145話 陽気な天使の贈り物 3
『ニーック! これ、どうす……、うわつめてっ!!』
金髪の青年――Tシャツに、ジーンズを膝まで捲った青年が、ホースで水を掛けられて悲鳴を上げて画面から消えた。
急に黒髪の青年がドアップで画面に映る。ニッと、歯をむき出しにしたイタズラな笑い顔。カメラはどこかに固定されたようだ。黒髪の青年がバケツを引っつかんで走っていき、思い切り金髪の青年の頭に水をぶっかけた。ニックが同時にホースで二人に水を浴びせる。
悲鳴、笑い声。
「気持ちいー!!」黒髪の青年がそう叫んで大の字にのたばった。「アイス! アイス!」エリックが騒いで両手に棒アイスを持っている。あの貫禄ある灰色ウサギと同一人物とは思えないほど、無邪気な笑顔。
夏だ。日差しはずいぶん暑そうで、セミの声が入っている。さっきの写真では貧弱そうに見えたふたりも、心なしか日に焼けて、伸びた手足もたくましく見える。
これが、ユキトおじいちゃんと、エリックさん。
彼らが、画面の中とはいえ、しゃべってはしゃいで、笑っている。
それは写真で見るより強烈な印象だった。
ユキトおじいちゃんは意外と声が低い。まるでアズラエルみたいだ。ルナはそう思った。エリックは対照的にちょっと高い。おとなしそうに見えたけれど、ユキトおじいちゃんのさっきの笑顔はちょっとワルだったとか。
「信じらんない……。こんなの見られるなんて」
ミシェルのつぶやきは、皆の心中を代弁していた。ルナもまさか、ユキトおじいちゃんの声が聞けるとは――しゃべって、動いている姿が見られるとは思っていなかった。
「ニック、ありがとう」
ルナが思わず言うと、ニックは驚いて目を丸くし、それからにっこりと笑った。
「こういうことがあるとさ、取っといてよかったなーって思うよ」
みんなが映像に見惚れている間に、グレンがもどってきていた。彼も少し離れたところから、立ったまま映像を眺めている。
「ジュリちゃんってさ、ちょっと上品なお嬢様みたいじゃない。しゃべり方が」
ニックが、なにげなくグレンに話しかけた。
「そうだったか?」
覚えていない。――まさか、こんなところで、覚えてもいない母親の声が聞けるなんて思わなかった。思わず動揺し、鼻がツンときて、部屋を出てしまった。
「L44の娼婦さんだなんて思わなくってさ。びっくり。君はジュリちゃんの出自を?」
「――いや。知らない」
事実だった。グレンは知らなかった。母親の、娼婦であるまえの人生など。
「彼女ね、L系惑星群原住民の、貴族のお姫様だったんだってさ」
「は……!?」
「ホントかどうかは知らないけど。でもL4系やL8系に行けば、――あるのかな? でも貴族ってのは存在するよね。九歳くらいのときに、地球人に襲われて、国が滅びて、家族バラバラになって、自分はL44に売られたってそう言ってた」
「……」
「君のお父さんは知っていたよ。でもね、ほんとうに上品なんだもの、しぐさが。どこかのお姫様みたいにさ。だから、僕信じちゃったよ」
「そうか……」
日が、暮れはじめていた。
「……なんだか、とんでもないもの見ちゃったな」
セルゲイがつぶやき、クラウドが同意した。
「六十年前の映像だもんね……」
L18にも、アーズガルド家にも、ユキトに関する映像も写真も残ってなどいない。となると、この映像だけが唯一、彼の生きた証になるのだ。こんなところに残っているなど、ドーソンのだれもが思いもしないだろう。
彼らはニックにそろそろ帰ることを告げ、席を立った。
グレンはいらない、と言ったが、ニックは、グレンに写真と、両親が映ったDVDを押し付けた。「どうしてもいらないって思ったら、また返しに来てよ」そう言って。
グレンは複雑な顔をしながらも、最終的に受け取った。
アズラエルは写真もDVDも喜んで受け取った。ツキヨおばあちゃんに送るつもりなのは、ルナにもわかった。
みんなが部屋を出、ルナも一番最後に部屋を出た――が。
「あっ」
すっかり、忘れていた。
あわてて、ニックに許可を取って部屋にもどる。ルナは探した。右から三番目の写真。
あれ? これは――。
「デレク?」
そこにあったのは、デレクの写真だ。デレクと、見知らぬ女の人と、それからニックがこのコンビニを背景にポーズを決めている写真。デレクは今も若く見えるが、写真の彼はもっと若かった。
「うんそうだよ」
ニックの軽い返事。「デレクと知り合い?」
「う、うん……!」
「マタドール・カフェに行ったことある? デレクはそこのバーテンダーで……」
「ニックさん!!」
「うん?」
「この写真下さい!!」
いったい、この写真になんの意味が?
ルナはニックから写真をもらい、むずかしい顔をして車に乗った。
「じゃあ、またね! 今日は楽しかったよ! バーベキューパーティー、楽しみにしてるから!!」
アズラエルは、コンビニの電話番号と、携帯電話の番号を、ニックから受け取ることを忘れなかった。そして、男たちはこっそりと申し合わせて、レジのそばに金を置いてきた。ずいぶん遠慮なく飲み食いしてしまったからだ。
次のバーベキューパーティーは、エレナ出産後の予定だが、コンビニにはまた遊びにくることを約束した。ニックは大喜びだった。ミシェルに大量のお菓子と飲み物をみやげに持たせて、「また来てね」と念を押す。
ミシェルはなんとなく、田舎のおじいちゃんちから帰るときのような気分だと思った。
グレンは、あの映像を見てからおとなしくなってしまった。ルナ同様、考え込むように黙り込んで、口を利かなかった。
ルナもまた、気難しい顔でデレクの写真を睨んでいて、セルゲイが出発したのにも気づいていない有様だった。
ルナの様子が、今日はおかしい。
アズラエルだけではなく、ミシェルもクラウドもやっとそう思い始めていた。
ニックに大手を振られながらコンビニを後にしたルナ一行は、セルゲイたちとは逆方向――椿の宿へもどる道を走り出した。
「もうこんな時間だからね。今夜も椿の宿泊まりかな」
後部座席のクラウドが、シートに沈み込みながら言った。時刻は午後六時を回っている。
「あたしあそこ好きよ?」
ミシェルは言ったが、クラウドとしては、そろそろルナたちと別行動を取りたいのだった。それはアズラエルも同じだ。
「――はう!!」
写真を睨みっぱなしだったルナが、突如大きな声を上げたので、アズラエルが驚いて、大きく蛇行した。
「な、なんだルゥ!!」
「結局、グレンとツキヨおばーちゃんにプレゼントってなんだったんだろう!?」
――沈黙が、車内を支配。
さすがのクラウドも、「……え?」と信じられない声を出した。
「え? なに? マジボケ? マジボケなのルナ?」
ミシェルも後部座席から身を乗り出した。
「ルナ、おまえ、今日ヘンだぞ?」
グレンもさすがに心配になってきたらしい。
「――おまえは、なにを見てたんだ」
アズラエルのあきれ果てた、深い、ふかーいため息。ボケウサギもここまで来ると、おしまいだ。
どう考えても、あの写真とDVDだろうが。
アズラエルのツッコミにルナは目をぱちくりとさせていたが、やがてほっぺたをぷっくり。
「らって」
「オイ、ルゥ……?」
「らって、……あらまがいらいんだもん……」
「う、お、おいっ! ルナっ!!」
「アズ、危ない!!」
助手席で、こてっと倒れたルナを見て、アズラエルがあわてる。車は先ほどの比ではないほど大きく蛇行し、ガードレールにぶつかりそうになった。
「止めろアズラエル! 俺が運転する!」
グレンの声でようやく我に返ったアズラエルは、車を脇に停めた。後ろからも前からも車が来ていないことが幸いだった。ルナを抱え上げて後部座席に移動し、代わりにグレンとクラウドが運転席と助手席へ。
「いつからだ? すげえ熱じゃねえか」
抱いた瞬間から熱さに目を剥いた。なんだか今日は様子がおかしいと思ったら、熱を出していたのか。
「ずいぶん高ェな……」
額に手をやると、ずいぶん熱い。朝は、こんなに熱はなかったはずだ。
「どうする? 中央区の病院に直行するか?」
「いや。たしかK05区にも病院あったろ。そっちが近いからそうしてくれ」
「分かった」
「ルナ、大丈夫?」
ミシェルが、コンビニでもらってきた冷たいペットボトル飲料をルナの額に当てた。
「ふぎ……」
ルナがヘンな声を上げた。意識はあるようだ。アズラエルはほっとして尋ねた。
「痛えのは頭だけか? いつからだ」
「……なんかね、午後から頭痛かった……」
ルナがから揚げを口に押し込み始めたあたりから、もう熱は出ていたということか。
「おまえは普段から奇怪な行動が多いからな」
「へう」
様子がおかしくても分からねえんだ、とアズラエルは言った。
ぼんやりした視界に、一定の間隔で街灯が飛び込んでくる。ルナは、アズラエルやミシェルの声を聞きながら、うとうとと瞼を閉じた。
ルナが熱を出して、うんうん唸っていたそのころ。
シナモンはバレエ教室から帰宅し、自分たちの隣の部屋に、引っ越し業者が出入りしているのを見て、「だれか入るのかな……」とつぶやいていた。
ルナたちみたいな気さくな子たちだといいな。できれば隣人とは仲良くやりたいじゃん。てか、ルナたちいつ帰ってくんだっけ。あの子たちいないと意外と寂しいんだよねー。
ぶつぶついいながら、忙しく動き回る業者の人間とすれちがう。
と、部屋からひょこっと出てきた顔を見て、素っ頓狂な声を上げた。
「キラじゃん!」
「あっ、シナモン!!」
シナモンの二倍はでかい声が返ってくる、隣人はだれあろうキラだった。
「ひっさしぶりー!!」
「う、うん、久しぶり。……てか、あんたたち、ここ引き払ってK06区に行ったんじゃなかったの」
「うん。もどって来ちゃった」
久々のキラは、やはりいつものキラだった。モデルのシナモンでさえドン引くくらいの、ショッキング・ピンクのパンクなヘアスタイル。シナモンはタイトル・「日輪」と名付けた。
一束一束が、太陽のコロナみたいにピンと立っている。くっきり書かれたアイラインの目元。口紅はラメ入り紫――ムラサキ。目の下に、星形のタトゥが並んでいる。
どこからどうみても、キラでしかなかった。
一時期、普通の茶髪に、ナチュラル・メイクになっていたとリサから聞いたが、シナモンはナチュラル・メイクのキラなど想像できないのだった。
「あいっかわらず派手ねえ。その髪、どうセットすればそんなんなるのよ」
「へへへ。いやー、やっぱ、あたしはこういうのが一番いいわ!」
キラは意味深なセリフを吐いて、髪を引っ張った。こういうのが一番いいというのは、リサのいうとおり、ほんとうに地味な格好をしていた――今のキラと比較して――のだろうか。
「ちょっと待っててね」
荷物はそう多くもなかったようだ。荷物を運び終えた業者は、キラに挨拶すると、去っていく。アパートの階下で、車が去っていく音が聞こえた。
シナモンは、荷物の少なさと、キラ以外の気配のなさに、思わず言った。
「……ロイドは?」
一瞬だけ、キラの表情がなくなった。だがキラはすぐに満面の笑みで笑い、取り繕うように、穴の開いたジーンズの膝小僧を払った。
「別れたの」
「え? 別れたって?」
「うん。……運命の相手だと思ってたんだけどさあ、なんか、ちがったみたい」
それからキラは、紙袋をシナモンに押し付け、早口で言った。
「ここの蜂蜜ケーキ、メッチャ美味しいんだ! おみやげに買ってきたの。あとでレイチェルたちにも持ってくけど、今日はK37区の友達と約束があるから、話はまた今度ね。いやあ、ずーっと、友達とも会えてなかったから、会いたい人がいっぱいだよあたし! シナモンも、明日ヒマ?」
「う、うん、ヒマ……」
シナモンはキラの、どこか無理のある明るさに圧倒されながら答えた。
「じゃあさ、明日レイチェルたちとリズン行こうよ! ルナたちはまだ帰って来ないかな、さっき教えてもらった部屋いったら留守だったんだ」
「あの子たち、一ヶ月の旅行に行ってるのよ」
「え? そ、そっか……。じゃあしばらく会えないのか……」
残念そうなキラに、シナモンはなにか言おうとしたが、キラがクマの形の腕時計を見、大げさに飛び跳ねる。
「あっこんな時間! じゃあまた明日ね、シナモン、ジルベールによろしく! これからまたよろしくねー! じゃああしたー!!」
キラはあわただしく玄関のカギを閉め、バッグを持って飛び出していった。荷物を運び入れただけで、包みを解きもせず、キラは行ってしまった。
シナモンは呆気にとられてそれを眺め――紙袋を見。
「――大変だあ」
キラが、ロイドと別れてしまった。
シナモンはいても立ってもいられず、レイチェルの部屋に飛び込んだのだった。




