157話 テセウスの船 Ⅱ 1
L18の首都アカラ――駅のある国道沿いの、大通りから脇道に逸れた、地下にある中華料理店は、白龍グループの息がかかった店である。夕食時ともあって、たくさんの傭兵でにぎわっていた。
乱雑な店内の隙間を、アイゼンが二人の供を連れて歩いても、だれも注目しない。
さもありなん、傭兵グループ「ヤマト」の首領の顔は、だれも知らなかった。
席に着き、メニューを聞きに来た年配の女に、アイゼンではなく供の一人が「今日はふかひれのスープはやっているかね?」と聞いた。
「おひとり様なら」女が答える。
「おひとりさまで予約したんだがね」
奇妙な会話。
男の答えに、女が厨房へもどる。やがて支配人と思しき男が来て、アイゼンだけを連れ去った。残った男二人のテーブルには、わんさかと料理が出されたが、そのなかにふかひれのスープはなかった。
アイゼンは厨房の横を通り過ぎ、細い廊下を歩き、ドアを三つあけてさらに階段を下りて、やっと目的地へ着いた。
案内した男はうやうやしくお辞儀をし、出て行った。赤と金の模様で彩られた華やかな部屋には、メフラー爺と、白龍グループの長クォン、そしてヤマトの首領、アイゼンがそろった。
「若造のくせに年寄りを待たせるとは」
クォンの機嫌は悪かった。
「俺ァ公務員なんでな。仕事が終わらねえと顔は出せねえ。知ってるだろ」
「おめえが心理作戦部にいるって話は、本当だったんだな」
メフラー爺がそう言うと、アイゼンはすっとぼけてみせた。
「棺桶に片足突っ込んでるジジイはとっとと引退してアマンダを連れてきやがれ。ありゃいい女だ。こんなふうに二人っきりで部屋に押し込められたら、たっぷり可愛がってやんのによ」
アマンダはアイゼンをキモいと言っていて、だから今日は来なかった。
メフラー爺はとっくに娘のアマンダに社長職は譲っているが、アマンダが来たがらなかったのだ。アマンダはアイゼンと同じ空気は吸いたくないらしい。潔癖症の娘だ、仕方がない。アイゼンが指一本でもアマンダに触れようものなら、アイゼンの頭が壁にめり込むほど殴りつけるんだろうなとメフラー爺が想像したところで、クォンが言った。
「二人っきりじゃなくて、三人おるわい」
「おっとここにも存在感が死体のジジイが」
「口の減らん若造は無視して、話をつづけるぞ」
軍事惑星群で最も古い傭兵グループ――メフラー商社と白龍グループ、そしてヤマト。
この三社の密会が行われるのはおよそ十年ぶりだった。
アイゼンがヤマトの首領に就任し、アイゼンの父が、クォンとメフラー爺に引き合わせたそれが最後。ヤマトの先代はその後すぐに病で死んだ。
白龍グループの後釜であるクォンの娘、インシンもまた、アイゼンを嫌い抜いていて、ここにはこなかった。なにしろアイゼンがインシンに初めて会ったときの挨拶が「処女膜破らせて」だ。
強烈な平手打ちを食らって壁に激突し、口の端から血を流しながらニタニタ笑っているアイゼンの姿にインシンのほうが戦慄した。
インシンはクォンの孫に勘違いされるような年代の娘で、まだ二十代なかば。白龍グループの、処女性をもって祭り上げられている女神だった。気高く、高潔で美しく、強い。アイゼンが言った通り、物心ついてから男を近づけたことがない女だった。
クォンもメフラー爺も、娘たちの心配は一切していないのだが、(むしろアイゼンが生きて帰れるかのほうが心配なのだが)後釜たちが不仲では、先が思いやられるなあとは思っていた。
はたして、本日、招集をかけたのはメフラー爺である。
「モームが死んだ」
あとから来たアイゼンに、用件を知らしめるべく主題を口にした。
「ウチじゃねえぞ」
若者はさすがに反応が早い。アイゼンは、暗殺したのはヤマトではない、と主語を抜いて言った。
「モーム博士か。今日ニュースでやってたな。なんで殺した」
アイゼンはクォンに向かって言った。メフラー商社でもヤマトでもないなら、あとはひとつしかない。死因は、心筋梗塞と報道されていた。だが、アイゼンもメフラー爺も、あれはただの病ではなく暗殺だと瞬時に分かった。
「ウチじゃよ。……それから、お主が招集かけんでも、近くワシがかけるつもりじゃった」
クォンがため息交じりに言った。
「なにがあった」
メフラー爺が問う。クォンが、もっと深いため息をついて白髭をいじった。
「モームの奴め、“テセウスの船”を、ドーソンに売りおったわい」
「なに!?」
「なんだと!?」
メフラー爺も――あのアイゼンでさえ、顔色を変えてクォンに詰め寄った。
“テセウスの船”――プロジェクト名、テセウスと略されるそれは、ヒューマノイド研究の第一人者、モーム博士に、ここにいる傭兵グループ三社が出資した研究の名称だ。
主に軍事目的の研究だったそれは、人体の蘇生術である。
人類がL系惑星群に移住する前から、アンドロイドだの、ヒューマノイドだのの研究はあった。だが、それは人権だの、ヒューマノイドに人格を植え付けたのちに起こる弊害だの、兵器使用における場合の道徳問題だのさまざまな問題が山積して、ついに実用化されずに現在まで来ている。
昔から、ロボットが惑星をのっとるだの、人類がロボットに支配されるだのそういった類の創作は数あった。それに近い事故が、ヒューマノイドの研究所で起こったのである。
人格を持ったヒューマノイドの集団が研究所を乗っ取り、軍が出て、研究所ごと爆破する大事件になり、L系惑星群全土を賑わせた。数百人単位の死者が出、L33の街がひとつ壊滅した。
人類が移住して、百年も経たないうちの出来事である。その事件は、のちのちまで尾を引いた。
事件後、ヒューマノイドが一般家庭に進出する前に人権団体が大騒ぎして、商品化は実現しなかった。それに、L系惑星群は原住民との諸問題が優先されていた。L系惑星群の法律は、新たな騒動の火種を持ったヒューマノイド計画を認めなかった。
現在も、等身大の人間そっくりのヒューマノイドがあることはあるが、非合法であり、表ざたに取引きされているわけではない。それもごく少数で、大型の人形の域を出ない。人間と多少の会話は交わせても、学習能力はない。ヒューマノイドに人格、判断力、思考能力をあたえることは法律で禁止されている。
ヒューマノイド研究自体法律違反であり、非合法である。
法律でがんじがらめにされたヒューマノイド研究だが、軍事惑星はヒューマノイドを軍事使用することを提案したことがある――つまりロボットの兵隊だが、これはより危険視されて禁止された。
だが、そのヒューマノイド研究が、より高度の義足や義手、あるいは疑似の内臓などの開発に派生していったことはたしかだ。
アレクサンドルたちが着手していた電子腺の研究も、そのひとつである。
研究の第一人者が、モーム博士。
いくつも特許をとったモームが、唯一公式に発表していない研究、それが“テセウスの船”。
その人体蘇生術は、白龍グループの傭兵も、非合法に蘇生させた。
「たしか、被験者は、ミンシア・J・ウーフェイという名じゃなかったか」
メフラー爺がいい、アイゼンが相槌を打った。
「あの歌姫だろ。たしか心臓がどうとかいう歌、うたってた」
“私の鉄の心臓を蕩かすのはあなただけ……”
アイゼンは、甘ったるい歌詞を思い浮かべた。昔、L系惑星群全土で流行った歌。バーチャル・アイドルで、その「アイアン・ハート」だかいう曲一曲だけで消えていった歌姫。
その歌姫が、“テセウス”で蘇った、もと傭兵なのだということは、ここにいる三人くらいしか知らぬことだ。
“テセウス”研究の最大の特徴は、脳まで蘇生できることだ。ようするに、脳死状態の人間をも生き返らせることができる。だが、完全にとはいかない。記憶をなくすこともあるし、手足が不自由になることもある。そして、生き返っても、三年くらいしか生きない。すぐに死んでしまう。
だが、爆撃で木っ端みじんになった人間を、多少の不自由はあれど、元の状態にもどすというのは、神の領域に踏み込んだしわざであることは間違いなかった。
一度は死んだ人間を、蘇らせるのだ。
テセウスの船、とはパラドックスを意味する。
ある事物が、すべてほかの部品で組み替えられたとき、それは果たして最初の名を持つものであるといえるのかどうなのか――。
モームがこの研究をそう名付けたのも皮肉である。
蘇ったミンシアは、ミンシアであったかどうなのか。
すくなくとも彼女は、愛娘のことも忘れていたし、自分がなにものかもわかっていなかった。まるで人生がリセットされたようにすべてのことを忘れていたが、時折、昔のことを思いだして話すようなこともあったと、研究資料には書かれていた。
そして二年とたたず死んだ。だから、二曲目は出なかった。彼女がL系惑星群全土を魅了する美しい歌声を持つことになったのは、蘇った際の影響だったのか、もとからあんなに美しい声の持ち主だったのか、アイゼンは知る由もない。
モームは、ミンシアを蘇らせたあと――さすがに木っ端みじんになった人間を元にもどしたことが、自身の研究の素晴らしさを裏付けると同時に、神の領域に踏み込んだことを実感し怖くなったのか――研究は中止したはずだった。
“テセウスの船”は、公式では発表されていない。やめたところで、モームの名誉にはなにも傷がつかない。
傭兵グループ三社も出資は中止したが、この研究を外部に漏らさない、傭兵グループ三社だけの秘密として、多額の口止め料を払った。モームも、二度とこの研究には携わりたくないと言っていたし、研究資料も処分した。三人の目の前で。
だと、いうのに。
「ドーソンだと? どこから嗅ぎつけやがった」
アイゼンが美しい顔を歪めて歯ぎしりする。
「売ったか……。脅された、の間違いじゃねえか」
メフラー爺も嘆息したが、モームを暗殺したことに関してはなにも言わなかった。“テセウスの船”の研究資料は破棄済み。法律に触れる箇所が大部分の資料だ。だが研究施設は残っていたし、なにより、その施設を動かせるモームが生きていた。
研究が完全に死んだ、とは言い切れなかったのはたしかだ。
「ドーソンが、テセウスの裏にワシらの存在を見つけたか」
「いいや。それはない。ワシらとモームのつながりは、研究資料を破棄した段階で完全に切れた。ドーソンは、どこから知ったか知らんが、テセウスの技術が欲しかっただけのようじゃ。テセウスをつかって男を蘇らせたあとは、モームに高い口止め料を払って、終いじゃ」
「なぜ今回のことが分かった」
「モームが泣きついてきたのよ」
クォンが忌々しそうに言った。
「口止め料を払いはしたが、あの疑りぶかいドーソンよ、モームを消そうと思ったらしい。命を狙われたモームが泣きながらこたびの顛末を訴えてきおった。自分を守れとな」
「バカな奴だ。ドーソンに売るまえに頼ればよかったものを」
メフラー爺も吐き捨てた。
モームは遅かった、すべての行動が。もう二度とあの研究をしたくないというなら、研究施設も始末しておくべきだったのだ。だが、ドーソンがモームの命を狙ったおかげで顛末が明るみに出た。
「ドーソンがどんな経緯でテセウスの存在を嗅ぎつけたかは――」
「それも現在、調査中じゃ。モームも、どうしてテセウスの存在が外部に漏れたか、不審がっておった。おそらく、残っていた研究施設に興味を持った人間がいたんじゃろう。とにかく、物件から消すしかあるまい。研究のいっさいの証拠をな。あの研究にわしらが関わっていたと公表されれば、面倒なことになる」
「施設はどうする」
「乱暴な方法だが、事故を装って爆破じゃな。ドーソンが感づくやもしれんが、今さらじゃ。モームの暗殺は、間が置けなかったものじゃから勝手にやったが、貴様らに相談はせんとな」
「白龍グループだけでできるか」
「それは問題ない。だが念のため、ヤマトとメフラー商社からも人員を出してくれ。二、三人でいい。すべての消滅は三社で見届けねばならん。信にたるものを寄越してくれ」
「分かった」
「話はそれだけじゃ。三日後に決行する」
クォンがそう言って話を終わらせようとしたが、アイゼンが食い下がった。
「待てジジイ。ドーソンは、テセウスでだれを蘇らせたんだ」
クォンは、紙束をテーブルへ放って、自身は席を立った。苛立ちを押さえるようにその辺をうろつく。
「レオン・G・ドーソン……?」
資料をつかんでめくったアイゼンは、それが去年の冬、バブロスカ革命紛いの事件を起こした首謀者だと分かった。
そのまま監獄星へ送られ、その途中の列車内で爆死した人間。
「なんで、こいつを?」
ドーソン一族内で反乱が起こった事件。このレオンという男は、ドーソンに反旗を翻した人間だ。それをなぜ、蘇らせようとする。アイゼンの疑問に、こたえは返って来なかった。
だれも、分からないのだ。クォンも、メフラー爺も。
「分からん。だがモームは始末した。あと施設を爆破してしまえば、もう“テセウス”は闇の中だ。二度と、悪用はできん」
「ドーソンに、研究資料が渡ったってことは?」
「それはねえ」
言ったのは、メフラー爺だ。
「研究資料はワシらの目の前で廃棄させた。燃やしたじゃねえか。あの研究が危険なモンだってこたァ、モームだって分かってんだ。コピーはねえ。作れねえ」
「だけどよう、あのドーソンが、アレをだまって放っとくと思うか?」
「……」
「モームを消そうとしたってことはよ、テセウスを独占しようとしたってことも考えられる」




