145話 陽気な天使の贈り物 2
「ふふ、これはね、なんと三十年前の桜」
「ええっ! ウソ!!」
ミシェルが眺めていた、写真を囲むようにして飾られた、花びらのドライフラワー。これ以上劣化しないよう写真ごと額に入れられているが、そこからほんのりと、桜の香が香るような気さえした。
「綺麗だね……」
写真は桜の木をバックに撮られた、恋人同士の写真だ。
「これらはみんな、仲良くなったお客さんとの記念写真。写真を撮れるほど仲良くなれるなんて滅多にないけど、百年分ともなればけっこうな枚数になるよ」
それはそうだろうな。だれもが思った。百年前なんて、もはやアンティークの領域だ。
「コイツは、どのくらいまえの写真だ」
アズラエルも、人の顔がだいぶ薄くなってしまった写真を見つめながら聞いた。ルナもアズラエルに抱っこしてもらいながら、その高いところにある写真を見た。
「ああ、この写真は、六十年くらい前かな」
「六十年まえか……俺は生まれてもいねえぜ」
「そうだね。このひとたちはすごく面白い夫婦だったな。普通にしゃべっているだけでもコメディみたいなふたりだったよ。L79から来たんだ。旦那さんがずっとL8系の炭鉱にいたんだって。苦労続きで新婚旅行できなくってさ、遅ればせながらの新婚旅行だってこの宇宙船に乗ったの。二人とも地球にはいかなかったけど、降りたあともしばらくメールのやり取りをしてたよ」
六十代くらいであろう、仲のよさそうな夫婦が歯を全開にした笑い顔でピースをしている姿。二人ともガニマタ。たしかに、ユーモア満載の顔をしている。
「今も交流あるの?」
ルナは何気なく聞いて、後悔した。
「まさか! ……彼らはもう亡くなったよ。だって、六十年前だもの」
ニックの明るい声に、一抹の寂しさが翳った。
この写真の夫婦は若くはない。この時点で六十年前だったのなら、もう生きているわけはなかった。ルナは言葉に詰まり、思わずもう一度写真に目をやった。
「こっちは楽しそうなグループだね」
セルゲイが、若者ばかり十人も集まった写真を見て言うと、ニックはそちらへ寄って行った。
「ああ、それはね、劇団のひとたちで――」
寿命が、三百年。
ルナは、それがどれだけ途方もないことなのか、想像できなかった。ニックとルナたちは時の流れがちがう。ニックは、いったい、何人の友人との別れを経験してきたのだろう。
ニックたちの住むL02の星が閉鎖的なのは、そういう理由もある。
ルナたちとは寿命が違いすぎるからだ。あきらかに、ルナたちのほうが先に死ぬ。彼らは、ほかの星の人の仲良くなっても、彼らが先に死んでしまうことを知っているのだ。
それは――とても寂しいことだということも。
不思議な感じ。
ルナはたくさんの写真を眺めながら思う。
三十年前、五十年前、六十年前、九十年前。
さまざまな年齢の男女が写真に写っているが、どの写真にも、ニックが「変わらない姿」で映っている。
今より若くもなく、年をとってもいず、ルナの目のまえにいるニックと、なにひとつ変わらないニックが。
ニックの時間は、百年前で止まっているような気がする。
ルナがニックを眺めていると、その奥にグレンの姿を見つけた。彼は一枚の写真の前で、立ちすくんでいる。
「――おい」
みんなが、グレンの発した声に引きつけられた。
「これは……」
グレンが見つめていたのは一枚の写真だ。二組の、若い男女が映っている写真。
ニックが駆け寄ってきて、その写真を一緒に見て言った。
「ああ、それね! ――この人がお医者さんでね、すごく楽しいひとだったんだよ。僕に負けず劣らずおしゃべりでさ、で、このひとが奥さんになる人だよ。L44出身でね、苦労されたひとだった。あ、この黒髪の女の人もね。で、このひとが軍人さん――、」
「ああ、知ってる」
グレンは、食い入るようにそれを見つめていた。
「俺の両親だ――」
「えっ!?」
ニックは、驚いてグレンを見た。
ルナもアズラエルと一緒に、グレンのもとに駆け寄った。駆け寄ろうとしたが、ルナを抱えたアズラエルが突然止まったので、ルナも必然的にそこで止まることになった。アズラエルも、一枚の写真に目を奪われたのだ。
アズラエルの足を止めた写真を、ルナも見た。
(軍人さん?)
それは、このコンビニを背景に撮った写真だった。
写真の中でニックと笑っているふたりは、軍人の恰好などしていなかったが、ルナが軍人かと思ったのは、右側の人がピースの代わりに右手をピッと帽子に当てていたからだ。まるで軍人の敬礼のように。
だが、写真の二人は、軍人と言うには小柄で、ニックより背が低くて――百七十センチもあるだろうか。やせぎすで、柔らかい顔立ちをした二人。
「知りあい?」
いつのまにかニックが隣にいた。
「彼らはユキトとエリック。L18から来た軍人さんだよ。もう五十年も前になるかな」
「ユキトと――エリック」
アズラエルは呆然とニックを見、それから写真に目をもどす。ルナも口をあんぐりと開けた。
これは――。
じゃあ、この写真は。
「ユキト、じいちゃん……」
アズラエルがポツリとつぶやいた言葉に、ニックは微笑んだ。
「意外とあったんだよ、こういうこと」
部屋の中央のソファに全員集まり、ニックが段ボールを漁るのを眺めていた。グレンとアズラエルは、さっきの写真をプリントアウトしたものを、食い入るように見つめている。壁の写真はだいぶ色あせてしまっているから、ニックが昔のデータを探して、新たにプリントアウトしてくれたのだ。
「この人、自分のおじいちゃんだとか、おばあちゃんだとか。……縁だよねえ。数十年経って、僕は一緒に写真を撮った友達の孫に会うわけだ」
僕の特権みたいなものだよね。ニックはそう言って笑った。
「まあ、この部屋まで入ってもらうほど仲良くなれることも少ないんだけど。……あ、あった、あった」
ニックは段ボールからDVDの束を取り出し、数字を探している。
「ちがうな、これじゃないな」
「これがユキトおじいちゃんなの?」
「……ああ」
「ホントだね。アズの言った通りだ。少年みたいなひとだね」
ルナがいった。
アズラエルは、椿の宿であの“夢”を見たことを少し感謝していた。ツキヨとユキトの出会いの夢を。あの夢のおかげでユキトの顔が分かったわけだ。あの夢を見ていなかったら、この写真には気づかなかったかもしれなかった。
写真は、ニックをはさんで左側にユキト。右手の敬礼をしている灰色の髪の男が――おそらくエリック。一緒に地球行き宇宙船に乗ったことは、ツキヨから聞いて知っていた。
「この人がバブロスカの本書いた、エリックさんか」
セルゲイもクラウドも、アズラエルから写真を回してもらい、感慨深く眺めている。グレンもその写真を見、「……式典の写真とちがうな」とつぶやいた。
「え? エリック君って本を書いたの?」
ニックは知らないらしい。クラウドが苦笑して聞き返した。
「彼らとは、宇宙船降りたあと、メールの交換とかはなかったの?」
ニックはDVDを探しながら、残念そうに言った。
「なかったなあ……。けっこう彼らとは仲良かったんだけど。よくコンビニにも遊びに来てくれてね。僕も、街に出たときなんか、彼らの家に遊びに行ったりしたんだよ。落ち着いたら手紙をくれるって言ったけど、結局来なかった」
「――バブロスカ革命のことは、知らないの?」
クラウドの質問に、ニックはきょとんとした顔をした。
「え? なに? ――革命?」
……クラウドの簡潔な説明のあいだ、ニックはDVDを探す手を休めて話に聞き入った。話が終わると、その長い睫毛を伏せて、哀悼の意を示した。
「そうだったんだ……。そんな事情が……」
ニックの目は赤かった。
「それじゃあ、連絡を取るどころじゃないよね……。そうか、そうだったんだ。ユキト君もエリック君も、僕たちは故郷でやるべきことがあるって、いつもそう言ってたんだよね。軍人さんだったもの、きっとなにか大事なことだったんだろうとは思っていたけど……まさか、革命を起こそうとしてたなんて」
急に思いだしたように、ニックはつぶやいた。
「じゃあ、ツキヨちゃんは、ユキト君とは結ばれなかったのかな」
「ツキヨおばあちゃん!!」
ルナが絶叫した。
「ううん!? ツキヨおばあちゃんとユキトおじいちゃんは結ばれたよ!」
「孫がここにいる」
そう言って、アズラエルは自身を指さす。
「君が孫!?」
ニックは呆気にとられていたが、やがて顔をほころばせ、赤くなった目をこすった。
「そ、そうか――そうかあ……。よかったなあ。そうか、結ばれたんだね……よかったなあ……」
それからアズラエルをじっと見、「君は、あんまりユキト君には似ていないね。どちらかというと、ツキヨちゃんのほうの血が、色濃く出たみたいだ」と言った。
そして、グレンのほうを向いて、
「君はだれの子か、すごくよくわかる。……バクスター君にそっくりだもんね」
そう言って、グレンを複雑な表情にさせた。
「でも、グレン君はジュリちゃんにも似ているよ。その優しい口元とか」
ルナが近くに寄ってきて、じいっとグレンを見るので、グレンは思わず口元を隠した。それを微笑ましい目で見ながら、ニックはDVDを探す作業にもどり、独り言のようにつぶやき続ける。
「地球に着いて、帰りの宇宙船でね……。ユキト君は言っていた。地球で運命の人に出会ったんだけど、僕はやらなきゃいけないことがあるから彼女とは一緒になれないって。そう、寂しそうに言っていたんだ。ツキヨちゃんは、地球行き宇宙船の船客を、最初に出迎える宿泊所の人なんだよ。だから、船内役員ならみんな知っている。彼女が特別便で、ユキト君を追いかけて地球を出たって聞いたときは――驚いたなあ」
ニックは手を休め、追憶に浸り、また違うダンボールに手を伸ばした。
「ユキト君はバブロスカ革命で――そうか。エリック君も、このあいだ亡くなったんだね。釈放されてほんとうによかった。ツキヨちゃんはそれで、元気なの?」
ルナはミシェルと顔を見合わせ、
「ピンピンしてるよ! 毎年町内会のマラソンに出るし!」
「へえっ。そうか、すごいなあ。今いくつくらいなんだろう? どこに住んでいるの、今は」
「L77だよ。でね、七十七歳!」
「そう。……うん、そっか。あの星は治安もいいしね。安心だな」
そう言いながら、ニックは相変わらず写真を凝視しているグレンに話しかけた。
「セバスチアン君とバクスター君たちの話は?」
グレンは目を上げ、「……聞かせてくれ」と言った。
「うん。彼らはね、よくK05区の温泉街に来てたんだ」
「温泉街?」
「あの辺は天然の温泉が湧いているから、湯治に来る客が多いんだよ」
「湯治?」
ルナとミシェルは分かったが、男四人には、湯治とはなにかを一から説明せねばならなかった。
「――つうとなんだ。病気に効く湯が沸きだしてるってことなんだな?」
グレンの質問にニックがうなずく。
「ジュリちゃん――グレン君のお母さんだね。大変な病気を患ったんだよね。退院したあとも、医者の勧めでよく温泉に通ってた。君のお父さん――バクスター君がよく車で連れてきてたんだよ」
「そうだったのか……」
「君のお父さんは無口な人でね、あんまりおしゃべりな僕が好きではなかったみたい。でも君のお母さんはいつでも優しく、僕の相手をしてくれた。――君たち、夏祭りのこと知ってる?」
「え!? 知らない! 夏祭りなんてあるの!?」
ミシェルの歓声に、ニックは笑ってうなずいた。
「あるよ。あ、そっか。まだ君たちは宇宙船に乗って二年目の夏は迎えてないもんね。宇宙船では、夏祭りがあるんだけど――その夏祭りの花火を、二年目のをね、彼らとここで見たんだよ。――あ! あった、これだ!」
ニックは「1383年 夏祭り」とマジックで書かれたディスクを見つけ、それを機器にセットした。大きなテレビ画面に、画像が映る。
「ああ、えっと、ちょっと待ってね」
リモコンで早送りする。画面には、知らない若者たちと、ニックが花火を背景にはしゃぐ光景が映し出されていた。早送り。画面の人物がつぎつぎ変わっていく。そして。
『あまり騒ぐな! やかましいんだ、貴様ら二人がそろうと!』
鋭い声に、ルナとミシェルは飛び跳ねた。画面越しでも「すみません!」と土下座したくなるようなきつい響き。
だが、画面に映っているニックと、もうひとりの若者――セバスチアンは、すっかりできあがっているのか、『バクスターの怒りんぼ~』と肩を組んでヘラヘラ笑っている。
最初の、厳しい声の主を、グレンが聞き間違えることはなかった。
「親父……」
グレンがつぶやく。
『そんなに怒らないでバクスター。いいじゃない。今日は無礼講でしょ』
柔らかな声。だれかを撫でるような、優しい声――ジュリの声だった。
この声を聞いたとたんに、グレンの喉が鳴った気がした。
「――グレン、」ルナが思わず声をかけたが、グレンはまっすぐに部屋を出ていった。
画面にバクスターが映る。ジュリがカメラを持っているのだ。グレンをもっと、頑なにしたような顔。似ている。
バクスターは奪い取るようにジュリからカメラを取り上げた。視点が変わる。浴衣姿のジュリが映る。
写真で見た彼女より、ずっと痩せていた。生死の境を彷徨ったというのが、分かるような衰弱ぶりだった。投薬治療にくわえ、グレンが知っているだけでも、ジュリは三回も手術を受けていたらしい。この映像は特に、手術を受けたばかりのころなのかもしれなかった。
『まだ重いものを持つなと医者から言われただろう。傷が開く』
『これはそんなに重くないわ』
『いい。君には持たせられん。私が撮る。あんな馬鹿騒ぎには参加したくないからな』
『まったく、素直じゃない男だねえ!!』
バクスターの持ったカメラがエレナを映した。ルーイの母親だ。
『素直に、無理させたくないからって言えばいいじゃないか! ジュリが箸より重いモノ持てなくなったらどうしてくれんだよ!』
『私の妻なら、それも許される』
『ッカー!! ごちそうさん!!』
『エレナー!! エレナエレナエレナ!! 愛してるよー!!』
『うわっ!! 来るんじゃないよ酒臭い!!』
急にエレナに飛びつくセバスチアンが画面に映る。フン、と鼻を鳴らすバクスター。ニックの大歓声とともに、夜空に上がる花火が映し出された。
ドオン、ドン。腹に響く音。
ジュリの素敵ね、という声。バクスターはジュリばかり映していた。ジュリのはにかんだ笑顔。うっとりと花火を見つめる横顔、バクスターに向ける、甘い笑顔。
映像は三十分ほど続いた。持ち続けるのに飽きたバクスターが電源を切るまで。
「――グレンのお母さん、綺麗な人だね」
ルナがつぶやいたが、話しかける相手はここにはいなかった。セルゲイが代わりに、「そうだね」とうなずいてくれた。グレンはもどってこない。
ニックは映像を早送りした。しばらく画面が飛ぶように進み、やがて、またべつの画面を映し出した。




