17話 ひとりぼっちのウサギ 2
ケヴィンたちに手を振り、タクシーにもどると、すっかりアフロは眠り込んでいた。
ルナは、後部座席にある案内板をタップした。行き先は、「K36区クレプスコロ・レイモン通り304番地5-7、サヴィアンズ・マンション25号室」。
タクシー運転手は、行き先を復唱すると、静かに車を発進させた。
アフロは、「ううーん。おかあさあん」と寝ぼけてルナの膝を膝枕に、いい気分でお休みだ。
ルナはためいきをついた。
アズラエルのマンションまできても、アフロは寝ころんだままだ。
ルナは無理やり起こした。
「起きてください!!」
「ん? うんん?」
寝ぼけたアフロの腕を肩に回し、なんとか引きずるようにして歩いた。
「アズラエルなんかあ……ひどいよおお……いくらいってもあたしと寝てくれなァい。サービスするって、ゆってもォ……」
コイツも嘘が趣味か。
ルナの目がふたたび座った。
アフロの方がルナよりはるかに背が高いのだ。引きずるはめになったがしかたがない。しかし、引きずってもどこかにぶつけても、起きないアフロも大したものだ。
エレベーターで七階を押し、アズラエルの部屋までさらに引きずった。部屋まで行くと、アフロが何回も呼出しを鳴らす。
アズラエルが出てきた。
「は? ジュリ――?」
アズラエルは、なぜルナとアフロが一緒にいるのか、理解できない顔をしていた。
ルナもだ。
「アズは、この手紙をあたしに寄こしましたか」
ルナが紙切れを突き出すと、アズラエルは顔色を変えた。
「こんなモン、書いた覚えねえぞ」
ルナは必然的に――アズラエルは反射で、酔っ払いアフロを見た。
「ジュリ! おい、ジュリ!!」
アズラエルはジュリを揺さぶった。
「この手紙、だれに渡された!!」
「え――へえ?」
ジュリは半開きの目で言った。
「アズラエルのともだちだっていうひとから」
「おまえは、それで素直に届けたのか」
「だって、おこづかいくれたんだもん」
ジュリはそう言って、ポケットからくしゃくしゃのお札を取り出した。
「お金、あるじゃないか!」
ルナは思わず叫んだが、アズラエルの怒声にとってかわられた。
「男の特徴を言え!」
アズラエルの剣幕に、ジュリはようやく目を覚ましたようだった。
「え? え、ええと、あの、鼻にピアスがあるひと……」
「ジルドか」
ジルドは、先日、ルナに接触してきた男だ。彼はルナを中央区役所に呼び出して、なにをしようとしたのか。
「いいおとこ、だった……」
ジュリはそう微笑み、幸せそうにいびきをかきだした。アズラエルは玄関前にジュリを放って、ルナの手を取り、階段に向かった。
「ちょ、ジュリさん? あそこに放ったままじゃ……」
「心配するな。そのうち起きて、自分で帰る」
ルナは絶句したが、たしかに今はそれどころではないのだった。
このマンションは、防犯のpi=poが巡回しているからすぐ救助してくれるだろうし、空調も整えられていて、あたたかいくらいだ。あの格好で外を出歩いているくらいだから、凍死はしないだろう。
「おまえがまっすぐ中央区役所へ行かず、俺のところに来たのはほめてやる」
まっすぐ行っていたら、確実になにごとかが起きていた。
ルナは中央区役所に行く気はなかった。アズラエルがマンションにいないなら、電話をしてみる。つながらなかったら、クラウドに――。
「それでいい」
「ふぎっ!」
ルナの足の遅さに焦れたアズラエルがルナを肩に担ぎ、階段をものすごいスピードで降りはじめた。エレベーターを待つより早そうだ。
「アズは、アンジェラさんのとこに行ったんじゃなかったの」
「これから行くつもりだったんだよ」
中央区役所に向かったアズラエルとルナ――アズラエルは、ルナを担当役員のカザマに預けるために向かったのだったが――区役所に入った途端に見たのは、なんと逮捕劇だった。
駐車場に自家用車を止め、アズラエルはルナを助手席から降ろすまえに、ジルドの姿を探した。その姿は、あっけなく見つかった。
「おい! 離せ、離せって!」
区役所入り口で、警備員――いや、警察に手錠をかけられ、連行されているのは、なんとジルドだった。
「ルゥ、ここにいろ」
「う、うん」
アズラエルは、ルナを残して中央区役所入り口に向かった。
「アズラエル!」
アズラエルの姿に気づき、ジルドはほっとした顔をした。
「なァ、ナントカ言ってくれ。俺はここで友人と待ち合わせをしていただけだ。不審者じゃねえって」
「友人ってだれだ。ルナのことか」
アズラエルがすごむと、ジルドは、急に目をさまよわせた。
「あなたは、不審者だから逮捕されたんじゃないですよ」
ジルドを連行しようとした刑事は言った。
「アンジェラさんのお屋敷に、捜査局が入ったんです」
「は!?」
ジルドは叫び、駆けつけたルナも口を開けた。
「株主さんのくせに、VIP船客に殺し屋をけしかけたり、船客さんを脅して降ろさせるなんて、もってのほかです。厳重注意で済んだのに、まだ続いているそうですね」
「……!」
アズラエルは「どうして来た」とルナを小突いたが、車内にもどそうとはしなかった。
「だからって、なんで俺まで、」
ジルドの必死の訴えは、却下された。
「アンジェラさんに関わっていた人間は、ぜんぶしょっ引けって言われてるんです。あんたもでしょ。ジルド・S・デボン! アンジェラさんのとこで、ずいぶん甘い汁吸ってたってのは聞いてます。われわれは、船内のどこに隠れてたって見つけ出しますよ。さ、行った行った!」
刑事の掛け声で、警察官はジルドを引きずり、パトカーに押し込めた。ジルドはまだなにかわめいていた。刑事はそれを見送り、アズラエルを見て目を丸くした。
「あんた、アズラエルさんかな。アズラエル・E・ベッカーさん」
「そうだが」
刑事は手持ちの端末をチラリと見て、「悪いが、あんたもだ」と言った。
「ええっ」
叫んだのはルナだったが、アズラエルはルナを押しとどめた。
「分かった、行こう。だが、さっきの話はほんとうか。アンジェラの屋敷に捜査が入って、関係者は根こそぎ洗われてるって?」
刑事はルナのほうをチラリと見て、それからうなずいた。
「そう。同乗者のララさんはいま、宇宙船にいないけど、あのひとにも近く話を聞くことになってる。今回は、たぶん情状酌量の余地はないよ」
まるで、ルナに言い聞かせているようだった。
「じゃあ、もう、ルナに危険はない?」
アズラエルの台詞に、刑事はうなずいた。
「くわしい話は、彼女の担当役員さんから聞いて。もうだいじょうぶです」
最後の言葉は、はっきりと、ルナに向かって言った。
そのときだった。ルナの携帯電話が鳴ったのは。ルナが出ると、相手はカザマだった。
『ルナさん、大変重要なお話があります。いまどこにいらっしゃいますか』
ルナは、アズラエルと目を見合わせた。
「中央区役所のまんまえです」
『あら』
カザマの驚いた声が電話向こうからした。アズラエルが手を出したので、ルナはアズラエルに電話を渡した。
「ずいぶん早く手配してくれたんだな」
『ええ。もしかして、ルナさんを連れて来てくださったんですか』
「俺はいまから刑事と一緒に警察へ行く。ヤバかったんだ。ルナはヘタをしたら、ここで待ち伏せしていたジルドに連れていかれたかもしれねえ」
「どういうことです」
聞いたのは刑事だった。
「それはいまから俺が警察に行って話す。ミヒャエル、あんたはルナから話を聞いてくれ」
携帯電話を耳に当て、ジャケットとクラッチバッグを片手に役所から飛び出してきたカザマの姿を確認すると同時に、アズラエルは携帯電話をルナに返し、刑事といっしょに役所をあとにした。
「アズ」
ルナはアズラエルの手をにぎったが。
「心配するな」
と小さな笑み交じりの返事が返ってきた。
ルナはカザマと一緒に、警察車両に乗り込んで、去っていくアズラエルを見送った。
「偽の手紙で、おびき出されるところだったんですか……!?」
さすがにカザマは仰天した。
カザマは到着するなり、ルナを連れて、中央区役所ではなく、役所と株主総合庁舎に隣接する要人専用のグランドホテルに移動した。セキュリティ完備の、船内でもっとも安全なホテルである。
ルナはカザマの配慮で、今日はここに宿泊することにした。もちろん、目が飛び出るような宿代はE.S.C持ちである。
「メモには、中央役所で待ち合わせって書いていたけども、なんだか怪しいと思って……アズならメールか電話をくれるはずだし。だから、アズのマンションに行ってみたんです。そうしたら、アズはこんなの書いてないって」
ずいぶん古典的な、しかも短絡的な方法に、カザマは呆気にとられた。
「役所の目と鼻の先で誘拐しようとしたなんて」
信じられないと言ったふうに首を振り、それから、ルナを落ち着かせるために告げた。
「アンジェラさんは、早晩、宇宙船を降ろされます」
「ほんとですか」
ルナのウサ耳が、ピコン、と立った。
「アズラエルさんも、お話を聞くだけで帰されると思います。彼の降船も多分ないでしょう」
「よかった……」
ルナのウサ耳は、ようやく安心したように、ぺったりと垂らされた。
「昨夜、アズラエルさんから証拠物件と申しますか、彼とジルドさんとの会話を録音したものを受け取ったんです。それで、とにかくあなたの安全を優先させてくれと」
アズラエルはルナのために、カザマに頼みに来てくれたのか。
「自分のせいで、あなたを危険にさらしたことを後悔していらして――それで、すぐにアンジェラさんのところへ向かうと仰られたんですが、わたくしがお止めしたんです」
「カザマさんが?」
「ええ」
昨夜のうちにL55の本部に打診した。翌朝すぐ警察が動けば、アンジェラのもとにいるといっしょに捕まってしまうので、一日待ってみたほうがいいと。
「カザマさん、ありがとうございます!!」
ルナは思わず叫んだ。おかげでアズラエルは、アンジェラの取り巻きと一緒に逮捕されずに済んだのだ。そちらといっしょに捕まっていたら、降船は免れなかっただろう。
「いいえ――ともかくも、これだけのことが起こったのですから、ララさまも真剣に考えてくださるでしょう」
カザマは、ララのことを知っているような口ぶりだった。
「アンジェラさんは、ララ様お気に入りの芸術家なんです」
「芸術家……?」
「そう。一番のお気に入りで、ララさまの事業にも、アンジェラさんはなくてはならない方です。ですから、彼女のことをずいぶん甘やかしていらっしゃる。それに、ララ様の多忙もあって、先だってのことも、アンジェラさんにつけた役員のアレニウスに一任して、自分はほとんど蚊帳の外だと伺っています」
「……!」
「カレン様のことでは激怒されましたが、アンジェラさんは、ララ様がどれだけ怒っても、自分はララ様の事業に必要不可欠な人間で、けっしてあの方が見捨てないとわかっていらっしゃるから、こたえていないんです。その甘えが今回のことを引き起こしたのでしょう」
ルナは絶句した。
「主要株主でなくとも、一定の株を保有している株主は、チケットなど関係なく、自由にこの宇宙船に乗れます。たとえ降船処分になったところで、アンジェラさんにはまったくダメージはありません。ララさまもそうです。地球行き宇宙船に乗らなくても、リリザやマルカ、E353には行けますし。ララ様の事業にも、なんの影響も及ぼさない」
「そんな……」
ルナは、ぎゅっとスカートをにぎった。
なんだかとても悔しかった。チケットが当たらなければ、この宇宙船には乗れないルナたちとはちがい、彼らはいつでも乗り降りできる――三ヶ月ルールもない。だから、自分の勝手で、せっかく乗れた人を、簡単に降ろすことができるのだ。
「しかし、アンジェラさんが降ろされれば、ルナさんの安全は保障されます。今年度末にはリリザ到着で、個展の用意でアンジェラさんも忙しくなるでしょうし。もう小細工はできないはずです」
それに、と彼女は付け加えた。
「これ以上のことがあれば、さすがにララ様もかばい切れません。アンジェラさんは逮捕されるでしょう」
カザマは優しく言ったが、ルナは浮かんできた涙をぬぐった。
「カザマさん」
ルナは言った。
「あたし、地球に行きたいです」
カザマは、微笑んでうなずいた。
「はい、ちゃんと地球まで、ご案内させていただきます」




