160話 キラとロイドの結婚式 Ⅰ 3
クラウドとミシェルが最初に話しかけてきたマシンに、アズラエルとルナが、うしろに待機している、同じ移動用マシンに乗った。
アズラエルがパスカードを機械の上に置くと、
「認証シマス。E.S.Cアース・シップ・MJH号船客、アズラエル・E・ベッカーサマ。エルミネイシュ=タイプ・アースL18(P)――認証サレマシタ」
音声が流れ、
「ゴ利用アリガトウゴザイマス」
料金表示はゼロを表示した。リリザの入星パスカードも地球行き宇宙船持ちだったが、マルカにおいてのサービスは、リリザ以上だ。
「このパスカード、使い放題かよ」
「すごいね」
「食事もホテル代も、こいつがあれば、一定の金額までは無料だ。停泊期間は一週間だからって、サービスしすぎじゃねえか」
リリザの停泊期間が延びたために、マルカの停泊期間が短縮されたらしい。本来なら、マルカの停泊期間は二週間だったそうだ。
「出発イタシマス。シートベルトヲ装着シテクダサイ」
シートベルトは自動的にシートから出てきて、ルナとアズラエルの腰と胸元をベルトでガードした。マシンは人ごみを縫うように、すうっと動き出した。宙に浮いて、泳ぐように人の波をかき分けていくさまは、まるで魚だ。
振動は少ないが、ゆらゆらと遊園地の遊具のように揺れが激しいので、「こりゃ、酔う奴もいるかもしれねえな」とアズラエルは笑った。一応ルナの様子を伺ったが、きゃっきゃとはしゃいでいたので、心配の必要はなさそうだった。
「B通路ニ入リマス」
ドーム型の施設から、八方向に伸びた回廊の、左から二番目の入り口に、マシンは入って行った。ガラス張りの回廊を、悠々と泳いでいく。
「B通路、進行中」
マシンがしゃべった。
通路は、自動車が三台、並列に走れるくらいの広さだ。ジェットコースターのように通路は上向きで、わきに歩道と思われる階段はあったが、ひとがここを上っていくには相当の労力がいりそうだった。マシンに乗って正解だ。Gがかかって、ルナとアズラエルの背は、ぺたりとシートの背に押さえつけられた。
「すごいアズ! でっかいおさかな!!」
「あれは魚っていうより、サメだな」
大きなサメが大口を開けてルナたちのほうを向いていた。マシンは、一瞬でサメの前を過ぎたために、ルナが身をすくめただけで終わった。ルナは振り返ったが、サメの後ろ姿が見えただけだった。
「B通路、3地区ニ入リマス」
「あっ! アズ、海の上へ出る!!」
ルナの声で上を見上げたアズラエルは、マシンのフロントガラス越しに、水面の揺れと水面に入ってくる光を見た。それも一瞬のことで、すぐに水面は視界の下になった。水上へ出たのだ。
「はわあ……!」
ふたたびのルナの歓声。先ほどのドーム状の施設より、一回り小さい場所に入り、また人の波をマシンは泳いでいく。水上は、晴れていた。ドームの外には、ルナたちがさっき通ってきたような透明の通路が、高速道路の環状線のように幾重にも張り巡らされている。ルナたちは水中から上がってきたが、逆に水中に入っていく通路もある。
「ルート5ニ入リマス。ソノ先右折」
前方に、クラウドとミシェルが乗っているマシンが見えてきた。ミシェルが手を振っているので、ルナも振り返した。
「ゴ気分ノワルイオ客様ハイラッシャイマスカ?」
いきなりマシンが言い、ダストシュートがぱかっと開いて、中にエチケット袋が入っていた。酔うやつは、間違いなくいるだろう。ルナはケラケラと笑い、アズラエルが片眉をあげて「大丈夫だ」というと、ダストシュートはまたガシャン! と乱暴な音を立てて閉まった。
それにしても、ずいぶんと道が入り組んでいる。
「アズ、あたし、自力でもとの場所に帰れる気がしないよ」
「心配するな。俺もだ」
アズラエルは、このマシンで酔ってしまって、目的地までたどり着けない場合はどうするんだとなんとなく思ったので、「これ以外に、乗り物ってねえのかな……」とつぶやいた。
すると、マシンが反応した。
「“ペッシェ・ヴォランテ”以外ノ乗リ物ハ“バレーナ”と“スクアーロ”ガアリマス。スクアーロハコチラデス」
パッと画面が表示され、小型バスのような乗り物が、3Dで表れた。バスにしては四角くはなく、どちらかというとサメの形に似ている気がする――と思ったら、その実物が横を通り過ぎて行った。やはりバスの大きさだった。ルナとアズラエルが乗っているペッシェ同様、タイヤや車輪の類はなく、宙を飛んでいる。修学旅行だろうか、制服を着た子どもの集団が騒いでいた。
「スクアーロハ比較的揺レモ少ナク、車内ニGガカカリマセンノデ、オ子様モオ年寄リノ方ニモ安心シテゴ乗車イタダケマス。シカシ各駅停車シマスノデ、目的地マデノオ時間ヲ短縮シタイ方ハペッシェヲドウゾ」
ペッシェはこれか、とアズラエルは車体を叩いた。
「じゃあ、バレーナってのは?」
「バレーナハ大型客船デス。オモニ、海上ヲ走リマス」
クジラと名のついた船は、巨大客船だった。どちらにしろ、最初の施設は水中で、水上を走る巨大客船の乗り場はなかった。シャインか、スクアーロか、ペッシェか、というところか。
3Dの画像を見、アズラエルが「……ペッシェでいいか」と嘆息すると、「ゴ乗車、アリガトウゴザイマス」と返ってきた。
ルナはまたケタケタ笑った。なんでも笑いたい年ごろなのだろう。どちらにしろ、元気が出たのはいいことだ。
「左折ノチ、右折シマス。到着マデ、アト十五分デス」
ペッシェが泳ぐ通路は、また水中深く潜っていった。
ずいぶんと深く降りていく通路はやがてガラス張りではなくなり、普通のトンネルになった。トンネルを五分ほど走っただろうか。
「五番ストリートB358764、到着シマシタ。レストラン・パルボッカマデ三分」
ペッシェの音声と同時に、トンネルを抜けて街へ入った。
ルナの、何度目か分からない歓声。レンガ造りの賑やかな街並みが、そこにはあった。地上と変わりのない風景だ。だが驚くのは、空が海であるところ。かなり上空を、雲ではなく魚が流れ、泳いでいた。
「アズ! アズ! アズ、あれ!!」
「分かった。おまえの言いたいことは分かった」
空は、キラキラと光が差し込む水面だ。おそらく、水上からはこの街が見下ろせるのだろう。水中都市とはいっても、水面がはるか上空にあるので、圧迫感はない。
ルナが興奮状態のうちに、ペッシェは大きなレストランの前で停車した。
結婚式場であるレストラン・ポルバッカは、緑と金の外壁の、宮殿のような装飾で、ホテルと間違えてもおかしくない外観だった。
「レストラン・ポルバッカ前デス。ゴ利用、アリガトウゴザイマシタ」
アズラエルが先に下りた。首が痛くなるほど全力で真上を見上げていたルナは、下りてから、ぺたりとしゃがみこんだ。
「アズ、ジェットコースター乗ったあとみたい……」
目が回る、というルナに、「抱っこしてやろうか」と半分本気で行ったら、ルナは立ちあがってすたすた歩きだした。どことなく斜めに傾いているが。抱っこは嫌らしい。
レストランに入っていく、ドレス姿の女性たちやスーツの男性陣は、結婚式の招待客だろう。ミシェルとクラウドの姿はない。もうレストランの中へ入ったのだろうか。
「あれ?」
ルナは、ぐるぐるしている眼球で、予想外の人物を見つけた。
「デレク」
相手も、ルナたちの姿を見つけて破顔した。
「やあ! こんにちは。ルナちゃん、このあいだはありがとう……って、アズラエル、怖い顔しないでくれよ」
デレクの苦笑は無理もない。アズラエルの顔は完全に不審丸出しだったのだから。
「よう。このあいだは世話になったな」
「世話になったって顔じゃないよアズラエル……」
アズラエルの凶悪顔は、先日の、マタドール・カフェのパーティーであった出来事が原因だ。デレクもルナも、他意はなかった、ほんとうだ。やましいことなどなにひとつなかったが、ふたりきりで、暗がりでこそこそしていた(アズラエル視点)という事実は、誤解を生むにはじゅうぶんな状況だった。
「いや、もうほんと誤解だからさ、あれは……」
デレクとルナが、いくら弁明してもアズラエルは疑わしい目を向けてくるだけだった。ふたりしかあの場にはいなかったので、アリバイを証明してくれるだれかはいない。
アズラエルも、ふたりの必死な説得で、一応は納得したはずだったのだが。
「あ、あの、もう行くね? 俺も時間だから……」
「デレクも、キラの結婚式に招待されてたの?」
ルナが聞くと、デレクは「いや、招待ではなくて」と言った。
「キラちゃんに、結婚式でカクテル作ってくれないかって依頼されて。それで」
「そうだったんだ」
じゃあ、今日はデレクのカクテル飲めるんだね! とルナが嬉しそうに言うと、デレクは「ちゃんと薔薇のリキュール持ってきたからね」と笑い、「じゃあ、またあとで」とアズラエルにも苦笑を返して、あわただしく裏口へ走って行ってしまった。
「あの野郎……逃げやがって」
「アズ、ほんとのほんとに、なんにもなかったですよ?」
ルナがおずおずと言い、アズラエルの指を握ると、アズラエルがルナの小さな手を握り返してきた。痛いくらいに。
「何かあったら、これじゃすまねえよ」
ルナは、ウサギ口で困った顔をしていたが、突如、ウサ耳がピーン! と立った。クラウドが居たら、間違いなく「カオス……」とつぶやくであろう状態。
ルナは、デレクに会ったがために、思い出したのだ。
「アズ、アズアズアズアズアズ!!」
「なんだ? どうした」
アズラエルの不機嫌も、うさ耳の立ったルナには効かない。
「忘れてた! ほんとに忘れてたよあたし!」
「なにが」
今さら忘れ物か? あきらめろと言ったアズラエルに、ルナはぶんぶんウサ耳を振った。
「ちがうよ! 今日、キラのママが来てるの! エルウィンさんが、来てるの! マルカに!」
それがどうしたと言いかけたアズラエルも思い出して、こちらはライオンのたてがみがバッと開いた――わけはなかったが、「ああ、忘れてた俺も」と舌打ちした。
以前、アズラエルはルナに約束したのだ。
キラの母エルウィンと、デレクを会わせる――ルナの計画に協力すると。それは、リリザでした約束だ。
ルナの夢の話から、デレクとキラの母親エルウィンが、もしかしたら、L19で同じ軍隊にいたかもしれない――エルドリウス直属の部下として――という可能性があった。
キラが結婚するにあたって、心配していたのは母親のことだった。キラが結婚し、ロイドともに地球に行くにしろ、L5系の星に行くにしろ、母親をL77の実家にひとりにしてしまうことを、キラは、それはそれは心配していたのだった。
あのころは、ロイドがジェニファーたちと地球住まいをするか、L52に行くと言っていたために、キラの心配があったのだが、今はロイドのほうが、L77でキラの母親と一緒に住もうと言っているので、その心配はなくなったかもしれないのだが。
ルナが、エルウィンとデレクが知己かもしれないという夢を見たのは、キラの心配が大きかったころだった。だからルナは、エルウィンが寂しくならないように、デレクと再会できればいいんじゃないかと、単純に考えたのだった。
普通なら、L77にいるキラの母親と、地球行き宇宙船にいるデレクが会うことは不可能に近いのだが、今日は、デレクとエルウィンが同じ惑星にいるという、千載一遇のチャンスだ。
アズラエルも、「会わせることができるかもしれない」とルナに言ったのは、キラとロイドの結婚式が予定されていたからだ。その場なら、エルウィンが来る可能性もあった。そこにデレクを呼ぶのは、難しいことではない。
今日、キラがデレクを結婚式場に呼んだのは偶然だとしても、今は、デレクとエルウィンが会うことは、困難なことではないだろう。同じ会場にいれば、顔をあわせることはできる。
「だけどなあ、ルナ」
アズラエルは考える顔をした。
「二人が会ったからって、恋人同士としてくっつくかどうかってのは、別の話だぞ? 久しぶりだな、で終わる可能性のほうが高い」
アズラエルの言うとおりだった。
ルナが夢で見たのは、デレクとエルウィンが同じ部隊にいて、エルドリウスの部下だったということ。そして、キラが、エルウィンと地球行き宇宙船に乗っていたらという「もしも」という形の夢で、デレクとエルウィンがマタドール・カフェで再会し、昔話に花を咲かせるという、たったそれだけに過ぎない。
あの夢で、ふたりが恋人同士になったとか、結婚しただとかいう結末は、見ていなかった。
デレクとエルウィンは、ただの同僚であっても、何十年ぶりかに偶然出会って、一発で互いが分かるほど親しかったのだとしても――恋人同士だったという可能性は低い。
デレクには婚約者がいたのだということを、ルナは先日知ったばかりだ。十年前に別れた、十年来の婚約者ということは、デレクがエルウィンの同僚だったころ、デレクはすでに婚約者がいたということ。つまり、エルウィンとデレクはただの同僚で、それ以上でも以下でもない。
同期であれば、懐かしさに旧交を温めるくらいはするだろうが、アズラエルの言うとおり、恋人同士になるところまで発展するかというのは、別問題だった。
「うぅ……」
ルナはふたたびウサギ口になったが、もっと問題はある。
もし――もしもの話だ。たとえばエルウィンとデレクが、結ばれるさだめであったとしても、現実のエルウィンには限られた時間しかない。エルウィンがデレクと旧交を温められる時間は五日しかないのだ。
地球行き宇宙船が、マルカに停泊する期間はあと五日間。エルウィンは、ルナの夢の中とは違い、今は宇宙船の船客ではないから、宇宙船に乗れない。
もしも、これからゆっくりふたりが分かりあって、愛情を育てていくことになるとしたなら、五日間は短すぎた。せっかく縁があっても、交流が、五日しか許されないなんて。
でも、エルウィンには、地球行き宇宙船のチケットを買うだけのお金はない。地球行きの宇宙船チケットは、オークションで一億デルの値がつく。L77で平凡に暮らしている家庭に、チケットを落札できる資産などあるわけはない。ルナたちだって、チケットが当選しなければ、宇宙船には乗れなかった。
エルウィンがマルカに来るのだって、旅費は往復百万以上もかかっただろう。マルカ自体、簡単に来られる距離ではない。エルウィンは、キラの結婚資金にと貯めていたお金でここまで来たのだ。
「アズ」
「ン?」
「……やっぱり、エルウィンさんが地球行き宇宙船に乗るには、チケット買うしかないんだよね?」
「……そうだな。あるいは、デレクと結婚するか、か?」
地球行き宇宙船の役員と結婚すれば、乗れるらしいが。でも五日でそこまで話が進むかどうかを考えると、楽天的なルナでさえ無理だと思った。
「アズ、だれか寄付してくれそうな人いない?」
「一億か? はは、無理だろ」
アズラエルはおざなりに返事をした。道路向こうに、華やかな商店街に違和感丸出しの軍人の影が、見えたからだ。あれを、ルナに見せるわけにはいかない。この子ウサギは、ボケウサギでいて、妙に勘がいいところがある。
「おいルゥ。こんなところでくっちゃべってないで、入るぞ。キラのおふくろさんが気になるのはわかるが、今日はキラとロイドの結婚式だぞ」
「あ、うん。そのとおりだ」
ルナは、アズラエルに肩を抱かれるようにして、レストランへ入った。入った途端に、向こうの道路で軍隊が移動し始めたので、アズラエルはヒヤヒヤした。あのままあそこにいたら、確実にルナの視界にも入っていただろう。




