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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜ZOO・コンペ篇〜
344/952

149話 鍵 Ⅲ 2


(さっすがフライヤ)


 オリーヴは、足音をまったく立てずに、暗闇の廊下を、暗視ゴーグルひとつでひた走りながら、友人を褒め称えた。


 ただいま、午前五時に数分前。廊下の窓ガラスの外は、猛烈な砂嵐だ。

 砂嵐の時間帯に忍び込めと言ったのはフライヤだった。


 監視カメラをすべて切っても、怪しまれない。旧式の監視カメラは、砂嵐で機能を果たさなくなる。オリーヴは、もともとカメラをぜんぶ切ってもらわなくても、カメラに映らないように移動し、任務を果たす自信はあった。切ってもらうカメラは、ターゲットのある部屋の入り口だけでじゅうぶん。だがフライヤの提案のお(かげ)で、カメラを気にすることなく、ターゲットまでまっしぐらに進める。


 持つべきものは、頭のいい友人だ。


(おかげで、予定より早く達成できる)


 この地域は、季節がら夜明けは遅い。午前七時ころにならないと、陽は上らない。陽が上がらないと、交代の警備員はやってこない。


 すべて、フライヤが下調べしてくれた内容だが、おかげで、時間にもたいそう余裕がある。


 さっきオリーヴは宿直室を覗いてきたが、たったひとりしかいない夜間警備員が、廊下まで漂ってくる酒臭い(いびき)をかきながら、酒瓶を手に寝転がっていた。なんという体たらくか。オリーヴとしては、楽でいいが。警備的には杜撰(ずさん)もいいところだ。


 だが、そういうときこそ油断するなと言う、父と兄の説教が脳内でこだましたオリーヴは、一応用心深く、観音開きの戸を開けた。かかっていた錠前は、キーピックで簡単に開く。こんな鍵、傭兵には朝飯前だ。ありとあらゆる箇所が旧式で、難所はまったくない。


 なんの障害もなく、スムーズに目的の部屋へたどり着いたオリーヴは、ここだけ慎重に、もったいぶって戸を引いた。


 室内は暗く、ホコリ臭かった。絵のみならず、床にもホコリが薄く積もっている。おそらく、掃除も年に一度程度しかしないのだろう。あとは、人が入ることもなくほったらかし。


 オリーヴは、フライヤがすでに位置を示してくれていた、船大工の兄弟の絵に歩み寄った。表の絵面をたしかめはしたが、裏に手紙が挟まっているのはこの絵だけ。あちこちたしかめる必要もなかった。


 オリーヴは、裏の木枠にはさまれている、黄ばんだ白い紙の封筒を手に取った。赤い(ろう)でシーリングされている。押された模様は、ワシの紋章。あまりいい気分にはならない、ドーソンの紋章だ。


(……?)


 宛名をたしかめようとしてひっくり返すと、白い紙がくっついていた。その二つ折りの黄ばんだ白紙から、写真がはらりと零れ落ちた。


 オリーヴがその紙を剥がすと、手紙の表書きが表れた。


「グレン・J・ドーソンへ」と書いてある。封筒は軽い重みがあり、中に固形物が入っている。指でたしかめた形は鍵の形状――これが、メルーヴァがグレンに送れと言った手紙だ。間違いない。


 では、この白紙は。


 オリーヴは、写真を拾い上げ、白紙を開いた。中には殴り書きがあった。急いで書いたと思われる、乱れた筆跡だ。


「この封筒を取りに来たものへ」


 オリーヴは、よけいなことと思いながらも、読まずにはいられなかった。この字が、見知っている人間の字に似ていたからだ。


「この写真も、一緒に持っていってほしい。だが、この写真は、グレン・J・ドーソンには送らないように。来たるべき日にち――L歴1416年10月10日に、別の人物へ送って欲しい。送り主の名は、ルナ・D・バーントシェント」


 ルナ・D・バーントシェント? 知らない名だ。


「かならず、その名を知るときがくる。きっと、百年後はそうであろう、私の愛しい幼馴染み、オリーヴへ。クラウド・D・ドーソン」


 オリーヴは硬直した。


 ――そうだ。見間違えるはずがない。これは、クラウドの字だ。


 兄の友人であり、自分たち兄妹の幼馴染みであり、一度は恋人だった、あのクラウドの字。


 だが、クラウドがなぜ、ドーソンの姓を? クラウドの姓はヴァンスハイトだ。


 ――それになぜ、あたしがこの手紙を取りに来ることを知っている。


 百年後はそうであろう、私の愛しい幼馴染み。


 ――百年後? それではこれは、百年もまえの手紙なのか。百年も前の人間が、オリーヴがここに来ることを、知っていたというのか。


 ここにある絵は、すべて、百五十六代目のサルーディーバが描いた絵だ。

 サルーディーバが、自分がここへ来ることを予言したのだろうか。


 オリーヴはそう思った。だが、なぜ百年前に、クラウドがいる。この筆跡は、オリーヴが知る、あの幼馴染みのクラウドの字だ。


 困惑した頭で、彼女は暗視ゴーグルを外し、写真を眺めた。目を凝らして写真を見る。十人ほどの学生が映った写真だというのはわかった。制服姿だったし、姿形はみな、若かったからだ。


 砂嵐がやんだ。


 砂に覆われていた外界は静かになり、厚く張った雲も晴れ、月の光が窓から室内を照らした。


 オリーヴは、写真の全容が目に入り――愕然(がくぜん)とたたずんだ。


(なに、これ)


 どうして、大昔の写真に、百年前の写真に――兄がいるのだ。しかも、将校の制服を着て。


 兄のアズラエルだけではない。グレンも――そして、クラウドまでいる。


 オリーヴは、写真を裏返した。写真の後ろには、人物の真後ろに来るように、名前が記されている。


 中央の人物は、「ロメリア・D・アーズガルド」。

 兄の姿の後ろにあるのは、「アシュエル・B・ターナー」。

 グレンの姿の後ろは、「グレン・E・ドーソン」。

 クラウドの後ろは、「クラウド・D・ドーソン」。


 背景は、アカラ第一軍事教練学校の門だ。今の制服とはだいぶちがうが、これは将校と傭兵の生徒だろう。グレーとカーキの服装の若い男女が、十人、校門の前に立っている。


(なんで、兄貴が、将校の制服着てンだ……)


 兄に似合わず、きちんと制服を着こんで。いつもTシャツばかりで、まともに上着を着たためしもなかった、兄が。


 いや、兄ではない。これはだれだ。兄にそっくりだが、兄ではない。アシュエル・B・ターナーと、まるで見当ちがいの名が記されている。


 このロメリアという男は知らない。兄の友人にもそんな名はなかったはずだ。ほかの六人の名も、オリーヴには思い当たる節がまるでなかった。兄やクラウドが、一緒に写真を撮るほど仲がいい仲間だというのに、オリーヴには、聞いたことのない名ばかり。


(な、なんなんだよ、これ……)


 オリーヴは混乱し、焦って、立ち往生(おうじょう)した。目的を達したなら、すぐにでもここを出て行かなければならないことは分かっているのに、足が動かなかった。


「だれかいるのかや」


 扉付近にランプの灯り――。


 オリーヴは、我に返った。

 中に、人が入って来ようとしている。このままでは見つかってしまう。危ういやり方だが、当て身で気絶させるよりほかはない。オリーヴの身体が反射で動いた――が。


「あんた、オリーヴさんかや。オリーヴ・E・ベッカーさん」


 オリーヴの右ひじが、男の脇腹直前で止まった。男は、さっき宿直室で大いびきをかいて寝ていた警備員だった。


 おかしな共通語。語尾の発音が奇妙だ。オリーヴは、この警備員がずいぶん年寄りなのを認識して、とたんに気まずくなった。この老人に当て身をかましていたら、息の根まで止まっていたかもしれない。


「オリーヴさんかや?」


 年寄り警備員は、オリーヴの警戒を溶かすような眼差しで、もう一度聞いた。


「……そうだよ」


 オリーヴがうなずくと、彼は、「手紙を取りに来たのかや」とふたたびたずねた。


 オリーヴがまたうなずくと、彼はオリーヴを見上げ、合掌(がっしょう)し、ふかぶかと頭を下げた。床に、ぽたぽたと(しずく)が落ちた。この老人は、泣いているのだった。


「真砂名の神のお恵みが、あなたにありますように」


 ――老いぼれの役目が、ようやく終わりました、サルーディーバ様。





 ……オリーヴが、まるで逃げるようにフライヤを連れてL05を出て、一週間。


 手紙は、すでに速達で、地球行き宇宙船に送った。グレンの元に届くのは、一週間ほど先だろう。


 写真と、クラウドが残した紙は、オリーヴの手元にある。ルナという人間の名は知らないが、来年、彼女――おそらく彼女――に送ることになるのだろう。


 結局、あの写真の正体はわからないのだが、なんだか考えたり追及したりするのが怖くなって、オリーヴは写真のことは忘れることに決めた。


 だが、ルナという女性に写真を届けることは、「クラウド」から、オリーヴに依頼された仕事だ。彼が自分の知っているクラウドと同じかはわからないが、同じクラウドつながりで、引き受けてやってもいいかな、と思ったのだ。


 送る日付は1416年10月10日。


 それだけを覚えていることにして、オリーヴは写真を引き出しにしまった。ルナという人間が、そのときまで分からなかったら、そのときはそのとき。父親にも母親にも、写真のことは話していない。知っているのは、一緒に仕事をしたフライヤだけだ。


 老人警備員は、盗みに入ったオリーヴを咎めることもなく、笑顔で彼女を送り出した。


「ありがとう、ありがとう」と何度も礼を言って。


 盗みに入って礼を言われたのは、オリーヴの人生上、まぎれもなく初めてだ。


 居心地の悪さを感じながら宿にもどり――もうこれ以上、訳の分からないことはゴメンだとばかりに、フライヤを急かしてL05を発った。


 そして一週間後の今日、オリーヴは、L18にもある件のチェーン店で、アイスコーヒーを飲みながらフライヤを待っていた。


 なんとなく、L05であの気味の悪い食べ物を食して以来、(トラウマにでもなったのか)連日このチェーン店へ足が向かってしまうのである。コーヒーの味で、自分を安心させるためにだ。二度と、現地人と同じものは食べないと、彼女は誓った。



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