166話 こんにちは、ピエト 2
タケルは、二人を見送るつもりなのか、席は立ってもカフェを出ていくことはしなかった。
アズラエルは、もう少しこの場にいて、おそらく傷ついたであろうルナのフォローをするつもりだったが、仕方なく立った。
「ルゥ、帰るぞ」
「――うん」
案の定、ウサギのしおれっぷりときたらなかった。
ただでさえ、このあいだからルナの様子はおかしい。気づけばひとりで塞ぎこんでいる。「自分は何もできない」とか、「自分はお荷物」だとか、そういったことをうだうだ考えて落ち込んでいることは間違いなかったが、アズラエルはルナが何か言ってくるまで放っておこうと決めていた。
タケルの言葉は正解だとアズラエルは思っている。むしろ、タケルが、ルナの言葉に感謝し、ほいほい「お願いします」と言っていたなら、タケルの神経を疑っていたところだ。
タケルはルナを信頼できない――アズラエルだって、そうだ。
二十歳を多少超えたばかりの、苦労知らずの子どもに、子どもを任せるなんて、アズラエルだってできやしない。
それにピエトは、普通の子どもではない。地球人に敵意を持つラグ・ヴァダ人であり、厄介な病まで抱えている。タケルははっきりと言った。K19区のこどもは、理由が分からないとはいえ、なぜか九割がた死んでしまうのだと。
ということは、タケルは、必死でピエトの生を繋ぎとめようとしていながらも、どこかでピエトの死を――予期している。
アズラエルはそれを口に出す気はなかったが、タケルの迷いも見て取れた。
ピエトと関わると言うことは、いずれ、彼の死と向き合わねばならない。ルナに、ピエトの死と向き合う覚悟があるのか、タケルは言外にそう告げている。
問題ばかり抱え込んだ子どもを、一時の同情で引き取れるものではないことは、ルナにだって分かっているはずだ。
なのに、衝動でそんなことを言いだした、その背景もアズラエルは承知している。
ルナは、なにかしようと必死なのだ。自分に何かできないか、人の役に立つことをと、このあいだから塞ぎこむほど悩んでいる。
そのタイミングでの、このあいだのキスケの言葉は、アズラエルもちょっと殴ろうかな、と思ったくらいだったが、あの顔にパンチを入れて傷むのはきっと自分の拳のほうである。
最強のジジイが叱り飛ばしてくれなかったら、どうなっていたことか。
ルナの悩みは杞憂や、取り越し苦労といってもいい類のものだ。少なくとも、ルナの周りはだれもルナをお荷物には思っていないし、ルナが何もできないとは思っていない。
ましてや、ルナは、カンタロウが言った通り、「神様」なんかではない。
マジでウサギなのかな? と思うことはまれにあるが、少なくとも「神様」ではない。
アズラエルは、嘆息したい気持ちだった。
(くだらねえ)
ルナは、普通の人間だ。L77という、平凡も極みの星から乗った、ただの船客だ。
「ルナさんには、普通の船客として、宇宙船旅行を楽しんでいただきたいのです」と言ったカザマの言葉が、今になってまざまざと蘇る。
自分もカザマに同感だ。心底同感だ。
ルナはルナで、いいのだ。だれかを助けたりとか、役に立ったりなどしなくていいのだ。いつものボケウサギでいて、アズラエルの癒しになっていてくれればそれでいい。
すくなくとも、アズラエルの役に立っているではないか。
そもそも、ルナの周りで、妙なことが起こりすぎるのがよくないのだ。
ルナは泣きそうな顔でうつむいたまま、のろのろと立った。
アズラエルも、そんなルナの小さな手を引いて、カフェを出、病院の敷地内へ出た。アズラエルが手元のキーで車のロックを外すと――逆にキーがロックされた。手元の鍵の、ランプが点滅している。
「あ、しまった。車の鍵、閉め忘れてた」
どうやら、車のロックを忘れて病院に入ったようだ。解除したつもりが、今ごろロックされてしまった。
「だいじょうぶですよ。この宇宙船内で、車上荒らしはないです」
タケルが言うのに、「どうかな。ピエトとかいうガキみてえなのがもう一匹いねえとは限らねえだろ」とアズラエルが返し、タケルを苦笑いさせた。
アズラエルはもう一度車の鍵を解除し、ぼーっとしているルナを促して助手席に乗せた。運転席の窓ガラスを開け、タケルに「じゃあ、またな」と言うとタケルも、「ありがとうございました、アズラエルさん、ルナさん、ではまた」と会釈した。ルナも、小さく笑い返したが、その表情に元気はまったくなかった。
車を発進させ、夕焼け模様の海を眺めながら帰路に着く。ルナは海を眺めたまま、何も言わなかった。
「ルゥ」
「うん?」
「元気出せよ」
「……うん」
元気出せよと言って、元気が出るものならルナもここまで落ち込みはしないだろうが――。
ルナが悩むのも、ヒマすぎるからだ。この宇宙船はヒマすぎて、余計なことを考える時間が多すぎる。アズラエルも、クラウドもそうだ。だからクラウドは、わずかでもルナに救われていることになるだろう。対メルーヴァの工作で、クラウドの頭脳は働き場を得ている。ほら、クラウドの役に立ってるじゃねえか。
アズラエルも、ルナの幸福に一番憂慮すべき点――メルーヴァの始末に、いよいよ本腰を入れるつもりでいる。
すでにクラウドはカザマからの要請で、対メルーヴァの工作部隊に作戦要員として組み込まれている。
アズラエルも――そして、グレンとセルゲイもだ。
もしメルーヴァが見つかったなら――アズラエル自身は地球に行けなくても、L系惑星群にもどって、メルーヴァを逮捕する――あるいは抹殺する。かならず。
そうしなければ、ルナの未来がない。
「ルゥ、予定が狂ったが、水族館にでも行くか」
「ううん……おうち帰る」
「そうか。しょうがねえな」
アズラエルは、水族館など特に行きたい場所ではない。ルナが行かないと言えば、帰ってもかまわない。
そのまま帰路についたが、自宅に着いたのは、すっかり真っ暗になった時間だった。
夕食くらい、どこかで取ってくれば良かったとアズラエルは思ったが、どうも中途半端な時間だ。アズラエルが駐車場に車を停め、ぼーっとしたままのルナを、バッグと一緒に所持して車から降り、後ろ手で車のロックを掛けたとき――それは、起こった。
ガタガタガタっと、車のトランクが動いた――いや、なにかが、中で動いている。
「アズ、なにかいる!」
「……何かいるな」
怯えるルナを下ろし、アズラエルは「離れてろ」と言ってトランクのロックを解除した。
慎重に近づき――トランクを、開けた。
「へっへっへ! 地球人て、ホント鈍いんだなっ!!」
飛び出してきた子どもに、アズラエルは目を剥き、ルナはこれでもかというくらいウサ耳をピーン! とさせて飛びすさった。
「てっめ……!」
「ピエトくん!?」
「ええ――はい。――分かりました。申し訳ありません。お手数をおかけします。では、明日――」
タケルは、会話を終えて、携帯電話の通話を切った。相手はアズラエルだ。
「……で? やっぱり、ルナちゃんがご飯食べさせるって?」
アントニオの呑気な声に、タケルは苦笑した。
「だ、そうです。ルナさんが、夕ご飯を食べさせてくださるそうです。それで、今夜はルナさんたちの家に泊めていただいて、明日、むかえに行きます」
「ピエト君が、帰りたくないっていったらどうするの?」
「そうですね……」
タケルは、このいつもきっちりとしている彼にしては、どこかぼうっとしているようだった。
「……アズラエルさん次第ですかね」
「アズラエル次第?」
「アズラエルさんが置いてくださると言うなら、私は、――彼らにすこしばかりお預けしてみようと思います。でも、アズラエルさんは迷惑でしょうね。だから、私は明日、ピエト君の襟首を引っつかんだアズラエルさんが、ピエト君をこちらに放り投げて寄越すのを予想しています」
「アズラエルらしいなあ」
「アズラエルさんの反応が普通だと思いますよ。ふつうは、死ぬかもしれないこどもと暮らしたいなんて思うはずがない」
「……でも、君は、ルナちゃんに預けてみようと思った」
アントニオの言葉に、タケルは戸惑い顔を見せ、言った。
「無論、担当役員としての責務は果たします。毎日様子を伺って――、」
「うん、いや、俺は、君が無責任なことをするとはこれっぽっちも思ってないよ」
ピエトが、アズラエルの車のトランクに潜り込んで、ルナたちの家までついてきてしまった。
アズラエルが車のロックを忘れていたのもめずらしかったが――アズラエルの車は、港で見ていただろうが、でもまさか、病院の駐車場に停められた数ある車のひとつをピエトが見つけ、トランクに忍び込んだなんてことは、アズラエルもルナも、タケルも予想できるわけはなく。
アズラエルは無論激怒したが、ルナになだめられて仕方なく、今夜泊めることにした。
タケルは、ピエトに代わってもらい、彼が元気そうなのをたしかめた。今日、投薬治療も受けたことだし、無茶をしたり必要以上に興奮したりしなければ、だいじょうぶだろう。
ピエトにはちゃんと七時間以上の睡眠をとらせるように、薬をちゃんと飲ませるようにアズラエルにお願いして、タケルは電話を切った。
タケルが今いる場所は、リズンである。
いよいよ、ピエトとルナが接触してしまった――そのことを、タケルはアントニオに知らせに来たのであった。
タケルには、ルナが、「L03の高等予言師の予言に記された人物」だということは知らされている。
「やはり私が、いくら引き離そうとしても、運命の相手というものは、めぐり合ってしまうものなんですね」
タケルがいささか、消沈気味に言った。アントニオは、じゃがいもの皮を剥きながら、タケルの言葉に耳を傾ける。
「ルナさんに、私はきつい言葉をかけました。ルナさんは傷ついたでしょう。でも、ルナさんはもっと傷つくんじゃないかと思うんです。この先、ピエト君の死に、触れてしまったら」
「……」
「このままピエト君と仲良くなって、愛情が湧いて、そして唐突に別れが来る。耐えられるでしょうか、ルナさんに。ほんとうに、ルナさんが、“K19区の役員になるという予言”を受けてこの宇宙船に乗ったのなら――」
「……」
「ピエト君の死に触れることは、ルナさんの道を、閉ざしてしまうことになりはしないでしょうか。K19区の役員になどなりたくはないと、逆に思わせてしまうのではと、私は思うんです」
タケルのつぶやきに、アントニオはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「うん、まあ、あのね……ルナちゃんが“L03の高等予言師の予言に記された人物”だっていうのはね、彼女の前世のひとつが、“メルーヴァ”だからなんだよ」
「――え?」
タケルは、コーヒーを口に運ぼうとしたのを、止めた。
「メルーヴァ、ですって?」
「うん。さすがにタケル君は、L03のひとの担当役員もしていたことがあるから、分かるね。ルナちゃんの前世のひとつは、“メルーヴァ”なんだ」
「ちょ――あの――それは、」
「うん。機密事項。ここだけの内緒ね」
アントニオが人差し指を立てるのに、タケルはごくりと喉を鳴らした。
「ルナちゃんはメルーヴァだったときがあるから、司る星のひとつに“革命”がある。ルナちゃんに触れたものは“愛”“癒し”“縁”“革命”のいずれかを授かる。そのうちの“革命”っていうのは、文字通りのL03とかで起こっている革命とはちがうよ。その人の概念や性格、そのものに革命を起こす。……たとえばナターシャちゃんとかね。君も見たはずだ」
タケルは、バーベキューパーティーでの事件を思い出す。
不良の子どもたちが、パーティーを引っ掻き回した事件だ。ナタリアという子が、その後、責任を取らされて宇宙船を降ろされた話はメリッサから聞いていた。
ナタリアはもともと極度に引っ込み思案な子で、ルナと出会ってから変わったのだということも。あの事件の、一連のエピソードは聞かされていた。
タケルもあの場にいたことはいたが、すべての出席者のことを知っているわけではなかった。
「……なるほど。分かりました。それで彼女が、K19区に“革命”を起こすと、そう言われているんですね」
「そう。ルナちゃんが、K19区の役員になったときに、K19区の子どもたちの生存率が急激に高くなる――つまり、だれも死ななくなる――と言われているのは、そういうことなんだ」
「そうだったのか――」
タケルは、ようやくコーヒーを口に運ぶことができた。
ルナは、「L03の高等予言師の予言に記された人物」。
それは、特派と、K19区の役員の一部が知っている極秘事項だ。
ルナがK19区の役員になったとき、はじめてK19区のこどもたちは死ななくなる。タケルは、そう知らされていた。ルナが、この宇宙船に乗ったときから――。
タケルは、ルナと出会うのはきっと、彼女がK19区の役員になったときではないかと思っていた。まさか、ルナが自分の担当船客の友人であり、役員も交えたバーベキューパーティーという、意外な場所で会うとは、思いもよらずにいた。
そのとき、アントニオに告げられたのだ。
『ルナちゃんが、ピエト君と出会ったら、俺に教えて』と。
まさか、こんな展開になるとは思いもしなかった。ルナとピエトが出会い、ルナがピエトの面倒をみたいと言い出すなんて。
「だからってね、ルナちゃんは神様まではないし、完璧な人間でもないし、今は、メルーヴァでもない」
アントニオは、するすると器用に皮を剥きながら、独り言のようにつぶやいた。タケルは物思いにふけっていたのを、アントニオの声に呼びもどされた。
「普通の、女の子なんだ」
ウチに来て、パフェ食べたり、ともだちと遊びに行く計画を立ててはしゃぐ、ふつうの女の子、とアントニオは言った。
「ルナちゃんがメルーヴァのときだって、ロメリアのときだって、ずっとすごい人間だったわけじゃないさ。どちらかというと、迷いがちな、繊細な子であったっていうのは間違いない。俺はそばで、それを見て来たからね――今世も、ルナちゃんはルナちゃんで、自分の人生を歩んで、今度はルナちゃんとしてのいろんな選択をして、考えて、悩んで、成長していく。それを見守るっていうのも、俺たち先輩の役目じゃない?」
「……先輩」
「そう。タケル君は、宇宙船役員としても、年齢的にもルナちゃんの先輩でしょ」
「そう、ですね……」
「今ルナちゃんは、葛藤のなかにいると思うよ」
「葛藤、ですか」
「そ。自分は何ができるかとかできないとか、自分の無力さとか、そういうの抱え込んで、苦しんでる」
「……」
「でもルナちゃんは、何百回もそういうのを繰り返してきたんだから、今度もちゃんとうまくいく。――だから、だいじょうぶ」
アントニオの言葉に、タケルは肩のこわばりが解けた気がして、公園に流れる川のせせらぎを聞きながら、窓の外の夜景に目を向けた。




