138話 再会 Ⅴ 2
アズラエルたちが奥殿の庭に駆け込んだのとほぼ同時に、“天使”が空から降りてきた。ネコとウサギを、一匹ずつ両脇に抱えて。
「あれえ? 君たち、金網抜けてきちゃったの? ひとりずつなら運んであげたのに」
ニックが、両腕のルナとミシェルを支えながら言った。ふたりとも、腰が抜けてうまく立てないようだった。ミシェルは「ジェットコースターみたいだった!」と大喜びしていたが、ルナはいまにも泡を吹きそうだった。目を回している。
「びっくり……びっくりしました……」
「あれ? ごめんね? 君たちくらいの年代ってジェットコースター好きかと思って、サービスしすぎちゃったかも」
ニックは空中で三度ほど大回転をした。これぞよけいなサービスというものである。
「ほんとにすごいね! 俺、有翼人種ははじめて会うんだ。……気を悪くしないといいんだけど、羽根を触らせてくれる?」
クラウドは、大興奮でニックに駆け寄る。
「かまわないよ」
「うわあ! すごいなあ、すべすべだ。やっぱり、この羽根、重いんだよね?」
「重いよ。両翼で体重と変わらないくらいあるから」
「そうなの!? そうだよね、これだけ大きかったら、……俺、小さいころ辞典でL02のことを知って、一度でいいからホンモノの天使に会ってみたかったんだ」
クラウドがこんなに大はしゃぎしているのを、ルナたちは見たことがない。ニックの羽根に頬をすり寄せんばかりのクラウドを見て、アズラエルは呆れて言った。
「自分の興味ある分野だと、一気にガキにもどるよな、アイツ」
「クラウドがあんなにはしゃいでるの、あたしも初めて見たよ……」
ミシェルもつぶやいた。
クラウドの名残惜しそうな視線をよそに、ニックは翼をたたんだ。不思議だ。あれほど巨大な翼がどこに納まっているのか。ニックの背中に、吸い込まれるように消えていく。ニックの着ているTシャツは、ご丁寧にも羽根が出せるよう、背中に二か所、切れ目が入っていた。
「はい」魔法のように、ニックの手には一枚の羽根が残される。「今日の記念に」
クラウドは、手渡された羽根に大喜びだった。
「ギャラリーは、あっちが入口だよ。見に行ってみたら?」
ニックの翼ショックで、ほとんど全員が絵画のことを忘れていた。
ニックが指さした先には、奥殿の大きな建物があり、廊下へ上がる小さな階段が。そして「順路」と書かれた立札があった。
「見てきなよ。古い順に、絵が並べられているはずだから、」
グレンは一人、首を傾げていた。
(――昨日の夢で、この風景を見た気がするんだが)
見回すが、やはり夢の内容は思い出せそうにない。断片的には出てくるのだが。
夢の中でさっきの長い階段を上り――ここへ来た。
たしか夢の中でも、ここは立ち入り禁止になっていて、草ぼうぼうの荒れ放題だったはず――だが、めのまえのギャラリーは、綺麗に掃除されて蔦など張っていないし、工事後というだけあって、廊下はつややかな白木。傷ひとつなく光り輝いて、陽を反射している。
庭も整備され、花や植物は剪定されている。日々、人の手が入っているのは一目瞭然だ。
(ここで、なにがあったんだっけ……)
思い出せそうで、思い出せない。
「あ、ミシェル、そっちじゃないよ」
ルナの声に、グレンははっとそちらを見た。自分たちがいる庭の真正面の回廊だ。「順路」と書かれた立札がある方ではなく。
この回廊はすべて外に面しているので、どこからでも入ることができる。
ミシェルは真正面の回廊へ、ふらふらと寄っていく。一枚の絵に引きつけられて、そちらへ行ったのはあきらかだ。
ミシェルが向かった絵は――。
(あの絵は)
グレンも見た。夢の中に出てきた。
――たしか、二頭のライオンがお姫様を襲っている絵?
「ミシェル! どうしたの?」
ルナが呼ぶが、ミシェルはまったくルナの声が聞こえていないかのように、その絵に歩み寄っていく。ミシェルの目は、その絵から一秒たりとも離れない。
「ミシェル……?」
グレンも、ミシェルのほうへ足をすすめた。その絵をちゃんと見たかったのだ。その絵を回廊の外から眺め、グレンは自分の間違いに気づいた。
(二頭のライオンがお姫様を襲ってるんじゃなくて、守ってるのか。……白いライオンから?)
廊下の外からでは光の加減で暗がりになり、良く見えないが、やっとその絵の全容が視界に入った。
姫を白いライオンから守る、二頭のライオン。
そして姫の背後で両手を広げる夜の神と昼の神。
どこかを指さす、太陽の神。
ということは、あれは姫じゃなく――月の女神か?
(不思議な絵だ)
「ミシェル、どうしたの?」
さすがに不審に思ったクラウドが、ミシェルの後を追った。グレンも、ミシェルの様子がおかしいのにようやく気付いた。
ミシェルはじっと絵を眺めつづけ、やがて、その両手をぺたりと絵に付けた。
「あ、ミシェル、触っちゃダメだよ!」
ギャラリーの絵は、お触り禁止と立札がついている。ルナの言葉は届いていない。ふいに、ミシェルが振り向く。その目は、まっすぐにグレンを見た。
「“ごきげんよう。グレン君。――百三十年ぶりだね”」
だれもが聞いた。ミシェルの口から出た、「男」の声を。
「“いよいよ、さだめは動き出す。百三十年の時を経て。――グレン君”」
ミシェルはにっと笑った。
「“忘れてはいけない。君の役目は、終止符を打つことだ”」
だれもが、呆気にとられてミシェルを見つめた。ミシェルの声とは似ても似つかない低い男の声が、彼女の口から出てくるのだ。
「“鍵を、大切にね”」
「ミシェル!!」
クラウドが倒れ込んだミシェルを、あわてて抱きとめた。
ゴロゴロ……、と地鳴りが響いたかと思うと、それに呼応するように、空が一気に曇りだす。
「これはひと雨来るな」
ニックが言ったのと同時に、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りになった。
「うきゃー!」
ルナが大雨の中で、わたわた、ウロウロと動き回る。
「ミシェル! だいじょうぶ!? しっかりして!」
クラウドがミシェルの頬を叩くが、ミシェルは気絶したまま目覚めない。
「クラウド君。ミシェルちゃんはだいじょうぶだから寝かせておきなさい。とにかく、雨宿りしよう」
ニックが冷静に言った。
「この雨じゃ、この回廊にいても濡れるな。おい、さっきのジンジャまで走るぞ」
「――そうだね」
クラウドはミシェルを抱きかかえ、アズラエルはウロウロウサギをとっ捕まえて、担ぎ上げた。
「おい! グレン、なにしてんだ」
ニックとクラウドが走り出したが、グレンは絵を見つめたまま動かない。
「先に行ってろ」
「……? 分かった」
ものすごい雨で、グレンのつぶやきは半分聞こえなかった。だがグレンは、この雨の中に二、三時間いたって、風邪を引くようなヤワな男ではない。
アズラエルはルナを担ぎ、雨の中を走った。
グレンは、口の中にも水が入ってくるようなどしゃ降りの中、絵を見つめ続けた。
(ちくしょう……、ぜんぜん思い出せねえ)
自分は昨夜、夢を見たのだ。とても重要な内容の夢を。なのに、まるで思い出せないのだ。
“鍵を、大切にね”
夢のなかでも、それを言われた気がする。
そうだ――。
百三十年前のサルーディーバが言ったのだ。グレンの夢の中で。
さっきミシェルの口から出た声は、あのサルーディーバの声だ。
俺は、夢の中でなにをしていた? ここで、なにをしていた。
鍵とはなんだ。
その秘密は、この絵に隠されている。
(そうだ、俺は、夢の中でこの絵を見た)
――分からない。
「クッソ……! なんで忘れたんだ、このバカ!」
怒鳴ってみたところで、思い出すわけもなかった。
……サルーディーバは、毎日必ず、この奥殿で祈る。
今日はやけに騒がしかった。奥殿廊下のギャラリーに、だれか来ていたのだろうか。
だがあそこは、ララが立ち入り禁止にしていたはずだ。もともと、ほとんどひとの来ないギャラリーではあったが、雷が落ちた日から、しばらく工事の人間が出入りして、とてもうるさかった。最近は落ち着いて、ひと気が途絶えたはずだったのに。
日課の祈祷をすませ、サルーディーバはいつもならすぐ帰るはずの足を、久方ぶりにギャラリーのほうへ延ばした。
たまには、マ・アース・ジャ・ハーナの神話の絵を見るのも、気分転換になっていいだろう。
百五十六代目のサルーディーバが描いた絵には、彼の魂が宿っている。サルーディーバは、最近特に、その古き先人の絵を尋ねて、おのれのあり方を問うことが多かった。
(……急に降り出して)
雷鳴を連れた豪雨。ギャラリーの廊下は広いから、絵に雨がかかることはないが、廊下にまでびしゃびしゃと雨が打ち付けていた。
ここの管理人はなにをしているのだろう。急の雨だったから仕方ないのかもしれないが、絵に雨がかかったら、ララが激怒することは分かっているのに。ただでさえ、ララはこれらの絵を、風雨の当たるこの廊下へ展示していることが不満なのだ。
サルーディーバは自身が濡れるのもかまわずに、手早く廊下の扉を閉めはじめた。
拝殿側のほうから、閉めきっていく。
グレンは、だれかが奥の方からやってくるのを、ぼやけた視界で捕えた。だれかが、廊下の引き戸を順番に閉めている。
サルーディーバも、庭にひとがいるのに気付いた。その男性は、この豪雨なのに、庭に佇んで絵を見ているのだ。雨に濡れるのを厭いもせずに。
「あなた! そんなところにいては風邪を――」
はっと、口を手で覆った。相手も気づいた。相手も、食い入るように――まるで、記憶の姿を、頭の中でめのまえの姿に合致させようとするかのように、鋭い目を、サルーディーバから離さない。
「あんた、――」
サルーディーバは、身をひるがえした。動きにくい衣装のすそを持ち上げて、逃げだした。
「おい、待て! 待ってくれ!」
グレンは、思わず土足のまま、廊下に駆け上がった。




