166話 こんにちは、ピエト 1
結局、ルナたちは、タケルについて病院まで来てしまった。
ピエトがルナのバッグを盗んだことはたしかで、ルナたちがそれを役所へ届け出ると、ピエトはL85へ帰されてしまう。タケルはどうしてもそれをしたくないようで、何度もルナたちに頭を下げ、「どうかお時間をいただけませんか、お話したいことがあります」と頼むので、アズラエルは仕方なく、ルナは、ピエトという少年の病気が気になって――ついてきてしまったのだった。
ピエトが運ばれたのは、中央区の大病院ではなく、K19内にある小児科だった。中央区程とは言わぬまでも大きな病院で、入院施設は整っている。ピエトと一緒に救急車に乗り込んだタケルを追い、アズラエルの乗用車も病院まで直行した。
ピエトが治療室に入ったのを見届けたタケルは、担当医と二三話したあと、ルナたちが待っているロビーへ来たのだった。
一階には、カフェテラスもある。タケルは、カフェでルナとアズラエルに飲み物を勧めながら、何度もテーブル向かいで頭を下げた。
「ほんとうに申し訳ありません」
何十回となく謝られて、ついにアズラエルは、「もう、いいよ」と言わざるを得なかった。とりあえずルナはケガもしていないし、バッグはもどってきている。アズラエルはピエトにはああいったが、ほんとうに役所に突き出す気はなかった。
「だが、あの調子じゃ、また同じことを繰り返すぞ」
今日アズラエルとルナが許しても、きっと、あのピエトという少年は同じことをするだろう。さっきのピエトの台詞は、二人も聞いていた。
母星でスリの常習犯だったのはたしかだろうが、彼は、L85にもどりたくて――わざと、ルナのバッグを盗んだのだ。
「……まさに、その通りです」
タケルもまた、途方に暮れた顔をした。
「するでしょうね。彼は、L85にもどりたがっていますから」
「余計なこととは思うが――帰りてえって言うんなら、帰してやりゃ、いいんじゃねえか」
「アズラエルさんも、そう思いますか」
タケルは、疲れた顔で苦笑した。
「でも、ピエト君は、L85に帰れば、確実に一年も持たずに死にます。この宇宙船で治療を続ければ、ちゃんと治るんです。アバド病は、治らない病気ではありませんから」
アズラエルは、甘いとしかめ面をして、コーヒーを飲んだ。ブラックでと言ったら、たっぷり砂糖の入ったブラックコーヒーが出てきたのだ。アズラエルは仕方なしにそれを飲んだ。ルナのめのまえには、ホット・チョコレートが置かれている。子どもばかりの地区だからだろうか、メニューは甘い飲料で埋め尽くされていた。
「アバド病で、L85ってことは」
アズラエルは顎を擦った。
「あいつ、ラグ・ヴァダ人か」
「よくご存知ですね」
タケルが、驚いて言った。
「ラグ・ヴァダ人?」
ルナが聞くと、アズラエルが説明した。
「L系の原住民だよ。L85のアバド鉱山っていったら、ラグ・ヴァダ人。……まあ、地球人がL85に降り立ったときに、真っ先に抵抗した民族だ。いまだに地球人嫌いだろ。――よくあいつ、この宇宙船に乗ったな」
「それはもう、抵抗されましたよ」
タケルは笑った。
「ピエト君が住んでいた鉱山は、バラグラーダ社が管理する管轄で、比較的良心的な居住区でした。バラグラーダ社は、原住民にもきちんと規定の給料を払いますし、過剰労働をさせたり、暴力で支配したりはしていません。労働基準法を守っています。原住民用の学校もありますし、住居も社の寮を提供しています。だから、バラグラーダ社の管轄区域は、ラグ・ヴァダ人をはじめ、原住民が地球人に対して風当たりがそう強くないんです。ピエト君も、L系惑星群の共通語、ペラペラでしょう? でも、ピエト君の居住区内で一緒に住んでいる地球人とか、あるいはバラグラーダ社の人間に対して、彼らが個人的に好感を持っていても、ラグ・ヴァダ人全体の、地球人に対する抵抗感というのは、いまだに根強くある。だからピエト君も、地球なんかに行きたくないって、最初はさんざんゴネられました」
「……バラグラーダ社って、聞いたことあるぞ?」
どこで聞いたんだっけなァ、思い出せねえ、と頭をひねるアズラエルだったが、やはり思い出せなかったのか、「悪ィ、続けてくれ」とタケルを促した。
「チケットが当選したのはピエト君で――まあ、ふつうは、チケット当選者でも、本人が乗りたくないと言えば、こちらとしても強引に乗せるわけにはいきません。ピエト君の場合、周りに、譲渡できるひとはたくさんいました。――鉱山ですからね。貧乏暮しから抜け出したい若者も多くいますし――。ですが、ピエト君とピピ君を世話していた大人たちが、彼らを宇宙船に乗せてくれといったんです。ピエト君の弟のピピ君は、すでにアバド病の末期症状が出ていまして、おそらくピエト君もアバド病だろうと。地球行き宇宙船には最新の医療があるということを、どこかで知ったのでしょうね。地球人の世話になるのは嫌だけれど、このままではふたりとも死んでしまう。ピエト君はピピ君を助けるために、周囲に諭されて乗ったんです」
「……」
「ですが、残念ながら、ピピ君はすでに手遅れで、乗ってひと月も経たないうちに亡くなりました。ピエト君がショックから立ち直れないのは分かりますが、私も、ピエト君を下ろすわけにいかない。彼もまたアバド病に罹患していますし、もどれば確実に、一年経たずに死にます」
ルナは思わず聞いた。
「アバド病って、なんですか」
「さっきアズラエルさんが言った通り、鉱山病です。アバド病は、L85のアバド鉱山――ピエト君が住んでいた地区ですが――とても広大です。そこでしか発症しない鉱山病です」
「たしか、粉塵だけじゃなく、細菌のせいもあるんだろ?」
タケルはうなずいた。
「くわしいですね、アズラエルさん」
「俺がL85の任務で現地に行って帰ったあと、薬飲まされたんだよ。アバド病の細菌消す薬」
アズラエルの言葉にタケルはうなずき、ルナに説明するために話した。
「そうだったんですか……。ルナさん、鉱山病というのは、長年粉塵を吸い込むせいで肺が病んだりするんですが、アバド病の場合、細菌が原因で発症して、それを鉱山の粉塵が悪化させる仕組みのようです。その細菌が、L85のアバド地区にしかない細菌なので、アバド病。症状は結核に似ていて、咳き込んで吐血、いずれ肺ガンまで進行してしまいます。でもアバド病は、人から人への感染はしません。咳で細菌が体外に出て空気感染するというのではないんです。体液を通じても感染はしません。細菌は、薬で死滅させるまで身体の中に留まり続けるんです。肺に貼りつくようにしてね。新陳代謝の良し悪しも、病気の進行に関係しているようで、若いほど進行が速く、年寄りほど遅い」
「ピエト君も、その、アバド病なの?」
ルナが恐る恐る聞くと、タケルはうなずいた。
「そうです。宇宙船に乗るころ、症状は出ていませんでしたが、宇宙船に乗って検査を受けたら、やはり陽性でした。アバド病の初期段階は、自覚症状がないことが多い。だから、発見されたときはすでに末期だった、というのが多いんです――ピピ君のようにね。ピエト君は初期の段階レベル5。まだ元気に動けますが、これが進めば中期に入ってしまいます。中期のレベル3を超えたら、即入院です。あんなふうに元気には動けなくなります」
「……なるほどな」
「アバド病は、一度細菌が肺に付着したら、薬で死滅させねば治りません。だからピエト君が鉱山で働かなければ治るというものではない。あの地区で暮らしていれば、再発、あるいは悪化します。若いから、進行も早い。逆に、ここで暮らしていれば治るんです。時間はかかりますが、少なくともアバド病の細菌は、ここにはありませんから」
「アバド病の薬って、高いんだよな……」
「そうなんです。バラグラーダ社もアバド病の研究に投資していて、製薬材料の原価を下げられないか、がんばっているみたいなんですけど、なかなか。それに、ラグ・ヴァダ人が、地球人の病院を信用していないという背景もあって――人体実験をされるとか、疑っているんですね。ですから、民間療法に頼り続けている背景もあって……。政治問題や宗教問題も絡んで、アバド病患者はなかなか減っていかないんです。治らない病気ではないんですが……」
ルナが、口をウサギ口にして、真剣にタケルの話を聞いている。アズラエルはそれを見て、なんだか嫌な予感がした。
「ピエト君、お父さんとお母さんは?」
ルナの問いに、タケルは、首を振った。
「ピエト君は、ご両親もアバド病で死去されていて、身寄りはないです。ピエト君とピピ君は、ご両親が亡くなった後は、住んでいるコミュニティーの大人たちに養われていました。バラグラーダ社は、そういった孤児を入れる施設も建てていたようですが――ピエト君は、周りの大人たちに囲まれて暮らしていました。ラグ・ヴァダ人は、仲間意識が強いですし、地球人が作った孤児院になど、いれてたまるかという思いもあったみたいですね。――それで、私がピエト君を迎えに行ったときは、すでにピピ君――ピエト君の弟さんは、アバド病が最終段階まで進行していて、手遅れだった」
両親はおらず、弟は、宇宙船に乗ってすぐに、亡くなってしまった。ピエトは、天涯孤独になってしまったのだ。
「――ピピ君が亡くなって――ピエト君は、さみしい、よね……」
ルナのつぶやきに、アズラエルは苦すぎる顔をした。甘過ぎるコーヒーを飲みながら。
「寂しいとは思いますよ。ですが、やはりピエト君に生きてもらいたいと思えば、L85に帰すわけにはいかないんです」
「あっ、あの――!」
ルナが言う前に、アズラエルが遮った。こればかりは、言わせるわけにはいかない。
「この宇宙船は、資産家も篤志家も山ほどいる。ピエトの親代わりになるヤツなんか、いくらでもいそうだけどな」
「はあ、親代わりは私とメリッサです」
タケルは頭を掻いた。
「タケルさん!!」
「役員って、そんなことまでしなきゃならねえのか!?」
アズラエルとルナの絶叫に、タケルはあわてて両手を振った。
「い、いえいえ、しなければならないと言うのではありません。私とメリッサが、それを望んだからです。それと、私がK19区の派遣役員の審査に合格しまして。それで、です」
「審査に合格? K19区の派遣役員って、特別なのか。特派とはちがうのか」
「ちがいます。……ええと、なんて説明したらいいのかな……」
タケルが困ったように頭を掻き、アズラエルが「言えねえことだってあんだろ。別にいいよ」と言ったが。
「言えないわけではないんです」
ちらりとタケルはルナを見た。その意図は、ルナにもアズラエルにも分からなかったが――。
「あのですね、特派と、K19区担当役員しか、子どもを養子にはできませんし、――特派というのは、女性しかなれないんですよ」
「え?」
ルナが聞き返した。
特別派遣役員は、女性しか、なれない――?
「そうです。……特派とK19区の役員しか、乗船してきた子どもたちを養子にすることはできません。そして、養子にするのは身寄りのない子に限ります。K19区――すなわち、身寄りのない子どもたち担当の派遣役員は、恐ろしく数が少ないんです。その理由はあとで説明しますが――ですから、必然的に、ほかの惑星担当の役員が、兼任して担当します。難しい研修に合格した、厳正な選別のもとに決められた役員が」
「なんだそりゃ。――K19区担当の役員ってのは、そんなにたいそうなモンなのか?」
「たいそうというか――特派に匹敵する難関ではあります」
「ガキを育てるのは簡単じゃねえってことか?」
「それも、あります。でも――大きな理由はね、K19区の役員になっても、すぐやめてしまうひとが多いことに起因しています。それは、K19区の子どもの九割が、死んでしまうことにあるんです」
「なんだと?」
さすがにアズラエルも顔をしかめた。
「身寄りのない子どもたちの担当役員ってきけば――だいたい、志願するのは子どもが好きな人たちでしょう? ピエト君のような年ごろで乗船してくる子もいれば、捨てられたばかりの乳飲み子が乗ることもあります。K19区の担当役員は、必ず彼らの親になります。子どもたちを無事地球に着かせるだけでなく、地球到達後も、親として、彼らを育てていくこと。それが、K19区担当役員の仕事です」
「重いな……」
アズラエルは、俺は絶対やりたくない、とぼやいた。
「K19区の担当役員は、二十年以上の経験、あるいは厳正な審査と研修に合格し、三名以上の特派、および株主の推薦がないとなれません。特派クラスの難関です。そのかわり、男性でもなれますが。私がそうです」
「よくそんなもんになったな……」
アズラエルのボヤキに、タケルが苦笑した。
「そんな難しい審査を経てK19区の役員になっても、半分が、一二年でやめてしまうんですよ」
「……なんでですか」
ルナが聞いた。
「一番の理由はさっきも言いましたが、子どもたちが亡くなってしまうことです」
「どうして……」
ルナの問いに、タケルは一度うつむいた。恐ろしく、悩んでいるようにも見えた。そして、ふたたび顔を上げたその表情が、まるで自分に助けを求めているように見え、ルナはどきりとした。
「分からないです」
「分からない?」
「それが分かったら、解決の方法もあるでしょう。ほんとうに、なぜなんでしょうね。私にも、皆にも――だれにもはっきりとした理由は分からない。でも、不思議なことに、K19区に来た子どもたちは、九割が、なぜか病や不慮の事故で亡くなってしまうんです」
「……」
「残り一割は、ホームシックにかかって、もといた星にもどりたがるケースです。子どもですからね。大人より、ホームシックにかかる傾向は強い。ピエト君のように病気だとか、特別の事情があれば止めることもできますが、基本的に役員は、無理強いはできませんから、船客が帰りたいと言えば帰します。――つまり今まで、地球行き宇宙船創設以来、このK19区の子どもが地球に到達したことは、一度もありません」
「一度も!?」
「はい。一度も」
ルナもアズラエルも言葉を失って絶句した。
たしかに、この宇宙船は、地球到達率が恐ろしく低い。三万人が乗って、たった三人しか辿りつかないような確立だが、それでも一度もないというのはどういうことなのか。
それに、九割の子どもが死んでしまうというのは、なぜなのか――。
入船してくる子どもが全員、ピエトのように病気持ちだというのではないだろう。病気でなくとも、やがて病気になって死んでしまうということなのか。タケルの話だけでは納得できなくて、アズラエルもルナも、困惑した。
だが、タケルのほうがもっと納得できていないのだ。なぜかは分からない。けれど、子どもたちは、生きていくことができない――この、恵まれた環境で。
「――親が、愛する子どもの死に、耐えられますか。K19区の役員にとって、担当する子どもは実の子同然です。それで、辛くてやめてしまうんです。絶望に打ちひしがれて。乳飲み子を病で亡くした役員が、自殺を図ったこともあります」
「……」
「K19区に入船する子どもたちは、本来なら……死んでいてもおかしくない環境にある子どもたちばかりなんです。L77あたりの一般家庭の子が、子どもだけで乗るときは、別の区画がありますからね。K19区の子は、L4系や、貧しい地域の子どもが多い。そういう子どもたちばかり、奇跡のようにチケットが当たって救い出され、ここに来る。まるで、最後の死に場所を求めて乗るようだと、私の先輩にあたるK19区の役員が言っていました」
ルナの顔が、徐々に固くなっていく。こんな顔をするときは、このウサギはとんでもないことを決意している。アズラエルは非常に困った。
「彼女も、何人もの子どもたちの死を見届けてきたひとです。……先日、やめましたが」
「ピエト君は――タケルさんたちと一緒に暮らさないの」
「ピエト君は、最初の予定では私たちと一緒に住む予定でした。でも、ピエト君が嫌がるんです。どうしても、家に居ついてくれなくて」
だから、この近辺にピエト君用にアパートを借りています、とタケルが困り顔で笑った。
「毎日必ず顔は会わせることにしています。私かメリッサか、どちらかが必ず」
「あの……っ」
「ルナ」
アズラエルが止めたが無駄だった。
「あの、もし、あの、良かったら、……あたしと、ピエト君が一緒に暮らすわけには……」
アズラエルが、このバカと口パクで言った。
ずいぶんと嫌な予感がしていたのだ。さっきから、いつそれを言い出すかとハラハラし通しだった。
「ルナさんが――ですか?」
「あ、はい! あの、あたしなにもできないけど、ああやってピエト君になにかあったら病院に連れて行くことはできると思うんです。あたし、習い事とかやってないしヒマだし、あの、ごはんも食べさせますちゃんと! 学校も、」
「それは、お断りします」
タケルの口調は変わらず穏やかだったが、それははっきりとした拒絶だった。
「あなたは船客です。いくらバーベキューパーティーで親しくなったからといって、そんなことまでお願いはできません」
「で、でも、あの、あたしは迷惑とかじゃ……」
「俺は迷惑だぞ」
「アズ!!」
「それに、私は、あなたを信頼してはいません。したがって、ピエト君を任せることはできません」
ルナは、その言葉に凍りついた。タケルの表情は、優しいままだったのだが、言葉はルナを突き刺した。
「ルナさん、あなたはいい子だと思います。優しくて、素敵な方だと思いますよ。でも私はあなたがいい方だとは思っていますが、この短いつきあいで、信頼はできません」
ルナには、返す言葉がなかった。青ざめて、うつむいた。タケルの顔を見ることが、できなくなってしまった。
さっきのタケルの表情は――あれは、ルナの勘違いだったのだろうか。
「あなたにピエト君を任せることは、できません。――それがなぜか、きっとあなたには、分かってもらえるはずです」
タケルはレシートを持って立った。
「長くお引止めしてしまいました。申し訳ない」
深々と頭を下げた。「いや、いいんだよ」アズラエルが返す。
「ピエト君のことを、役所に届け出ないと言ってくださったこと、本当に感謝します」




