149話 鍵 Ⅲ 3
「ごめんね、待たせた? オリーヴ」
フライヤが、ノートパソコンを二台も抱えてオリーヴの席へやってくる。今日はこれから一緒に、メフラー商社のアジトへ行って――アジトは、昔自分たち家族が住んでいた下町のアパートだが――アダムにフライヤを紹介し、バイト代をせしめて、ふたりでカラオケにでも行くのだ。
「待ってねえよ、そんなに」
フライヤは席に着くなり、ノートパソコンを開いた。
「ね、見て! これ見てオリーヴ!」
「なに?」
「いいからこの画面読んでて! あたしもなにか頼んでくる」
フライヤはパソコンの画面をオリーヴへ向けると、自分は注文をしに行った。オリーヴは気だるげに画面を覗き込み、ぽかん、と口からストローを落とした。
「――え? へい、かん?」
“L05の、サルーディーバ記念館が、今月末を持って閉館いたしました。”
オリーヴは、ニュース速報のその文字に、寝ぼけ眼をカッと目を見開き、あわててクリックした。別のブラウザが開き、ニュースの内容が一面に表れた。
“百数十年の歴史ある記念館が閉鎖されたのは誠に遺憾でありますが、ここ近年は観光客も少なく、運営は困難を極めて……、”
“L03が混迷という状況もあり、関与は少ないとみられますが、歴史あるサルーディーバの遺産を焼却処分という措置には、世界遺産保護団体からも抗議の声が寄せられ……、”
“百四十年もの間館長をつとめられた――氏が、●月×日、死去されたのも閉館に至る原因――。”
「……ンだこれ! あそこ、なくなっちゃったの!?」
カフェラテを持って席にもどってきたフライヤに、オリーヴは唾を飛ばして食ってかかった。
「そう。昨日、ネットのニュースで拾ったの」
フライヤもオリーヴの唾が飛んだ液晶画面を拭いたあと、残念そうに言った。
「今月末って、こないだよね。もう、記念館自体が解体作業にかかってるって。中の絵とかも、ぜんぶ焼却されちゃったんだって」
私、個人的に行ってみたかったな、というフライヤの言葉を無視し、オリーヴは怒鳴った。
「ええっ!? 冗談だろ。だって、サルーディーバの遺品だぜ!?」
「うん、オリーヴ声でかい。――だから、ニュースにも書いてあるけど、L03から文句がくるんじゃないかって、L05の政府は心配してるみたい。世界遺産の保護団体も抗議しに来たしね。でもね、百五十六代目サルーディーバの遺言とかで、もとから時期が来たらここは壊す予定だったし、絵もぜんぶ焼却するんだって、最初から決まっていたんだって。そういう話もあるみたいよ」
「……」
「不思議だよね。サルーディーバなら、L03に記念館があるはずなのに。L05にあるって、おかしな話よね。ちょっと調べたら、あれ、もとはサルーディーバの別荘ってことになってたみたいだけど。百五十六代目サルーディーバって、L05で亡くなってるし、お墓もそっちにあるんだって。……もしかしたら、L03を追い出されでもしたのかな。調べてみる価値、あるかも」
オリーヴはなにも言わなかったが、フライヤは続けた。
「オリーヴが会った、あのおじいさんも亡くなったのね。百四十七歳だって。びっくり。……あのあたりって、極端に長寿の人間が多いんだね。L02のひとじゃあるまいし」
オリーヴは、警備員だと思っていた、あの老人の写真を見つめた。
彼は館長だったのか。写真の彼は、僧の衣装を着ている。百四十七歳。
年齢に驚くより、彼が百五十六代目サルーディーバの時代から生きていた、ということにオリーヴは絶句した。そんなに長い年月、オリーヴを待っていたのか。自分は生まれて、二十年そこそこしか経っていないけれど、もう少し早く行ってやればよかった、とオリーヴは思った。
「オリーヴが手紙を取りに行ったことで、あの記念館も、おじいさんも、役目を終えたのね……」
フライヤが感慨深く、つぶやいた。
「……あの、船大工の兄弟の絵も、燃えちゃったのかなあ」
オリーヴが、アイスコーヒーを未練がましく、ずずず、と啜りながら言った。
「燃やしちゃったでしょうね。だって、もうぜんぶ処分しちゃったっていうんだから」
「――ダメ。あたし、もう、立ち直れない……」
ララは、豪奢な天蓋つきベッドに横たわって、うんうん唸っていた。シースルーの色っぽい寝間着姿に、羽の枕に流れる艶やかな黒髪。美しい白皙の頬は、熱でほんのりと色づいていた。
その中でひどく目立つのは、額に張られた冷えピタ。
「ララさま、お気をたしかに!」
「しっかりしてララさま! あなたが死んだら、私も死ぬわ!」
ララの手を握っておんおん泣いているのは、ララの取り巻きの美男美女だ。ここにアンジェラはいなかったが、彼女もめずらしくララを心配していることはたしかだった。取り巻きが励ますのに疲れてここを留守にするときだけ、彼女はララの寝室に現れた。
ララは数日前からこのとおり、熱で寝込んでいる。知恵熱だ。大変なショックから来た、知恵熱。主治医はそう診断した。
「アンジェ!!」
見舞いに来た専属占い師の姿を認めた途端、ララは羽根布団から跳ね上がり、般若のような形相で、取り巻きを追い払った。だれもが、ララの機嫌を損ねたくはない。みな怯えた表情で、しずしずと部屋を退室した。
「具合はどう?」
取り巻きに代わってベッドサイドに近づいたアンジェリカの細い首を、骨ばった白い手が、がっと締め付けた。
「あんた! 知らなかったとは言わせないよ!!」
「な、なんのこと……!」
男の力でギリギリと喉笛を締め上げられ、アンジェリカの顔もララの顔と同じくらい赤く染まった。
「すっとぼけるのも大概におし! 神話の絵のことだよ!!」
「ララ」
アンジェリカは、ララの腕をさすった。息苦しさにあえぎながら、なんとか言葉を紡ぐ。
「ZOOカードは、すべての事象を見られるわけじゃない。あたしが気を付けて、見ようとしたものしか見れないんだから。今回のことは、まるで予測できなかった。だって、船大工の兄弟の絵が、残っている、なんて、こと、知ら、なかっ、た、んだから、」
ララがショックで寝込んでいる理由――それは、先日の、サルーディーバ記念館の閉館が理由である。
もっと直接的に言えば、「船大工の兄弟の絵」が、焼却されてしまったことである。
ララは、地球行き宇宙船の株主であり、世界遺産保護会の理事も務めている。彼女もまた、サルーディーバの絵の処分には大反対であった。なにせ、彼女にとってはご神体同然の絵を描いた、サルーディーバの作品群である。
ララにとっては神より大事な、百五十六代目サルーディーバの絵。
伝説の絵師ももちろんだが、彼の絵も至宝だ。
記念館の維持資金援助も、ララは無償で申し出ていた。だが、L05のほうが、ずっとララの申し出を拒んでいた。
ララの前歴――L44の高級娼婦だったことを理由に支援を断り、また、サルーディーバの遺言――絵画を持ち出してはならない、来たるべきときがきたら、いっせいに処分する――という、ほかにも、数え上げればきりがない理由から、ララの介入を拒み続けていた。
ララがせめてもと望んだ絵画のリストのコピーも渡さず、ララの訪問自体も、拒まれていたのであった。
記念館のつれなさは相当なものだったが、それでメゲるララではない。ララは執念ともいえる根性で、サルーディーバ記念館の援助を申請し続けていた。
しかしまさか、ララも思いもしなかった。生涯をかけ、心血を注いでいる、マ・アース・ジャ・ハーナの絵画――そのうちの、失われていた「船大工の兄弟」の絵が、サルーディーバ記念館にあったなんて――。
閉館してからの、記念館の行動は素早かった。一日で絵画を焼却してしまい、建物の取り壊しも次の日から始まった。ララが閉館のどさくさに紛れてやっと入手したリスト――もう、物はなくなったのでいいと思ったのか――リストの中に、「船大工の兄弟」の絵があった。
その昔、サルーディーバの予言の絵と入れ替わりに、宇宙船から忽然と姿を消した絵画が。
ララの絶叫は、屋敷中に響き渡るほどであった。
絵があることを知ったのは、すべてがなくなってからである。
ただでさえ、雷で三枚の絵が焼け焦げてしまった先日の事故――ララのショックは尋常ではなかった。もう立ち直れない、とうわごとのようにつぶやき、高熱を出して寝込んだ。
寝込んで一週間、取り巻きのほうが死にそうな顔で毎日泣いているので、うっとうしくなったアンジェラが、アンジェリカを呼んだ、そういう経緯である。
ララの手がゆっくりとアンジェリカの首から離れ――彼女はゲホゲホ咳き込んだ。本当に殺すつもりか。ララの場合、冗談ではないときがあるから、笑えない。
「ララ」
アンジェリカは、彼女を落ち着かせるように、一歩引き、声をかけた。
「……あんたを責めても詮無いのはしってるさ」
ララは、魂まで抜かれたようにげっそりした顔で、ぽつり、言った。
「真砂名の神様は、いつまであたしを試すんだい」
「ララ」
元気づけようとしたアンジェリカの手を振り払って、ララは叫んだ。
「伝説の絵師の生まれ変わりだって、ちっともあたしの前に姿を見せやしない! 絵は焦げちまう! もう修復不可能だ! おまけに、やっと見つかった船大工の兄弟の絵だって……!」
そこまで言って、ララは顔を覆って号泣した。
「なんてことだよ……! もういや、もうたくさんだ……!」
「ねえ、落ち着いて、ララ」
「もうたくさん! ……あたしは、もう、船降りるよ」
「ええ!?」
今度はアンジェリカが叫ぶ番だった。
「あたしは、この宇宙船に伝説の絵師の生まれ変わりが乗るっていうから、ぜんぶの業務よりこっちを優先して船に乗ったんだよ! なのになにさ! いつまでたってもその人には会えない。あたしゃ、ヒマ人じゃないんだよ! この調子じゃ、会う前に地球に着いちまうじゃないか! おまけにせっかくの絵も台無しになっちまって、あたしゃ宇宙船に乗ってから踏んだり蹴ったりだ! ああ、――船、船大工……、」
ララは泣きながら、肩をガックリと落とす。
その憔悴ぶりに、アンジェリカのほうが言葉を失って――彼女の嗚咽がすこしおさまるのを待ってから、背を撫でながら訴えかけた。
「ララ、ねえ、落ち着いて。すこし落ち着こう」
「……」
「ララがこの宇宙船にいなくちゃ、せっかく伝説の絵師の生まれ変わりが現れても、彼女を導けない。ララがいなくちゃ、彼女はただの女の子だ。ララが才能を見出して、彼女を導かなきゃ、伝説の絵師の才能は蘇らない。そうだろ?」
「……ひぐっ」
「それに、あの燃えた三枚の絵は、必ず彼女の手によって生まれ変わる」
「……うえっ」
「ララが失った、すべてのものを、最初よりもっと素敵な状態でララに返してくれる。ララが待っている相手は、そういう相手だ」
「……ひぎっ」
「真砂名の神は、最高にいい“時”に、ララと彼女を会わせようとしている。だから、時が熟するのを、待つしかないんだ。彼女も、ララに会いたくて、今か今かとその時を待っている」
「……。……ふ、ふ、ふ、ふな、ふなだいくの、えは……」
しゃくりあげながらアンジェリカを睨むララだったが、アンジェリカは、これには返事に窮して、
「ズ……ZOOカードを探ってみるよ」
アンジェリカは、ふたたびつかみかかられる前に、這う這うの体でララの寝室から逃げねばならなかった。本当に殺されては大変だ。
ララがどん底から浮上するまで、しばらくの期間が必要だったが。
真砂名の神は、ララを見捨ててはいなかった。
「オーライ、オーライ!」
宇宙船、中央区にある、郵便業者の巨大倉庫へ、大型トラックが荷物を運び入れてきた。この三日、エリアG55に停泊し、物資を供給した宇宙船。立ち寄るエリアでは、物資だけでなく、L系惑星群などからの郵送物も同時に運び込まれる。
たくさんの木箱や段ボールをトラックから運び出した彼らは、最後に、平たい、大きな梱包材を倉庫へ運び入れた。
割れ物注意、厳重注意、とこれでもかとシールが貼られ、かけられた保険の額に、役員は目を剥いた。
「なんスかね。これ、絵ですかね」
「絵だろうな」
「でかいなあ」
「梱包してっからでかいけど、百号くらいじゃねえかな」
「くわしいッスね。絵のサイズですか、それ」
荷物を分別する役員たちは、宛名と送り名をチェックしながら雑談を交わす。
「えーっと、……届け先はK27区。ルナ・D・バーントシェント。……ああ、ここンち、一ヶ月間荷物取り置きだ。旅行に出かけてるんだとよ」
「へえ旅行かあ。いッスね」
「送り主は、L05、サルーディーバ記念館館長……っと。このルナって人、画家かなんかかな」
「でしょうね。じゃなきゃ、画廊経営とかしてんのかも」
今回、リッチな人けっこう乗ってるってハナシだから、と青年は笑い、中年作業員も、「俺もあやかりてえなあ」と笑った。
「配達証明書、今からL05に向けて出しとけ。急ぎじゃねえから、一ヶ月後にゃ、あっちにつくだろ」
「はーい」
「あ、そっとな! そっと運べ! 絶対キズなんかつけんなよ! おまえらの一年分の給料が保険で持ってかれるぞ!」
「はいはい」
「ウーッス」
配達証明書は、二ヶ月後、サルーディーバ記念館がなくなっていたために、送り返されて来た。館長もすでに死去し、受け取る相手がいなかった。
ルナが郵送物を取りに来るまでの数日――船大工の兄弟の絵は、郵便庁舎の倉庫の奥で、しずかに眠ることになったのである。




