144話 ZOO・コンペティション Ⅲ 2
「ジャータカの黒ウサギ。なにか言いたいことがあれば言いなさい」
アンジェリカが促すと、ジャータカの黒ウサギは一礼をしてから、言った。
『はい。ZOOの支配者様。このZOO・コンペはすこし早すぎました。月を眺める子ウサギからのお言葉です』
「早すぎた? 月を眺める子ウサギがそう言ったの?」
『はい。月を眺める子ウサギが、七色の子ネコを助け、キリンさんを助け、行方不明の椋鳥さんのボタンを見つけたのちに、もう一度開かれるとよろしいと仰っていました』
『行方不明の椋鳥!』
椋鳥がバタバタバタ! と騒がしくなった。
『椋鳥! 椋鳥! 椋鳥! 月を眺める子ウサギは、ボタンの場所を知っているのか!?』
『いいえ』
ジャータカの黒ウサギは、首を振った。
『月を眺める子ウサギは、ボタンの場所は知りません。ですがきっと、彼女はボタンの秘密を見つけるでしょう。私は謝らねばなりません。私は尋問されたとき、無意識にしゃべってしまったのです。“椋鳥の墓”のことを』
謝るように、彼女は項垂れた。
『羽ばたきたい椋鳥がボタンを埋めた墓のことを、私はしゃべってしまいました。私は脳裏に浮かぶものを、無意識にしゃべってしまったようなのです。病で、熱にうなされることが多かったものですから……。カサンドラが、あとから教えてくれました。私は、そのお墓になにが埋められているか知りませんでした。私を尋問したあの男は、墓に“マリアンヌの日記”の原本が埋められていると思って、探しに行ったのです。でも出てきたのは日記ではなく、錆びたクッキーの缶とボタンだけ』
『……かわいそうに!』
とつぜん椋鳥は、羽根で顔を覆ってオイオイと泣いた。
『我々は、あなたがしゃべってしまったことを怒らないぞ! あなたは苦しかっただろう!』
『お嬢さん、災難だったな……』
ドーベルマンやトラ、ライオンたちも、ジャータカの黒ウサギに深く同情して、静かになった。ジャータカの黒ウサギも涙を拭いながら話す。
『クッキーの缶とボタンはだれかが持っていきました。私にはゆくえが分かりません。きっと椋鳥が探しているボタンとは、それのことでしょう。彼女が言うには、羽ばたきたい椋鳥は、自分が持っている“写真の切れ端”の正体もわかっていないというのです』
「写真の切れ端?」
『私にはさっぱり……。でも月を眺める子ウサギが、羽ばたきたい椋鳥を助けるキーワードは“パズル”だといいます』
「パズル?」
『はい。写真の切れ端もパズル、そしてすべてのパーツを台にはめる――そのパズルをするのも、月を眺める子ウサギだと』
「月を眺める子ウサギはどこへ?」
『遊園地にいます。あなたが以前頼んだ、黄色と茶色のまだらネコを探しに行ったのです』
「……そうか」
あたしのZOOカードは、勝手にどこかへ行っているらしい。
ルナは、トラの耳を噛み噛みしながら思った。トラが『噛むなー!』と暴れているが、無意識でやっているルナは気づきもしない。
『俺の耳がよだれまみれだ! この赤ん坊のような女をなんとかしろ!』
アンジェリカは、トラの悲鳴をすっかり無視して言った。
「分かった。ありがとう、ジャータカの黒ウサギ。今後もおまえはどのコンペの時も出入り自由とするから、なにか情報があったら教えてくれ。これからも月を眺める子ウサギを助けてやって」
『はい、ありがとうございます。ZOOの支配者よ』
ジャータカの黒ウサギは、やっと微笑んだ。そして、掻き消えるようにいなくなった。
「終了だ。――眠れ。そして、目覚めよ」
アンジェリカが右手を挙げ、そして下げると、始まったときのように空気の層が浮く。ZOOカードがざざざ、と中央に集まり、カードボックスに消えた。
アンジェリカが指をパチン! と鳴らすと全員が目を覚ました。
ZOO・コンペが終わった。
掛け時計が、ボーン、ボーン、と鳴って終了を知らせる。
「――っ!」
チャンが、グラグラする頭を一度振った。バグムントも目を二三度パチパチさせ、こめかみを押さえる。
みんな似たような動作をしたあと、同じように、「……なんだったんだ?」とつぶやいた。
「終わったのか」
ものすごく疲れた声で、グレンが言った。
「俺は、なんだかよだれまみれになった気がするんだが――ンなわけねえよな……なんでだろうな」
グレンの頭に疑問符が浮いていたが、ルナは反省もしなかったし教えてもあげないことにした。トラちゃんを噛んだことは、心の中で謝ろう。
「なんだかすごく疲れた。今すぐ寝たい気分」
セルゲイも、ぼんやりとした顔で言う。
「終わったよ。とてもいいコンペになった。みんな、たぶんすごくくたびれたと思う。隣室に布団が用意してあるから、寝ていったほうがいいよ。ご協力どうもありがとう」
アンジェリカが慰労すると、バグムントが、
「おいおい。オレたちに説明はなしか? コンペっていったいどんな話になったんだ。オレたちが寝ている間に、なにがあった」
「ちゃんとあとで説明するよ。まずは体と脳を休めてクリアにしなよ。みんな、思ったより疲弊しているはずだよ、たった三十分のコンペでもね」
「三十分?」
チャンが言った。
「三十分しか経っていないんですか?」
「ほんとだ……」
クラウドが腕時計をたしかめ、唸った。
「三日ぐらい寝てた気がする。それも、インフルエンザで高熱出して、うんうん唸りながら寝た三日間てとこ」
「あたしもうダメ」
ミシェルが前のめりに倒れて、あっという間に寝息を立てはじめた。起きたばかりなのに。
「だから、みんな休んで。説明は、ひと眠りしたら必ずするよ」
アンジェリカの言葉が終わらないうちに、バグムントもグレンたちも、フラフラと立って隣室へ移動し始めていた。クラウドもミシェルを抱きかかえて、自分もふらつきながら部屋を出ていく。
カザマとアンジェリカと、残されたルナは、座布団を一緒に片付けた。
アンジェリカは、床一面のZOOカードを、指を鳴らして一気に箱へしまい入れると、
「あたしらは、お茶でもしようか」
と言って立った。
三人が移動したのは、椿の宿の食堂だ。
ルナはそこで、裏メニューのパフェがあることを知った。アンジェリカもパフェの存在は知らなかった。このパフェは常連しか知らない、メニューにはないひと品。しかもめちゃくちゃ美味しかった。
役員しか知らないでしょうね、とカザマは言い、アンジェリカはパフェに舌鼓をうちながらつぶやいた。
「宇宙船の船客ってさ、手続きが済んだあとは、もう自分の担当役員と会わないもんね。絶対損だと思う。役員と仲良しになってたら、いいことだっていっぱいあんのに」
たとえばこういうパフェ食えるとかさ、と笑う。ルナもそう思った。
とても美味しいチョコレート・パフェだった。ルナはパフェを食べるのは久しぶりだったし、なんとなく、いっぱい考えて疲れたあとだったので、アイスと、甘いチョコレートソースと、生クリームの組み合わせが、殊更幸せに感じた。
「ああー♪ イイ♪ 疲れた脳に染みわたる、この至福の味♪」
本当にアンジェリカは、シナモンやレイチェルたちと、なんら変わるところがない。L03の生まれであることを、いつもルナは忘れそうになる。
「だってあたし、L5系の高校入ってたからね」
「そうなんだ!」
ルナはウサ耳をぴょこーん! と立てた。
「あら、そうだったのですか」
「アレ? ミヒャエルは知らなかったんだっけ?」
言わなかったっけかな、とアンジェリカは首を傾げ、
「アントニオのおかげだよね。あの高校の三年間は貴重だったよ。あたしがマトモな感覚――まあ、ウチの星のほかの連中よりはさ――持ってんのって、絶対あの三年間のおかげだと思ってるもん。姉さんの蟄居の話がなかったら、大学まで行けるはずだったの。アントニオが、お金出して行かせてくれたんだよ」
アントニオが。
一見お調子者のお兄さんにしか見えないアントニオだが、その実、とても面倒見がいいのはルナも分かってきていた。リズンではよくサービスしてくれるし、バーベキューパーティーのときも、一番お世話になった。
謎の男だけど。たまに無精ひげ剃らずに店に出てるけど。ヘラリとした笑顔が、マヌケに見えるときもあるけど。
彼は頼もしい――はず。
「これからのL03を引っ張っていく人間は、辺境惑星群から外でなきゃダメだって、アントニオはよく言ってた。それって、あのころから、今の革命の結果を、予感してたのかな……」
アンジェリカはすこし考え込んだが、すぐに意識はパフェにもどった。
「……ほんとはさ、マリーもあたしと一緒にL5系の高校に行くはずだったんだ。でも、メルーヴァがマリーと離れたくなくてゴネてさ、結局なしになった。マリーも行ってたら、なにか変わったのかなって思うとこあるけど、もう過ぎたことだもんね」
どこか感傷的にそうつぶやいたあと、アンジェリカはルナに聞いた。
「ルナはさ、マリーを恨んでないの?」
「へ!? え? あたし!?」
いきなりマリアンヌの話になり、ルナは戸惑う。
カザマもアンジェリカも、いつのまにかすっかりパフェを食べ終わり、ルナを見つめていた。ルナと言えば、半分くらい残ったグラスの中身を見つめながら。
恨んでいる? 一度は自問してみたが、答えは決まっていた。
「い、いやあ――恨んでるってことは、ない、なあ……」
「カサンドラ」というふたつ名を持つ、マリアンヌという女性のことは、アズラエルから聞いていた。
L18で捕らえられ、病を発症し、宇宙船には乗ったものの、手遅れで亡くなってしまった。ルナの育ってきた近代的な日常とは、まったくちがう世界の出来事。
なんて惨いできごとだろう、と思ったが、恨む、という感情は、頭の中も心の中も、どこを探しても出てこなかった。
アズラエルはカサンドラのことを話すとき、機嫌が悪そうだった。あまり話したくないことの部類に入っていたようだが、それは残酷な話をルナに聞かせたくない、というより、アズラエル本人が、そのカサンドラと言う人物を疎んじているように、ルナには思えたものだ。カサンドラと言う人物を説明する、アズラエルの口調のとげとげしさから。
アズラエルは、マリアンヌさんを記憶の奥深くで、恨んでいたんだろうか。
「あたしは、そのマリアンヌさん? とは、……えっと。直接――今世はってことね。会ったことないし。それに、やっぱり……あの、その、あの、――あの、こと……、」
「……マリーが、L18でひどい目に遭ったこと?」
アンジェリカの小さな声に、ルナの眉もへの字になったが、コクリとうなずいて続ける。
「そんなめに遭ったひとのことを、恨めないよ……。かわいそうだとは思っても」
死人に鞭打つっていうんだよ、そういうのは。
ルナが口早に言うと、アンジェリカはなぜか「……ありがとう」とさっきと同じくらいの声で小さくつぶやいた。
なぜ、ありがとうと言われるのか、ルナには分からなかった。
過ぎたことだ。
たとえ過去、ルナを何度も陥れたとしても、ルナはたった今、彼女を恨む気にはなれない。
昔は昔、今は今。彼女は今、一生懸命ルナを助けてくれているのだと。
それに――。
「……あたしと、アズやグレンやセルゲイたちがこうして生まれ変わりを繰り返す原因を作ったのがマリアンヌさんだとしたら、あたしは恨むどころか感謝するよ」
カザマもアンジェリカも、驚いた顔でルナを見つめた。
「あたしは今、とっても幸せだもん。彼女は今こうして、あたしがアズやみんなといるきっかけを、作ってくれたってことにもなるんだよね」
そうだ。――最初は恨んだかもしれない。憎んだかもしれない。けれど、マリアンヌが自分たちに影響を及ぼしたのは、たった三回程度のこと。
それ以上に、ルナたちは繰り返し出会って、互いを知って、愛した。
きっかけはマリアンヌだったかもしれないが、そのあとはずっとルナたちの物語だったのだ。途中でやめるのも、続けるのもルナたち次第だった。
――ただの恋じゃない。こんなに深くて長い愛を、経験できたことが。
今は、幸せだと思う。
「こんなにじょうねつてきな恋、リサだってできないよ。……だったら、感謝こそすれ、恨むなんてことはないよね」
マリアンヌがいなかったら、今のあたしはいない。
べ、と舌を出すルナに、アンジェリカは小刻みに肩を震わせていたかと思うと、突然がばっと抱きついてきた。
「ルナ! やっぱあんた大好きだー!!!!!」
二人で吹っ飛んで、椅子からずり落ちるところだったというのに、カザマはおかしげに笑っているだけだ。おまけに。
「……おい。なにやってんだ」
機嫌の悪そうな声がしたかと思うと、アズラエルがのっそり立っていた。
「メチャクチャ濃いコーヒーくれ」とカウンターに叫んだあと、空いている席に座り、半分寝ている目でアンジェリカを睨みつける。アンジェリカはますますルナに引っ付き、アズラエルにべええ、と思い切り舌を出した。さっきのルナより、よほど派手に。
「女にまでヤキモチ妬くたあ末期だな、アズラエル」
「うるせえ。離れろ」
アズラエルの脅しにも屈せず、アンジェリカはニンマリと笑った。
「ルナー! 来世はあたし男になるから、アンタの彼氏にしてね!」
ルナがなにか言う前に、アズラエルが目を剥いた。
「長年恋人やってきたんだからそろそろ引退してよ! 次世代に譲れ!」
「次世代ってなんだ。意味わかんねえんだよ! L03の言語は!」
「うっわー、学のない傭兵! 最低……」
「ンだとコラ」
子どもみたいな言い争いを続けるふたりに、ルナはカザマと一緒に笑うことにした。
とりあえず、平和なのでよかったです、とルナは、椿の宿で買った絵ハガキにそう書いたのだった。
ツキヨおばあちゃんに届くのは、まだちょっと、先だけれど。
『――まったく、とんでもないことをしてくれた』
ZOOカードの世界では、銀色のトラとパンダのお医者さん、ドーベルマンと椋鳥、そしてジャータカの黒ウサギが、そろって酔いつぶれている「傭兵のライオン」を見下ろしていた。
うつぶせに倒れ、グゥグゥいびきをかくライオンの周辺には、酒樽がいくつも転がっていた。
『こんな時期尚早なZOO・コンペもあるものか! ドーベルマンが傭兵のライオンを酔い潰さなければどうなっていたことか』
『おまえの参上は絶好の機であった』
『恐れ入ります』
『なぜコンペに傭兵のライオンを呼んだ?』
『あれは未熟ゆえ、何も知らぬのだ』
『まこと、そう――出した結論も間違いだらけ』
『まだ、何も見えておりませぬ』
『分かっておらぬ』
『だが、今はそれでよい』
パンダは言った。
『おそらく傭兵のライオンは、罪の意識に耐えかねて、コンペを大混乱に陥れていたことだろう。なにせ――』
自分の父親が、自分の愛する子ウサギの征伐のために、敵に力を貸していたと知れたら。
『これはまだ、ルナさんに知らせてはならぬことでした』
『これは、不幸な事件が積み重なった結果だ』
『知らぬとはいえ――』
『今、発表するできごとではなかった』
『あの未熟者め』
『そう――あれはたしかに、まだ、“正式な”ZOOの支配者ではないのだな?』
トラがそう聞くと、パンダの口から、先ほどの可愛らしい声とは、まったく違う、厳かな声が漏れた。
『マ・アース・ジャ・ハーナの神も、私も、認めてはおらぬ』
『ならばまだ、やはり、時期尚早』
『“真実をもたらすトラ”を早く呼べ』
パンダはやはり、厳かな声で言った。
『あれは、キヴォトスに乗る予定ではありますが』
椋鳥が、チャンによく似た声音で言った。耳をつんざくような高音ではない。
『急がせろ。“アンジェリカ”は、まだ役に立たぬ』
『では、性急に』
『性急に』
椋鳥とドーベルマンは消えた。パンダとトラもいつのまにか消えた。
あとには、酔いつぶれたライオンだけが残されていた。




