158話 布被りのペガサス Ⅳ 1
少し、時間をさかのぼる。
場所は変わってL18――アカラ郊外。
アダム・ファミリーの赤いアジトには、今日も小包が配送された。
あて先は、フライヤ・G・メルフェスカ様。送り主は、エルドリウス・H・ウィルキンソン。
「今日は、なんだろうね」
苦い顔を隠しもしないフライヤが小包を空ける横で、エマルが呑気に言い放った。菓子だったら、ご相伴にあずかるつもりである。
この十日間――エルドリウスが、フライヤに奇跡ともいえる愛の告白をしたその日から、アダム・ファミリーのアジトには毎日のように、贈り物が届けられた。
大輪のバラの花束にはじまって、宝石みたいな高級チョコレートが並んだ貝細工の箱、L5系の名高いパティシエが作ったマフィンの詰め合わせ、発売されたばかりのブランド物の香水。保証書がついた本物のダイヤモンドのネックレスは、さすがに送り返した。
大半が食べ物だったこともあって、フライヤが返すことを宣言する前に、オリーヴが手を付けてしまい、フライヤはダイヤ以外を送り返すことはできなかった。結局香水は、オリーヴがすごく欲しがったからあげたし、食べ物のほとんどはフライヤではなく、アダム・ファミリーのメンバーの腹に納まった。
「いいから、貢がせておきな。あのひと、金はいっぱいあんだからさ」
エマルのあっけらかんとした言いざまである。アダム・ファミリーの女性陣は、花より団子のタチで、今日は菓子かとウキウキしながら覗き込み、食べ物ではないと落胆する、その繰り返しであった。
エマルもオリーヴも、エルドリウスのマメさに感心するだけして、たいして気にもしていなかったが、フライヤはちがう。
理由もなく、(エルドリウスに言わせればフライヤが好きだから、という明確な理由がちゃんとあるが)こんなにプレゼントはもらえない。ダイヤを返品した際に、「これ以上いただく理由がありません。もう贈り物はやめてください」とはっきりと拒絶の返事を書いて送ったのだが、それに対しての返答は、L19行きの宇宙船のチケットだった。
直接来て話せということなのだろうか。フライヤはチケットをデスクにしまったまま、放置していた。
プレゼントは毎日欠かさず来る。今日も来た。赤いドットの包装紙に包まれて金のリボンを巻いた中身は、手触りからして、缶だ。
フライヤは複雑な心境でリボンを解き、包装紙をはがす。ふわりと香る、――これは。
プレゼントをもらって十日目、はじめてフライヤの顔が綻んだ。缶をあけるまえから漂ってくる。ベルガモットの高貴な香り――紅茶だ。
「今日、紅茶じゃね?」
鼻の下にボールペンを挟んで、ヒマそうに大股開きの格好。エマルにだらしないと蹴飛ばされながら、オリーヴは、デスクの向こうから聞いてきた。
フライヤが思わずうなずくと、
「エルドリウスさんがさ、フライヤの好きなモンなんだって聞いてきたから、紅茶って教えてやったんだ」
得意げに鼻を鳴らすオリーヴの言葉通り、大きな缶のなかには、高級ブランドのアールグレイとダージリンの缶がひと缶ずつ、それに紅茶のクッキーが入っていた。
フライヤの顔は、隠しきれずに輝いた。
エルドリウスからのプレゼントだという点では複雑だが、フライヤは今日初めて、プレゼントを心から嬉しいと思った。
この紅茶缶は、フライヤには一生手が届かないと思っていた代物である。
いや、一生に一度でいい、L55の本店に行って、飲んでみたい。そう思っていた有名な老舗ブランドの名品であった。フライヤは今日だけは心から、エルドリウスに感謝した。一瞬、つきあってもいいかなと思ったほどである。
「なんだい、菓子じゃないのかい」
あからさまに落胆したエマルの声が聞こえたが、フライヤは、エマルに紅茶のクッキーを手渡した。エマルにとっては、小腹がすいた時の足しにもなりはしない小さなクッキーの包みだったが、とりあえず「お茶にしようか」と立ち上がった。クローゼットの中に、ビスケットの缶があったはずだ。
「この紅茶、みんなで飲んでみませんか」
エマルもオリーヴも、フライヤの提案に一も二もなく乗った。今日は、男どもは任務で留守だ。
「野郎どもにゃ、繊細な紅茶の味なんてわかりっこないしねえ」
エマルもオリーヴも、繊細な紅茶の味が分かるかどうかに関しては、野郎どもとドッコイなのだが、それでも女三人で、高級な紅茶の味を楽しんだのだった。
それが、金曜日の話。
土曜日――フライヤは、L19のスペース・ステーションに立っていた。
アダムたちが長期任務に入っていることもあって、アジトに残った女性陣は特にすることもなかったので、土日月と、エマルはフライヤに休みをくれた。
傭兵家業というものはそういうものだ。忙しいときは半年も休みなしになることがあるが、ひとつき、やることがないときもある。
別に紅茶をもらったからというわけではないが――フライヤは、エルドリウスに会いに、L19を訪れていたのであった。
紅茶は嬉しかったが、これ以上のプレゼント攻撃はフライヤの心理的負担にもなるし、あきらめてもらうにしろなんにしろ、一度会って、直接話さなければ埒が明かないと判断したためであった。
フライヤは、エルドリウスに贈り物をやめてもらうよう、アダムから言ってもらおうとしたのだが、「いいから、受け取っておけ」とアダムも取り合ってくれなかった。オリーヴとエマルに至っては、エルドリウスが破産するまで貢がせろとすっかり笑い話で、だれもまともに取り合ってはくれなかった。
エルドリウスに告白はされたものの、フライヤは、もちろん一度は断った。
あたりまえである。いきなり初対面の人間に――しかも、天敵のような軍人に、愛の告白をされたところで、受ける傭兵がいるだろうか。年齢もだいぶ上だし――断る理由なら、星の数ほどあった。
しかし、フライヤのはっきりとした拒絶も、エルドリウスには通用しなかった。こういうとき、軍事惑星の男はしつこくて困る。
エルドリウスがタイプじゃないと言えればよかったのだが、「じゃあ、どんな奴がタイプなんだよ」とオリーヴに聞かれると、これまた返答に窮した。フライヤには、好きな男性のタイプ、というものがなかった。というより、色恋自体に、あまり興味がないのだ。フライヤはエルドリウスに告白されて初めて、それをはっきりと自覚した。
フライヤ並みにモテなかろうが、恋をしたがる同級生はいたし、そういう子は、いつのまにか相手を見つけていたものである。フライヤが、それほどだれかと付き合いたいと思うことがなかったから、彼氏ができなかった。それだけのことだったのだと、はじめて、気づいた。
エルドリウスの優しそうな目は好ましいと思うし、嫌いではない。だが、それだけだ。彼と恋ができるかと問われれば、うなずけない。
年上すぎるとか、軍人と傭兵の関係だとか、付き合えない言い訳は山ほどあったが、それらを通り越して、動かしようのない現実があった。
恋だのなんだの、よくわからない。そういうことだ。
そして、彼は軍人で、自分は傭兵。
フライヤは、正直にそれを告げるつもりでいた。そこまでいえば、エルドリウスもあきらめるだろうと思ってだ。
フライヤは、頭はよかったが、色恋沙汰に対しては、知識も経験も、圧倒的に足りなかった。エルドリウスが、その程度の認識であきらめると思っている、甘い判断である。
フライヤは、L19のスペース・ステーションで、エルドリウス邸までの距離をたしかめた。
バスと電車を乗り継ぎ、彼の家がある街まで行ったところでタクシーを使った。そこではじめて、エルドリウスは在宅だろうかと気づいた。忙しい人間だと言っていた、おまけにアポなしで来て、入れてもらえるのだろうかと今更気づき、あわてたが、悩んでいる間に、タクシーはあっさりフライヤを館の前で降ろし、走り去った。
めのまえには、広い邸宅。それでも、軍事惑星の由緒ある名家の敷地のわりには、小ぢんまりとしているほうだろう。屋敷は無駄に大きいとは思えなかったし、手入れの行き届いた庭が、フライヤが立っている門のところからも見えた。
いなかったらいなかったで仕方がない。往復の旅費は、フライヤが懐を痛めたわけでもない。それに、ここまで来てしまったのだ。
勇気を出して門外のインターフォンを押すと、『どちらさま?』という女性の声がした。
「あ、あの――」
フライヤの声は緊張で上擦った。
「フライヤ・G・メルフェスカと申しますが、エルドリウス大佐は御在宅でしょうか」
返事は、すぐになかった。向こうで、物音がする。将校の自宅にアポなし訪問など、怪しまれても無理もない。
フライヤは急に怖くなって逃げ出しかけたが、その足を止めるように、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『御在宅だよ』
エルドリウスの声だった。
『よく来てくれたね。まさか、来てくれるとは思わなかった。さあ入って。――いや、僕が迎えに行こう。そこにいて』
――そして、数分後。
フライヤはガチガチに固まったまま、屋敷内の応接間でもてなしを受けていた。
庭が見渡せるバルコニーの、小さなテーブル向かいにエルドリウスがいて、あのやわらかい笑顔を、フライヤに向けている。
「よく来てくれたね。君のことだ、勇気がいったろうに」
「え? ――あ、はい」
「来るだけでくたびれただろう。バスと電車とタクシーを乗り継いで?」
「あ、はい……」
「それは大変だったな。来ると分かっていれば、僕が迎えに行ったのに」
「い、いいえ……突然お邪魔したのはわたしで……」
「オリーヴは元気かね。相変わらずの食欲?」
「はい……」
「なら、またピザを持って遊びに行かなきゃな」
エルドリウスはフライヤの緊張を解そうと、当たり障りのない会話を続けてくれているが、フライヤはそれに対してあいまいなうなずきを繰り返すのみだった。早くも、「なんでこんなところに来てしまったんだろう」という緊張のループに嵌っていた。
だがエルドリウスは、そんなフライヤに無理に話させようというのでもなく、話のネタを考える節もなく、ごく穏やかに会話をつづけ、ティーポットを覆っていたティーコジーを外すと、フライヤのカップに紅茶を注いだ。
この香りは、エルドリウスがフライヤに送ってくれたメーカーの、ダージリンだ。
「あ、あの――」
「ン?」
「紅茶、ありがとう、ございました。その、……美味しかったです」
エルドリウスは、にこりと笑んだ。
「ようやく、喜んでもらえたか。あれも送り返されたら、正直、打つ手なしといったところだったよ。紅茶が好きなんだね?」
「え、あ、はい、」
「なら、毎月送ろう。毎週かな。毎週のほうがいいかな。僕も紅茶が好きでね。君に送ったブランドは、僕が普段愛飲しているメーカーだ。ほかにも美味しいフレーバーがあるから、――そうだ、ハーブティーは好きかね?」
「あ、ああ、えと、そのですね、」
フライヤは、そのためにここへ来たのだ。言わなければならない、どんなに緊張していようとも。
「贈り物をやめろという話なら、聞かない」
フライヤがなにか言う前に、エルドリウスは笑顔を崩さぬままきっぱりと言った。
「君が贈り物をやめろというなら、僕は毎日、君に薔薇の花束と一緒に紅茶を送りつけることにするが、それでもいいかね?」
「……」
「毎日だよ?」
フライヤが、困ったように顔を背けるとエルドリウスは、「よろしい」と微笑んだ。
「フライヤ」
「は、……はいっ?」
「僕はね、多忙なんだよ」
エルドリウスは、さらに、ニッコリ、という顔で微笑んだ。
フライヤは、窒息するなら今できる、というくらい息を詰めた。
「いないんだ、滅多に。この家にはね。今日、今の時間、この家にいたのもほぼ偶然に等しい。僕はほとんど軍にいて、家に帰るのは二三ヶ月に一度だ。今夜からはまたL22へ発たなければならない。君はアポなしでここへきて、僕に出会った。それがどれだけ奇跡的なことか、君には分からないだろうな」
「……」
「運命だよこれは。そうは思わないかね」
「お、お紅茶、いただきます!」
フライヤが飲んだ紅茶が、ごっくんと、大きな音を立てて喉を滑り落ちていった。
「フライヤ、僕と一緒においで」
エルドリウスは自分の紅茶に口をつけずに、微笑んだまま席を立った。
「見せたいものがある」




