149話 鍵 Ⅲ 1
「……アダムさん、絶対怒ってるって」
「怒ってねえって。だから気にすんな」
砂嵐がごうごうと唸る野外は、出歩ける状態ではない。
中途半端なL系惑星共通語を話すこの店の店主から聞いたが、今は、このあたりは猛烈な砂嵐の季節なのだそうだ。一日に一度は、すさまじい嵐で、屋外へ出られなくなる。砂ぼこりで視界が遮られるだけでなく、人が吹き飛ばされる強さの風だから、絶対に外へ出てはならないのだそうだ。
こんな時期に来る観光客はあんたらくらいだと冷やかされ、食事をしていればそのうちやむと教えられた。だから、オリーヴとフライヤは、この店で早めの昼食をとることに決めたのだった。
「なんだこの、気持ちわりイ食いモン」
「このあたりの郷土料理よ。見た目はたしかにアレだけど、……味は悪くないわ」
「ゲロみてえ」
「それ言わないで。あたし食べられなくなっちゃう」
ふたりは、皿に盛られた、リゾットとも、ふやかしすぎたオートミールとも呼べない、緑と白のマーブルな液体を、慎重にスプーンですくって、口に運んでいた。
「これ、なあに?」
フライヤがなんとか作った笑顔で、皿の中身を尋ねると、ウェイトレスは笑顔で答えてくれた。料理の名と、原材料と調理法を。そして、どれだけ栄養があるのかをコンコンと話して聞かせた。共通語ではなかったので、オリーヴは「なんて言ったんだ?」とフライヤに聞いた。
フライヤは吐きそうな顔をして、「聞かない方がいいよ」と言った――だが、オリーヴは好奇心に負けて、さらに聞いた。
「……虫だって」
このあたりでよく取れる、でっかい虫。
フライヤは、調理法は言わなかった。オリーヴは、皿の中身をぶちまけそうになったが、これを食べないと腹が減るし、このあたりでは、ここが一番うまい店だと聞いたのだ。
聞かなきゃよかった。
ふたりはひどく後悔しながら、ミネラルウォーターとともに、なんとかそれを流し込んだのだった。
「うっげ……。もういやだ。もう絶対ヤダ。二度と、現地人と同じモン食わねえ」
「五十メートルも歩けば、ハンバーガーショップがあったよ」
「なんでそれ、先に言わねえんだよ!!」
「オリーヴが言ったんじゃない。ここに入るって」
「だって、砂嵐が目前に来てたしよ……。親父も言ったんだよ。まず、星に行ったら、その星の、土地のモン食えって」
「お父さんの言い分は悪くないし、今回は、あたしたちの当たりが悪かったのよ」
フライヤは、歩きながら端末を弄っている。
「あそこ、このあたりじゃ一番おいしい店だって、駅でも言ってたしね。L05だって、首都近くに行けば、あたしたちが普段食べてるものと変わらないものが出てくるよ。……このあたり、原住民とのミックスが多いんだね。田舎だし。だから、ああいう、ちょっと変わったものがでてくる」
「ちょっとォ? ちょっとかなァ~?」
砂嵐がやみ、薬みたいな味のするコーヒーを飲んだあと、ふたりは店を後にした。まだ風は強いが、砂が視界を遮るほどではない。
現地人に紛れ、大きな一枚布を巻きつけた格好であることに変わりはないが、オリーヴとフライヤの容姿は、対照的だ。
染めた金髪に、濃い化粧ではあるが、もとはアジア系の平坦な顔のオリーヴ。彼女は父親に似て、アジアの血が色濃く出ていた。体格も父親に似て大柄で――ベッカー家はどちらに似ても大柄になることは間違いないが――丈の短いTシャツと、下着の見えそうなショートパンツのなかに、豊満な身体を押し込んでいた。
対して、フライヤは、オリーヴよりちょっぴり高い身長だが、縦にひょろ長く、体形に凹凸が少ない。漆黒の髪をふたつに結わえて、黒縁の大きな眼鏡をかけていた。大きな目をした、華やかな容姿を持っているのに、地味にしか見えないのは、フライヤの性格が地味だからだろう。同じくTシャツとジーンズの服装だったが、世辞にも洒落ているとは言えなかった。すっぽりとフードを被ると、童話に出てくる魔女みたいになる。
「次の砂嵐は明日の午前五時――ね」
「だいじょうぶだろ。仕事なら、夜半前にすむさ」
「……オリーヴ。さっきのコーヒー……」
「え?」
フライヤが、泣きそうな顔で画像をオリーヴに見せた。
「あれも虫だって」
ネットの画面には、この土地のコーヒーと呼ばれるものは、虫の抽出液で、現地の人と同じものを飲むと腹を壊すという解説が書かれていた。ご丁寧に、虫の画像まで添えられて。
虫しか食わねえのかこの辺は! 絶叫するオリーヴを、道を歩く僧たちが不審げに眺めていく。
「……フライヤ」
「なに?」
「あそこのハンバーガー屋で口直ししねえ?」
「賛成」
L系惑星群全土にあるチェーン店に入った二人は、ようやく本物のコーヒーにありつけた。見慣れた紙コップに入った濃い味のコーヒーに、ふたりは涙を流さんばかりに喜んだ。
「これこれ! これがコーヒーだよな!」
「最初から、こっちに入っていれば良かったんだよね」
嫌味とも取れるフライヤのセリフに、オリーヴはしかめっ面をしたあと、「さて、作戦は今夜決行。……どうすっかな」とつぶやいた。
オリーヴの任務は、今は博物館になっている、百五十六代目サルーディーバの別荘に忍び込んで、ある手紙を調達してくることだった。
その手紙は、「船大工の兄弟」という、マ・アース・ジャ・ハーナの神話の絵の、裏側に挟まれているらしい。
手紙の中身は鍵だそうだ。それを調達したのち、グレン・J・ドーソンに送付する。
それが、メルーヴァから依頼された任務。
オリーヴは、父親の代わりにその任務を実行中なのだった。
無論オリーヴも、グレンのことは知っている。兄が毛嫌いしていた男。それ以前に、ドーソン一族で、アカラ第一軍事教練学校の生徒会長も務めていたとなれば、オリーヴたちの年頃では、知らないという方がめずらしい。
そのグレンに、どうしてL03の革命家が、鍵など送るのか。彼らの間に、なんのかかわりがあるのか。
それは過ぎた好奇心であり、傭兵が追及してはならないところだ。オリーヴもよくわかっている。伊達に、傭兵一家の中で育ってきたわけではない。オリーヴは、彼女らしく一瞬の好奇心を覗かせたあとは、疑問をすべて頭の中から追い出した。
己の任務は、鍵を博物館から盗みだし、特定の人物に送る仕事である。
オリーヴがL05に到着したのは今朝だ。今は、L03が革命で混乱状態のために、辺境惑星群全体の検閲が厳しくなり、入星しにくくなっている。L18から出発したはいいが、惑星群入口のL09で一週間の足止めを食わされ、今日やっと、L05に入れたのだった。
「傭兵なのに、なんでこんな泥棒みたいな真似しなきゃいけないんだか」
「仕方ないじゃない。任務だもん。大切な、任務だよ」
「あたしは、戦う方が合ってる」
「ぶつくさ言わないで、オリーヴ。ほら、博物館って言っても、警備はたいしたことないよ」
フライヤはさっき持っていた端末とは別に、小型のノートパソコンを開いて、なにか打ち込んだ。パッと画面に表れたのは、博物館の監視カメラの映像だ。
「ぜんぶ旧式だね。それに、この博物館自体、観光客がほとんど来ないし。ふだん管理してる従業員も、ひとりしかいないよ。監視カメラにさえ気をつければ、あとはなんてことない」
「簡単すぎて、退屈だ」
「油断してると、ひどい目に遭うかもよ。ほら、ちゃんと、絵のある場所確認して」
「……鍵の場所はここね」
オリーヴは、画面に映った館内の地図を見た。一番奥の大きな部屋――おそらく、サルーディーバの絵が置いてある倉庫内に、赤い星が点滅している。
「これ、なに?」
オリーヴの問い。答えるように、画面が拡大化された。たくさんの絵が無造作に、重ねられて置いてある。その中の、ある絵の真上で、星は点滅していた。
「これが、船大工の兄弟の絵、だと思う」
フライヤが、もっと大きく拡大する。画面はボケているが、重なった絵の影から、絵の一部が見えた。
「おお、すげえ!」
鍵さえ見つけりゃいいからさ、絵の裏側だけ漁ってくつもりだった、とオリーヴが言うと、フライヤから深いため息が漏れた。
「手間じゃん、それじゃ。傭兵の潜入任務は、迅速かつスピーディーに! がモットーでしょ」
「まあ船大工の絵、見つければいいわけだし」
「オリーヴが、マ・アース・ジャ・ハーナの神話を知っていればそれでもいいかもしれないけど、知らないんでしょ?」
「自慢じゃないけど、読んだことない」
「呆れた」
船大工の兄弟の話も知らないのに、どうやって探すつもりだったのよ、と彼女は言い、別の資料のページを開いた。
「これが船大工の兄弟の絵」
「ええ? これがあ?」
「そう。これは、地球行き宇宙船に飾られている神話の絵の画集。あたしが調べたところによると、この館内は百五十六代目サルーディーバが描いた絵ばかりらしいから、この絵とはちょっとちがうかもしれないけど、たぶん、こういう感じだと思う」
そこには、筋骨たくましいふたりの兄弟が、枯れ枝を抱いて嘆いている絵があった。
「……船大工なら、船作れよ」
オリーヴのツッコミの返事は、フライヤのため息だった。
「絵に、船が描かれてるとでも思ってたんだよね、オリーヴは、きっと」
「船大工っつったら船だろーが! これのどの辺が船大工!?」
「だって、こういう話なんだもの。仕方ないじゃない」
この絵を見て、フライヤの言う、こういう話とは分からなかったオリーヴだが、とにかく、この絵の裏側に、鍵の入った手紙があるのだ。
「マ・アース・ジャ・ハーナの神話、全部読まなくていいからさ、船大工の兄弟の話だけでも読んでおいたら?」
フライヤが、ネット小説の画面を向けると、オリーヴは心底嫌そうな顔で身を引いた。
「ええ? あたし無理。活字無理」
「……ほんっと、オリーヴって、運だけで任務達成してるよね」
それは、よく家族にも、友人にも言われる言葉だ。
「ってかさあ、やっぱ、一家に一台、傭兵グループに一フライヤだよね」
「語呂悪いよ、オリーヴ」
「あんたなら、どこの傭兵グループでもやっていけるって。なんなら、ウチ来る?」
フライヤは、落ち込んだ顔で首を振った。
「……無理だよ。アダムさん、怒らせちゃったもの」
「だから、親父は怒ってねえって」
自慢ではないが、アダムはそんなに肝っ玉の小さな男ではない。それだけは、自信を持ってオリーヴは言えた。
「それに、こうやって下調べはできるけど、あたし侵入はできないしさ。傭兵らしい仕事って、なんにもできないもの。……もともと、落ちこぼれだし……」
「……」
沈んだ声で、自分の足元を見つめるフライヤに、オリーヴは肩をすくめた。
フライヤは頭がいい。その上勉強家で、よく気も付く。けれど、その素晴らしい部分を覆い隠しているのは、その自信のなさだ。
オリーヴは常々思っていた。
フライヤが思うほど、周囲はフライヤを過小評価していない。傭兵だって、現場で動く人間と、作戦を立てる人間の二種類があったっていい。得意分野で、花を咲かせればいいのだ。
たしかに学生時代は、運動神経が良くなければ傭兵になれないとだれもが思う。しかし、傭兵グループがたくさんできて、組織も拡大化している昨今は、組織内の役割分担も重要になってきている。世間一般で言われる傭兵の仕事ができなくとも、こうして裏方で作戦を立てたり、下調べをしてくれる役割も大切なのだ。
雑用、広報宣伝、事務係。仕事はたくさんある。
縁の下の力持ち的な役割。フライヤは、そういう点では文句なしだと、オリーヴは身内びいきでなくてもそう思う。
フライヤが軍人だったら――きっと、もっと活躍の場があっただろうに。
もしフライヤがクラウドのように、心理作戦部に入っていたら? オリーヴは想像してみる。L20に心理作戦部はないけれど。
もったいないな、とオリーヴはいつも思う。
彼女の自信のなさに加えて、人見知りな性格も相まって、いつまでも再就職先が見つからない。こんなに、仕事ができるのに。
彼氏いない歴=年齢なのも、この自信のなさからだ。
シンシアと、すごく仲が良かったフライヤ。学生時代からの親友であるシンシアの死が、フライヤの心に傷を作り、彼女の失業を長くしていたのはたしかだが、シンシアがいなくてはなにもできないという彼女からは、もう卒業しなくては。
(あたしだって、フライヤのともだちだよ)
オリーヴは心の中だけでそう言い、話を切り上げた。
「おっし。忍び込むのはあたしがやる。フライヤは、宿で待機してて。いっぱい下調べしてくれて、ありがとね」
仕事の話に切り替わったのに、フライヤはすこしほっとした顔をして、
「了解。……で、あたしからの提案なんだけど」




