163話 九庵之不死鳥 1
その日、ルナとアズラエルが九庵に会ったのは、ほとんど偶然だった。
マルカの手土産を携えて、ナキジンたちに会いに来たルナたちは、階段の下に、ずいぶんなひとだかりを見つけた――。
「ホレがんばれ!」
「あと一歩じゃ!!」
「そう、その調子!」
大路の住民が勢ぞろいして、今まさに階段を上がろうとしているだれかを応援しているのだけは分かった。その人だかりにナキジンも加わっているのか、紅葉庵はだれもいない。もちろん、ルナとアズラエルにも、だれも気づかない。
「九庵さん!?」
階段手前で、ぜいぜい息を喘がせながら前に進んでいるのは――なんと九庵だった。
「おや――ルナさん、アズラエルさん」
振り返って、ちいさく会釈したその顔は、まさしく九庵だった。
「おお、ルナちゃん」
「おーっ! ニャンコじゃニャンコ!」
「よう来たのう!」
ナキジンたちもようやく気付いてくれた――アズラエルがあまり大路には行きたがらない――のは、キスケやオニチヨたちにニャンコニャンコとかまわれるからなのだが、今日ももちろん、さらにでかい位置から頭をワシワシとされて、すごくイヤな顔をした。
「また会いましたね」
階段は目の前だったが、彼は階段を上がるまでに至っていない。九庵と階段の間には、まだ数歩も余裕があった。九庵は、汗びっしょりの額をぬぐうと、「ふう」とひとつ息をついた。それが合図だった。
「今日はここまでやな」
カンタロウのひと声で、人だかりは解散していった。九庵に対する励ましの言葉がいくつもかけられた。そのひとつひとつに、ペコペコと礼をしながら、九庵の顔から微笑みは絶えなかったが、気落ちしているように見受けられた。
ナキジンは、「あんみつでも食わんかい」とルナとアズラエルを誘った。もとより、そのつもりで来たふたりは、もちろん誘いに乗った。
三羽烏とカンタロウは、九庵とともに紅葉庵についてきた。
今日はいい天気だったが、どこかぼんやりした九庵は、紅葉庵のベンチに座ってもまだ、階段のほうを見ていた。
「も、もしかして、邪魔しちゃったかな」
ルナは恐る恐る聞いた。九庵は微笑んだ。これは、いつもの笑みだ。
「いえいえ。とんでもない。……今日は、あれ以上は無理でした」
すっかりくたびれ果てた、という声だった。ルナがなにか言う前に、九庵が先に言葉を紡いだ。
「先日は、アップルパイをありがとうございました。わざわざ届けてくれたんですねえ。おいしかったですよ」
「携帯にかけても出てくんねえし」
「申し訳ない」
九庵の笑顔は、いえない理由の代わりだ。
「あー、そうか。わかったよ」
アズラエルは、もう考えないことにした。
「おふたりは、ご旅行ですか」
「旅行をしてきたとこなんだよ」
アズラエルはそう言って、ナイロン袋につめこんだ菓子の箱を、ちょうどあんみつを持ってきたナキジンに渡した。あんみつと交換に。
「大路全員分は買ってこれなかったから、ここにいる人数だけで食ってくれ」
「おっマルカの菓子じゃ」
「そういや、マルカについとったのう」
おまえ、今期降りる? どうすっかな……。三羽烏のあいだだけでなにやらブツブツしゃべっているすきに、ナキジンが箱を袋から出した。
「おお! “マリンカ”じゃな! マルカの名物」
「さっそくマルカに行ってきたんか。どやった?」
カンタロウは、箱のほうを見もせず、ルナにそう聞いた。
「すんごく綺麗なとこだった!」
ルナは大興奮で叫んだ。
「一緒に乗ったともだちの結婚式だったの」
「ほん。結婚式かぁ。めでたいのう」
キスケがナキジンから箱を奪い、さっそくガサガサと音をさせて包みを開けた。中身は、個包装の、半透明のゼリー状の菓子だ。
「おお懐かし」
「久々やな」
大路の面々は、この菓子を知っているらしい。
「これは……おいしそうですねえ」
九庵も、本物の笑顔を見せた。
「開けたら三十秒以内に食わないと、水になっちまうってさ」
「ええ!?」
アズラエルの言葉に、九庵はあわてて、ビニールのふたを開けた菓子を、ちゅるんと口に押し出した。全員の注目を浴びつつ――。
「おやこれは」
口を数度動かしてから、幸せそうに破顔した。
「くずまんじゅうみたいな……」
「うん。味は変わっとらんの」
ナキジンも、看板娘も、ご機嫌で口に放り込んだ。
「おう。これこれ。昔はよく買ったもんじゃ」
「駅に売ってたの」
ルナは自分も食べながらうなずいた。
「おいちい」
「ルナさんのお土産は、外れがありませんねえ」
鳳凰城の銘菓といい、マルカの菓子といい。
もちもちしているのに、餅ではないし、ゼリーでもない。ほんのりした甘さは、くどくはなく何個でも食べられそうだ。ぐにゅぐにゅの奇妙な食感を楽しみつつ、次から次へと口に入れた。
「おまえさっき、なにをやってたんだ?」
遠慮なく聞いたのはアズラエルだった。九庵は、三個目のゼリー菓子を飲み込んでから、「ふぁい?」とマヌケな声を出した。
だれかれが教えてくれるかと思ったが、いつもおしゃべりな大路の連中は、菓子に夢中なのか、九庵の代わりに答えてはくれなかった。おそらく、人助けの成り行きか――アズラエルはそう思ったが。
九庵は、四個目を口にしてから言った。
「いやわし、この階段を上れんもんでね」
「は?」
「紅葉庵の前まで来れたのも、つい最近なんです。まぁ、ルナさんのボディガードを任されてから」
「えっ……」
「人助けの成り行きじゃないんですよ。今日のところはね」
「今日は天赦日なんや」
やっと、カンタロウが口をはさんだ。「天赦日?」ルナが尋ねる。
「うん。今日は“天赦日”でしてね……わしの数少ない“おやすみ”の日なんです」
「おやすみ?」
ルナのウサ耳がぴょこん、と跳ねた。
「ええ。今日は、九人助けなくても、いい日」
九庵はその小柄な身体を目いっぱい伸ばした。今日は、だれかを助けるために、不測の事態がないということだろうか。九庵は晴れ晴れとした顔をしていた。
「ちょうどよかった。もしお暇だったら、わしの話を聞いてくれませんかね?」
「話?」
「ええ。話せることだけですが……自己紹介でもしようかと」
九庵は、いずれルナとアズラエルに、自分のことを話すといっていた。
『知らん人間にボディガードなんていわれても、気味悪いだけでしょうから――』
かつて彼はそう言っていた。謎の多いこの男が、ほんとうに自分のことを話そうとするなんて。まるで期待していなかったのも事実だが。
すこしでも正体が知れるのは助かる。
今のところ、ルナに害を及ぼす人物でないのはわかるが、まったく正体が知れないというのも不気味だ。
三羽烏もカンタロウも、席を立たなかった。ここにいる皆は、九庵のことを知っている――のだろうか。
ナキジンの提案で、皆は弁当屋「ひな菊」でお弁当を買って、河原に移動した。ルナたちが来なくても、もともとその予定だったらしい。
ナキジンは割り箸を口にくわえてパキンと綺麗に割ってから、楽しげに言った。
「河原で弁当ちゅうのもいいモンじゃの!」
「ルナちゃんが来てからやで」
「え?」
カンタロウも、てんこもりのから揚げ弁当をのふたを開けながら、どことなく嬉しそうに言った。
「河原で宴会はたまーにやるが、わざわざここで弁当ちゅうのは考えたことなかったしの」
「ルナちゃんが初めてここ遊びに来たとき、河原で弁当食ったいうとったやろ。なかなかいいもんやな~って、今、大路で大ブームや」
「そ、そうなの……!?」
キスケたちも「久しぶりやな」といって、二人分もありそうな大盛りの焼肉弁当を広げた。
九庵とルナは明太のり弁、アズラエルはカンタロウと同じから揚げ弁当、鬼たち三人は焼肉弁当で、ナキジンは幕の内弁当。
みんなでにぎやかにお弁当を食べ、お茶も飲んでひと息ついたあと、おもむろに九庵がアズラエルに聞いた。
「わしのこと、調べてなにかわかりました?」
「あんたが、もと全星格闘技大会の優勝者だってことは。あんたが出ると死人が出るって話で、四年目から出なくなったってことくらいかな。まぁ、これも又聞きだが」
グレン情報だ。アズラエルは、星海寺の住職ということしか調べられなかった。
「ふむ」
九庵は肩をすくめた。
「じゃあ、わしの俗名をいえば分かりますかね。パウル・G・ユンといいます」
ルナは分からなかったが、アズラエルは目を見開いた。
「おまえが!?」
「はい」
格闘技大会の番組なんかは、ルナはあまり興味がないし、見たこともないので、まったく知らなかったが、アズラエルの驚きようをみれば有名な人物のようだ。
「生きてたのか? 一時、全星指名手配されたろ――え――待て? じゃ、おまえ、今いくつだ?」
「還暦は過ぎましたね」
「ええっ!?」
今度はルナも驚いた。ウサ耳がすっぽ抜けて川に飛び込むくらい驚いた。
九庵の外見はとても若いのだ。三十後半そこそこにしか見えない。
「おいおい、じゃあ――おまえがあの、パウルだとしたら」
異様に強いのもうなずける。どんな伝手で、ルナのボディガードにおさまったかは知れないが、無敵だといわれても納得できる気がした。
だが。
「“人殺し”」
九庵は、ひどく懐かしむような顔で、川のほうを見つめながらいった。
「むかしはまぁ、よく言われたもんです」
ルナは絶句した。
彼がリリザで、イマリの仲間たちを一瞬にして縛り上げ、とらえたときのことを思い出した。
『悪党っていうのは、若いころのわしみたいなもん』
『金を奪った相手の息の根は、かならず止めていたからね』
九庵さんは悪党なの?
戸惑ったマシオの問いに、九庵は、「むかしはね」とこたえた――。
そうだ。この男はボディガードなどできる男ではない。「人を守る」という行為からは、もっとも遠い人間だろう。
彼は人を殺すために大会に出ていた。そう言われるほど、残虐だった。彼と対戦したものはほとんどが亡くなるか、再起不能に陥った。法に裁かれない場で、人殺しを楽しんでいる男――そういわれていた。
大会に出なくなったあとも諸国を放浪し、たびたび事件を起こした。
だから、警察にも追われていたはず。
「間違いじゃないです。わしは、そういう人間でしたし」
九庵はアッケラカンと言った。
「おまえも、宇宙船に乗って生まれ変わりました、ってクチか?」
アズラエルは、我ながら嫌みな言い方だとは思った。このところ、得体のしれない出来事が起きすぎたせいで、奇跡も不思議も食傷気味だ。九庵に八つ当たりしていいわけはなかったが。
だが、九庵は微笑んで流しただけだった。川に。
「生まれかわりなんぞ。一度死んでやり直せたら、よほど楽でしょうなぁ」
九庵は首を傾げた。
「いや。死んだところで地獄ですか。人はどちらにしろ、自分がしたことからは逃れられんのでしょうな」




