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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~エキセントリックな子ネコと介護士のチワワ篇~ 
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158話 布被りのペガサス Ⅳ 3


「エルドリウス!」


 シルビアの叱責も聞かずにエルドリウスはずんずん歩く。大柄な自分を、ほとんど背丈の変わらないエルドリウスが抱きかかえるなんて、思いもしなかった。


 瞬く間に階下に降り、フライヤのバッグを手に取り、フライヤ自身も抱えたまま玄関を出た。バルコニーから、シルビアが叫んでいる。


「エルドリウス! 許しませんよ! それからフライヤ! 決して、決してわたしは、あなたのことが嫌いとかではないの! 本当よ! わたしはあなたがかわいそうで、それで言っているの! この男にだまされたら泣くのはあなたで、貧乏くじ引くのはわたしなのよ! お願い! あなただけはこの男にだまされてもわたしにナイフを突きつけないでね! わたしは、ほんとうにこのバカとは何の関係もないのよ! 赤の他人よ! お願いよ! わたしに八つ当たりしないで、もうっこの女たらし!!」


「聞かなくていい、フライヤ」


 エルドリウスは、最初からなんら変わらない柔和な笑みでフライヤに微笑み――この笑みを、宇宙船にいるライオンあたりが見たら、どこかのパンダと同じくらい胡散臭(うさんくさ)い笑みだと言ったにちがいないが――フライヤを強引に助手席に乗せて車を発進させた。


「ほら、シートベルトして」

「え? あ、は、はい……」

「うん、スペース・ステーションまで二時間くらいかな」


 さっき、一時間しか時間がないと言ったエルドリウスはどこかへ行ったらしい。柔和な笑みと、穏やかな(表面上は)会話でフライヤは、スペース・ステーションまで送られた。


 スペース・ステーションまで送られたら、さようならだと思っていたフライヤの思惑は外れる。時間がないと言っていたエルドリウスは、なんと駅構内までついてきた。そして言い放った言葉がこれだ。


「まだ出発時間までには早いな」


 ステーションのカフェで、出発時刻まで三十分ほどふたりで時間を潰し――この時点で三時間は平気で経っていたが――改札までフライヤを送ったエルドリウスは、「では、またね」と言った。


「ど、どうも――」


 結局、何しにここまで来たのか。展開に、思考がついて行かないフライヤが、会釈して行こうとすると、突如腕を引っ張られた。


「!?」

「君が今度紅茶を受け取ったら、プロポーズを受けてくれたと僕は思うからね?」

「……っは、わわ?」


 至近距離の整った顔に、フライヤは跳ね上がった。


 エルドリウスは、宇宙船出航のアナウンスが響いてやっとフライヤを離した。


 フライヤはひったくりでも追いかけるようにあわてて改札を抜ける。まともに挨拶もできなかった。

 そこから、どうやって家まで帰ったか、フライヤは思い出せないのだ。どうしても。


 さいごに、エルドリウスがなにを言ったかも。





 帰ってからの一週間は――平和だった。


 エルドリウスからの贈り物はぴたりとやみ、一度だけ、薔薇の花束といっしょに、また紅茶缶が送られてきた。フライヤは、複雑な心境ながら、それを受け取った。


 そして。

 フライヤが、三日の出張に行っているうちに、それは起こった。


「どう――なってるの」


 以前オリーヴとコンビを組んだ任務と同じかたちで、フライヤがホテルで監視カメラを切る任務――を成し遂げて、自分の家に帰ってきたフライヤを待ち受けていたものは。


 まず、家が、なくなっていた。

 なくなっていたというか、空き家同然になっていた――家財道具一式、どこにもなかった。部屋はもぬけの殻。母親も、いなかった。


(まさか)


 家賃は払えていたはずだ。まさか、母親がべつの借金をこしらえていたとか、まさか。

 悪い想像ばかりが脳裏を駆け巡ったところで、大家の姿を見つけた。


「お、大家さん!」

「おやフライヤ! 忘れた荷物でもあったのかい」


 想像を絶する光景に、フライヤは耐え切れなくなって大家に泣きつきかけたが、大家の顔は明るかった。


「結婚すんだってね、おめでとうさん!」

「――え?」


 寝耳に水だ。フライヤは絶句し、大家の次の言葉に、今度はアダム・ファミリーの事務所に向かって駆け出していた。


「L19の金持ちだって? いいねえ……やっとお母さん、楽させてあげられるんじゃないか。少ないけど、あたしも少し包んどいたよ。お母さんから受け取ってね」


「アダムさん!!」


 出張先から直帰だったフライヤは、三日ぶりにアダム・ファミリーのアジトへ駆け込んだ。そこにはひさしぶりにアダム・ファミリーのメンバーが顔をそろえていて、なぜか、オリーヴが目を真っ赤に腫らせて泣いているのだ。急に鳴ったクラッカーの音に、フライヤは言いかけた言葉を失った。


「おめでとう!」


 アダムもエマルも、笑顔でフライヤの肩を叩く。まさか、ここでも結婚の事を。なにがいったい、どうなっているのだ。母はどこへ行ったのだ。どうして、なぜ、結婚の話が、もはやきまったかのように――。


「L20の軍勤務、決まったんだってな!」

「は?」


 ボリスとベックの祝福に、フライヤはあんぐりと口を開けた。


「っ、ひぐっ、なんでだよう~! やだよう~! フライヤ~!!」

「バカタレ娘! 友達の門出を笑顔で送り出してやんなくて、どうすんだい!!」


 そういうエマルも、涙ぐんでいる。


「短い間だったけど、楽しかったよ。あんたはとってもいい子だったしねえ。あっちに行っても、達者でやるんだよ。L20には、うちの息子もいるからさ、なにかあったらすぐ頼りな。あんたのことは言っておくから……、」

「エ、エマルさん!」


 フライヤは、なにをどう聞いていいのか――自分でも、事態を把握しきれていないのだ。結婚? L20の軍勤務? 

 意味が分からない。自分のいないところで、いったい、なにが起こっていたのだ。

 名を呼んだきり、口を(つぐ)んだフライヤの肩を、エマルは落ち着かせるようにさすった。


「急なことだとは思うけどね、でもやっぱりあんたは、傭兵グループで終わるような子じゃないよ」

「そうだ」


 アダム・ファミリーの面々は、とっくにウィスキーをあけて出来上がっていた。アダムも、酔っぱらったいい気分の顔で大きくうなずいた。


「オリーヴからずっと話は聞いてたがよう、おめえを雇って、俺もようく分かった! おめえさんは、軍のほうが、才能を発揮できると俺ァ思うぜ」


 アダムはずいと、酒臭い顔をフライヤに近づけて、

「おめえさんは、少将になるんだ!」

 と叫んだ。


「うおおおお!!」という、多分意味の分かっていないボリスとベックの雄たけびが聞こえた。

「――へ?」

「こればっかは、おかしなこと言ってると思うけどねえ」


 エマルは首を傾げつつ、「ありゃ? 大佐だったかな? 少将じゃなかったっけか?」と同じく首を傾げている夫を奇妙な目で見ていた。


「エルドリウスさんから、あんたをL20の軍に入れるって話を聞いたときから、なんかおかしいんだよ。あんたが大佐だの、少将になるだのへんなことばっかいって。そりゃあ、L20はL18とちがって、傭兵でも軍に入れるよ。でも傭兵編成の特殊部隊か、庶務部とか、うまくいったって軍曹あたりが関の山だよ。大佐なんて、なにをいってるんだか」


 黒幕は、エルドリウスか!!

 フライヤは、絶叫しそうになった。


「ほら! あんたら、早く別れを惜しむんだよ! あと一時間しかないんだから!」

「あ、あと一時間……?」

「そうだよ! エルドリウスさんがあと一時間で迎えに来るんだから。そうしたらあんた、もうL20に出発だよ!」


 フライヤは、開いた口がふさがらなかった。


「ひでえよフライヤ! こんなに早く行っちまうんなら、なんで早く教えてくれなかったんだよ!」


 泣きじゃくるオリーヴが、フライヤに抱きついてきた。オリーヴも酒臭かった。


「フライヤとォ、もっとお、遊びたかったのにいい! L20は近いようで遠いんだよおおお!」


 フライヤは、あまりの展開の分からなさに、カチンと固まったまま絶句していた。


「やあ、準備できた?」


 これは、ものすごいことになってるねえ、と呑気な声がしたと思ったら、エルドリウスが入口に立っていたのだった。フライヤは渾身(こんしん)の力で黒幕を睨みあげたはずだったのだが、エルドリウスのあの、正体不明の笑みにぶつかった瞬間、口から出る筈だった数々の文句がぷしゅうと消えた。


「エルドリウスさん! 早えよ! まだ一時間前! 別れ惜しむ時間もねえじゃんかよ!」

「悪いねオリーヴ。宇宙船の時間はもうすぐなんだ」


 おんおん泣いて、フライヤにしがみついているオリーヴから易々(やすやす)引き剥がし、呆然自失するフライヤをエルドリウスは抱き寄せた。


「ほら、フライヤ、みなに挨拶は?」


 フライヤは、呆気にとられた顔でエルドリウスを見上げ――そしてアダム・ファミリーの面々を見た。


「達者でな!」

「元気でやれよ!」

「がんばれよ~! 応援してるぜ!」

「いつでももどってきていいんだからな! これは別れじゃねーぞフライヤ! だからあたし、見送りにはいかねーかんな!」


 赤いアパートの外に出ると、みんなが窓からフライヤに手を振っていた。フライヤも、呆然としたまま手を振り――リムジンは発進した。


「君のお母さんなら、僕の家」


 エルドリウスは、驚くべきことを淡々と口にした。笑顔装着済みで。


「!?」

「シルビアと気があったようでね。ガーデニングの話なんかして、まだ二日なのに、こっちが驚くほど仲良くやってるよ。それから、シルビアも君によろしくと。君のお母さんも、たまにL20に来られるようにするから」

「……!?」

「結婚式は、先延ばし。僕が忙しいとかじゃなくて、あまり目立ったことはしないほうがいいという、僕とお母さんとの話し合いの結論でね――ああ、それから、お母さんの足はね、いい医者が、僕の息子にいるんだよ。彼に見てもらうことにした。今度逢わせよう」

「あの……」

「ン?」

「あの……わたし……、」

「いまさら、結婚しないという話なら聞かない」


 エルドリウスはたいそう立派な笑顔で言った。


「君は僕の妻だから、傭兵グループには置いておけない。分かるね? でも、君の勤務する部署は庶務部で、危険な仕事もないから心配いらない」

「……っあの、」

「それから、僕と君の家はL20に買った。僕はしばらくL20を拠点に動くさ。なに、僕のことはかまわなくていい。たぶん、留守がちになるだろうから、君は好きに暮らして」

「あの、」

「それからね」


 エルドリウスは、一度だけ笑みを消して、真面目な顔でフライヤに言った。


「寂しかったら、素直に寂しいということ」


 フライヤは、また言葉とつばを飲み込んでしまった。


「勝手に僕の気持ちを読んで別れを決意する前に、寂しいなら寂しいと言ってくれ」

「……はい」

「どんなに僕が忙しくても、君が寂しいと言ってくれることは、嬉しいことであって、迷惑ではないから」

「……」

「寂しいと言われたら、必ず会いに行く。できるだけすぐにね」


 エルドリウスの目は、優しかった。きっと女性は、彼の何でも許してくれそうなこの目に、やられてしまうのだろう。フライヤは思った。


「あの、」

「質問がある?」

「……………ありません」


 エルドリウスは、フライヤの頭をぽんぽんやって、それからゆっくりと髪を撫でた。三つ編みのすきまに長い指をいれ、手ぐしで解く。フライヤは再び息が詰まりそうになったが、エルドリウスはもう片方の三つ編みも、そうやって解いた。メガネも取り去る。


「うん……」


 エルドリウスは、フライヤが真っ赤になるほどしげしげとその顔を見つめて、


「これは、僕だけの特権だな」


 そういって、フライヤにメガネを返した。そして、器用にフライヤの髪をまた、編み込んでいく。


「今日からよろしくね、僕の奥さん」

「……!?」


 フライヤは、やはり言葉を失ったまま、返事ができなかったのだった。



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