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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 ~記憶の扉篇~
322/959

139話 迷える子羊と孤高のトラ 2


「はあ、じゃあ、あの乱暴な連中は、もしかして王宮護衛官か?」


 サルーディーバは小さくうなずいた。


「そうです。彼らも、L03から乗った、あなたと同じ船客です。彼らは、自分からわたくしの護衛を名乗り出てくださって、わたくしが毎日ここで祈願をしているあいだ、護衛をしてくださるのです」

「そうか」

「L03では、サルーディーバに近づくだけで罰せられる。ほとんど、死刑です」


 サルーディーバは困った顔でつづけた。


「ですから、彼らは、自分たちが悪いことをしたとは、微塵(みじん)も思っていないのです。L03では、危険もあるからしかたありませんが、この宇宙船では、そうそう危険なことは起こりません。……この宇宙船に乗ってから、わたくしもアンジェリカも、再三注意してきたのですが、彼らは分からない。なかなか、分かってもらえない。わたくしとて、L03を離れて、サルーディーバなど知らない人間のところへ行けば、ただのひとと変わりありません。ほんとうに、驚かれたでしょう。申し訳ありませんでした」


「……」


「あとであたしから、グレンさんの“身分”をあいつらに伝えとくよ。――かまわないだろ?」


 アンジェリカがウィンクした。グレンは肩をすくめることで、しかたないな、という意思表示をした。


「最初から、『俺はドーソン一族の嫡男だぞ!』っていえばぜんぶすんだのに」

「……今は少し、情勢がややこしいだろ」

「……たしかにそうかも。でもきっと、あいつら土下座してたと思うよ? 役員のほうはわからないけど。しっかしまあ――ずいぶんひどく汚してくれちゃって」


 グレンが走ってきたルートは、間違いなく泥と水で汚れていた。


「グレンさん、あんた、功徳を積むと思って、掃除していきなよ!」

「……や、クドクってやつは分からねえが、掃除はするさ。俺が悪い。そのまえにちょっと」


 グレンは、来ていたポロシャツを、いきなり脱ぎ始めた。


「きゃあ!」


 サルーディーバが悲鳴を上げて、グレンに背を向ける。


「ビショビショで気持ちわりーんだよ……、でっ!!」


 奥殿の外へ大股で歩いていってポロシャツを絞っていると、うしろから木の棒のようなものでパコーン! と叩かれた。木の棒は、モップの柄だった。グレンの後頭部を叩いたのは、さっきお茶を持ってきてくれた宮司(ぐうじ)だ。両手にモップとバケツを持った宮司が、仁王立ちしている。


「とんでもないやつじゃ! 汚れた格好で拝殿に上がり込むわ、れでぃのまえで裸になるわ」

「上だけだろ! 下は脱いでねえぞ!?」

「すっぽんぽんになっとったら、ワシがおまえさんを宇宙船から降ろしとるわい! 罰として、この床、ぜんぶ掃除していきなされ!」

「全部だと!?」


 ここの拝殿だけでも、けっこうな広さだ。宮司は、グレンの手にバケツと雑巾とモップを押し付け、


「真砂名の神も呆れてござるわ。ぜんぶ神さんが見とるでの、ズルはなしじゃぞ」


 グレンはモップを手に、大きなため息を吐く。


「自業自得だね、グレンさん」


 アンジェリカの大笑いが、拝殿に響いた。





 グレンをギャラリーへ置いていったアズラエルたちは、金網を抜け、階段上の拝殿までもどった。


 そのあたりまで来ると、雨は小雨になった。この程度の雨ならば、拝殿で雨宿りするより、一気に椿の宿にもどろうという話になり、彼らは階段を駆け下り、まっすぐ椿の宿へ走った。


「まあまあ! こんなに濡れて!」


 おかみの驚きようも、無理もない。全員、プールにでも飛び込んだようなありさまだ。


「真砂名神社でいきなり豪雨が。……そうですか、それは大変でしたわね」


 山の天気は変わりやすいですから、とおかみは言い、バスタオルを出してくれた。椿の宿のあたりは、雲が覆っているくらいで、雨は降っていない。地面も乾いている。だが、真砂名神社の奥殿がある山のほうは、まだ厚い雲が覆い、雷の音も聞こえる。


 男たちは外でシャツを絞り、ルナもスカートのはしっこを絞って、バスタオルで水分を拭きとって中に入った。


 クラウドたちは、まだチェックインまえだった。予約はしていたので、着替えてからチェックインする旨を告げ、クラウドはミシェルを抱いたまま、ルナたちが宿泊する(いちい)の部屋へ入った。

 クラウドが畳の上へミシェルを寝かせると、ルナがただちに叫んだ。


「はい! 男の人たちはお外へ出てください!」

「……え?」

「だって、ミシェル着替えさせなきゃ。風邪ひいちゃうよ」

「あ、ああ分かった。……おい、出るぞクラウド」

「え? 俺も?」

「そうです! クラウドも出ます!」


 ルナウサギにぐいぐい押され、アズラエルとクラウドは櫟の部屋の外に出された。


「いいってゆうまで入ってきちゃダメだよ!」

 ウサギはぴしゃりと襖を閉めた。


「――ちょっと待って。なんで俺も? 俺はいいじゃないか」

「クラウド、あきらめろ」


 食い下がるクラウドの肩を、ぽん、と叩いて慰めるアズラエルがいた。


「さて、うっわー、びっしょびしょだ」


 ルナは、ミシェルを、この部屋にある浴衣に着替えさせるつもりだった。


「はい、ルナちゃん。このユカタかな?」

「うん! これです……」


 ニックがルナに畳んである浴衣を渡してくれる。


「これでしゅ……。……?」

「……」


「やあ! 僕も追い出されちゃったよ♪」


 満面の笑顔で(ふすま)を開けて出てきたニックに、アズラエルとクラウドは声をそろえて突っ込んだ。


「おまえが一番に出ろよ!!」


 ルナはどさくさまぎれに残ったニックを追い出し、ミシェルの身体を拭き、浴衣に着替えさせた。自分も濡れた髪をタオルでまとめ、新しい服に着替えてから、襖をあけた。


「いいよ。入って」


 クラウドはいなかった。チェックインと、着替えを済ませに行ったらしい。

 いちいの部屋から見える山の雨雲は、ようやくこちらの方へ流れてきていた。いまにも降り出しそうな予感だ。部屋は暗く、もう日が沈んだような感覚になる。

 ニックは、アズラエルの分の浴衣を借りた。アズラエルも自分の服に着替える。

 ルナは、ミシェルの髪をタオルで拭き、それからニックに布団を出してもらって、ミシェルを寝かせた。


「ルゥ。雨で冷えたろ。ひとっ風呂浴びてきたらどうだ」

「え? ――うん、」


 ルナはミシェルの枕元から離れようとしない。ミシェルの寝顔を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。


「――やっぱり、あたしのせいかなあ」

「あ?」


 アズラエルも、タオルで頭をがしがし拭いている。


「……ミシェル、さっき、ギャラリーで……」

「ああ……」


 ついに、ここでも雨が降り出した。先ほどのような豪雨ではないが、ざあざあと強く降っている。


「なんでもかんでも、おまえのせいってことはねえだろ」

「……」


 ニックは机の上に肩肘をつき、ふたりをおだやかな目で眺めている。


「……関係ないヤツが口を挟んで悪いんだけど」

 ニックが言った。

「ミシェルちゃんがこうなったのは、ルナちゃんのせいではないと思うよ? ――たぶん、先ほどの男性は、ミシェルちゃんの前世のひとつだと思うんだけれども、よほど大物の前世が出てきたんだね。だからミシェルちゃんの肉体は驚いて、気絶してしまった。でも、だからといってこのまま目覚めないとかいうわけじゃない」


 ニックは、ミシェルがあそこでしゃべっていた内容に関しては、言及(げんきゅう)しなかった。


「心配しないで。すぐとは言わないけれども、彼女はちゃんと起きるから」

「……」


 半分涙ぐんでいたルナは、ニックの言葉に、こくんとうなずいた。


「ニック、おまえもその、なんだ。――真砂名神社で起きる不思議な現象の意味、分かってんのか」

「うん。そりゃあね、僕だって、宇宙船役員やって長いもの。あそこはいろいろあるさ」


「ミシェルの具合、どう?」


 浴衣に着替えたクラウドが、自分たちの部屋のカギを持って入ってきた。


「どうってことはねえ。グースカ寝てるよ」


 クラウドも枕元へ寄って、ミシェルの額に手を当てた。


「熱はなさそう」

 ほっとした声で言う。


「ルナちゃん。さっき雨で冷えたでしょ? 温泉入ってきたら?」


 クラウドも、アズラエルと同じことを言う。ルナはぷるぷる首を振った。


「あたしもミシェルのそばにいるよ」


 男三人は、顔を見合わせた。





「サルーディーバさん、そうソワソワせんでも、あと三十分もすりゃ、あの銀色頭はここへくるわい」


 だから落ち着いて、座って茶を飲め、と宮司は呆れ顔で言った。


「も、申し訳ありません……」


 サルーディーバは、さっきから立ったり座ったりと、(せわ)しないのだった。


 真砂名神社の一角の小部屋――ここは普段宮司が休んでいる小部屋だ――ここで栗ようかんと緑茶をおやつに、宮司とアンジェリカとサルーディーバの小休憩――のはずだったのだが、サルーディーバはおやつに手をつけず、ソワソワと動いてばかり。


「心配せんでも、銀色頭の分もちゃんとありますでの」

「でもあの、わたくしも、お手伝いしたほうが――、」


 グレンは、宮司の言いつけどおり、せっせと奥殿を掃除していた。モップひとつ持ったことのない、ドーソン家のお坊ちゃまが。


「姉さんが手伝ったら、グレンさんはサルーディーバに掃除をさせた罪で、処刑になると思うけど」


 それに、不器用な姉さんが手伝ったら、ますますグレンさんの掃除する場所が増えるかも、と、アンジェリカが、勝手にお茶のお代わりを自分の湯飲みに注ぎながら、言った。


「恋する女って、そんなもんだよね~」

「……!!」


 にしし、と笑うアンジェリカに、サルーディーバは言葉を失って顔を赤くした。

 妹は、最近おかしい。これでも、もう少しまえまでは、たしかに妹だけれども、サルーディーバに対して多少の遠慮というものがあった。実際、それをさみしく思っていたのだから、なくなったのはいいことだけれども、これはいただけない。アントニオの影響もあるのか、はしたない言葉遣いがさらに多くなった気がする。


「恋する女、のう……」

 宮司までもが、緑茶を見つめてつぶやく。

「あの銀色頭では、すこし役不足かの」


「なにをおっしゃるのです! わ、わたしは、わたくしは……、べつに、」


 この宮司も絶対おかしい。サルーディーバが恋、などという言葉を聞いたら、たいていの人間は絶句するか、信じられないという顔をして、サルーディーバをたしなめるはずなのに。


「おい。終わったぜ」


 グレンがいた。サルーディーバの背後に。

 ルナではないが、背筋がのけぞるほどサルーディーバは驚いた。人の気配もわからなくなるほど、グレンのことで頭がいっぱいだったのだろうか。


(情けない……。落ち着かなければ)


 グレンは、宮司の作務衣(さむえ)を借りていた。無論、つんつるてんである。足も腕も足りなければ、身幅も足りていない。たくましい胸板が、惜しげもなくさらされ中だ。

 彼のビショビショの私服は、宮司が干して乾かしてくれていた。


「よしよし。ちょっと見てくるぞ」

 宮司は、廊下をまたいで拝殿のほうへ行った。

「ほう……。ちゃんと掃除したようじゃの」


 床はきちんと磨き上げられ、モップで拭いたあとは乾拭(からぶ)きされている。床板は、輝くようにピカピカだ。


「ええ子じゃ。おつかれさん。服はここに置いておくぞ」


 吊るしてあった服はまだ半乾きだが、適度な風通しによって、気にならないぐらいには乾いていた。


「グレンさん、ここ座りなよ」

「おう」


 アンジェリカが席をずらし、サルーディーバの隣にグレンを座らせる。


 サルーディーバの肩は、緊張でガチガチに張りつめていた。グレンがこんなに近くにいることに加え、アンジェリカがまた恋だのなんだのと、グレンの前で言いだすのではないか――という心配で。


 心臓が、破れそうだった。


 グレンは、出された栗ようかんを見、「……これはなに?」と聞いた。栗ようかんという菓子だと宮司が告げると、グレンはそれを口に持って行った。スクエアな塊がひとくちで口の中に押し込まれる。


 ずいぶん粗野(そや)――もう少しいい表現では男らしい食べ方に、サルーディーバは半分呆れ、半分見惚れた。自分の周りに、こんな無作法な食べ方をする男はいない。


 ひと噛み、ふた噛みしてごくり。なんという早食いか。宮司も呆れて笑った。


「ようかんは逃げんよ。ゆっくり食べんか」

「甘ェな……」


 緑茶も、ぐびぐびと喉を鳴らして一気飲み。アンジェリカが笑った。


「グレンさん、あんた、ほんとに物怖(ものお)じしないね」

「あ?」

「サルーディーバの隣でなんて、普通の人は喉を通らないよ」

「……」


 ああ、そうか。そういえば、サルーディーバが隣にいるんだっけ。

 グレンはやっと思い出した。


 神格化された人間。人が作り出した、目に見えぬものの象徴。

 グレンの目に映るのは、美しいひとりの女性だ。


 グレンは、隣のサルーディーバを見た。


 いつも被っているフードはない。綺麗に編み込んだ、飴色の髪。伏せられた長い睫毛(まつげ)


 実に美しいな、とグレンは思ったが、これを口に出せばさすがに無礼者扱いだろう。



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