162話 キラとロイドの結婚式 Ⅲ 3
「キラ……」
「母さんと、地球に行きたいよ……」
ついに涙をこぼしたキラに、エルウィンは言葉をなくした。そこへデレクが、とどめの一言を刺した。
「俺も、エルウィンと昔みたいに、毎日仲良くおしゃべりしたい。――ダメかな」
「も……」
エルウィンの両目からもぼたぼたと涙が落ちた。それを隠すように後ろを向き、エルウィンは叫んだ。
「もう! なんなのこの子たちったら――人の都合も考えずに――勝手ばかり――あたしは、――」
「わがまま言わないの、キラちゃん」
ジェニファーがエルウィンのそばにやってきて、それはそれは優しく言った。そしてデレクの手を取り、エルウィンの手と重ね合わせた。
「キラちゃんは、うちの孫のロイドと結婚するのよ。そうでしょう?」
デレクもエルウィンも、耳の先まで赤くなった。さっきからジェニファーが言っていたのは、エルウィンとデレクのことだったのか。
「ロイドさん、では、もうひと方は?」
カザマの質問に、ロイドはいったん俯き――それから言った。
「彼は、乗るかは分かりませんけど――リック・T・ルビンスキーに、乗る権利を与えて欲しいんです」
「三年目の四月末までが、つまり、来年の四月三十日までが、中途乗船可能な日付となります。それを過ぎますと、乗船資格はなくなりますが、それでもよろしいですか?」
「いいんです」
ロイドは言った。
「彼はたぶん、乗らないと思う。でも、ぼくが、リックと仲良くしたいと思っていることは、伝わるんじゃないかな」
「……。では、そのように致しましょう。L53のリック・T・ルビンスキー様あてに、地球行き宇宙船のチケットを贈ります。プレゼント用の包装はなさいますか?」
「もちろん!」
パーティーが終了の時刻だと、店のボーイが告げに来た。そろそろ二次会のために別の店へ移動する頃合いだ。
パーティー会場に残っているのは、いつものメンバーばかりだった。だれが呼んできたのか――大概、メンズ・ミシェルに決まっていたが――セルゲイとグレンも会場に顔を出し、ロイドとキラに祝福の言葉を贈っていた。
「みんな、今日はありがとう」
ロイドとキラが、締めの挨拶をはじめた。みなに行きわたった最後のグラスの中身は、アルコール分が入っていないシャンパンだ。
「エルウィンさんに」
ロイドはグラスを掲げた。
「僕たちをいつでも見守ってくれたメアリーさん、パドリーさん、ぼくたちの、おばあちゃんに」
ジェニファーがご機嫌で、グラスを掲げた。
「ぼくたちの大切な友人たちに――それから、L53から、ぼくたちのためにはるばる祝福に来てくれた、僕の兄――リックに」
キラも、グラスを高く上げた。ルナもだ。
「乾杯!」
あちらこちらでグラスが鳴り、ルナはひといきでそれを飲み干した。
ゴリラは来なかったけれど、チワワは来た。
素敵な、最高の、結婚式だった。
二次会もマルカでの予定だったが、急きょキャンセルされて、地球行き宇宙船内で行われることになった。エルウィンも、地球行き宇宙船に乗れるように、カザマが猛スピードで手配を済ませてくれたためだ。
アズラエルたちも、内心ほっとしていた。ルナの安全のためにも、なるべく早く、マルカを離れたい。
酒を呑んだあとに、ペッシェに乗るのは自殺行為だ。ルナとアズラエルも、帰りはレストランが用意したスクアーロに乗り込み、途中からはシャインで、安全快適な帰路についたのだった。
「アズ、ゴリラ、来なかったね」
車内で、ルナはつぶやいた。
「まだ言ってんのか?」
もう結婚式は終わったのである。ゴリラにこだわり続けるルナに、アズラエルは不本意だが、帰ったらいの一番にアンジェリカに連絡して、このゴリラで埋まっているウサギ脳から、ゴリラを追い出してもらおうと考えたのだった。
――そして。
「へ?」
ルナは、あまりに予想外の言葉に、マヌケな声しか出なかった。
「ゴリラって……ゴリラって……デレクだったの?」
電話機の向こうからは、アンジェリカの笑い声しか聞こえない。
『うん、そう。彼のZOOカードは、“シェイカーを振るゴリラ”。ゴリラがキラさんをさらいに来るって――その発想が、ルナらしいや!!』
アンジェリカに電話がつながったのは翌日のことだ。ルナはそれまで、ゴリラゴリラと言い続けていた。
ルナの夢の話を聞いたとたんにアンジェリカは大笑いし、ZOOカードを並べて占ってくれたが、ゴリラはまったく、予想外の人物だった。
けれど、あんな夢を見たら――キラの結婚式の日に、キラと同じ七色のネコが、ゴリラと結婚式をしている夢を見たら、だれだってそう思うはずだ。
『そこはね、あたしも、間違ってたんだ』
アンジェリカも、ずっと見誤っていたのだという。
アズラエルがロイドを救った、ということをZOOカードが表示し、ロイドの“裏切られた保育士”が“介護士のチワワ”になったあとも、ロイドとキラは仲直りし、こうして結婚するに至ったというのに、キラの“エキセントリックな子ネコ”はずっとルナのカードの周りを、助けを求めてさまよったままだった。
アンジェリカは、おかしいと思い続けていたが、このあいだ、ようやく意味が分かったのだという。
『あたしが、勘違いしてたんだ。ルナのカードの周りを周っていたのは、“エキセントリックなネコ”、つまり、キラさんの母親のカードだったのさ』
「エ、エルウィンさんの!?」
『そう。あたしは会ってないから知らないけど、きっと、この親子はものすごく似ているんだね。外見も性質も。だから、カードもそっくりだった。それであたしも間違えたってわけ! キラさんは“エキセントリックな子ネコ”、エルウィンさん――は“エキセントリックなネコ”。カードの絵も、似ているんだけど、しっかり見ればわかるんだ。子ネコのほうは、周りにカレーとか、おもちゃとか、自転車とかが並んでるんだけど、ネコのほうは、香水の瓶が並んでいたり、音楽が流れていたりするんだ。似ているカードだけど、囲まれてるものがちがう。早めに気づくべきだったよ』
アンジェリカが、あたしもまだまだ未熟ってことさ、と苦笑した。
「エルウィンさんが、あたしに助けを求めていたの?」
『そうだね。“エキセントリックなネコ”の運命の相手は、“シェイカーを振るゴリラ”だ。彼女は、ゴリラとの縁を結んでほしかったのさ。無意識下で、ずっと願っていた』
そうだったのか。
『ルナが夢で見たのは、“エキセントリックなネコ”と、“シェイカーを振るゴリラ”の結婚式だよ。きっと彼らも、宇宙船内で結婚すると思う。ルナの夢は間違いじゃないし、キラさんが裏切るってわけでもないよ。それから、チワワもそのとおり、“介護士のチワワ”の兄だ』
ルナはやっと、納得した。
でもやはり今回も、ルナはなにかできた、という実感が湧くことはなかったのだが――結局、エルウィンが宇宙船に乗れるのは、リックが持ってきてくれたお金のおかげだし、デレクの過去の傷が癒えたのも、ニックがこの写真を持って行けと、ルナの夢に現れて教えてくれたおかげだ。
でも、幸せな結果になったのだから、それでよかったとしよう。塞いでばかりいても、はじまらない。
「デレクが――ゴリラ――」
ルナの頭に浮かんだのは、ひとつの光景だった。ルナにも、やっとわかったことがある。
アンジェリカとの電話を終えると、ルナの報告を待っていたクラウドに、ルナは全力で関係のないことを叫んだ。
「あたし、ラガーの店長さんが、デレクに勝てないわけがわかった!!」
ラガーの店長、という語句に反応したのはアズラエルだった。
「ゴリラの話してたんじゃねえのかよ。なんでオルティスが出てくんだ? あいつ、ワニだろ?」
ミシェルもテレビを見ながら、「なんで?」と聞いてきた。
「あのね、ラガーの店長さんはわにだから!」
「うん……」
「そしてデレクはゴリラだから!」
「ゴリラって、デレクのことだったの!?」
ミシェルがびっくりして、棒アイスを口から落とした。
「ゴリラって、デレクかよ……」
アズラエルの口元が、笑うのを我慢しているようにヒクついている。
「デレクが、ゴリラ……」
クラウドもにやっとした。
そういえば、デレクは力持ちだし、着やせして見えるが体格はいい。それに、酒瓶のケースを持った姿が、ゴリラに見えなくもない。
「わにだから、ゴリラにひっくり返されたら起き上がれないの!!」
リビングにいた四人の頭に共通して浮かんだのは、デレクの顔をしたゴリラが、オルティス顔のワニをくるんくるんとひっくり返している光景だった。オルティスは、いつもデレクに転がされて負ける。
「ぶっほ!!」
ミシェルが鼻からアイスを吹いた。「きたねえ!」アズラエルの悲鳴。
「ふぐっ……ぐ、ふふ……!」
ルナは、クラウドはどうせなら腹を抱えて笑ったほうがいいと思った。中途半端は、見苦しい。
「わには、ごりらには勝てません」
なぜかルナが威張って、仁王立ちして言うのに、ついにアズラエルも吹き出したのだった。
こちらは、グレン宅。
キラたちの結婚式が終わり、ルナが宇宙船に乗るのを見届けたあと、二次会に誘われたのを断って、グレンは自宅へ帰った。エレナが、迎えてくれた。
「おかえりグレン。ルナは元気だったかい」
「ああ、相変わらずだよ」
「ルナと会って、おしゃべりがしたいよ、あたしも。あ、そうそう、さっきあんたに小包が来てたよ。一応あたしがサインして受け取っておいた」
「小包……?」
手渡されたそれは、十五センチ四方の、小さな小包だった。発送先は、L18、「OB企画」……?
グレンにはなにかを注文した覚えも、この「OB企画」とやらにも心当たりがない。軽く振ってみると、かさかさと音がした。固形物が入っている。
「ありがとな」
グレンはとりあえずエレナに礼を言い、自室に入って、携帯電話を取った。
『はい、こちら中央区郵便庁舎です』
「グレン・J・ドーソンだ。今日、ウチに届いた荷物のことについて聞きたい」
『少々お待ちください』
音楽が流れ、やがて別の人間に代わった。
『お待たせいたしました。お荷物のことで不審な点がございましたか』
「L系惑星群から届く荷物は、厳重なチェックをしてから宇宙船内に入るだろう? おかしなモンじゃないと信じたいが、中身がどんなモンか、だいたいの形でいい。教えてほしい」
『承知いたしました。お荷物番号をお教えください』
グレンが、小包に記載されている番号を告げると、ふたたび「少々お待ちください」。今度、音楽は流れなかった。すぐに、返答が返ってくる。
『……中身は、鍵の形をしています。アンティークによくあるような、大きめの鍵です。それが羊皮紙に包まれています』
「鍵……?」
『ええ。覚えのないお荷物でしたら、返送いたしますが……』
「いや、いい。ありがとう。大丈夫だ」
グレンはそう言って、電話を切った。
引き出しからペーパーナイフを出し、ガムテープを慎重に切った。開けると、中にはたしかに羊皮紙――古い手紙が出てきた。黄ばんでいて、赤い蝋でシーリングしてある。こんな気取った真似をするのは、ドーソン一族くらいだろう。
案の定、蝋に押されている紋章はワシ――見慣れた、ドーソンの紋章だ。
“グレン・E・ドーソンから、グレン・J・ドーソンへ”
グレンは、驚かなかった。ほんとうに、鍵が届いた。
椿の宿へ旅行に行き、不可思議な夢を見たことは覚えている。どこからどこまで夢だったか。いまだに、夢の細部は思い出せないが、あの真砂名神社のギャラリーになにかがある。それだけは分かる。
たしかにあのとき、百三十年前のサルーディーバは、「鍵を大切にね」とグレンに言った。
グレンは、丁寧に手紙の封を開けた。中から、大ぶりの鍵が出てきた。グレンは鍵を眺め、それから引き出しにしまおうとして、やめた。いつもズボンの後ろポケットに突っ込んでいる財布に、それをしまい入れた。そして、鍵と一緒に入っていた手紙を開く。
“私の願いは、君の願いだ、グレン。鍵を託す。ドーソンの運命に、終止符を。”
グレンは手紙を引き出しの奥へしまった。鍵のことは、だれにも言わなかった。
さて。
キラとロイドの結婚式からひとつきも経たないうちに、マタドール・カフェには、三人目のスタッフが姿を見せるようになった。エルウィンだ。
急きょ、宇宙船に乗ることが決まってしまったエルウィンは、L77にもどって、また宇宙船にもどってくるのに半年の期間をかけるよりかは、と、すっかりあきらめて、宇宙船にいることにしたのだった。
長期休暇は、もっと長期休暇になった。もともと、水道やら電気やらはすべて止めてきたし、なけなしの財産が入った通帳や貴重品はすべて持ってきていたので、そのあたりの心配はない。
そして、もうひとつ。
ロイドはリックからメールが返ってきたと、大興奮で皆に報告した。
ロイドが長々と書き綴ったメールに、「メールは読んだ」だけの短い返事だけだったが、大きな進歩だとロイドは言う。ロイドが送った地球行き宇宙船のチケットに対してのコメントも、なにもなかったが。
だが、ロイドが知らなくても、地球行き宇宙船のチケットは、ちゃんと包装されて、リックの元に届いていた。リックはそれを捨ててはいない。引き出しの奥にしまっていて、たまにそれを取り出して、静かに眺めるのだった。
コーヒーカップの陰で泣いていたチワワが、チケットを握りしめて歩き出したことは、月を眺める子ウサギだけが、知っている。




