表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 ~記憶の扉篇~
318/946

137話 記憶の扉 Ⅲ 2


(――っ、)

(……なん――、なんだこりゃ……、)


 アズラエルとグレンは、階段を三分の一ほど上ったところで、思わず膝に手をついて立ち止まった。


 なんでこんなに息が上がる。全力疾走したときと変わらない。座りこまなかったのは、相手が座り込んでいないからだ。グレンは、アズラエルが座っていないのに、座るのは嫌だったし、アズラエルも、グレンより先に膝をつくのは嫌だった。


 だが、今にも足が折れて、膝をついてしまいそうだ。

 ――まだ、半分も上っていないのに。


(……冗談だろ)

(こんなになまってたのか? いや、まさか)


 アズラエルもグレンも、自分の身体の重さが信じられなかった。でかい岩でもかついで上がっている心地だ。


 上を見上げると、ルナがかなり上のほうで、じっとこちらを見ている。怒っているせいか、ふたりと目が合うと、べーっとばかりに舌を出して、また駆け上がっていった。十段ほど駆け上がり、ふうふうと肩を揺らし、それからまたじーっとこちらを見る。ルナも息が上がっているが、自分たちほどではない。


「……クソ、可愛いヤツめ……」

「どうしてアイツは普通に上れるんだ……」


 女しか上がれない階段なのか。だが、変わった衣装の人間ではあるが、男も普通に上がっていく。ヨボヨボの爺ちゃんも。


「――なんだ、この階段」

 グレンが思わずつぶやいた。「磁石でも埋め込んでんのか」


 磁石にでも引っ張られているように、足が上がらないのだ。一段一段を上る足が、恐ろしく重い。


「こうなったら意地でも上がってやる……」


 アズラエルは百キロの重しでもつけたような足を、一歩上の段に乗せ、「うおおおおおっ!!」と叫んで走り出した。


「あっ! てめえ!!」

 グレンも負けてなどいられない。


「ぐああああああ!!」

 猛獣二頭は絶叫し、周囲の視線を独り占めにしながら、階段を駆け上がった。


 ――五十分後。


 アズラエルとグレンは、真砂名神社の境内手前――階段のすぐそばで、うつ伏せに倒れ込んでいた。


 やっと着いた。――一時間近くもかかって。


「はあ……、はあ……。なんだこの……、教練一日目終了みたいな空気は……」

「……」


 アズラエルはもうしゃべる気力もない。一歩も動けない。

 ふたりは勢いよく走り出したはいいが、半分ほど来たところでぶっ倒れ、しばらく動けなくなった。五分ほど倒れ込んだあと、ぜえはあ言いながらゆっくりと立ち上がり、ルナの声援を浴びながら、やっと上までたどり着いたのだった。


「お疲れさま」


 ルナが水に浸したハンカチを、ぺたりとアズラエルとグレンの額に当ててくれた。


「……ルゥ」

「……俺の女神」


 ルナに抱き着く気力もなかった。


「ふたりとも、すっごくあせくさい」


 ふたりは、やっと身を起こし、土の上にあぐらをかいて座り込んだ。階段でも倒れ伏したし、土の上に寝転がったから服が土だらけだ。

 アズラエルは、まだ肩で息をしている。グレンは座ったはいいが、そのままひっくり返って仰向けになった。


「ああ……このまま寝てえ」

「さすがにきつかったぜ……浄化だかなんだか知らねえが、ねえよ、この重さ」

「おまえ、どんだけ前世で悪事重ねてきたんだよ」

「てめえも変わりゃしねえだろが……」


 アズラエルとグレンは、すでに宮司(ぐうじ)から階段の説明を聞いた。この階段をはじめて上がるものは、みなこうなることを。


 ふたりがたどり着いた頂上には、ルナでなく、初老の宮司が待ち構えていたのだ。宮司は訛りの強い口調で言った。

「ここで倒れられると邪魔だから、そっちで倒れろ」と。

 

「ほれ、飲まねえか」


 ルナが初めて真砂名神社へ来たときに現れた、訛りの強いおじいちゃん宮司である。彼が、つめたいお茶を五人分持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


 ルナはお礼を言って、お茶を受け取る。グレンとアズラエルは、のどが渇いて仕方なかったのだろう、お茶をもらうと、喉を鳴らして一気に飲みほした。


「うめえ」

「生き返るぜ」


「おまえさんら、兄弟じゃろ」

 宮司さんは、グレンとアズラエルに向かって言った。

「よかったな。兄弟で来んと、この階段は上がれんかったぞ」


「は?」

「……いや、俺たちは赤の他人だ」

「兄弟じゃよ。魂がな」


 二人もルナも呆気にとられたが、宮司はかまわず続けた。


「今回のツアーは転機かの。神さんの魂は来るわ、古い魂がぎょうさん来よるわ」


 宮司の言い方は、独り言のようでもあった。一杯では足りなかったのか、グレンが残った二杯に目をつけた。


「なあ、それもらっていいか?」

「もうふたり来るじゃろが」


 さすがに三人は、顔を見合った。

 この宮司の言葉は、(なま)りが強くて聞き取りづらいのだが、もうふたり来ると言ったか?


「あの、宮司さん。あたしたちは三人ですけど……」

「三人? おかしいのう。五人じゃろ?」


 アズラエルはあたりを見渡したが、己を入れて三人以外に、見知った顔はいない。


「ホラーはやめてくれ」

 グレンはぞっとしない顔で言ったが。


「ほれ、来たぞ」


 宮司は言い、腰を上げた。だれも来てなどいない。階段のほうを見てもだれもいないし、今日は、この境内には、二、三人の変わった衣装の女性がいるだけだ。


「飲んだら、さい銭箱の横に置いといてくれりゃ、取りにくるから」


 そういって、神社のほうへもどっていく。


「アイツには、なにかが見えてるのか……!?」

 その手の話が大の苦手なグレンが、しかめっ面でつぶやいた。


 そのとき。


「――ミシェル! あと少し。がんばって、」

「ひーひー、ふー!!」


 聞き覚えのある声がしたかと思うと、階段の上に姿を現したのは。


「ミシェル! クラウド!?」

「あ、ルナ!?」

「ルナちゃん――アズ!?」


 驚いた顔でルナを見たミシェルは、「もうだめえ~!」とその場で倒れ込み、クラウドも、べっちゃりと顔から土の上に倒れ込んだ。


 ――宮司が持ってきたお茶は、五人分で正解だった。


「……こんなにくたびれたの、学校の軍事教練以来だよ……」


 クラウドが、その綺麗な顔を土で汚し、拭うこともせずに仰向けになって倒れた。


「おまえたちも来たのか」


 アズラエルがうんざりした顔で言った。


「悪かったよ。鉢合わせするつもりはなかったんだ。でも、ミシェルが……」


 クラウドの半泣き顔がすべてを物語っていた。ミシェルが来たいと言ったから、来ざるを得なかったのだろう。


「ここがルナのいってた前世を浄化してくれる階段か~」

「やっとこれたね、ミシェルも!」

「うん、来てみたかったの!」


 ミシェルがルナの隣で、楽しげにしゃべっているのを眺めながら、クラウドは心の涙を流した。

 別のところに旅行に行こうと思ったのに、ミシェルが選んだのは、ルナとアズラエルが来ている真砂名神社だった。


「まあ、俺もいつかは自分の目でこの階段を見たいと思っていたし、体験はしてみる気でいたけど……」


 クラウドはあきらめ顔でつぶやいた。


 五人分の空になったコップをさい銭箱の横に置くと、ルナたちは神社のわき道を通って、奥へ向かうことにした。


 ミシェルとクラウドは、奥のギャラリーに向かうのが目的だったからだ。ルナも行きたいと言ったために、アズラエルとグレンも、嫌々ながら同行することになった。


 おそろしくくたびれた。

 できれば、椿の宿に帰ってひと眠りしたい。

 男連中は皆同様だった。元気なのは女の子ふたりだけ。


 アズラエルが一番先頭を、のっそり歩いている。さっきの階段があまりにもきつかったせいで、だれとも口を利きたくないらしい。


 ルナとミシェルは、きゃっきゃと騒ぎながらふたりで歩いている。


 居心地の悪さを覚えているのは、グレンだった。なぜか、クラウドがじーっとグレンを見ているのだ。


 いつもならクラウドは、グレンを即座に無視する。アズラエルの隣を歩いているはずだ。グレンと隣同士に歩くことなど絶対にない。不気味さしか感じ取れなくて、さすがにグレンは「なんだ!? ジロジロ見やがって。なにか言いたいことがあるなら言え」とすごんだ。


 クラウドは、グレンを見ていた自覚はなかったようだ。スラックスのポケットに手を突っ込んで、歩きながら言った。


「一度、ちゃんと聞いてみたかったんだけど」

「なんだ」


「――君さ」

 クラウドは、離れて歩くアズラエルを気にしながら。

「どうして、アズを殴った?」


 グレンはさっきのことかと思った。店で殴り合いをしたこと。


「そりゃ、アイツがサンダルを、俺の頭にヒットさせたからで――」


「そうじゃない」

 クラウドは首を振った。

「もっとずっと、昔のことだ。……どうして、通りすがりにアズを殴った? たしかにアズは問題児だったけど、君に殴りかかったわけじゃない。どうしてだ?」


 やっとグレンは、クラウドが言っている意味が分かった。学生時代のことを言っているのだ。

 たしかにグレンは、通りすがりにアズラエルを、問答無用で殴った。


「……おいおい、そんな昔のことを今さら」

「俺は、別に君を嫌いじゃなかった」


 クラウドは、驚くべきことを言った。


「俺は、ドーソンだのなんだの、名だけで判断するやつは嫌いだ。だけど、君はアズを殴った。無差別にね。君ひとりのときじゃない、君が仲間を引き連れていたときだ。君がアズを将校のリンチにかけようとした、そうじゃないって、どうして言える? アズが殴り返していたら、確実にアズは将校のリンチに遭って――、」


 クラウドはきびしい目でグレンを睨んだ。


「下手をすりゃ、身体を壊されて、二度と傭兵家業はできなくなってたかもしれない。――そうだろ?」


 グレンはポケットを探ったが、タバコは見当たらない。店でアズラエルともみ合った時に落としたか。仕方ない。クラウドのようにポケットに手を突っ込み、口寂しいのを我慢して、代わりに森の空気を吸った。

 この参道が禁煙だということを、彼はまだ知らなかった。


「――俺が言ったことを聞いて、それでおまえは信じるのか?」

「君はウソをつく気なの」

「ウソかどうかは、もうたしかめるすべはないぜ?」

「いいから言えよ。どうしてアズを殴ったの」

「結論から言えば、俺がアズラエルを退学させたくなかったから」

「……え?」


 クラウドが立ち止まった。グレンも、振り返りはしなかったが、一歩先で止まった。


「アズラエルが卒業したとき、認定の資格をもらえなかったのは、バブロスカ革命の縁者だからってだけじゃない。知ってるだろ」


「……」


「アイツがあんまり無茶苦茶だったからだ。いくら傭兵でも、認定の資格を得るにはある程度“まとも”じゃなきゃいけねえよ。協調性はねえわ、教官は殺しかけるわ、……力の加減の仕方も分からねえ。殺しかけるまで相手を叩きのめす。女の教官を、いくらあっちが誘ったからって、教室で犯しかけたって、あり得ねえよ。アイツは、アカラ第一教練創立以来の問題児だ。いくら実力あったってな、そんな動物みてえなヤツに認定の資格はやれねえよ」


「だから殴った? ヘンだろそれ」

「人の話は最後まで聞けよ。一年の時に教官殺しかけたろアイツ。その時点で、退学決まったって、おまえ知らねえだろ」

「それは――知らなかった」

「まあ知るわけはねえよな。俺が生徒会長だから知ってたってだけで」


 そのころのアズラエルは、クラウドともあまり口を利かなかった。荒くれ者の不良とばかりとつるみ、家にはほとんど帰らず、幼馴染みであるクラウドやオトゥールとは、距離を置いていた。

 アズラエルは荒れていた。どうしようもないほど。


「アイツの退学は、職員会議ですぐ決定したよ。理由は学校に、アイツを押さえられる人間がいなかったってことだ。教官も、生徒も、だれもアイツを止められるやつがいなかった。べつに退学になったって、プルートスの方や、傭兵専門のガッコはいくらでもある。そっちなら、アズラエルを押さえられる教師もいるだろうさ。アズラエルなんて目じゃねえ、メチャクチャな教師がそろってる。だが、アカラ第一で認定をもらえることができれば、それだけで傭兵としての名は上がる。アカラ第一はL18で一番――ようするに軍事惑星一の名門校だからな。それだけ選別も厳しい。アイツが退学になるって情報は、当然ながら生徒会の方にも入ってきた。……俺は、アズラエルを退学にはしたくなかった」


 クラウドは、目を見開いた。


「――今なら言えるが、俺にはな、卒業後に思い描いていた、大きな夢があったんだよ。バカにしてもらってけっこうだが、――傭兵を軍部に入れることだ。もちろん、認定の傭兵をな。俺は、アズラエルほどの実力の傭兵を、むざむざ退学にはしたくなかった。アイツには絶対認定の資格を取らせて、俺の計画に入れるつもりだった」


「君は、アズラエルをかばったのか?」


 頭のいいクラウドには、その先が分かったらしい。だがグレンは鼻で嗤った。


「そんな親切なものじゃない。俺はヤツを試しただけだ」

「試した?」

「アイツが俺を殴り返してきたなら――ドーソン一族の嫡男にも殴りかかってくるような、そんな分別もない、考えなしの動物だったら、その時点でアズラエルは切ることに決めた。そんな動物はいらん。仲間と俺で、叩きのめして退学だ。そのあとのことなんか知らねえ」


「でも――アズは殴り返さなかった」


「そうだ」

 グレンは言った。


「アイツ、おまけになんて言ったと思う? 『バクスター中佐の息子さんは殴れません』。……知ってたんだ、アイツは。俺の親父がアイツの家族を助けたことを」


「アズは、動物じゃなかった」


「腹が煮えくり返ったのは俺のほうだ。二発目は、完全な俺の八つ当たりさ。……俺は、親父の七光りで、教官を殺しかけたアイツのパンチを食らわずに済んだわけだ。イヤな野郎だ。俺がドーソン一族だから殴らなかったんじゃなく、俺がバクスターの子だってことを強調したんだ。俺が嫌がると知っていて、だ。アイツが動物じゃねえことは分かったが、半端なく嫌味な野郎だってことも、よくわかったよ。結局、教官どもは俺がアズラエルを押さえられると分かって、――約束通り、アズラエルの退学を取り消した」


 クラウドはなにも言わなかった。ただ、グレンに対して今まで向けていた鉄面皮が、和らいだ気がした。


「……なんだおまえ、気味の悪い笑い方しやがって」

「いや、納得しただけさ。腑に落ちてすっきりしたな、と思って」


 クラウドはふたたび歩き出した。かなり先のほうで、ミシェルが「クラウドー! グレン~! 置いてっちゃうよ!」と叫んでいる。


「おい、行くぞ」


 グレンもクラウドも、早足で歩きだした。クラウドがちらりと、グレンを見て言った。


「今度、君のマンションにお邪魔してもいいかな」


 グレンはつまずくところだった。


「――は!?」

「嫌なのか? 君は俺のことを嫌いだとは言わなかった。俺が勝手に君を嫌ってただけだ」

「――? まあ、それはそうだけど」


 いままで徹底的に嫌われていた相手から、手のひらを返したようにそんなことを言われるのは、不気味としか言いようがない。なにか企んでいるのではないかと、思いたくもなる。まして、クラウドは心理作戦部の人間だ。


「エレナの出産も近いって言うし、俺はセルゲイとは、けっこう気が合うんだ。君のことが解決したから、これで気兼ねなく行けるな」

「……」


 グレンは、疑わしげな目でクラウドを見るが、クラウドはどこ吹く風だ。


「嫌なのか?」

「――いや――ああ――まあ――いつでも来いよ……」

「ありがとう」


 クラウドが、輝くような笑顔を見せたので、グレンは呆気にとられて立ち尽くした。クラウドはグレンを置いて、さっさとミシェルのところへ向かう。


 ――なんとなく、あの笑顔が懐かしいと感じたのは、気のせいだろうか。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ