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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 ~記憶の扉篇~
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137話 記憶の扉 Ⅲ 1


 ルナたちが椿の宿から出かけようと、ようやく腰を上げたのは、昼近くになってからだ。


「はあ、料亭まさな、ね。俺は生ものが苦手なんだ。ほかのところを……、」


 アズラエルがフロントで、近くに旨い店はないか聞いている。グレンは革靴に足を突っ込み、ルナを抱き上げた。


「肉食えるとこ聞いてきたぞって、……おい! ルゥは俺が抱く。てめーはすっこんでろ」

「ヤレヤレ。嫉妬深い彼氏を持つと大変だな、ルナ」

「うん! たいへんだ」

「なに他人事みてえに言ってんだルゥ。こっちこい」


 アズラエルは強引に、グレンからルナを奪い取った。


「そもそもね、アズはあたしのカレシなんかじゃ……」

「第一な、なんでてめえが俺たちと一緒に行動するんだ。てめえはここに、一億倍綺麗なルナに会いに来たんだろ!」

「俺はてめえと一緒にいるんじゃねえ。ルナと一緒にいるんだよ」

「マジで邪魔だ」


 またきりがないケンカが始まろうとしたので、ルナは大声で宣言した。


「喧嘩したらなっとうを食べるよ!!」


 ライオンとトラは黙った。なぜルナのカバンの中に、ナットウのパックが入っている。


「はやく靴買わなきゃ。あたし、アズにだっこされてばっかで、歩き方忘れちゃうよ」


 ルナの言うことは、もっともだ。昨日から、ルナはほとんど自分で歩いていない。


「靴ですか……、」

 女将が、考え込むようにして言った。

「K05区には、大きなデパートはないものですから。困りましたね、K12区あたりまで出ませんと、靴屋さんはありませんのよ。でも、おみやげ物売り場に、和風の――ええと、サンダルみたいなものでしたら、あると思うのですけど」

「あ、それでいいです!」


 ルナはアズラエルに抱っこされながら、玄関を出た。

「いってらっしゃいませ」と従業員の見送る声が聞こえる。


「なんか、仕方ないとはいえ、やっぱり恥ずかしいよアズ」


 靴がないから仕方ないとは言っても、人前で抱っこされたままなのは、やはり恥ずかしい。ルナは言ったが、


「心配するな。たぶん、親子か兄妹にしか思われてねえから」

「……まァな。ムカつくが、たぶん恋人同士には思われてねえよ。おまえ、ガキっぽいから」


 アズラエルは禁句を口にした。ルナは口をぽかっと開け、それからぺけぺけとアズラエルの頭を叩き、そしてふて腐れた。いつものパターンである。

 

 ルナたちは、歩いて真砂名神社へ向かうことにした。そのまえに、時間も時間なので、昼食を取って。ルナのサンダルも購入しなければならないし。

 フロントの従業員に聞いた店は、真砂名神社へ向かう大路の、手前から三番目のわき道を左に曲がり、小路を行くとあるらしい。


「おにく!」

「ああ。お肉だルゥ。ステーキ店だとよ。値段は張るが、旨いのは間違いねえって」

「おにくたべたい! でもアズ、そんな高いところ、破産しない?」

「肉ごときで破産するかよ。でも肉ばっか食うなよ? 野菜も食えよ」

「……おまえらは親子か」


 グレンが呆れ顔で突っ込んだが、ルナはぜんぜん関係ない返事をした。


「グレンはおにくすき!?」

「大好きに決まってる。……てか、ルナ、おまえウサギのくせに肉好きか?」

「おにくだいすき!」

「肉食ウサギかよ」

「食う量はたいしたことねえけどな」

 ライオンやトラと比べられては困る。


 三人は巨大な鳥居をくぐって大路に入り、目に付いた一番大きな土産物屋へ入った。観光客であろう、大勢の人でにぎわっている。

 ルナは、アズラエルに抱っこされているため視界が高い。


「あ、あった!」


 キョロキョロしていたルナが、目的のものを一早く見つけたようだ。

 アズラエルとグレンは、サンダルや下駄が並べられた戸棚に向かう。ルナを鏡の前に置かれた椅子の上に下ろし、アズラエルは「なにがいい」と聞いた。


 ルナは棚を眺め回し、「赤いやつ!」と言った。


 ルナが選んだのは、布製で、底が厚めで、花の刺繍が施された、鮮やかに赤いサンダルだった。刺繍が手の込んだものらしく、なかなかいいお値段だ。小さめサイズのそれをアズラエルは取り、ひざまずくようにしてルナに履かせてやる。ぴったりだった。


「これでいいのか、ルゥ?」

「うん! コレ可愛い!」


 ルナは見たときから、もうこれに決めていたらしく、すでに自分の小さなバッグを漁っている。財布を出そうとしていたが、


「いい。ルゥ、俺が買う」

「え? いいよ。あたしもおこづかいあるし」

「いいんだ。これは買わせろ」

「でも、わるいよ。椿の宿だって、みんなアズが払ってくれたんでしょ? おにくだって、アズが」


 基本的に、外食分はすべてアズラエルが払っている。


「いいんだよ」

「だめだよ! ただでさえ、アズと暮らし始めてからあたし、なんか金銭感覚おかしいもん! こ、これはあたしが買うよ!」

「俺が買う」


 アズラエルは、どうしても譲らない。ここまでいえば、いつもなら大抵譲ってくれるのに、今日は意固地なまでに譲らない。


 グレンはだまって、そんな二人を眺めている。


 アズラエルは、なんだかよくわからないが、意地でもこのサンダルは買ってやりたかった。

 理由など特にない。聞かれても答えられない。

 だが、どうしても今、ルナにこれを買ってやりたい。

 なんとなく、可愛い靴を買ってやりたかったのだ。


「……?」


 グレンは、目の錯覚かと思って目をこすった。アズラエルもだ。

 ルナに履かせた赤いサンダルが、急に真っ黒でぼさぼさの、ボア生地のスリッパに見えたのだ。


「どしたの? アズ」

 ルナが、アズラエルが固まったのを見て、不思議そうに言った。


「――え? いや、なんでもねえ」


 まばたきをして、もう一度しっかりと見つめたサンダルは、たしかに赤い布製だ。


「アズ?」

「と、とにかくコレは、俺が買う。いいな?」


 アズラエルはルナの足からサンダルを取り上げ、勝手にレジへ持って行った。


「アズ~!!」

「いいじゃねえか、ルナ。サンダルのひとつやふたつ」


 グレンは言った。この男は、アズラエルよりさらに金銭感覚がセレブだ。ルナの庶民的価値観など、はなから言っても無駄なのである。


「うう……。あのサンダルけっこうするよ?」

「男は自分の金で、女を飾り立ててえんだよ」

「……」

「というわけで、俺はこっちをおまえに買うよ」


 そういって、グレンは、ショーケースに飾られているかんざしを指さした。


「これ包んでくれ」

「グレンー!!!!!!!」


 ルナは絶叫した。ルナが絶叫している間に、恐ろしく満面の笑顔の店員は、グレンが指定したかんざしを、手袋をはめてショーケースから出し、「こちらでよろしいですか?」と聞いてきた。


「よろしくありません!」


 ルナはぶんぶんと首を振ったが、グレンは「ほかに好きな色でもあるのか」と聞いてきた。ルナはやっぱり首をぶんぶん振った。

 さっさと財布をだし、「あ、やっぱり今使うから、そのままでいい」などと言い放った。


 店員が満面の笑顔になったのも、無理もない。普通の観光客は、このショーケースにあるものにはなかなか手を出さないだろう。ほかの売り場のものより、一桁二桁も値段がちがうものが並んでいるのだ。


 グレンが選んだかんざしは、金ぴかのうえ、宝石が使われている高価なもの。ルナはダイヤモンドとルビーが惜しげもなく使われたそれに、目を瞑った。


(……目が! 目がつぶれます……!)


 店員がせっかく手袋をはめて扱ったそれを、グレンは平気で素手で受け取り、「ルナ。こっち来な」と椅子に座らせる。


 ルナは、アズラエルが早くもどってきてくれないかソワソワし、泣きそうだった。グレンの無駄遣いも度が過ぎている。アズラエルがもどってきてくれたら、グレンの無駄遣いを諌めてくれるはずだ。このひとりっこのお坊ちゃまは、金の使い方が荒すぎる。貧乏育ちの、長男気質たるアズラエルは、きっとひとこと言わずにはおれないだろう。


 椅子に座ったルナの流しっぱなしの髪を、大きな厳つい掌が包んだ。びっくりしてルナは身をすくませたが、グレンはその長い指で器用にも、ルナの髪をさっとまとめあげたのだった。手ぐしだけでまとめた髪に、そのかんざしを挿す。


「あら、お可愛らしい」


 店員さんの褒め言葉も、ルナは耳に入らなかった。ン十万の簪が、いま、ルナの頭に刺さっているのだ。


「うん」グレンも満足げに微笑んだ。「いいな」


 ……よくないです!


 グレンは、ルナが固まっている間に、カードで支払いを済ませた。


「……グレン。返品する気は?」

 ルナは恐る恐る聞いたが、グレンは不機嫌そうに「あァ?」と声を荒げた。

「俺に恥をかかせるのか? ルナ」

「ごめんなさい」


 こういう怒り方のグレンは、アズラエルより怖い気がする。ルナは縮こまった。


「いい子だ。怒られたくなかったら、これからは素直に、俺の贈り物は受け取れ。――いいな?」

「は、――あい」

「すり潰すぞ、銀色ハゲ」


 グレンの頭に、いい音をさせてルナのサンダルが命中していた。アズラエルが、青筋を五本くらい立てた、凶悪面で立っている。


「てめえっ! 店ン中でモノ投げるやつがいるかっ!」


 さすがに腹が立ったらしい。グレンが叫ぶと、周囲の客が一斉にこっちを見る。


「サンダルですんでよかったと思え! 人の女に手を出すなって、何度言や分かるんだ!!」

「そんなに大切な女なら、金庫に鍵かけてしまっとけ!!」


 もはやルナは、止めることができなかった。店の警備員が出てきてふたりを引きはがさなかったら、確実に殺し合いになっていた。





「なあ、ルゥ」


 ルナはぷんすかと頭から湯気を出して、どかすかと歩いていた。


「ルナ、悪かったって」


 ぷんすかウサギの後ろを、顔を半分ずつ腫れあがらせたライオンとトラが、のっそり歩いてくる。


 ルナウサギの尋常でない怒りと、警備員に連行されて調書を取られたおかげで、ステーキ・ハウスへの訪問はなしになった。時間も取られたうえに、暴れたのと怒ったのとで腹が減った三人は、ちかくの蕎麦屋で昼食をとった。


 ルナは怒りっぱなしだった。蕎麦は、美味しいとは言えなかった。ルナは食べたことはあるが、グレンとアズラエルはない。食べつけていないものを、MAX不機嫌な恋人と食べるのでは、味も極限に落ちる。


「……マジで悪かった」

「そんなに怒るなよ。無事だったんだからいいじゃねえか」

「なにが無事!? なにが無事なの!? イエローカードなんだよ!?」


 子ウサギがこんなに怒ったのは、いままでにない。ウサギの怒鳴り声に、トラとライオンは、そのでかい身体を反省するように縮こめた。


「警備員さん言ってたよ!? バグムントさんとチャンさんに連絡するって! もう一回もめごと起こしたら、宇宙船降ろすって、そういってたよね!? なにが無事? お茶碗、棚ごと壊したのはだれですか、言ってみなさい!!」


「……俺です」


 グレンが、蚊の鳴くような声で言った。セルゲイの説教でも、ずぶとく逃げていたグレンが。


「椅子壊しちゃったのはだれですか!?」

「……俺だ。でも、あれはグレンが殴ってきたから――」


 俺がぶつかったんだ、と言い訳しようとしたアズラエルに、ルナはますます噴火して叫んだ。


「言い訳はいらないです!!」


「はい、ごめんなさい」

 アズラエルは素直に謝った。


「ここは軍事惑星じゃありませんっ!! ケンカはダメなの! 反省して!」

「ルナ、俺たちちゃんと弁償したじゃねえか」

「弁償はあたりまえでしょっ! グレンたちが悪いんだから! あたしが怒ってるのは、もうケンカしないでってこと!! 二人がケンカするのはね、あたしとミシェルがケンカするのとわけがちがうの、まわりのものも壊れるの! おっきい図体してケンカしないで!」


 またなにか言いかけたグレンは、ウサギにぎっと睨まれて口を噤んだ。怒った顔も可愛いという本音は、今は届かないだろう。


「おまえは、怒った顔も可愛いな」


 アズラエルは、グレンを信じられないという顔で見た。今ここで、これを言うか。

 ウサギは案の定、激怒した。


「アズなんてもう知らないっ!! ふざけてばっかり!! 宇宙船降ろされちゃえ!!」

「いや今のは俺じゃねえだろ!」


 ルナは、めのまえの階段をだん! だん! だん! と怒り任せに上っていく。いつのまにか、真砂名神社の階段のところまで来ていたのだ。


「ふざけたわけじゃなかったんだが」


 アズラエルには、グレンの気持ちがよくわかった。アズラエルも空気を読まなければ、口に出しているところだった。ほぼ反射。


「……おまえ、ヘンなところで空気読まねえよな」


 アズラエルのセリフに、グレンが突っかかることはない。もう懲りた。

 ウサちゃんを怒らせていいことなど、なにもない。


 ためいきをつきながら、猛獣二頭は長い階段を見上げた。この上が真砂名神社か。


 とてつもなく長い階段だが、ふたりは特に大変だとは思わなかった。軍人がこの程度の階段で音を上げていたら、軍人の意味がない。この程度の階段、ウサギ飛びで上がっても平気なくらいだ。


 ふたりが心配していたのは、ルナのことだった。運動音痴で体力不足のルナには、この階段は大変だろう。


 いつもだったら、抱っこして上がってやってもいいのだが、ただ今激怒中のうさこちゃんである。触らせてもくれないだろう。仕方がない。ゆっくりついていって、ルナが限界を訴えたら抱っこしてやろう。


 二人はそう思っていた。

 彼らは余裕ぶっていた。他人の心配ができるほど。


 ――階段を、上りはじめるまでは。





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