160話 キラとロイドの結婚式 Ⅰ 1
ルナが立っているのは夜の遊園地。コーヒーカップのまえだ。ルナは、この光景に覚えがある気がした。
そうだ。ここは、夢の中で初めてエレナ――黒ネコに会った場所だ。
急にリンゴン、リンゴン、と教会の鐘の音がして、ルナはコーヒーカップのほうを見た。そこにはスポットライトを浴びた、今から結婚しますよといった様子の――、
ゴリラ?
ルナは目を擦った。
白いタキシードを着たゴリラと、まっしろなウェディングドレスを着た、七色のネコ。ふたりが幸せそうに、指輪交換を――しようとしたところで、ルナは叫んだ。
「キラ!! ロイドと結婚するんじゃないの!? そのゴリラ、どうしたの!?」
ルナの絶叫に、ゴリラもネコも驚いてルナのほうを見た。そのとたん、閃光。ルナが眩しくて目をつむっている間に、コーヒーカップから二人の姿が消えた。
(――キラ!)
どうしちゃったのキラ、ロイドはどうしたの? そのゴリラは何者!?
キョロキョロあたりを見回し、キラたちを探したルナは、コーヒーカップの影から、すすり泣きの声を捉えた。そちらの方へ、反射で走った。
コーヒーカップの影でうずくまり、泣いていたのはゴリラでもネコでもなく、チワワだった。後ろ姿からして、スーツを着ているように見える。ずいぶん、立派な格好をしたチワワだった。
まさか、ロイドだろうか。結婚直前に、ゴリラにキラをさらわれてしまったのだろうか。ルナはあわてた。
これは、なんの夢?
キラとロイドの結婚式前に、なんて縁起の悪い――。
ロイド、とルナが近づいて声をかける前に、チワワは怒鳴った。
「僕のことなんか放っておけ!」
涙まみれの顔で彼はルナを睨み、再度叫んだ。
「どうせおまえも金目当てなんだろう! それか、僕に利用価値があるから親切にするだけだ。だれも信じられない、はやくあっちへ行け!」
これは、ロイドじゃない。ルナは直感でそう思った。ロイドじゃない。
では、このチワワはだれ――?
ルナ自身は困っているのだが、まるでルナの身体を借りてだれかがしゃべっているように、穏やかな声が口から出た。ああ、これはピンクのウサギだ。ルナは勝手に、彼女がしゃべるのに任せることにした。
「あらちがうわ。わたし、あなたに伝えたいことがあって」
「なんなんだ。ウサギのくせに」
「あなたの弟さんは、あなたを真実、愛しているわ」
それを聞いたチワワは、不思議そうにルナを見上げ、それからまた睨んできた。
「僕は、アイツが嫌いだ」
「そうね。でも彼は、あなたを愛しているわ。たったひとりの兄弟ですもの」
「……」
「あなたのおばあさまも、あなたの弟も、あなたを愛しているわ。あなたのことを、見返りなく愛してくれるのはきっとこのふたりだけよ」
「……嘘だ」
チワワは、力なくつぶやいた。
「だっておばあちゃんは、アイツのことだけを愛していたもの……」
ルナは首を振った。
「あなたのことだって、愛していたわ。でも、あなたには近づけなかっただけ」
ルナはポケットから五枚つづりのチケット――もう残りは三枚になっていたが――一枚を彼に差し出した。
「あなたが小さな子犬のように怯えているのと同じように、あなたの弟もまた、怯えているのよ。分かるでしょう? まだ、間に合うわ。あなたから歩み寄れば」
チワワは差し出されたチケットをちらちらと眺め――そして下からすくい上げるようにルナを見た。そして、恐る恐るといった体でチケットを受け取り、うずくまったままじっとそれを見つめた。
「あなたに、幸せがありますように」
「……ほげ」
ルナは、ぼんやりと目を覚ました。
「だからね! たいへんなの、キラがゴリラにさらわれるの!!」
ルナの興奮状態はじゅうぶん周囲に伝わったが、意味は伝わらなかった。唯一、最低限の理解を示してくれたのはクラウドだけである。
「ようするに――ルナちゃんの夢は、七色のネコ、つまりキラちゃんと、見たことのないゴリラが、結婚式をあげていたというか――指輪交換をしていたって、ことだね」
いつもべったり引っ付いてくるクラウドがルナで足止めされているために、ミシェルは実に晴れ晴れとした顔でクローゼットを漁り、ドレスに合わせるアクセサリーを選んでいた。このあいだから、白だのピンクだの、色に関して細かいことを言ってくるクラウドは、ミシェルには非常に邪魔だった。
アズラエルはシャワーに逃げ込んでいた。朝っぱらから、ルナの、「キラが浮気する!」という現実味のない話に付き合わされて、懲りたのだ。
話は聞くと言った。たしかに言った。ルナの悩みごとならいくらでもきくが、今日結婚式を挙げる、ラブラブなはずの友人カップルの修羅場を予言されたほうは、たまったものではない。
「そうなの……ゴリラなの……」
こんな大変な夢を見たときに限って、いつも謎解きをしてくれるアンジェリカは連絡が取れなかった。
クラウドしか相談相手はいない。クラウドも分析はしてくれるが、アンジェリカほど、夢の中身を正確に推理してくれるわけではない。
でもルナは、キラが心配で、黙っていられなかった。
「でもルナちゃん、キラちゃんがゴリラにさらわれるっていうのは早合点かもしれないよ?」
「え?」
クラウドは蝶ネクタイの金具をパチリととめた。目線は鏡だ。ずれていないかどうか。
「だって、指輪交換をしていたってことは、キラちゃん――仮に、キラちゃんとしておこうか。キラちゃんが嫌がってなかったってことになる。俺がルナちゃんの話を聞いているかぎりでは、それはゴリラと七色のネコが両思いの、幸せな結婚式にしか思えない」
「じゃあ――キラは――ロイドを裏切って、ゴリラと結婚するの?」
「今のところ、そんな予想すら立ちはしないね」
クラウドはスーツの襟もとも、ぴしっと整えながら続けた。
「じゃあ俺からもルナちゃんに質問。俺の知ってる範囲じゃ、キラちゃんにはいまでも交流のある元彼はいない。ロイドと並行してつきあっていた男もいない。キラちゃんをロイドから奪おうとするほど、横恋慕していた男ってのも、見当がつかない。悪いけど、キラちゃんの趣味に相手の方がついていけなくて、フラれることが多かったわけだろ? ルナちゃんには、キラちゃんを浚うゴリラがだれか、分かる? ゴリラで連想できそうな人物が、キラちゃんの身近に、いるかな?」
「……。……いない」
それはルナも、朝からずっと考えていたことだ。キラの知り合いで、ゴリラに当てはまる人物など、ルナにはまったく思い当たらない。
キラのともだちは女性が八割だし、先日マタドール・カフェに来ていた人物も、ゴツさでいったらアズラエルが最上級。アズラエル以上の野性的な男は見当たらなかった。あの場では、クラウドすら体格が良かった方だ。いかにも草食系といった、痩せたひょろ長い男性ばかりいても、ゴリラと表現できるような男性は皆無だった。あそこにいたのはヤギとか小ジカがせいぜいである。
ゴリラ――ラガーの店長、とか。ルナが小声でつぶやくと、クラウドは小さく笑った。
「オルティスは、ワニだよ」
「へっ?」
「オルティスのZOOカードは“シェイカーを振る大ワニ”。彼はちがうな」
それに、キラちゃんとの接点はないに等しい、とクラウドは付け加えた。キラはラガーに行ったことはないし、バーベキューパーティーにも来なかったのだから。
「クラウド、いつ店長さんがわにだって知ったの?」
「このあいだ、アンジェと会ったときにね、――ZOOコンペのとき。俺たちの仲間で、教えてもらえる分は、聞いておいたんだ。のちのち、役に立つかもしれない」
「役に立ったよ! いま!!」
「そうだね」
クラウドはうなずいた。
「まあ、ルナちゃんの夢はいつも、分かり易い形で構成されているけど、目に見える形が、未来を表してるんじゃない。夢って言うのは大概、比喩的なものだからね」
「比喩?」
「そう。たとえば母親は自分の母なる部分を示しているとか、父親は自分の父なる部分を表すとか。だから、ルナちゃんの夢がストレートにキラちゃんの裏切りを表すとは考えにくいよ。現実的に考えても、合わない。それに、泣いていたチワワっていうのも気になる。ゴリラとネコとチワワは、一緒くたに考えるべきじゃないかな」
「うん……」
「ロイドは“介護士のチワワ”だけど、ルナちゃんはそのチワワが、ロイドではないと感じたんだろ?」
「うん……直感だけど」
「直感は、けっこう大事だよ。それが一番の正解を示していることが多い。だから、俺の見立てでは、今日のルナちゃんの夢は、キラちゃんやロイドとは、まったく関係のない別の人物のことを示唆していると思う」
「――え?」
キラには、関係ないの?
「だ、だったら――安心するけれども……」
「一見、キラちゃんがロイドを裏切って、ゴリラと結婚して、ロイドが涙するって公式に見えるけど、まったくべつのことを教えているのかもしれない。――だけど俺も、アンジェリカではないしね。もっとずっと、未来のことなのか――でも、ルナちゃんの夢は、近未来が多いしな――まあ、今日の会場で、ゴリラっぽい男がいないかどうか、気を付けて見ていることにしようよ」
「う、うん! そうする!」
ルナはやっと安心したのか、ほっとした顔を見せて、リビングへ駆けて行った。アズラエルはとうに匙を投げてシャワーに逃げ込んだが、とりあえずクラウドは、ルナの心配を取り除くことには成功した。納得さえすれば、ルナだって安心するのだ。
「ほんと、ルナちゃんて」
クラウドは、ルナの丸い後ろ姿を眺めて、呆れたようにつぶやいた。
「自分の心配が先だろ――キラちゃんの不確かな浮気のまえにさ」
だが、忘れている方が、ルナにはいいのだろう。いらぬ緊張を強いるよりは。
クラウドはそう思って、ハンガーにつるしていた拳銃ホルダーを装着した。




