16話 羽ばたきたい孔雀 Ⅱ 3
「アズはそのうち、女の人に刺されるんだ!!」
「へいへい」
本日は、だれもルナと飲み比べなどしようとしなかった。怒り狂った彼女と勝負をするのは自殺行為である。クラウドが数えただけでも、ルナは生ビールを五杯、カクテルを三十八杯、ワインを三本飲んだ。
とくにふらつきもせず、自分で歩けるほろ酔いの(!)ルナだったが、アズラエルが丁重におんぶしてさしあげた。そこから、怒りのうさこたん攻撃がはじまっていた。
「自動肩たたき機……」
ルナはアズラエルを殴っているつもりだが、後ろから見る姿は、アズラエルの肩をぽこぽこと叩いている姿にしか見えなかった。
マタドール・カフェの外にあるベンチ――灰皿つきの場所で、ミシェルとクラウドが、一服しながらその後ろ姿をながめていた。
「アズなんかハゲろ」
「ハゲるかもな、将来的には」
「別居だ別居!」
「どうかそれだけは」
リサとキラ、レディ・ミシェルとロイドは、二軒目はどこに行こうか、携帯電話のアプリで相談中だ。アズラエルは、ルナを連れて、今日は帰るといった。
「アンジェラ?」
メンズ・ミシェルがびっくりして、クラウドに聞き返した。
「アンジェラって、アズラエルが通ってたあの女だろ? ――そんなことになってたのか」
クラウドから事情を聞いたミシェルは、驚いてそういったあと、苦笑いした。
「俺も、運が悪いとかいいとか、ひとのことを言えた義理じゃねえが、アズラエルも踏んだり蹴ったりだな」
「ほんとうに」
クラウドも苦笑した。ミシェルは思案気に宙を見つめ、言った。
「エレナもアズラエルに惚れてるとは思うよ。そこンとこ、アズラエルは見ないふりしてるのか、それともほんとうに気づいていないのか――」
「“アズがエレナを助けたから”、好かれてると思っているだけなのかも。アズは変なとこで鈍感だから」
「でも、エレナにもジュリにも、手は出してないんだろ?」
「そっちはホント。あのふたりに手を出す気はなかったみたい」
クラウドは、女の子たちのほうを気にしながら、小声で言った。
「エレナのほうは本気だし、ジュリは“あのとおり”だから。面倒だと思っていたのかも」
ミシェルはふたたび思案する顔をした。
「……面倒っていえば、これは面倒なことになるかな?」
「え?」
「俺も店長から聞いた話で、その場にいたわけじゃないんだが。このあいだ、ラガーでアズラエルのことを聞いていったやつがいたって」
「ええ?」
アンジェラの手先だろうか――クラウドの脳裏に浮かんだのはそのことだったが、ミシェルは首を振った。
「その人妻は関係ないだろうよ。そんなんじゃなくて。ラガーの店長がいうには、K27区あたりの、ふつうの子だったっていうんだ。ちょっと派手なかっこうした、ヤンキーっていうのか」
クラウドは目を見開いた。
「リサやルナちゃんたちと同い年くらいだろ。ラガーには商売女や傭兵や、そのスジの女しか来ないから、一発でいいとこの星のお嬢さんだとわかる。女五人で来て、アズラエルに会いたいけど、いつくるって聞いていったらしい」
そして、こめかみを押さえた。
「アズはここに来て、モテかたがずいぶん厄介になったな」
「災難だな。やっぱり災難だ。ラガーの店長は、アズラエルなんて知らねえ、客のひとりひとりをいちいち覚えてられるかとあしらったらしいが、あの様子じゃまた来るだろうって」
たしかにアズラエルはL18にいたときから女にモテたが、こんなメチャクチャなモテかたではなかった。クラウドはさすがに首を傾げた。
「……なにが、起こってるんだろうな」
「また、ひと悶着起きそうだな」
ミシェルは言い、「忠告はしといたぞ」とクラウドの肩を叩いた。
「ヤンキー娘の五人組か……」
二軒目が決まったのか、リサがクラウドとミシェルを呼んだ。
ふたりは中途半端に話を放ったまま、お互いになにか言いたげな目で見合ったのち、仲間に合流した。
ルナの機嫌は一晩寝たら、ウサ耳とともにおさまっていた。
アズラエルはほっとしたが、彼の悪運は、まだまだ尽きてなどいなかった。平穏だったのはたった一日だけ。
アンジェラ対策のために、アズラエルとクラウドは明後日の夜、再度マタドール・カフェへと足を伸ばした。もちろん、ルナとミシェルも一緒に。
計画ともいえない、まだ雑談レベルの段階で、ルナの携帯にリサから着信が入り、ふたたび八人そろっての飲み会に変貌してしまった。
アズラエルとクラウドは飲み会がすんでから、ふたりだけで話し合うことにして、とりあえず飲みに徹することにした。
その日は、先日よりはなごやかに時間は過ぎた――ルナがひたすら無言で飲み続けることもなかったし、主に女の子たちの「リリザ周遊計画」がメインに話は進み――そろそろ二軒目に行こうかという話が出た頃合いだった。
「二軒目どこいく?」
「このあいだいっぱいだった、K37区の、あの、ほら、あそこ」
「K37区まで行くの?」
「えー、いいじゃん、行こうよ」
「まだ早い時間だし、いいんじゃない」
今日は、きのうの反省の意味も含めて二杯しか飲まなかったルナが、もしょもしょとウサギの小銭入れを探ってお金を出したときだった。
スローテンポな音楽と静かな喧騒の中に、突然、キャー! という耳障りな歓声が響き、ルナの肩をビクつかせた。
「いたー! やっと見つけた!!」
ビクついたルナだけではなく――店の人間すべてが驚き顔で入口を見やったはずだ。そして、眉をしかめる。この店は、どちらかというと静かに飲む店だ。騒ぎたい者にはそれ相応の店がある。
ルナは驚いて口をぽっかりあけた。
イマリだ。
イマリはまだ、降りてはいなかったのか。
イマリを筆頭とするヤンキー女たちの集団が、ルナたちの席向かってまっしぐらに突進してきたのだ。
「リーサー! 久し振りー!!」
声をかけられたリサは目を瞬かせ、それから、「え?」とキラたちを見た。キラたちも「意味が分からない」という意味のジェスチャーをした。リサも彼女たちの顔を見知っている程度で、親しいわけではない。
思わず見合ったのは、メンズ・ミシェルとクラウドだった。まさか、きのう話していた、ラガーにまでアズラエルを探しに来た五人組か。
ふたりの予想は的中した。人数もぴったりだった。
五人はまっすぐ――なんのためらいもなく、広めにとった奥の席にやってきた。そして、思い思いの席に、許可もとらず座った。もちろん、尋常でないハイテンションなので、呑んでいるのは間違いないし、クラブでひとしきり踊って、すさまじいテンションを維持したまま突撃してきたようだ。
リサの名を呼んだのは一度きり。それ以降は、リサにもだれにも、女性にはまったく興味を示さなかった。彼女たちの興味が向いているのは、アズラエルたち四人の男だけだった。
そして。
イマリの目は、だれの目にもわかるように、まっすぐアズラエルをとらえていた。
「!?」
さすがのルナも、イマリとアズラエルがつきあっていたとか、そんな誤解はしようにもできない。ルナがおそるおそるアズラエルを見ると、きのうのルナを数百倍おそろしくした顔があった。無理もない。
アズラエルはルナをチラリと見て、「こいつらだれだ」と目で聞いてきたが、ルナも首を振るしかなかった。
いったい、なぜ。
マタドール・カフェはけっこう知れている店だし、この五人も来ることはあるだろう。でも、ほかのバーやカフェで会っても、いままでルナたちのグループに混じってくることなどなかった。リサと知りあいでも。
だとしたら答えはひとつ。
ルナには分かった。
(このあいだのスーパーだ)
案の定、イマリはアズラエルの隣に無遠慮に腰かけると、ルナをすっかり無視してアズラエルに話しかけた。
「あたし、イマリっていうの」
アズラエルはひたすら無言だった。
「このあいだスーパーにいたよね!」
「リサ、アンタってさ、よく次から次へといい男ばっか、うらやましすぎる」
「名前、なんていうの?」
アフロたちの衝撃も冷めやらぬ間に、今度は。
突然の乱入に、キラやロイドも困惑した顔をしていたし、レディ・ミシェルも不機嫌だった。五人のうちのふたりは、クラウドの隣に陣取り、ベタベタ触りまくっているからだ。
ミシェルも驚いてはいたが、苦笑いで自分に絡みついてくる女の子を無視していた。
キラは分かりやすいくらいイマリたちを毛嫌いしていて、ロイドをかばうように席をずらした。
やがてクラウドが、「俺たちは、静かに飲みたいんだ。帰ってくれるかな」と笑顔ながらもはっきり拒絶した。クラウドの明確な拒絶は、美形度も相まって、威力があった。
テンションがふりきれている女たちの頭に冷や水をぶっかけたように――イマリ以外の女の子たちは、興ざめしたように顔を見合わせた。
「行こ」
「だから言ったじゃない……だって」
小突きあいながら、ふて腐れ顔で集団は去った――嵐のような集団が去って、リサやキラもほっと胸を撫でおろして向かいを見――ギョッとした。
イマリがまだ残っていた。
「電話番号教えてよ」
イマリはずいぶんとしつこく、アズラエルも閉口しているのがルナにも分かった。アズラエルはうんざりしたように言った。
「俺はおまえのことは知らねえしガキは相手にしねえ。帰れ」
無視も全然効果がないと悟ったのか、至極不機嫌な声でアズラエルは言い放ったのだが。
「あたしがガキなら、ルナだってガキじゃん」
おもしろくなさそうにイマリが言う。
しかも。
意地の悪い口調で、イマリは爆弾発言をした。
「ルナって、おとなしそうな顔して何人と付き合ってんの? けっこう噂になってるよ。この店でだって、男のひととキスしてたんでしょ? ケヴィンとかも、相手にしてもらえないって泣いてたよ。アイツ、アンタに何回もコクってるんでしょ? それなのにつきあってもらえないって。特定の男つくんないって有名だよね。でも、あのアントニオも、つきあわなくてもいいから一回くらい寝たいって、」
「ぴぎ!?」
ルナはショックで心臓が口からはみ出そうになった。いや、出た。なにか出た。
水を口の端からこぼしていた。
あわてて、向かいのロイドがおしぼりを差し出している。
ルナだけではない。リサとキラ、ミシェルの口も、なにか出てくるといわんばかりにぽっかり開いていた。
だれが? 何人と付き合って?
アントニオって? ケヴィン?? だれだそれ。
なにがなんで、どうしてそんなかたちで有名に?
ルナがあまりのことになにか叫ぶまえに、思いもかけない人物がバンっとテーブルに手をついて、立ち上がった。
そして、震える声で言った。
「に、に、に、に、にににに二軒目に、いこう……!!」
涙目のロイドが、史上最高の勇気を振り絞って、か細い声でイマリに告げた。
「わ、わわわわるいけど、か、帰ってください……!!」
二軒目に向かうタクシーのなかで、ロイドは史上最高に女性にモテていた。四人の女性に囲まれて、やんやの喝さいを浴びていた――別の車に乗った男たちも、ロイドの健闘をほめたたえていた――完全に無言になってしまったアズラエルを抜かして。
なにせ、アズラエルのこめかみに青筋が立ちはじめ、形相がかなり危ない方向にシフトしはじめた時点で、クラウドとミシェルは、なんとしてもあの最後に残った女を、この場から消そうとしていた――アズラエルがなにか容赦のないことをしでかして、「降船指示」を受ける事態になることを危ぶんで。
ちなみにイマリがいったルナの男遍歴――かなりの誤解――は、友人三人が全否定したので、だれも信じなかった。
しかし、タクシーがK37区の居酒屋についたころには、アズラエルは車にいなかった。
「ちょっと今日は、寄るところがあるから帰るって」
ミシェルの言葉に、ルナだけが蒼白になった。
「まさか……アズはあれを信じた!?」
「いや、信じたって感じではなかったな」
ミシェルは言った。
「調べたいことがあるだけだと思う」
クラウドの言葉に、「調べたいこと?」と女四人が首を傾げた。彼のウィンクに、それがおそらくアンジェラのことだと気づいたのは、ルナとレディ・ミシェルだ。
「明日にはきっと帰ってくるよ」
アズラエルは、クラウドの予告通り、翌日の夕方になって帰ってきた。それはそれはふつうの形相で帰ってきた。
アズラエルはルナの手のひらに、ケーキの箱を置いた。中にはかわいらしいケーキが五つ、入っていた。
「おまえが食いたいっていってた、――なんだっけ。ええと」
「エトランゼのケーキだ!!」
「そう、それ」
K08区の老舗ケーキ店で、パンフレットにも載っている名店。いつも行列で、並ばなきゃ買えないのに……。
「あのイマリって女のこと、担当役員に苦情言いにいったら、コイツを渡された」
「ええっ!!」
ルナのウサ耳がすっぽ抜けた。
「イマリ、やっと宇宙船降りたの!?」
「いや、迷惑行為があるのはたしかだが、降りる基準まで達してないから目こぼしなんだと」
ミシェルも一オクターブ高い声を上げたあと、「なぁんだ。降りなかったんだ」とがっかり顔で言った。
「だが、時間の問題かもしれねえぞ」
アズラエルはそこそこ明るい声で言った。
「どうもあの担当役員、あの女のせいで、あちこちに詫びを入れに行ってるらしいからな。コレも、たぶん俺が来なかったら、別のヤツに持っていくところだった」
「「……!!」」
ルナとミシェルは顔を見合わせた。
それから、アズラエルは、ポケットから、しわくちゃになったチケットを二枚、ミシェルとクラウドに差し出した。
「それから、こっちは親父さんからもらった。ふたりで行ってきな。明日からでも」
親父さんとは、石油王ムスタファのことである。宇宙船内のリゾート地に二週間ほど滞在できるチケットだ。
クラウドはそれを見て、あっさりうなずいた。
「オーケー。さっそく行こう、ミシェル」
「冗談でしょ! ルナに何があるかわからないのに!」
「このリゾート地は、アンジェラの屋敷に近い」
「……え?」
ミシェルの目がぱちぱちと瞬いた。
「接触できるかは分からないけど――」
クラウドは、ふたたびミシェルをチラリと見た。心配と、困惑を包んだ視線で。
「様子を探ることぐらいはできるさ」
「言っとくが、そのためにわざわざもらってきたんじゃねえぞ。ちょっとアンジェラのことで探りを入れに行ったら、偶然、親父さんがくれたんだ。アンジェラのことはいいから楽しめ。ホントは、――ルナと行こうと思ったんだが」
アズラエルは疲れ切ったため息を吐いた。
「とにかく、カタをつけてくる」
「えっ」
ルナのウサ耳が跳ねあがった。
「アンジェラのことが解決しねえと、落ち着かねえ。安心しろ、たとえ降りることになってもひと暴れしてくる」
クラウドはくぎを刺した。
「それは困るって言っただろ」
「だったら、死ぬ気でなにかいい作戦を考えろ」




