17話 ひとりぼっちのウサギ 3
翌朝。
ルナは、巨大ベッドのうえで目が覚めた。
地球行き宇宙船に乗るときに乗った、ファーストクラスの宇宙船のようなホテルだった。リサやキラがここにいたら、有頂天になりそうな。
ルームサービスのクロワッサンや卵料理も、ウサ耳が立ったままになるほどの美味しさだったし、コーヒーに紅茶、ジュースは勝手に五種類も運ばれてきた。朝から分厚いベーコンや、大量のハムを食べる気にはなれなかったが、もりもりとサラダを食べた。非常においしいドレッシング以外は、いつも食べている草だった。
チェックアウトの時間が来るまえに、ふたたびカザマの訪問があり、アンジェラとその取り巻きは、きのうのうちに宇宙船を降ろされたことを告げられた。もし、再度乗船することになっても、それは来期以降になる。
安全が保証されたので、ルナはもう、自由に行動してもいいとのことだった。
ただ、念のため、私服警備員が一週間ほどルナを守ることになる。だが、部屋に入ってきたり、声をかけたりすることはないので、ふつうに過ごしてくれとのことだった。
ルナは自宅にもどったが、アズラエルはまだ帰ってきていなかった。
(おかしいな。アズはきのうのうちに帰ってるって、カザマさんは言ったけど)
部屋に、アズラエルが帰ってきた気配はなかった。
ルナはアズラエルを待ちながら、もそもそと掃除をし、昼過ぎになってもアズラエルが帰ってこないので、pi=poのちこたんに行き先を言っておいて、リズンに向かった。
リズンでは、なんとアルフレッドとケヴィンが待っていた。
彼らは、昨日ルナが忘れて行ったパンフレットを持っていた。そこで、はじめて、昨日あれを忘れていったことに気づいた。
「昨日はごめんね。嫌な気分にさせちゃったでしょ。ナタリアさんにも謝っといて」
ルナは言った。
「いや。だいじょうぶだよ。こっちこそ、ブレアが嫌みばかり言って悪かった」
ケヴィンが苦笑し、
「昨日聞きたかったことってなんだった? 途中になっちゃったよね」
「あ、うん。……いいの?」
「いいよ。ていっても、おれらで相談に乗れることだったら」
今日は、ナタリアはいっしょではなかった。
ルナがナタリアに聞きたかったのは、そもそも、いったいどういう試験が行われたかということだ。そしてそれは、男女ひと組でないとクリアできないものであるのか、それとも、そう決まっているわけではないのか。
「ああ、試験のことか」
ケヴィンは腕を組んだ。テーブルに肘を乗せたまま。
「それ、おれたちもナターシャに聞いたんだけど、なんだか言いにくそうにするから、深く聞けなくってさ」
「一回でも参加したことがある人は、試験の内容を言っちゃいけないって義務でもあるのかな」
「いや、そういうのはないらしいんだけど。ルナちゃんも、ともだち四人で乗ったんだろ? だれか二度目の人はいないの?」
「あたしたちは四人ともはじめて。でも、ミシェルと、あ、リサって子の彼氏もミシェルっていうんだけど」
そこまで言ったとき、ふたりは「ええ!?」と大げさに驚いた。
偶然は偶然だけれど、そんなに大げさに驚くことだろうか。ミシェルという名は、あまりめずらしくもないのだが。
「あのさ」
ケヴィンは言った。
「おれたちも、試験のことはずっとまえから考えてたんだ。でも、ルナちゃんたちにスルーされるし、声かけた先から全然ダメでさ、ヘコんでたんだ。おれらが声かける子ってみんな彼氏持ちで」
ルナは申し訳なさそうな顔をしたが、ケヴィンは気にしていない顔でつづけた。
「ウワサでは男女でなきゃクリアできないって言われてるだろ。だからけっこう躍起になってて、でも焦って彼女作ろうとするとうまくいかねえんだよな。でもやっぱ、男女でしかクリアできないんだったら、最初っから男女ひと組でしか応募しねえよなって」
「それに、同性カップルはどうなるんだって話」
アルフレッドも言った。
やっぱりみんな、そう思うよね。ルナは深々とうなずいた。
「で、ウワサはウワサでしかねえって。おれらふたりでもやってみなきゃわからねえって。そう決めたときに、あの二人と出会ったってわけ」
なるほど。
「試験の内容は、まださっぱりわからないけど――なんとかなるんじゃないかな。あんまり、楽観的かな」
ケヴィンは笑い、アルフレッドが言った。
「ルナちゃんは、もういっこのウワサを知ってる?」
「え。ウワサって、まだあるの」
「うん」
ケヴィンがもったいつけてうなずいた。
「みんなが、恋人を見つけるのに躍起になってるのは、もういっこのウワサのせいなんだよ」
「もういっこのウワサって?」
「このツアーって、運命の相手に出会えるらしいんだ」
それは、もうほとんど都市伝説のように言われていることだった。
「うん。そっちはあたしも聞いたことがある」
「でも、ただの運命の相手じゃない」
アルフレッドは、笑みを浮かべて言った。
「どういうこと」
「この宇宙船のチケットが当たるひとって、前世で一度は地球にいたことのある人間らしいんだ。しかも、同じ時期に行くのって、ちょうど同じ時期に地球で暮らしてたんだって」
ルナのウサ耳は、たちどころに立った。
「ほんとに!」
「ま、ふつうで言ったら、眉つばっていうか、信じられないようなもんだけど」
アルフレッドも言った。
「信じちゃいそうな偶然が次々起こるとさ、なんだか」
アルフレッドとケヴィンは二卵性双生児で、ブレアとナタリアもそうらしい。
「しかも、おれらの出身星は離れてんのに」
両親の名が、そっくり同じだったのだそうだ。同じ種類の犬を飼っていて、犬の名前まで同じ。
「最初はブレアがウソついてんのかと思ったけど、ナターシャはウソを言わないし」
たしかにそこまで重なったら気味が悪いくらいだ。
「だから、なんていうか、運命感じざるを得ないわけ。どっか懐かしい感じもするしさ」
ルナは「そうかも」と微笑んだ。
「でも、おれらって、きっと前世でもルナちゃんとミシェルちゃんに振られてるんだぜ」
そう言って突っ伏したケヴィンに、ルナとアルフレッドは笑った。
連絡先の交換をし、ミシェルが帰ってきたら連れてくるからと約束して、ルナは部屋にもどった。
しかし、アズラエルは帰ってこない。電話をしてもメールをしても、既読がつかない。
(アズ、どこにいるの)
ルナは、いつ、なにがあってもいいように、ジニーのバッグに小旅行用の荷物をつめた。洗面用具にタオルや着替え、軽食やらを最小限つめこんで、アズラエルのマンションに向かった。だが、そこにアズラエルはいなかった。
部屋の前に放置してきたジュリは姿を消していたし、いくらインターフォンを押しても、アズラエルは出てこない。
ルナはひと気のないマンションを出て、すぐそばのカフェに入った。そして、クラウドに電話をした。
彼はすぐに出た。
『ルナちゃん?』
「あ、あのね」
ミシェルは近くにいないようだ。ルナは昨日今日起こったことを話し、アズラエルがもう帰ってきているはずなのに、部屋にいないことを告げた。
『ちょっと待って』
クラウドの声が遠ざかる。それからしばらくして、彼は言った。
『アズはいま、宇宙船にはいない』
「……!」
クラウドの言わんとすることは、ルナにもわかった。なぜ、クラウドにアズラエルの行方が分かったのかは知らないが。
アズラエルは、「カタをつけに行く」と言ったのだ。それがどんな方法かは、ルナは知らされていないけれど。
『アンジェラも、もう船内にはいない。ララのいるリリザに出発したんだろう。個展の準備で、遅かれ早かれ、そちらに向かうはずだったんだ。この宇宙船がのんびりリリザに到着するのを待っているわけにいかないからね』
「じゃあ、アズも先にリリザへ?」
ルナは聞いた。
『おそらくは。でも、アズがストレートに、アンジェラに別れを切り出しにいったとは考えにくい――それはすでに済んでいる話だから』
クラウドは言った。
『アズにも、なにか考えがあるんだろう。彼は傭兵だ。時間はかかるかもしれないが、かならず解決するよ。だから、ルナちゃんは待ってくれ。なんなら、こっちに来る? ひとりじゃ不安だろ』
クラウドはそう言ってくれたが、ルナは首を振った。
「ううん。こっちで、アズを待ってみる」
『そうか――じゃあ、いつ来てもかまわないけど、なにかあったら連絡して』
そう言って、電話は切れた。
不安の方が大きかったが、ルナは首を振って、空を仰いだ。
雲が重たくなり、ちらほらと雪が降ってきた。
アズラエルがいなくても。
彼がもどってきても、もどってこなくても、地球には行く。
ルナは、試験とはなにかを探し当てるのだ。
ルナは、アズラエルのパートナーで、相棒なのだ。
彼が過去の恋(?)にケリをつけにいくというなら、ルナも試験のことを調べよう。それはきっと、アズラエルにとってもクラウドにとっても、ミシェルにとってもいいはずだ。
ルナはそう決意し、ウサギのように弾む足取りで、タクシーをつかまえた。
マタドール・カフェに着くころには、大粒の雪が降り始めていた。
明日は、積もるかもしれない。




