18話 タキおじちゃんからの電話 2
「アズ!!」
携帯電話に飛びついたルナだったが、液晶画面に表示されているのは、知らない電話番号だ。
「局番は、L77だけど」
実家ではない、友人の家でもない。固定電話だ。
「もしもし……」
おそるおそるルナが出ると、すぐに『もしもし』という声がした。男の声だ。
『ルナ?』
知らない声だ。
「はい、あたし、るなです」
おそるおそる、そう返事をした。
『タキお兄ちゃんだけど、俺のこと、おぼえてる?』
ルナは一瞬真顔になり――それから、「タキおじちゃん!?」と叫んだ。
『おじちゃんはやめて!』
電話の向こうから、悲痛な叫びが聞こえる。ルナはあわてて謝った。
「ご、ごめごめんなさい。でも、あの、ホントにタキおじ……お兄ちゃん?」
『覚えていてくれたんだ、うれしいねえ』
相手が破顔したのが、ルナにもわかった。相手がタキ“お兄ちゃん”だとしたなら、局番がL77なのも理解ができた。知らない電話番号は、きっと真月神社だ。
本名はタツキ。でもみんな、「タキ」と呼んでいた。
ルナの住んでいた街、ローズ・タウンにあった大きな神社で、バラの名所。バラが満開になる夏には、おまつりがある。
ルナは子どものころから、よく神社に遊びに行っていた。母親とも、ツキヨおばあちゃんとも、リサやミシェルとも。子どもたちの格好の遊び場でもあったのだ。
神社の神主マホロは、きさくで陽気な女性で、ルナのことも可愛がってくれた。
ルナが物心つかない3歳ころだっただろうか、マホロの親戚だとか、知人だとかいう男の子が遊びに来ていて、いっしょに遊んだことがある。ルナは、三日間しかいなかったそのふたりの男の子に、ずいぶん懐いた。三日間連続で遊んでもらって、四日目にふたりがいなかったので、大泣きした。
しかし、それきりだ。その後、彼らと真月神社で会ったこともないし、連絡もない。ちいさなころの思い出のひとつだった。
あのころ、ルナから見たら、タツキはずいぶんおとなだった。十代後半か、二十代だったろうか。
だから、マホロが「タキおじちゃん」と呼べと、ルナに刷り込んだのだ。
それにしても、なぜ突然――。
『元気にしてる?』
タツキの声など思い出せない。こんな声だったろうか。
「げ、元気です。“ゼンゼンお兄ちゃん”は、元気ですか」
タツキといっしょにルナと遊んでくれたもうひとりの男の子の名。ちゃんとした名前も覚えていない。それくらい、あいまいな記憶だ。顔も思い出せない。
『元気だよ。元気すぎるくらいだ』
いったいどうして、電話をくれたのだろう。ひさしぶりに真月神社に来て、ルナは元気にしているかなという思い出話を、マホロとでもしたのだろうか。
『ルナが地球行き宇宙船に乗ったって、マホロから聞いて』
ルナの予想は、大方、外れていないようだ。
「う、うん! 幼馴染みのリサにチケットが来て、それで乗ったの」
『そうか。楽しい?』
ルナは一瞬アンジェラのことを思い出してつまったが、「楽しいよ!」と叫んだ。
『楽しいか、よかったな。宇宙船はね――楽しいところも、旨い店もいっぱいあるよ。あちこち行った? まだひとつきじゃ、そんなに回れねえか』
「タキおじ、お兄ちゃん、地球行き宇宙船に乗ったことがあるの?」
『あるよ』
アズラエルにも匹敵する渋い声で笑った。タツキはおそらく、年齢から行けば、三十代後半から四十代だろう。ずいぶん渋いおじさんになっているかもしれない。
『K08区のエトランゼってケーキ店は老舗だよ。創設時からずっと開いてる名店』
「うわっちょっとまって!」
ルナはあわてて日記帳を開いた。メモ帳代わりに書き込む。
『中央区にあるシャンパオって中華料理屋もいいよ――あと、ルナ、ラーメン好きか』
「うん!」
『じゃあ、K12区の雷天ってラーメン屋』
「らいてん……」
『あと、中央区の逍遥亭のウナギ。マホロがよだれの出そうな顔でこっち見てる。俺はウナギもいいけど、あの店のう巻が好き』
「うまき?」
『卵焼きの中にウナギが入ってる』
「たまごやき!!」
『おまえ、むかし食ったことあるんだぞ』
「へ?」
『真月神社でいっしょに食ったろ――逍遥亭のウナギ弁当に入ってた俺のう巻、ぜんぶ食っちまいやがったくせに』
「ホント!?」
ルナは、それが本当なら、タツキにウナギを送らねばならないと思った。
『あいかわらず卵好きか』
「うん!」
タツキは笑った。
『すまん。食い物の店ばっかりだな――だけど、どこもうまいよ。ぜんぶパンフレットにのってるはずだ。行ってみな』
「う、うん、ありがとう」
『まあ、それはそれとして』
タツキの声が急にワントーン、低くなった――気がした。
『なにか困ってること、ないか?』
「――え?」
ルナは聞き間違いかと思った。
『困ってること』
まるでタツキは、ルナのそばにいて、話をしているかのようだった。ルナはあわてて言った。一瞬でもつまったことを、ごまかすように。
「な、なんにもないよ」
『ほんとに?』
タツキの声に笑みが混じっているが、彼はそれで切り上げなかった。
『たとえば――“性悪のオバサンに、イジワルされてる”とか』
「……!?」
ルナは今度こそ、言葉に詰まった。
まるでタツキは、ルナが陥っている状況を、なにもかも分かっているような口ぶりだ。ルナは混乱した。どうして、タツキがそんなことをいうのか、ルナには分からなかった。
タツキがいう「性悪のオバサン」とは、アンジェラのこと?
まさか――でも、それしか見当がつかない。
しかし、どうして、タツキがそのことを?
だが、アンジェラのことを言ってしまえば、タツキからマホロ、マホロから母親につたわって、「帰ってこい」と言われてしまうのではないか。
ルナはそう思って、あわてて滑りそうになった口を引き締めた。
「な、ななななんでも、なにも、なにもないのです。ないよっ」
ルナはせわしなく言った。今度は、電話向こうでタツキが苦笑した。
『マホロにも、お母さんにも言わねえよ? 俺と、ルナだけの秘密』
「にゃ、にゃにも……」
ルナが言い募るので、タツキはしばらく沈黙した。そして、ちいさな嘆息と同時に。
『……ホントか?』
ともう一度聞いた。
「ほ、ほんと」
ルナは深呼吸をして、きっぱり、言い切った。
『平気?』
「うん」
『ルナは強い子だ』
タツキが、電話向こうで威勢よく笑った。
『なにかあったら、すぐ連絡するんだぞ』
「う、うん。ありがとう。タキお兄ちゃん、しばらく真月神社にいる?」
『今日から一週間は滞在することにしてる』
「そう、わ、わかった」
『じゃあな。宇宙船は楽しいところだからな。リリザも楽しいぞ。めいっぱい遊べよ』
「うん!」
電話は、切れた。
「あ」
いつでも連絡してというわりには、タツキの連絡先は知らないし、教えてもらえなかった。彼が電話してきたのは、真月神社からだ。
(タキおじちゃんと、ゼンゼンお兄ちゃん)
ルナはふと思った。
「宇宙船にふたりが乗ってたら、きっとおもしろかったのに」
3歳児の思い出である。ルナが20歳なのだから、ふたりは30台突破だ。そんなふたりと子ども時代のようにリリザで遊べるわけもなく、ルナは「無理か」とショボンと肩を落とした。
「エトランゼは、もしかして、タキおじちゃんが経営してるお店なのかな……?」
アズラエルがもらってきたケーキは、イチゴのショートケーキと、チーズケーキとフルーツタルト、オペラ、モンブランだった。小ぶりだけど甘さもちょうどよくて、どれもものすごくおいしかった。
「えへへ。今度は自分で買いに行こう」
ルナは気を取り直して、タツキに教えてもらった名店のリストをバッグにしまった。
「タキ、顔が超気持ち悪い」
マホロに言われても、ニヤケ面を押さえられない上機嫌のタツキは、携帯電話を切るなり、忍び装束の袂にしまい込み、「可愛いなあ……ルナ」と一年に一度するかしないかの、満面の笑顔になった。
彼の携帯電話の液晶画面には、20歳になったばかりのルナの笑顔がきらめいている。ルナが真月神社で、マホロの飼いウサギ、グレーのネザーランドドワーフ「もりそば」を抱きしめている写真。
けっして隠し撮りではない。マホロに高級懐石をごちそうして、やっともらった一枚だ。
「キモ」
しかめっ面の真月神社の神主はさておいて、「さて、ルナはどこへ行くかな」と口笛を吹いた。
エトランゼ、シャンパオ、雷天、逍遥亭――どこも、タツキの息がかかった場所だ。
「そんな回りくどいことしなくても、ルナちゃんはすぐ“真砂名神社”に行くって」
マホロは、もりそばを撫でながら嘆息した。
「どうかな。あの子の行動パターンは読めないところがあるから」
タツキはほんとうに不思議な男だと思う。マホロがウサギをナデナデしているあいだに、真っ黒な忍び装束から、同じ色の高級スーツに変化していた。
いつのまに着替えたのか。それとも最初からスーツだったのかと錯覚するほどだ。数分前はネクタイなんかなかったし、同色の足袋をはいていたはずだ――今は黒い靴下。
傭兵というものは、ほんとうに不思議な生き物だと、マホロは思う。
「ある程度、“道案内”はしてあげないと」
「あんたも行くの」
「もちろん。まだこの距離なら、地球行き宇宙船に乗っても、すぐもどれるからな」
「結局、四年間同行するの」
「それは無理だな。俺にも仕事がある。ルナが俺を選んだらなんとかして残るけど」
「それも無理だな」
あっさりマホロは言い、
「そもそもきっと、あんた、ルナちゃんに会えないよ」
「それは、アイゼン様もそうおっしゃっていた」
タツキは肩をすくめ、
「でも、一度くらい顔を見たい。それくらいなら許されるだろう? それに、俺が同行できないなら、九庵にボディガードを頼んでこないと」
「そこまでする必要あるかな? “まだ”だいじょうぶな時期だと思うよ?」
マホロはあきれた。
「あまり物々しいことしないで、リリザくらいまでは、楽しく過ごさせてあげなよ」
タツキが、自分の手の者をボディガードとして宇宙船に送り込んでいるのは、マホロも知っている。彼の部下だから、けっしてルナにも、周囲の者にも、存在を気づかせないだろうが。
「俺もそうしたい。できることならな。でも、さっそくトラブルに巻き込まれてるぞ」
タツキは困り顔で言った。
「ええっ」
「宇宙船を降ろされるだけで済むならいい。俺がチケットをもう一枚買うだけだ。ついでに俺も一緒に乗るさ――今度こそな。だが、それですまなかったら大ごとだ――厄介な女に目をつけられたもんだ」
「やっかいな女」
マホロはウサギを抱えて、ふがふがと吸った。
「リリザでもトラブルの“象意”が出ている。ペリドットがそう警告してきた――まったく、ろくでもない」
「なんとかできないの」
タツキは鼻で嗤った。
「あの女がララのお気に入りでなきゃ、一週間以内に存在ごと消している」
「聖域でぶっそうなこと言わないでよ」
これだから夜砂名神社の神官は……とマホロは文句を言ったが、タツキがこたえていないのは目に見えている。
「ララは敵に回すと面倒だからな。ちなみに、ルナと俺の関係も明かすわけにいかない」
「あんたとルナの関係なんて、十数年前にたった三日、遊んだだけの関係ですけど」
冷ややかなマホロの視線も、伝わっていなかった。
タツキは悲しげにつぶやいた。
「ルナはやっぱり“直線道路”を選んだ。俺を選べば、アンジェラに関わることもなく、リリザで最高の贅沢をさせてやったのに」
「おだまり、ロ●コン」
「しかたない。ルナが選んだなら、それはそれでしかたない」
「未練タラッタラだなおまえ」
「――それで、逍遥亭の弁当は、特上で?」
「うん! 特上の、梅! うなぎ倍増しで!」
「了解」
逍遥亭の最高級弁当が、ここ数日の滞在費の代わりだ。特上も、松、竹、梅とあって、梅が最上級。そして中身がすこしちがう。
タツキは「じゃあ、ちょっとでかけてくる」と至極まともに挨拶をして、玄関に向かった。
「ああ、ちょ、ちょっと待って」
マホロがもりそばを抱えて追いかけて来た。
「悪い。けっこう聞き流してたんだけどさ――ルナちゃんが“直線道路”を選んだってことはさ」
マホロがタツキの言葉を聞き流すことはよくある。タツキもそうだ。この二人の会話は、互いの話をほとんど聞いていないというのが難点だった。ふたりとも聞き上手の評判が高いのに、なぜかふたりで会話をするとこうなる。
よほど気が合わないのだろう、と互いに思っていた。
「どうしていつもちゃんと人の話を聞かないんだ?」
「おまえの話はなぜか耳に残らない」
マホロは首を傾げた。タツキはしかたなく言った。
「俺たち分かれ道組は、完全な“影”になる。九庵はもともとそういう役割だが、俺みたいに、ルナに横恋慕してるヤツは、どうあっても影になるしかないだろうさ。真砂名の神の邪魔はできない」
「おまえの恋愛についてはどうでもいいんだよ!」
マホロは怒りを込めてもりそばを万歳させた。
「ルナちゃんがまっすぐ道を進んで、九庵さんのとこにも、あんたのとこにも行かなかったってことは――」
「ああ。今回は、“封印”じゃないのかもしれない」
それを聞いて、マホロが急に真顔になった。
タツキが、革靴を履いて立つ。来たときに履いていたわらじはどこへ行った。
「まじで」
「あくまでも予想。言っとくけど、“予言”じゃなくて“予想”な。全員見方はちがうんだ。アンジェは『これが正統なルートだ』って主張してるし、ペリドットは『真砂名の神の“台本”』に変化したと言った」
「“ギオン”……」
「おそらく、ラグ・ヴァダの武神は、封印でなく――こうなるかも」
タツキは、長い人差し指で、バッテンをつくって見せた。マホロの目が見開かれた。
「それって、だいじょうぶなの」
「なにが」
「彼らの“輪廻転生のさだめ”は――」
「もう、終わったはずだ」
タツキはそれだけ言い、ガラスの引き戸を開けた。そして、グレーのウサギに投げキッスをした。
「もりりん、バイバイ♪」
ウサギは、「ぷう」とも鳴かなかった。




