161話 キラとロイドの結婚式 Ⅱ 1
ロビーに入り、受付を探して奥へ行くと、見慣れた顔を見つけてアズラエルは瞬時にルナを別方向へ向かせようとしたが、無理だった。ルナが気付いてしまった。
「あれ!? グレン! セルゲイ!!」
アズラエルは大げさに舌打ちし――今日三回目――ルナの声に、満面の笑顔になった邪魔男ふたりがこちらへ寄ってくるのを、我慢しなければならなかった。
「ルナちゃん」
「久しぶりだなルナ。俺のスイートハート、愛してるぜ」
「てめえはひとこともふたことも、余計なんだよ」
アズラエルの凄みが利く相手だったら、こんなに苦労はしなかった。ルナをめのまえにしたとたんに白い小さな手を取ってキスしたグレンに、アズラエルはビームでも出そうな眼力を向けたが、効果はゼロだった。
「今日も綺麗だね、ルナちゃん。そのドレスすごく似合うよ」
「ありがとう! ふたりとも、キラとロイドの結婚式に招待されたの?」
そんなわけはない。リサかミシェルなら二人を招待するだろうが、キラはこのふたりにはまだ、あまり面識がない。アズラエルには分かっている。このふたりがここにいる理由を――。
「いや、私たちは観光」
セルゲイが微笑んで言った。
「このレストランが美味しいって、ガイドブックにも載ってたから来てみたんだけど、結婚式で貸切りだっていうから、残念だねって話していたところなんだ」
セルゲイの嘘に、とくに不自然はなかった。ルナはうなずき、
「カレンたちはいないの?」
「カレンとジュリでデートしてるよ」
「で、おまえらは男二人でデートってわけか」
アズラエルが皮肉を言うと、グレンのこめかみがピシッと鳴った気がした。
「おい、イカレアゴヒゲやろう」
アズラエルの新たなあだ名ができたようだ。イカレアゴヒゲやろう。今度ケンカしたら言ってやろう。ルナは、ひとりでぷくぷく笑った。ボケウサギは数十秒後にその言葉を忘れたが。
「てめえをペッシェにくくりつけて、マルカじゅう走り回らせたっていいんだぜ?」
ルナは、それは大変だと思ったが、アズラエルは、
「ペッシェに乗ったのか? てめえのただでさえ薄い髪が向かい風にハゲ上がるさまが見たかったぜ」と反撃した。
ふたりが胸ぐらをつかみあっただけに留まったのは、セルゲイが閻魔顔をしたせいもあったが、第三者の存在が現れたからだった。
「ルナちゃん、キラちゃんのドレス、すごく綺麗だったよ。見てきたら?」
クラウドだった。エルウィンさんもいたよ、というクラウドの台詞に、ルナはふたたびウサ耳をピーンと立たせて、「グ、グレン! セルゲイ、ごめんね、またね!」と言って、クラウドが来た方へ駆け出して行った。
ルナの後を追うように――す、と警備員が動いた。それを見咎めたアズラエルとグレンを、クラウドが制した。
「心配しないで。あれは地球行き宇宙船の警察。このレストランでは、ルナちゃんは絶対にひとりにしない。廊下向こうにミヒャエルもいるから、大丈夫」
「あっカザマさんこんにちは!」というルナの元気良い声と、カザマの声が聞こえたので、アズラエルもグレンも、そしてセルゲイも安心して肩の力を緩めた。
「なにが観光だよ。ルナの様子見に来たんだろ?」
ルナがロビーからいなくなったのを見計らい、アズラエルが呆れ声でグレンとセルゲイに言うと、ふたりは当然だとばかりにうなずいた。
「あたりまえだろ。ルナがマルカに下りるって聞いたときはビックリしたぜ」
「ルナちゃんは、マルカに下りるのを禁止されていると思ってたしね」
「だれがおまえらに知らせたんだよ」
「カザマさん。ついでに言っておくと、バグムントさんとチャンさんも来てるよ。ふたりは、L20の軍隊のほうにいるけど」
セルゲイはそう言って、親指をレストランの外へ向けた。さっきの軍隊と、ふたりは行動を共にしているのか。
「私たちが何かできるってわけじゃないんだけど、じっとしていられなくて」
「俺たちも、結婚式が終わって、ルナが宇宙船にもどって、安全が確認されるまでこのあたりぶらぶらしてるさ」
「ヒマ人め」
「うるせえよ」
グレンとアズラエルはいがみ合ったが、アズラエルは帰れとは言わなかった。
「まあでも、もしかしたら、今回は大丈夫かもしれないね」
セルゲイが、顎に手を当ててつぶやいた。
「ただの勘だけど。私のルナちゃんセンサーが反応する様子はないし、それに、マルカは星全体が海だということもあって、自由な行動がしにくいと思う。メルーヴァに不利だと思うよ? この星は」
セルゲイの意見に、クラウドが同意した。
「うん。さっき、ミヒャエルとも話してたんだけど、俺も、彼女もそう思っている。この星は、メルーヴァには不利だ。まず移動手段がすくない。入星審査も厳しいし――それはまあ、アストロスやE353も同じだけど――とにかく、自由がきかない。色んな町も、入り口と出口が限られているし」
「こんなことを言うのは今さらだけど」
セルゲイは、遠慮がちに、言葉を選びつつ――言った。
「その、ルナちゃんがメルーヴァに命を狙われているっていうのは、……ほんとのことなんだよね?」
本当に今さらだ。今さら何をという目を、三人から向けられてセルゲイは、大あわてで両手を振った。
「あ、いや、ごめん。――でもさ、あまりにその、……信じられなくて」
信じられない――なかば疑っているのは、セルゲイだけではない。それはグレンもアズラエルもクラウドも同じだ。三人が、肩を落とすようにしてため息を吐いたのが、その証明だった。
ルナが、メルーヴァに命を狙われるという事態は、あまりに荒唐無稽で非現実的。それは、セルゲイだけでなくほかの三人も十二分に分かっている。今のところ、不確定要素が多すぎるのだ。
高等予言師だかなんだかが予言したからといって、はいそうですかと納得できるほど、この四人は素直ではない。メルーヴァが「ルナを殺害します」と予告状でも寄越せば信じられただろうが、予言だけでは現実味がない。
どちらかというと、目に見えぬものを信じようとはしないほうの彼らを、こうして動かしているのはルナへの愛情と、それからルナの夢や、周囲に起こる不可思議なことのせいだった。ルナの周囲に起こる出来事は、彼らの理屈ではどうも解決できないことが多すぎる。
「……まァ、セルゲイの言うことも分かる」
クラウドが、腕を組んで大きく嘆息した。
「俺だって、ミシェルのためじゃなきゃ、こんなに考えたりしないよ。でも、ミシェルの幸せには、どうしたってルナちゃんの存在は無視できないから」
「……」
「その予言がほんとうかどうかはまず置いといて、ルナちゃんの安全を確保するということは、ミシェルの安心にもつながるからね」
「ほんとうか、どうかか」
グレンも天井を仰いだ。
「そうだよなァ。メルーヴァが姿消して、L系惑星群のあっちこっちで戦争の火種ばらまいてンのは事実だが、それがルナをどうにかするってことと、イコールにはならねえしな」
「俺だってな、まともに考えてちゃ頭がパンクするぜ。だけど、ルナの安全が脅かされるってのは困る。それだけだ」
グレンの言葉をアズラエルがひろい、続けた。
「メルーヴァがルナを狙ってんのが本当なのかウソなのかはどうでもいい。俺はルナの安全を守るだけだ」
「うん……」
セルゲイは、複雑な顔で、それでもうなずいた。
「なァおい」
グレンが思い出したように、クラウドに聞いた。
「おまえの特殊GPSで、メルーヴァの居場所、割り出せねえのかよ」
クラウドは、「メルーヴァの情報が、圧倒的に少なすぎる」と肩を竦めた。
「あれは、衛星を使ったGPSのほかに、特定の人物のありとあらゆる情報をインプットして場所を割り出すんだけど、メルーヴァの情報が、少なすぎるんだ。一応、メルーヴァの情報はある程度入れているんだけど、マルカだけで、三人は、メルーヴァがいるよ」
「……使えねえなあ」
「おまけにね――メルーヴァはたぶん、このGPSの存在を知っている」
クラウドの嘆息に、男三人は「どういうことだ?」と詰め寄った。
「このGPSは、俺ひとりで作ったものじゃない。心理作戦部時代に、俺がL31の科学者と共同研究したやつだ。だから、俺が持ってるのと同じものが、L31にもある」
クラウドは、拳銃ホルダーの影から、GPSを取り出した。クラウドとアズラエルは特別に、レストラン内で、銃とコンバットナイフの所持を許可されている。
「GPSに関しては、これが今、L系惑星群で最先端だと思う。だからこれが、メルーヴァの追跡にも使われたんだが、結果だけ言えば、まるで役に立たなかった。遊ばれて、終わりだった」
「遊ばれた……?」
アズラエルが顔をしかめた。
「文字通り、遊ばれたのさ。メルーヴァはL系惑星群のあちこちに現れた。このGPSはそう表示した――まあ、それだけであれば、中途半端な情報のインプットのせいで、メルーヴァと似た容姿、背格好の人間を、メルーヴァと認識してしまう機械のほうのあやまりさ。でも、そうじゃない。このGPSがメルーヴァだと探知したとある場所に、特殊部隊が駆け付けたら、そこにあったのは“はずれ”と書かれた、人形だった」
「はあ!?」
グレンが叫んだ。
「人形だと!?」
「そう。――このGPSは、人間しか探知しないはずなのに。無機物は、いくら人の形をとっていても探知しない。なのに、それを認識したというのは、機械のエラーというより、わざと、メルーヴァが――“探知させた”。……その方がしっくりくると思わないか」
奇妙な寒気を、二人は舌打ちで、ひとりは深呼吸で誤魔化した。
「……L03の予言師は、そんなこともできるの?」
セルゲイのつぶやきに、クラウドは神妙な顔をした。
「俺はさ、もうずっとまえから、思っていたことがある」
「なにを?」
「L03の予言師ってのは、どれだけのことを予言できるのか――高等予言師は、日常の些細なことは予言できないが、世界を揺るがせる大事態は予言できるのだって。下級予言師は、逆にそういう、広範囲に影響を及ぼす事象の予言はできないけど、明日の天気くらいはわかる予知力がある。それが正確さを増せば増すほど、下級から中級へ上がるのであって、高等予言師と、下級から中級の予言師とは、まったく別物なんだってね。そして、サルーディーバとメルーヴァっていうのは、その両方の予言の能力を備えていて、特にメルーヴァは、千年に一度現れるということもあって、予言できないものはないとされている」
「……」
「考えたことはない? メルーヴァが、このGPSが完成することを予知していたら? このGPSが、自分の追跡に使われることを、予知していたとしたら?」
「気持ち悪ィこというなよ」
グレンが、顔を拭った。
「いや、それだけじゃない。もっと、細かなこともだ。L25の特殊部隊がL31のGPSをつかって、メルーヴァの探知をする。たくさんのメルーヴァが現れた中の、どのメルーヴァを捕らえに来るかも、いつ、何時何分に? どれだけの人数で? どんな会話をしたか? かれらの一挙一動を、すべて見通していたとしたら?」
人々の明るい笑い声がさざめくレストランのロビーで、この四人の空気だけが凍りついた。
「……それじゃ、俺たちが今こうして話してることも、やつには全部お見通しってことになるぜ。それも、だいぶまえからな」
グレンは言ってから、自分の言ったことの不気味さに、ガリガリと頭を掻いた。グレンの言葉は、四人が四人、思ったことと同じだった。クラウドの言葉から、連想したこと。
「……そうなのかもしれない」
「おい、クラウド」
「少なくとも、心にかけておくべきだと思う。俺たちが敵としているのは、ただの革命家じゃない――“予言師”だってことをね」
三人は、言葉を失って黙り込んだ。クラウドの言葉を軽く考えるわけにはいかなかった。だが、こちらのすべての行動を読まれてしまうというなら――実質、勝ち目は、ないではないか。
「予言師がなんだ」
深刻になった空気をぶち壊す声音で、アズラエルが唸った。
「カザマも言っていた――メルーヴァだってな、人なんだって」
メルーヴァとて人。捕まえようと思えば捕まえられる。
――殺せば、死ぬ。
「実体のない化け物を相手にしてンじゃねえ。メルーヴァをルナに、近づけなきゃいいだけだ。俺たちはそれができる、違うか?」
アズラエルの力強い言葉に、クラウドの、半ば絶望的になっていた顔にも、赤みが差した。セルゲイとグレンの目は、最初から揺らいでいなかった。
「おまえらがやらなくても俺はやる。……俺はメルーヴァにビビらねえ」
「アズは――そういえば、メルーヴァに会ったことがあるんだったね」
クラウドの言葉に、アズラエルは目を細めた。
アズラエルには信じられないのだ、いまだに。
なぜあのメルーヴァがルナを殺す? なぜ殺さなくてはならない?
マリアンヌがルナのために生きて死んだということを、逆恨みするような人間には見えなかった。
メルーヴァは、あのガルダ砂漠で、涙をこぼしながらアズラエルに告白したのだ。
ガルダ砂漠の戦争は、自分のせいだと。止められなかったことを恥じて。償わねばならぬと、泣いて。
償わねばならぬと口にし、泣いたメルーヴァが、姉の償いを理解できないとはアズラエルは思わなかった。
そうだ。アズラエルは納得していない。
メルーヴァは、いくらマリアンヌを愛していたとはいえ、逆恨みでL77の少女を襲う人間ではない。そんな私事に走る人間が、革命を成功させ得るわけがないのだ。
――なにか、ある。まだ、だれも分からない理由が。
その理由は、メルーヴァ本人に聞かねば分からないことなのかもしれない。
アズラエルがいたたまれなくなるような純粋な瞳で。アズラエルとグレンの幸せを願うと――アズラエルが宇宙船で出会う少女の幸せも願うと、そう言ったのだ。
メルーヴァがなんでも見えるというなら、アズラエルが宇宙船で出会う少女がルナだということも、見えていたのではないのか?
(俺は、信じない)
きっとほかに、なにか理由があるはずだ。話し合えれば、もしかしたら、ルナの殺害は止めることができるかもしれない。
アズラエルは、そう考えずにはいられなかった。
「ルナちゃん、久しぶりねえ!!」
「お久しぶりです! うわーおばさん、変わってない!!」
「そんなに変わるわけないじゃない。まだ半年よ! でもルナちゃんは変わったわねえ。美人になった!」
ルナがエルウィンに会うのは、およそ半年ぶり――。ルナたちが宇宙船に乗るとき、L77の駅まで、見送りに来てくれた。それ以来だ。
「キラが宇宙船に乗ってまだ半年だなんて、信じられないわ。すごく長かった気がするの。でも、たった半年で結婚まで決まっちゃうなんてね。たった半年! そんなふうにも思っちゃうのよ」
キラほどとは言わないが、相変わらず彼女も華やかだ。
ド金髪のショートヘアに、赤いカラーのエクステンションをいくつかつけ、化粧も、ルナの母親と比べてずいぶん濃い。キラほどエキセントリックな化粧はしていないが、アイラインをくっきりと描き、シャドウはグラデーションを深くつけて、つけまつげも忘れない目元の凝った化粧は、キラと同じだ。ドレスは銀色。どこかの歌手の、ステージ衣装のようだ。だがそれが、エルウィンに似合っていた。
「ほんとに、ありがとうね、ルナちゃん。キラのそばにいてくれて、ありがとうね」
エルウィンは、化粧が崩れるからあまり泣きたくないわねといいながら、もうすっかり目を腫らせていた。
七色に輝く特殊な生地で作った、花のコサージュと星がちりばめられた派手なドレスと、ティアラにくっついたベールをひらひらさせ、キラは苦笑した。
「母さん、マルカで会ってから、泣きっぱなしなんだもん」
キラとロイドは、昨日からマルカのホテルに泊まっていて、おとついマルカに到着したエルウィンと、水入らずの時間を過ごしたのだった。
「だって、ロイド君、ほんとうにいい子だったし、――メアリーさんたちも、ほんとうにいい方たちで……!」
そこまで言って、またエルウィンは喉を詰まらせた。
エルウィンは、到着初日に、メアリーとパドリーと、キラとロイドとともにマルカで食事会をしていた。メアリーはエルウィンの母親と同年代だったので、まるで母親のようだと、エルウィンは泣いたのだった。エルウィンはL19を出てから、何十年も母親と会っていない。




