバラグラーダ社の管轄下ではあっても、ラグ・ヴァダ人の諸問題に、地球人は深入りできない。だから治安は悪い。
ピエトも、過激派と穏健派のラグ・ヴァダ人が混在する地域で育ってきた。過激派が金を巻き上げていくから、バラグラーダ社から給料をちゃんともらっていても、弱い者は貧乏になる。そういった闇のシステムは複雑化しすぎていて、一企業が、一朝一夕で解決できる問題ではなかった。ピエトのスリの腕は、そんな中で磨かれてしまったものだ。
「あ、そうだ」
ピエトは、突然食卓を離れて、部屋の隅にある自分のバッグ――ずいぶん古びた革製の――に飛びつき、探り始めた。そこからぼろぼろの小袋を取り出し、ルナに「ン!」と差し出した。
「ど、どうしたの――なにこれ?」
ルナが恐る恐る袋を開けると、そこには紙幣とコインが、無造作に詰め込まれている。
「それ、ルナにやるからよ。俺のメシ作ってよ!」
「ええ?」
これは、ピエトの小遣いなのだろうか。十歳の子どもの小遣いにしては多い金額だ。
「ルナたち、もらってねえのか? この宇宙船に乗ると、みんな金もらえるんだぜ。タケルがさ、俺のもらう金、半分は村のみんなに送って、残り半分は、俺のメシ代だって、毎月寄越すんだ。――もしかして、足りない?」
最後はすこし不安そうに言ったピエトに、ルナは笑顔を作って、「ううん。多いくらいだよ」と言ってやると、安心した顔をした。
「あ、ちょっと待てよ――家賃、とかってのも必要なんだよな……。ルナ、俺と一緒に暮らすとしたら、家賃ってどのくらい必要なんだ?」
「オオオイちょっと待てコラそこのクソガキ」
アズラエルがあわてて止めたが、ピエトはルナの腰にしっかと抱きついて、アズラエルに舌を出した。
「俺は許してねえぞ。そこのチビ。ルゥと暮らしてんのは、俺だ」
「俺も一緒に暮らす!」
「ダメだ。タケルも反対するに決まってる」
「アズラエルって、けっこうバカなんだな」
「ンだとこのクソガキ?」
アズラエルがついに怒った。
「タケルは、俺のたんとう役員なんだぜ? たんとう役員ってのはな、きほんてきに、おきゃくさまの言うことは、聞かなきゃいけねえんだ」
ずいぶん小賢しいガキだ。アズラエルは凶悪なしかめっ面をした。
「よく知ってるな、どこで覚えた」
「パンフレットっていうのに書いてあった。俺、けっこうまじめに学校で勉強してたからな。簡単に読めた」
ルナも、アズラエルも驚いた。パンフレットは、L系惑星群の中学生程度の理解力があれば、判読できる。それをこのラグ・ヴァダ人の、十歳の子どもが読んで理解したということに、純粋に驚いた。バラグラーダ社は、ラグ・ヴァダ人の子どもたちが通える学校も運営していたと言っていたが、ピエトの頭脳は、優秀な方なのだろうか。
「だから、タケルは、俺がルナと暮らしたいっていったらそうしなきゃいけねえんだ。タケルは、俺の言うこと聞くのが当然なんだ」
最後のほうは、どこか必死さが見え隠れしていた。ピエトは、ルナのエプロンに顔を埋めるようにしてしがみついている。
ルナはピエトの頭を撫でながら、「……アズ」とつぶやいた。訴えるように。
「アズ……」
「なんでおまえは、そういう目で俺を見るんだ」
今度こそは、ダメだ。タケルに、昼間言われたことを忘れたのか。それに、俺だって迷惑だ。
言いたいことは山ほどあったが、ルナのつぶらな目にぶつかると、アズラエルの意見はすべて、喉の奥で引っ込んだ。
「アズ、」
「ダメだ」
「アズ……」
「……ダメだって言ったら、ダメだ」
「アズう……」
「――ああもう! 分かったよ!」
アズラエルはぐったりと、テーブルに突っ伏した。――どうしてこうなる。なぜ俺は、ルナのいうことを聞いてしまうんだ。毎回、ロクなことにならないと分かっているのに。
ルナの顔が、これ以上ないくらいぱあっと輝いた。
「ピエト! アズがいいって! やったね!」
ルナの台詞に、アズラエルはまさに悪夢だという顔をした。
「やった! やったやった!」
手を取り合ってはしゃぐ恋人(仮)と、コブを眺めながらアズラエルは、これから周囲にからかわれるだろう台詞が容易に想像できた。
「ほらピエト。ちゃんと夕ご飯食べよ。ブロッコリーも残さないで食べるんだよ」
「うん!」
このガキは、ルナのいうことは、実に素直に聞く。アズラエルのことはハゲと抜かしたが。
「これからよろしくな~! アズラエル!」
純粋とはとても言えない笑みを、自分そっくりの、まったく可愛くない子どもから向けられて、アズラエルはふたたびテーブルに突っ伏したのだった。




