157話 テセウスの船 Ⅱ 2
メフラー爺も、クォンも答えないということは、アイゼンと同じ疑いを持っているということだ。研究資料はなくとも、あの蘇生術を見たのだ。同じような研究を、別の人間を使って研究させるかもしれない。
「……見張る必要は、あるかもしれん」
クォンが重々しく言った。
「ドーソンの見張りは、引き続き白龍グループが引き受けよう。異存は?」
「わしゃあない」
「俺もない。ヤマトは、このレオンという男を探す」
アイゼンが資料を、「もらうぞ」と懐へ入れて立った。
「二日後には、ウチの傭兵を二人白龍グループへやる。レオンを見つけたら、すぐに知らせる。それでいいか」
「かまわん」
クォンは言い、メフラー爺もうなずいた。
アイゼンは挨拶もせずにドアを開けて出ていき、年寄り二人は「小僧め」と笑った。
「能力はあるんじゃがなあ、アイゼンは」
「ヤマトが見つけると言ったら、ひとつきで見つけ出すな。あれはあやつに任せるか」
「……アマンダは、キモイっていって近寄らんわい」
「アマンダはもうデビットと長いし子持ちじゃろうが。インシンもキモイと言うとった」
年寄り二人は、顔を見合わせて同じことを言った。
「顔と能力だけみれば、婿に欲しかったんじゃがのう」
「へえ、アイゼンがそう言ったの」
心理作戦部の総隊長室では、エーリヒが、ベンから今日の報告を受けていた。ベンは、一階のカフェテリアであった、アイゼンとの取引を他人事のように過不足なく話した。
「タイム・カプセル、ねえ」
エーリヒは錆びた缶を、もはや手袋をつかわず素手で持ち上げ、それから思考の様子を見せた。もともとエーリヒは無表情だから、考え込んでいる表情、というものは見当たらなかったが。
「……分かった」
「は?」
「まあ、いいよ。返してやって」
エーリヒは、軍服の内ポケットから、ビニールケースに入れた椋鳥のボタンを取り出し、錆びた缶の蓋を苦労してあけ、ボタンだけを中に転がした。
「いいんですか」
ベンが念を押したが、エーリヒは、いつも通りのなにを考えているか分からない無表情でうなずく。
「うん」
「……」
「不満げな顔だね」
「これは、ダグラスの遺品のなかにあった箱です。……なににつながるかは分かりませんが、そんな簡単に、個人の手に引き渡していい物であるとは」
「うん、だけどね、分からなすぎるんだよ」
エーリヒは、コツコツ、と二度机を叩いた。指先で。
「分からない。分からないことが多すぎる。椋鳥のボタンは、老舗傭兵グループ三社の共通の紋章だった。それがわかったところで、なにひとつ意味がない。先へ進まない」
「……」
「アイゼンが言っていることは、嘘ではないと私は思うよ」
エーリヒは今度、箱をコツコツつついた。
「我々が疑問に思うべきことは、なぜアイゼンと、アイゼンの友人が埋めたタイム・カプセルを、ダグラスが掘り出したかということだ。なんのために? なにが目的で? 家章を示すため以外の目的をもたないボタンをなぜ?」
「――なぜ、ダグラスがその箱を漁ったか、それはアイゼンも知らないと」
ベンは、あのアイゼンの言葉は嘘ではないと思う。そうだ。ベンも、これが総隊長から預けられた機密事項の物品だったから渡すわけにいかなかっただけで、アイゼンの言葉が、嘘だと思ってはいない。
「あのねえ、多分ね、このボタンに関する一連の出来事は、A班が――ユージィンが調査している、マリアンヌの日記とかいうのと、関係あると思う」
いきなり、突拍子もないことに話題が飛んで、ベンは眉間に皺を寄せた。
「L03の、予言とやらですか」
「うん」
「それと椋鳥のボタンとなんの関係が」
「分からないんだよ、それが」
エーリヒは立って、コーヒーサーバーに手を伸ばした。コーヒーをカップに注ぎ、ミルクと砂糖を入れてかきまわす。それが、エーリヒの思考のための助動作であると知っているので、ベンは手を出さない。
「いや、今呼んだのはほかでもないんだけど」
エーリヒはいきなり話題を変えた。
「身辺整理して。今から」
「……もしかして、地球行き宇宙船に乗りますか」
「うん。そろそろ乗ろう。具体的な日付は言えない。だが、いつでも乗れるように準備しておいて」
「はい」
「以前にも言ったけど」
エーリヒは、一度だけベンと視線を合わせた。
「おそらく君は、二度とL18にはもどれない。それは、分かっているね」
「承知しています」
ベンに死ぬ気は毛頭ないが、今回の任務は、そちらも十分配慮に入れておかなければならない。エーリヒは、ベンが間髪入れず返事をしたことにちいさくため息を吐き、
「遅すぎたかもしれないくらいだ。――なにもかも、早く進み過ぎるな」
クラウドは、ベンの百倍頭がいいが、エーリヒはそのクラウドの上をいく。エーリヒの視点など、ベンには思い及ばない。見ているものの広さも大きさも、速さも。
「地球行き宇宙船に乗らないと、解決しないことが多すぎる」
「は?」
この部屋に来て、何度自分は「は?」と言っただろう。エーリヒは、ふうふう言いながらコーヒーを飲んだ。この顔でネコ舌なのだから恐れ入る。
「クラウド軍曹に、知恵をお借りするということですか」
クラウドの助力を拒んだのは、ほかでもないエーリヒだ。
「ちがうよ。まあ、クラウドにも話を聞くけどね。私が会いたいのは別の人物だ」
ベンは、真っ先に、ヴィアンカという、いつか心理作戦部に来た地球行き宇宙船の役員のことを思いだした。クラウドがエーリヒのために写真を送ってきたことがある。エーリヒがヴィアンカのために宇宙船に乗るとは考えにくいが、エーリヒのことだ。この男の行動は、読めないことにかけては保証つきだ。
だが、エーリヒの口から、ヴィアンカの名は出なかった。
「おそらく、今回の、すべての謎の鍵を握っているのは――小さなうさこちゃんなんだよ」
「はあ?」
は? の語尾が伸びた。さすがに伸びた。ベンは、無駄と知りつつエーリヒの顔色を窺った。どんな顔をして、そんなことを言っているのか知りたかった。
無表情だった。
「私が会いたいのは、ちっちゃなピンクのうさこちゃんだ」
ベンは一瞬――一瞬だけ、エーリヒの正気を疑った。
「彼女がね、きっと、私の疑問を解き明かしてくれる」
「……」
ベンは返答のしようがなくて黙った。エーリヒのセリフは、いつでもそうだが、今回は特に、ベンの理解の範疇を超えた。
「ああ、それからね」
エーリヒは、やっと冷めてきたコーヒーを、口をすぼませて、ずずっと啜った。
「アイゼンに言ってあげて。レオンは私が探してあげるって」
「は?」
「うん。たぶんね、君の脳みそ大パニック起こしてるだろうけど、宇宙船に乗ったら順を追って話してあげるからね――アイゼンに言って。レオンは恐らく、地球行き宇宙船にいる。居場所は私が探してあげる」
「探してあげるって――」
「乗ったら探すよ、嘘じゃない」
「いえ、嘘とかどうのではなく――アイゼンが、レオンを? 探しているのですか」
「うん。モーム博士が死んだだろう。たぶん、行方を追うな」
「……」
ベンは、思考停止した。たしかに、今日のニュースでやっていた。モーム博士が死んだ――なぜモーム博士が死んだことが、レオンの動向を追うことにつながるのか――もはや、考えても詮無いことだらけだ。ベンは思考を放棄した。
「分かりました。そう伝えます」
「ベン、君……」
部屋を出ようとしたベンを、エーリヒが呼び止めた。
「なんですか」
「君、アイゼンがなにものかって、聞かないんだね」
エーリヒは無表情だったが、聞いてほしそうな顔をしていた。長い付き合いだ。そのくらいの機微は、ベンにはわかるようになっていた。
ベンがそのことを聞かなかったのは、あえて聞かなかったわけではなくて、ベンの理解を超えた話の数々に、すっかり忘れていただけだったのだが。
「――何者なんです」
べつにもう、聞かなくてもよかった。どうでもいい。考えても分からないことだらけだし。興味本位で聞くにしても、正体を探れば殺すぞと言われているのだ。だがエーリヒが言いたそうにしているので、仕方なく聞いた。エーリヒは、無表情だがとてもうれしそうに――まるでそうは見えなかったが――得意げに、言った。
「アイゼンはね、傭兵グループ、ヤマトのボスなんだよ! 内緒だよ」
「……へえ」
ベンはもう、なにを聞いても驚かないことに決めた。なるほど、いつも心理作戦部で極秘に傭兵を雇うときは、ヤマトがほとんどだった理由がわかった。
「俺がアイゼンの正体を知ったら、死ぬと言われたんですけど」
「え? ほんとに?」
エーリヒは、「……言っちゃまずかったのかな……」と小さくぼやいたが、ベンは聞かなかったことにした。
「君と、アイゼンって似てるよね」
エーリヒは、失態をごまかすように、何気なく言ったつもりだったが、ベンが激昂した。
「どの辺がですか!!」
「……そんなに怒らなくてもいいでしょう。ほら、なんか、雰囲気が……ああ、ええと、イケメンなところが、」
「似ていません!!」
もう二度と、仕事でだってできれば近づきたくないヤツに似ていると言われたときの無念さというか、悔しさをどう表現してやろう。
「同類嫌悪かね……」
ベンが「失礼します!」と怒鳴って部屋を出て行ったあと、エーリヒは怯えながらつぶやいた。
「褒めてあげたのに……なんで怒られるんだ」
次の日、ベンは嫌々、箱をアイゼンに返しに行った。あまり同じ空気を吸っていたくなかったので、レオンのことも手短にアイゼンに告げると、アイゼンはあのいやらしい笑みを浮かべたまま「分かった」と短くいった。
「恩は買っといてやろう。エーリヒに伝えておけ。そのうち返すってな」
俺をあいだにはさむな、直接二人でやりとりしろよとベンは思ったが、話を続けたくないのでなにも言わずに部屋を出ようとした。そうしたら、「なあ、俺の正体、教えてやろうか」と含み笑いながらアイゼンが言った。
殺意が沸いた。
「俺、ヤマトのボスなんだぜ。カッケーだろ」
やっぱりベンは、その場で銃を抜かなかった自分をあとで誉めたのだった。




