143話 ZOO・コンペティション Ⅱ 2
「――居心地が、いいんですよね」
食事を終えて、四人で花桃の部屋に向かう廊下の途中で、メリッサが合流した。ZOO・コンペティションの開始は午前十時だとかで、まだ時間はある。
五人でのんびり、廊下の窓から見える風景を眺めながら、部屋に向かっているところだった。
セルゲイが、ポツリと言った。
「チャンさんの気持ち、わかりますよ。私もそうです。学生時代からの友人も残ってはいるんですけど、この宇宙船内でできた友人っていうのは、またちがう気がします。いくら意気投合しても、赤の他人同士が、寮でもないのに共同生活なんかしてるんですから。そして、それが嫌じゃない」
「……生活習慣も、出身星もまったくちがう六人が」
「ええ。人一倍神経質なカレンでさえ、嫌とは言わない。むしろ、――彼女にとってもいい傾向だ。毎日がにぎやかでほがらかで、楽しいのは」
できるなら、宇宙船を降りたあとも、あの生活を続けたいくらいです、とセルゲイが言い、無理でしょうけどね、と付け足した。
「いいことです。船客の方々に、居心地がいいと思ってもらえるのは」
チャンは、目の前を歩くグレンとルナを眺めながら、つぶやいた。
「……あなたの担当役員は、タケルでしたね」
「ええ」
だれをもさん付けするチャンが、呼び捨てで名を口にするのがめずらしく、セルゲイの同意は疑問形になった。
「タケルは、私と一緒に地球に降り立った仲間です」
「本当ですか!?」
セルゲイがあんまりびっくりして大声を上げたので、ルナとグレンが振り返ったが、廊下の向こうにミシェルがいてルナを呼んだので、ルナはててててっと走っていった。
グレンがそれを追いかける。ネコの習性。
メリッサもうなずいた。
「そうだったんですね。チャンさんもタケルさんも、最初の航海で、地球についていたんだ……」
それは、とてもめずらしい確率であるということは、セルゲイにもわかりかけていた。
「彼は、一緒に地球に降り立った仲間です。私とタケルだけがその年の地球到達者。ふたりとも役員になりましたが、派遣役員というのは多忙ですし、私は軍事惑星群、彼はL5系の出身だというのに、辺境惑星群の担当になり、――担当部署がちがうと会う機会も少なくなってきて、いつのまにか縁遠くなっていました。あのバーベキューパーティーのまえでは、最後に会ったのは、彼とメリッサさんの結婚式」
「えっ」
メリッサがはにかむような笑みを見せて、またうなずく。
「彼の奥さんって、メリッサさんだったんですか」
「そうです」
今度は本人が言った。
「タケルが最初に担当したのがわたしです。L03での、儀式のいけにえだったわたしを救出して、船に乗せた。わたしは、生贄なのだから死なねばならぬとの観念にとりつかれていて、自殺未遂をくりかえした。――彼はあなた同様医師でしたから、ありとあらゆる手を尽くしてわたしを救おうとした。わたしがやっと、自分を取りもどしたのは、地球に降り立ったときでした」
「……」
メリッサがこんなに話すのを聞くのも最初であれば、内容も衝撃だ。こんな話を聞いていいのかと、困惑する部分もある。
「バーベキューパーティーで久々にタケルと会ったときは、驚いた。まさかあなたの担当役員をしていただなんて」
今度はチャンが言った。メリッサの話に驚いていないところを見ると、彼も知っている事実なのだろうか。
「知らなかったんですね」
「ええ。それだけ縁遠くなっていたんです。……本当に嬉しかったですよ。彼との友情を忘れたことはありませんでした。彼はぜんぜん変わっていなかった。あのバーベキューパーティーのおかげで、旧縁があたためられた。このあいだ久しぶりに彼と二人で呑みました。何年ぶりだったか」
「もしよかったら、今度はぜひ一緒に」
「ええ、もちろん」
「しかし、タケルさんがメリッサさんと夫婦だなんて、知らなかったなあ。奥さんと娘さんがいるのは聞いていたけど」
メリッサが苦笑した。
「隠していたわけじゃないんですよ。一応わたしどもは、船客のまえでは、なかなかプライベートなことは話せませんし」
「メリッサさんはVIP担当ですから、バーベキューのときもアンジェリカ様にぴったり張りついていましたからね。だれも彼らが夫婦だとは、気づかなかったでしょう」
チャンはひと息ついて言った。今度はセルゲイの目を見て。
「こんな話をすみません。……私が話したかったのは、タケルはそういう男だっていうことです」
「……チャンさん」
「どうかあなたひとりで抱え込まないで、タケルをもっと頼ってください。彼は絶対見捨てない。自分の担当船客を、ぜったいに見捨てたり、あきらめることはありません。辺境惑星群担当だったタケルが、今回、辺境惑星群とは縁もゆかりもない、あなた方おふたりの担当になったのも、なにか理由があると思うんです。あなたがさっき言ったように、この宇宙船内で出会った人間が特別だというなら、タケルもそうだ」
セルゲイは、チャンがだれのことを言っているのか、分かっていた。
「――ありがとう、ございます」
カレンも、救われるのだろうか。
匙を投げたわけではなかったが、自分ではカレンを救ってあげることはできないと、かなりまえにあきらめていた節があった。でも一生そばについていてあげようと、そう誓ってもいた。救えはしなくても、よりどころになれればいいと。
「忘れないでください、セルゲイさん」
チャンが、一歩先に出ていた。
「……あきらめない人間だけが、地球にたどり着けるんです」
それはタケルも言っていた。この宇宙船に乗る前に。
金のある人間ではない、運のいい人間ではない、地球に行きたい人間ではない。
地球にたどり着くのは、ただ降りなかった人間なのだと。
腐って飲んでばかりの生活を送ろうが、死ぬことを繰り返そうが、この宇宙船に乗ったことが本意ではなかろうが、観光気分だろうが、逃げ込んだのであろうが、とにかくきっかけなどどうでもいい。
途中で降りなかった人間だけが、たどり着く場所。
「セルゲイさん」
メリッサが微笑んでいた。
「カレンさんとも、グレンさんとも、……どうせなら、バーベキューパーティーの仲間とみんな一緒に、地球の海を見ましょうね」
「――始めるまえに、あたしは、ルナ、あんたに謝らなきゃならない」
花桃の部屋一面に、ZOOカードが敷き詰められ、そのあいだを赤外線のような色とりどりの糸が――目に痛いほどにあざやかな、触れられない糸が通っている。
それを囲むようにして、今日『選ばれたメンバー』は座っていた。
クラウド、ミシェル、グレン、セルゲイ、バグムント、チャン、カザマ、――そしてルナ。
ルナは一番奥の上座に、そしてその真正面となる位置にアンジェリカが座り、側面に皆が座る。
「あたしはあんたに言わなかった。――ウサギのカードを持つものは、必ず悲劇的な死を迎える、ということをね」
ルナだけではない。ミシェルも口を覆い――カザマとクラウド以外の全員は、驚愕してアンジェリカを見つめる。
――ウサギのカードを持つものは、必ず悲劇的な死を迎える、だと?
「おい、そりゃどういうことだ?」
グレンがすごむ。アンジェリカは、それを制するように手を上げた。
「だから、いまからその説明をする。……きっかけはクラウドさんだ。クラウドさんは、調べた末に、ウサギのカードが持つ意味に気づいてしまった。
あたしは最近、ずっと真砂名神社にいて、先日グレンさんと会った。グレンさんが椿の宿にもどって、そのことをクラウドさんと話したきっかけで、あたしが椿の宿に呼ばれた。前々から、クラウドさんとあたしはゆっくり話したかったし、クラウドさんもそうだった。お互いの情報をあますところなく知らせ合って、情報の共有をしたかった。それで今回のZOO・コンペを開くに至った。そこまではオーケー?」
「……ああ」
グレンが浮かせた腰を、座布団の上に落ちつけた。
「ルナ」
アンジェリカはルナに話しかけたが、ルナは蒼白になっている。無理もない。自分のカードは、必ず悲劇的な死を迎えるカードだと言われて、動揺しないわけがない。
「ルナ、……正直に言うと、だからあたしは言いたくなかった。このことはとても誤解を生みやすいことだから。あんたは普通より感じやすいし、ウサギ・コンペの夢も見た。これは、だから、最後まであたしの胸にしまっておくべきことだったけれど、クラウドさんが知ってしまったからには、いまここで説明しておかないと、ますます誤解を生むような表現であんたに伝わってしまうかもしれない」
「……」
「ウサギのカードが悲劇的な死を迎えるカードだということは、クラウドさんはマリーから聞いた。そうだね?」
「うん、そうだよ」
「それはたしかに間違っていないが、正解とも言い切れない。マリーは下級予言師だったし――たしかにあたしとマリーで、このZOOカードを作った。だけどマリーは、圧倒的にZOOカードに関しての咀嚼が浅い。浅いというか、ZOOカードを学ぶだけの時間が、それだけの時間があの子にはなかった」
アンジェリカはそこまで言って、少し悲しげな顔をした。
「もともと、すごく頭のいい子なんだけど。自分がウサギのカードということもあって、そういうふうにしか見れなかったんだな。まず先に、お詫びするよ。みなを――ルナをびっくりさせたことを」
アンジェリカが手を回すと、ルナの身近にあるカードの大群が、一斉にきらめきを増した。色とりどりのウサギが描かれている、カード群。
「ウサギたちのカードをよくごらん。ルナ」
イラストのなかのウサギたちが、まるで生きているかのように動いている。
「紫のウサギがいるね?」
ルナがうなずくと、アンジェリカはそのカードに向かって命令した。
「高貴なる母ウサギよ、月を眺める子ウサギに己を示せ」
ルナは目を丸くした。カードに描かれた、綺麗なL03のベールをかぶった、赤ちゃんを抱いている紫色のウサギが、ルナに向かってお辞儀をしたのだ。
『わたしは“高貴なる母ウサギ”。今世の名前はメリッサ・J・アレクサンドロワ』
「メリッサ!?」
バグムントが素っ頓狂な声をあげる。メリッサ本人はここにいなかった。ルナたちと一緒に部屋まで来たが、入らず、別室で待機しているようだ。
「そう。あたしの担当役員の」
セルゲイとチャンは顔を見合わせた。さっき、メリッサの話をしたばかりだ。
「“高貴なる母ウサギ”よ。己の最早捨てた名を述べよ」
アンジェリカの声に、紫ウサギのカードは少し悲しげな顔をすると、『……わたしの捨てた名は、“清らかな生贄ウサギ”』とためらいがちに言った。
生贄。
セルゲイの頭に、さっきチャンから聞いた話がよみがえる。チャンも同様だったようだ。紫のウサギのカードに釘付けになっている。
「高貴なる母ウサギ。おまえはもう、“不幸と不運にまみれて”死ぬ運命にはないのだな? それを高らかに宣言せよ」
アンジェリカがそういうと、カードは薄紫の綺麗な光をキラキラと煌めかせる。ルナが思わず、うっとりしてしまうほどの。
『わたしの運命は変わりました。夫のおかげで、チャンのおかげで。皆様方のおかげで。この宇宙船のおかげで。わたしのウサギとしての使命は、これからわたしが担当する船客のために、わが子のためにあります。わたしは生きることを、もはや“あきらめ”たりはしないでしょう』
紫のウサギのカードはそう言うと、やがて静かにカードの群れの中にもどった。
「……今のを聞いたかい? ルナ」
「……え? え、う、うん……」
ルナはカードの美しさに、ぼうっと見惚れてしまっていた。たしかにちゃんと聞いていたけれども。
「どう思った?」
「どう思ったって――」
生きることをあきらめる? ルナはそれが気になった。
「そう。なんにだって理由がある。どうして、悲劇的な死を迎えねばならないのか? 根本はそこだ。ウサギのカードが悲劇的な死を迎えるのには、理由がある」
アンジェリカがぴっと指を立てると、一枚のウサギカードが、スポットライトを浴びて輝く。
「ウサギのカードはさ、みんな優しくて、自己犠牲的な性質を宿している人間が多い。だからかならず、だれかのためにその人生を捧げてしまうのさ。あるいは国に、ひとびとの幸せのために、あるいは隣人のために、家族、恋人、友人のために」
「だれかの、ために?」
「そう。ウサギのカードは、かならずその人生をだれかのために使う。だけど、それゆえに、その命まで捧げてしまうことがとても多いの。そして、それを美学だと思ってしまうウサギが、大多数なんだ」
「……」
「悲劇的な死を迎える、とだけいえばウサギだけにかぎらない。ほかの動物だって悲劇的な死を迎える者はいる。だけど、ウサギはそういった運命の場合、命をかけたときに簡単にその命をあきらめてしまう者が多いんだ。ヘビとかなんか、やたら粘るけどね。意地でも死んでたまるかって運命をくつがえそうとする。でも、ウサギはそういう粘り強さに欠けるんだ。ま、そうじゃないウサギもいる」
次にスポットライトを浴びたウサギは、ルナがいつか、ウサギ・コンペで見た、グレーのしましまのおじいさんウサギ。
『私は“記録する灰色ウサギ”。生前の名は、エリック・D・ブラスナー』
軍事惑星群出身者だけが息をのむ。
あの「バブロスカ~革命の血潮~」を書いた、革命の志士か。
彼らが、傭兵の認定制度を軍に認めさせたのだ。傭兵にとっては、憧れの象徴だ。
バグムントもチャンも、食い入るようにカードを見つめている。
『月を眺める子ウサギよ。ウサギ・コンペでは失礼した。時期尚早であったようだ。コンペはいつも通り混乱して終わってしまった。せっかくあなたを迎えたのにな』
「記録する灰色ウサギよ。月を眺める子ウサギに、道を示せ」
『道というほどのものも、私にはありはしないが。ただ私が言えるのは……』
灰色ウサギはしばらく考え、それから咳払いをした。
『幸せに、生きておくれ』
カードからふわりと浮きあがり、ぬいぐるみの姿になった灰色ウサギは、ウサギのその手で、ルナの両手を覆うようにつかんだ。奇妙なことに、そこからウサギの体温が伝わってくるようだ。
『君には信じがたい話かもしれないが、私は幸せだった』
灰色ウサギは、その黒い目でまっすぐにルナを見た。
『ユキトと出会えたことも、地球に行けたことも、あのバブロスカ革命のことでさえも、私には僥倖だった。あの牢獄生活が苦しくなかったとは言わない。だが、あの本を書き終えることができた。今の私は、歓喜に満ちている。私は己の役割を果たした、精いっぱい生き切ったと思っている。ユキトも、ほかの皆もそうだ』
灰色ウサギは、微笑んだ。
『私は、幸せだった。幸せな一生を送ったと思っている』
「エリックさん……」
『あなたも、きっとそう思えるように生きてほしいだけ。あのときウサギ・コンペにいた大多数のウサギたちは、悲嘆に暮れていた。なぜこんな一生を送らねばならなかったと悲嘆にくれるか、自分が死んだのは、正義のためだだれのためだと、悲壮感におちていきり立っていた。みな、仕方ないと思いつつ、自分の生を後悔していたのだ』
きゃいきゃい騒いでいたウサギたちは、みなそうだったのか。
『ウサギは本来ならば、どの動物よりも幸福に満ちあふれるカード。それをわれわれウサギに教えてほしいのだ』
「あ、あたし、そんなことできないし、分からないよ……!」
灰色ウサギは首を振る。
『言葉で教えるのではない。あなたが、あなたらしく生きてくれればそれでいいのだ』
あなたが、幸せだと思う生き方をすれば、それでいい。
『ZOOの支配者よ。ウサギ・コンペのときに渡し忘れたみやげを、この子に手渡したい。どうか許可を』
「許そう」
『では、月を眺める子ウサギよ。必ず傭兵のライオンと孤高のトラとともに、あの山奥の店舗に行きなさい』
山奥の店舗? ルナはなんのことかと思ったが、すぐにニックのコンビニを思い出した。
「店舗って、コンビニのこと?」
灰色ウサギはうなずいた。
『月夜のウサギと、孤高のトラに、ステキなプレゼントがある』
そう告げて、灰色ウサギのカードはみなのもとへ――カードの群れの中へもどろうとした。




