152話 布被りのペガサス Ⅲ 2
「うああ~、もうやりたくねえ~!」
ベックが暴れながら入ってきて、テーブルに上半身を投げだし、オリーヴにまた蹴られた。ボリスもうんざり顔を隠さずに入ってくる。
「あ~、腹減った」
彼らは、テーブルの上のラーメンを、奥のもっと大きいテーブルへ運びはじめた。フライヤもそれを手伝っていると、
「ボリス、来客ってだれ。――あ、ベック、冷蔵庫からコーラ出して」
「ああ、エルドリウスさんな」
「なんだ、エルドリウスさんか。じゃァしょうがねーや。昼時に来る客なんていうから、ぶっ飛ばしてやろーかと思ったけどよ」
「親父さんが呼んだんだろ。エルドリウスさん、たぶん今夜にゃL19帰るんだろうし」
「なあ! これひとりいくつ!?」
「五個は食ってもいいぜ。あ、フライヤは二個しか食わねーからフライヤの分三人で山分けな!」
「エルドリウスさんの分は?」
「あ、数に入れてなかった」
フライヤは、「エルドリウスさん」は、他の傭兵グループの、アダムの知り合いだと勝手に認識した。
だから、来客かあ、傭兵のアジトに来客ってめずらしいなあ、くらいにしか考えず、せっせとラーメンをテーブルに運んでいた。
まさか――。
「やあ、こんにちは。昼時にすまんね」
まさか。
フライヤは、「エルドリウスさん」の姿を見たとたん、両手のラーメンを手から取り落としてしまった。「ああっ! もったいねえ!!」オリーヴの叫びも聞こえなかった。
まさか。
――どうして。
どうして、傭兵グループのアジトに、軍人が。
品のある顔立ちに、口ひげ。オールバックにセットされた茶色い髪に軍帽をかぶせた、背の高い軍人――柔和にこそ見えるが――目は鋭かった。ひどく頭がよさそうで――着ているのはL19の軍服にしか見えないし、しかも襟やポケットのあたりに勲章や階級章がジャラジャラとくっついている――ずいぶん高位の――軍人――貴族階級――。
「火傷してない?」
フライヤははっとした。はっとして、目の前の顔を見た。うつむいていたフライヤは、見上げているエルドリウスと目があった。優しくゆるめられた、茶色い目。
「きゃーっ!!」
悲鳴を上げて駆け出したフライヤを、オリーヴとボリス、ベックは呆気にとられて見送った。エルドリウスも悲鳴を上げられたのでもちろんびっくりした。だが、彼はすぐに立ち上がり、堪えきれないように肩を揺らして笑い始めた。
「これは――、これは」
フライヤが駆けて行ったほうを見て、二、三度目を瞬き、エルドリウスは言った。
「なんとまあ、可愛らしいお嬢さんだ」
「アダムさんっ! エマルさん!!」
ピザの箱を抱えて階段を上がってきたふたりに、フライヤは縋り付いた。
「大変です! アジトに軍人がいるんです!!」
フライヤの恐慌状態に、ふたりもまた目を瞬かせたが、やがて、声高に笑い始めた。
フライヤは、なぜ笑われるのかわからず、困惑したが、
「軍人って、エルドリウスさんのことか」
アダムが笑いながら言った。
「心配いらないよ。あのひとは大佐だけどもねえ――あんたが思ってるような軍人じゃないから」
エマルも苦笑して、フライヤの背を押した。
「ほら、行こう。ピザが冷めちまう」
アダムとエマルの後ろから、びくびくしながら部屋に入ったフライヤは、奥のテーブルの光景を見て、また腰を抜かしそうになった。
オリーヴやベックたちが、バカ笑いしながらエルドリウスを囲んで、ラーメンを食べていた。オリーヴときたらエルドリウスの肩をバンと叩いて噎せ返らせている。処刑確実。エルドリウスもラーメンをすすっている――しかも、フライヤが好きな激辛ラーメンを。
(L19の軍人が――大佐が――傭兵と――カップ麺食ってる――)
軍人は、高級レストランでしか食事しないものだと、フライヤは勝手に思っていた。L20の貴族階級の同級生は、カップ麺のことすら知らなかった子もいた。
「ほら、エルドリウスさんの差し入れだよ」
「うおーっ! ビート・ピザだ!」
エマルがテーブルに置いた、ピザの箱五枚重ねにオリーヴが歓声を上げる。L18の都庁付近にある有名なピザ屋で、高いけれどおいしいと評判のピザ。
近所のまずいと評判のピザ屋のピザは、あっけなく押しのけられる。
「最高! エルドリウスさん!」
「ほんとうにピザが好きだねえ、君は」
笑いながらエルドリウスは、足を組んだ。
軍帽を古びた木の椅子にひっかけ、オリーヴがピザを片っ端から頬張る様子をにこにこと眺めている。アダムがエルドリウスの隣に座り、すっかりのびたカップ麺の蓋をあけた。
「先に頂いたよアダム。すまないね、昼時に」
「いやいや、相変わらずこんなモンしかねえが、勘弁してくれな」
「かまわんよ。僕はカップ麺好きだし。よく食べるし」
「エルドリウスさん、辛いの好きだよね~」
「うん。辛ければ辛いほどいいな」
アダムたちと、親しげに会話を交わすエルドリウスは、フライヤが知る軍人とは程遠い。辛いのが好きだなんて、わたしと一緒だ。フライヤは一瞬だけそう思って、それからすぐに現実にもどった。
(なにしてるんだろう、この人たち)
フライヤは、気が気ではなかった。
(軍人にカップ麺なんか出したら、その場で殺されるんじゃないの……)
「ほら、座ってあんたも食べな」
エマルが促すので、フライヤも怯えながら席に着いた。軍人と同じ席なんて、心臓がいくつあっても足りない。
「このこったら、怯えちゃってまあ」
エマルが苦笑する。
「これは、“アダム・ファミリーの新入社員試験”だよ」
エルドリウスが悪戯っぽく笑った。
「大佐と一緒に、カップ麺を食えるかどうか」
エルドリウスの言葉に、テーブルは沸いた。笑えなかったのはフライヤだけだった。
「たしかにね。エルドリウスさんとメシ食うくらいでビビってちゃ、ウチではやってけないよフライヤ」
「無理もねえよ。まあ、俺たちが慣れちまったってだけで、軍人とメシなんて、なかなかねえことだからな」
ボリスがフォローしてくれた。
「しかも佐官だぜ。ありえねえよ、普通はな」
よかった。フライヤがおかしいわけではなかったようだ。そうだ、ボリスの言うとおり普通は――ない。ありえない。あまりに普通にエルドリウスがこの席に溶け込んでいるものだから。
将校の変装をした傭兵だと思わなければ、フライヤはここに座っていることすらできなかった。
「ボリスさんはやっぱ、そっちはなしの方向かよ」
「ねえな。エルドリウスさんくらいだよ」
「俺らの年代は、いいヤツならアリだけどな。俺も軍人のダチいたし。でも、学生のあいだはダチでいれても、やっぱ軍部入ると変わっちまうよなみんな」
ベックが、オリーヴとピザの取り合いをしながらボヤく。
フライヤは、もともとともだちが少なかったし、軍人や貴族階級の同級生は、傭兵であるフライヤを最初から差別の目で見ていたので、軍人のともだちなどいなかった。
だから、ベックの言葉は耳を素通りしていっただけだった。
「でもなァ、俺らの時代にくらべりゃ、軍人と傭兵の垣根、ゆるくなったよ。現実はどうあれ、皆の意識ってヤツが」
ボリスが後頭部で腕を組んで、椅子の上で伸びをする。足がエルドリウスを蹴りそうで、フライヤひとりがヒヤヒヤした。
「……そうかもしれないねえ」
「時代は変わるさ、エマル。こういう光景は、近いうちにめずらしくもなんともないものになる」
エルドリウスの言葉に、アダムが、なんともいえない顔をする。
軍人と傭兵が仲良くなるなんて、そんなわけあるかと心の中だけで突っ込みながら、フライヤはなるべくエルドリウスと目を合わせないようにして、心の中だけは妙に雄弁に、のびきった麺を少しずつ啜った。
「君は、ほんとに新入社員なんだね?」
ふいにエルドリウスに声をかけられて、フライヤはむせた。
なんでこっちに話を振るんだ。空気になりたいのに。
やっとの思いでうなずくと、「名前は?」と聞かれた。
「フ、フライヤです……。フライヤ・G・メルフェスカ」
「フライヤ。僕はエルドリウス・H・ウィルキンソンです。よろしく――で、彼氏いるの?」
ボリスが椅子ごと後ろにひっくり返り、アダムが口いっぱいの麺を吹きだした。
「いねーよ」
硬直したフライヤの代わりに、オリーヴが返事をした。
「彼氏いない歴=年齢」
余計なことまでいったオリーヴだったが、オリーヴの失礼な暴露は、フライヤの脳に届いていなかった。
「いないのか。それはよかった。――じゃあ、僕なんかどうかな、彼氏に」
今度はエマルとベックがそれぞれ、麺とピザを口から押し出すところだった。少なくとも、喉には十分詰まらせた。二リットルボトルのコーラを、奪い合って一気飲みするほど。
「付き合うとしたら、結婚前提で」
アダムは、もう吹くものがなかった。ゲホゲホ噎せこみながら、「ちょ……、ちょっ、待ってくれ、エルドリウスさん……」というのが精いっぱいだった。
「待っていたら、こんなに可愛い子なんだ。すぐに彼氏ができちゃうだろう。やっぱり、こんなオジサンはイヤかな」
「いや――そういう意味じゃなくてだな」
「心配いらねーよ、エルドリウスさん若いってまだまだ! それに、フライヤに彼氏できるって、それこそ傭兵と軍人の垣根なくなるくらいの奇跡だから」
友人にこれ以上なく失礼なことを言われているフライヤだったが、怒るどころではなかった。
「……。……え?」
エルドリウスの言葉を、フライヤの脳はなかなか認識しなかった――ので、小さく、それは小さく聞き返したフライヤの声を、エルドリウスは聞き逃してはくれなかった。
「結婚前提で、お付き合いしてください、フライヤ」
エルドリウスは、にっこりと笑い――それからフライヤに向かって頭を下げた。そのことによって、フライヤの優秀なはずの脳は、キャパオーバーを起こした。
「ちょ、ちょいとお待ちよ、エルドリウスさん、」
エマルもまた、ひどい咳き込みが治まってから、言った。
「……冗談だよね? 冗談なんだろ?」
「冗談じゃないよ」
エルドリウスがどんな冗談を言う人間かは、アダムとエマルもよくわかっている。少なくとも、場を凍りつかせるような冗談を言う人間ではない。彼の冗談はいつもユニークで、場を和ませこそすれ、極端な発言でもって周囲をドン引きさせるようなことはない。
では、これが冗談でないならば――。
「初めて、結婚したいと思う人が現れたんだ」
(え?)
みんながフライヤを、穴があくほど見つめているのに。それも気づかない。
(軍人が――あたしに――アタマ下げて――え? 今この人なんて言った? 結婚前提? え? この人は大佐で――軍人で――あたし、傭兵なんですけど――てか――初対面――え?)
「不束者ですけど、よろしくお願いします!!」
なぜか返事をしたのはオリーヴだった。
「あー! よかった……! フライヤに彼氏かあ……! エルドリウスさんならいいや、フライヤあげても。ほら、あたしちょっと感動で涙出てきたほら!」
「なんであんたが返事してんだい!」
エマルがかろうじて突っ込んだ。男たち絶句したまま、口を開くことができなかった。
肝心のフライヤも、容量オーバーで、固まったままだ。
フライヤの視界にあるのは、にこにこと笑っているエルドリウス。
(いったい――なにが――起こっている?)




