136話 アンダー・カバー
――ルナたちが、椿の宿でやいのやいのと騒いでいたころと、前後する。
話のネタになったロビンは、ラガーにいた。
そろそろ日付も変わりそうな深夜。めずらしく、ひとりで。
「おまえがひとりっていうのは、明日宇宙船が小惑星に激突するかもしれねえって、考えていいのか」
ラガーの店長は、戸棚に置いてあるウィスキーを、いつものようにロックにして、彼に出した。
店は今夜もにぎやかだ。薄暗い店内にジャズが流れ、大人の時間はこれから。
ロビンは、人がまばらなカウンターに腰かけ、眩しいネオンに目を細めた。
今日の彼の恰好は、サイケな柄のTシャツにジーンズ。例の椋鳥のタトゥはほんのわずか、見えている。ごつい指輪をいくつもつけて、いかにも遊ぶために宇宙船に乗りましたという格好をして、ウィスキーを受け取った。
「そりゃまあだって、瓶がホコリかぶるまえに飲みに来なきゃ」
ロビンは口当たりのいい酒を一口含み、口の中で転がす。
「誘える女がいなくてもおまえは来るんだな。アズラエルあたりが知ったら怒るぞ。おまえ、アイツの誘いはぜんぶ断ってるんだろう」
「あたりまえだろ、なんで俺が男と飲まなきゃいけないんだよ。まあ、ナンパオーケーの時ならよかったけど、アイツ最近、ナンパ乗らないからな。アズラエルがミシェルとルナちゃんを連れてくるなら飲みに行ってもいい、俺はそう言ってる」
「おまえもそろそろ、だれか真剣に好きになったらどうだ」
「俺はミシェルが好きなんだけど?」
「人の女じゃなくてだ!」
「かてえなあ、オルティス。人の女でも、好きなもんは好きなんだよ」
「そのわりにゃ、おまえ、あのバーベキューパーティー以来、会ってんのかミシェルちゃんと」
「会ってないね」
「ほんとに、おまえって人間はよくわからねえよ」
「そうか? 俺は分かりやすい行動取ってるつもりなんだがな」
「どこが分かりやすいんだよ」
「ミシェルちゃんは、クラウドと付き合ってる。思いのほかラブラブときた。今は俺が割り込んでったって、馬に蹴られて怪我するだけさ。男と女はいつも順調ってわけじゃない。必ず隙ができるときがくる。その時が狙い目だ」
「おまえ、グレンと同じこと言いやがる」
ラガーの店長が吐き捨てると同時に、ひとりのセクシーな女がロビンの肩を撫でていった。ロビンがその女を目で追うと、女はロビンを振り返って悩殺しながら、暗がりの席にひとり、足を組んで座る。じっとロビンの目を見つめてくる。目をそらさずに。
「おい、誘われてるぞ」
「分かってる。オルティス、彼女に一杯。俺のおごりで」
「……ハイハイ」
ラガーの店長は、いつものことだと肩をすくめ、ハイボールを作ると席に持っていく。ロビンと女性はしばらく見つめ合っていたが、ロビンがバイバイ、と手を振ると、女性は長いタバコを指先につまんで、苦笑した。
「おい」それを知らぬのはラガーの店長だけ。「行かねえのか」
「あのさ、俺にだってひとりで飲みたいときくらいあるんだよ」
「……マジで明日、小惑星に激突するぜ」
「俺が女といねえのは、そんなに不吉か?」
マリアンヌの仕事時以外は、ロビンはいつでも女性三人以上とラガーに来ていた。女連れでなくとも、店に来れば、すぐさまナンパに精を出していたものだ。
ラガーの店長が、不吉と言いたくなるのも分かる。できれば仕事以外で男と長話などしていたくないロビンが、いつまでもラガーの店長と話しているのも、気味が悪い。
「……ほら、不吉が向こうからやってきたぜ」
ラガーの店長が、素で恐しい顔で、さらにあくどく笑う。ヴィアンカが、なぜコイツを可愛いというのか謎だ。でかい店長は客に呼ばれてそっちへ行き、すぐにカウンターにもどってきた。なぜか、ロビンのボトルを持ち出してロックを作る。
「おいオルティス、それ俺の酒――」
「あちらのお客様からです」
ロビンのまえに、ウィスキーのロックが置かれた。ロビンは、ラガーの店長が顎で示したほうを見る。
そこには男が二人いた。美女ではなくて。
陰気くさく背を丸めている男と、サイケデリックな柄の眼鏡をし、ジャケットの下は素肌とアクセサリーという、あまりお近づきになりたくない男と二人――ロビンのTシャツよりサイケな男は、ロビンに手を振っていた。
「俺が今夜、女をナンパしなかったからか!?」
「そうだな。だから男に声をかけられる羽目になる」
ロビンが逃げるまえに、男二人は席を移動して、カウンターへやってきた。
陰気な男がロビンと二席間を置き、ロビンの右側へ座る。陽気でサイケな男がロビンの左側へ座り、図々しく肩を叩いてきた。
「よう! あんた、ロビン・D・ヴァスカビルだろ?」
若い男はもう酔っているようだった。ロビンは仕方なくうなずく。
「俺はイェン! よろしく。で、こっちの暗ーい奴がオルドだ」
ロビンは無言で、男の握手に応じた。
「あ! そう邪険にするなよう。俺たちはさ、そう、あのメフラー商社のロビンがここにきてるって聞いてさ」
イェンはだいぶ酒臭い。
「お近づきになりたくて声をかけたってのか」
ラガーの店長が、苦笑しながら呂律のまわらないイェンの代弁をした。イェンが真っ赤な顔でうんうんとうなずく。
よかった、ナンパじゃなくて。
ロビンは、胸をなでおろす。この手のことには慣れていた。今回のツアーは軍事惑星群の人間が多いから、傭兵もたくさんいる。この店に来ると、ロビンの知らない若手の傭兵たちに羨望の眼差しを向けられたり、敵愾心丸出しにされたりすることがよくあった。
「あ、あーあ、そう。どうも、よろしくね」
ロビンはおざなりに握手をする。若い男の手はゴツイ。指だこの具合は銃をあつかっている手で間違いない。背はロビンより低いが、それでも百八十センチクラス。服の下は引き締まった筋肉で覆われているし、さっきアクセサリーかと思ったのは、タトゥだった。胸から腹にかけて、一面に彫ってある。
言葉も軍事惑星群の訛りが多少入っている。地方の出だろう。
――まあ、たぶん傭兵だ。
「おまえら、どこの傭兵グループだ」
「俺たちはブラッディ・ベリー!」
即座に返事が返ってくる。
「ブラッディ・ベリー?」
ロビンは急に歌い始めた。「ブラッディ・ベリーのアリシアは~♪」
イェンが戸惑った顔を見せる。ラガーの店長が笑った。
「なんだ、知らねえのか?」
「男に振られて数十年♪ 振られて殴って数十年♪ 男前のイイ女♪ みんなアリシアに抱かれたい♪ ……とくら、」
バグムントが、ひどく絶妙なタイミングで会話に入ってきた。もちろん続きを歌いながら。
「今日のおしごと終了~♪ 一杯くれよオルティス。――ずいぶん懐かしい歌うたってるな。なんだ? なんの話だ?」
「おまえ、なんでウソをついた」
ロビンが笑顔を崩さないまま、イェンにナイフを突きつけていた。イェンのジーンズに、ナイフの先が食い込む。
「ブラッディ・ベリーの傭兵はみんなこの歌を知ってる。知らないやつはいねえ」
アリシア・S・ウィザースプーンはブラッディ・ベリーの女ボスだ。ブラッディ・ベリーの連中は、親しみを込めて彼女をからかい、歌う。この歌を知らないブラッディ・ベリーの傭兵はいない。
めのまえに硬直したイェンの顔がある。
「なにが目的だ――、」
「……綺麗でコワくてセクシーな女、俺たちのボス、アリシア♪ ――」
続きが流れたのは、バグムントの口からではなく、オルドという陰気な男からだった。陰気な男は顔を上げていた。眼光の鋭い目がロビンを射抜く。
「試すような真似をして悪かった。……たしかに俺たちはブラッディ・ベリーじゃない。イェンを離してやってくれ。悪気はない」
ロビンがナイフを離すと、イェンは踊るようにオルドの影へ隠れた。
「あんたが見抜けるかどうか試しただけだ。俺たちは、アンダー・カバー」
「アンダー・カバー?」
「最近つくった」
オルドは、名刺をロビンに渡した。
「傭兵の資格以外に、特別な技能を持った人間だけを集めてる」
「……なにか俺に用が?」
「ああ。俺たちのグループに入らないか」
それを聞いたとたん、ラガーの店長もバグムントも、プーッと酒を吹きだした。
「メ、メフラー商社ナンバー2の引き抜きかよ……! 恐れ入ったぜ」
「若い連中ってのは、なにしでかすかわかったモンじゃねえな」
「俺たちは真剣だ。あんたは、俺たちのグループでその特技を生かすべきだ」
「あ? 特技?」
「変装だよ。あんたの変装技術は一目置かれてる。自分が変装するだけじゃなく、他人を見破るのも得意なんだろ」
ロビンは、ボリボリと顎を掻いた。
「まあね――たしかに変装は得意だ」
「あんたのソレは有名だ。うちもそうだ。うちはアンダー・カバーってだけあって、探偵に似た仕事を多く受けてるんだ。スパイ任務も得意としてる。だから、あんたみたいな特殊技能を生かせるグループだ」
「ああ、そう」
ロビンは気のない返事を返した。
「だけど俺、整形してるやつまでは見破れないけどな」
「整形?」
オルドの目が光った。「……整形してる人間は、無理なのか?」
「完全に別人に変わってりゃ、無理だな。ちょこっとならだいじょうぶだけど。もと心理作戦部のクラウドってヤツが乗ってるけど、知ってる?」
「いや……」
「アイツは整形してても、見破れるそうだけどね。まあ、でも、整形しても、その人物のクセってのは出るもんだからねえ」
「その通りだ」
「俺よりよっぽどクラウドのほうが向いてんじゃないの? 気があるなら誘ってみなよ」
オルドは立った。ためいきをつきながら。
「振られたのかな? 俺たちは。――まあいいさ。俺たちは名を売出し中だ。話ができただけでもよかったよ」
そういって、ラガーの店長とバグムントのまえにも、名刺を置いた。
「気が変わったら、いつでも言ってくれ」
「そこの」
ロビンは、急に声をかけられて、ビクッと跳ねたイェンに追い打ちをかけた。
「おまえくらいなら見破れる。ヘタレの真似はよすんだな。“ライアン・G・ディエゴ”。おまえがアンダー・カバーのボスだろ?」
おどおどしていたイェンが急にしゃきっと立ち、よれよれのサイケなジャケットに突っ込んでいた手を出して、Vサインをした。
「すげえな! 当たり。俺の顔を見たことが?」
「あるよ。今年できた傭兵グループの、ルーキーランクに入ってた」
「有名人は困るな。すぐバレちまう。なるほど、この程度の変装じゃ、カンタンに見破られちまうってわけか」
「……そのタトゥは自前?」
「いや。描いただけ」
そういって、ジャケットで強くこするとタトゥは剥がれた。
「あんた、――マジで俺ンとこに欲しいぜ」
イェン――ライアンは、ポケットからしわくちゃの紙幣をつかみだし、カウンターに置いた。
「騒がせ賃と、あんたの慧眼に。ここは奢るよ、じゃ、また」
若い二人が、今度は振り向きもせず店から出ていく。ライアンの足取りはしっかりとしていて、ふら付いてもいない。酔っていたのも演技か。
「若いのに、なかなか肝が据わってる」
バグムントが言い、タバコを出したところへ、ラガーの店長が火をつけてやる。
「アンダー・カバーって傭兵グループは、聞いたことがねえな」
ロビンが、しわくちゃの紙幣を、ラガーの店長のほうへ押しやりながらつぶやいた。
「今年一月ごろにできたグループだ」
「へえ。ほんとに最近できたばっかなんだな」
「おまえ、良く知ってるな」
「情報は常に収集しておかなきゃ。あっというまに置いて行かれるよ」
「最近はL18も騒々しいからなあ」
ラガーの店長のため息にも似たセリフに、バグムントが同意する。
ロビンは、無表情でグラスを傾けた。
「あのライアンってヤツはたぶん、アズラエルなら知ってる。たしかアズラエルの一学年下だ。アカラ第一軍事学校の」
「そうなのか」
「なかなか優秀な奴で、スカウトが多かったはずだ。うちはスカウトに動かなかったが、白龍グループとヤマト、ブラッディ・ベリーが競ってスカウトした。でも結局、卒業後はどこの傭兵グループにも入らなかったがな。今年一月にグループ立ち上げて――一風変わったグループだ。さっきアイツが言ってたように、探偵紛いのな。……たしか学校時代の同期とつくったとかで」
「いいんじゃねえか? 覇気があってよ」
バグムントは褒めたが、ラガーの店長は呆れているようだった。
「だからってなあ、老舗グループの大物引き抜こうとするたあなあ……」
「俺は大物なのか?」
ロビンは笑った。
「俺は、面倒なことはゴメンだ。……メンドくさいのは、何よりも大嫌い」
笑って名刺を引き裂き、くず入れに捨てた。もう、用はないとでもいうように。
ラガーの外に停めてあった、中古車の運転席にはオルド、助手席にはライアンが乗っている。
湿っぽい匂いがする。雨が近い。
「まさか、接触した当日に要の話が聞けるとはな」
ライアンは不敵に笑った。イカレた、サイケデリックなサングラスを取ると、それなりに男前な顔が現れる。
「これ以上、ロビンに接触する必要はなくなった。オルド、すぐレオンに連絡しろ」
「はい、ボス」
「ロビン・D・ヴァスカビルは整形した人間は見破れない。――知っている人間なら可能かもしれないが、知らない人間は、まず不可能だ」
この手の簡単な変装は、見破られて当然だな、とライアンは苦笑した。
「クラウド・A・ヴァンスハイトの件はどうする?」
「様子見だな――。クラウドとロビンが、どれだけ親しいのか、これから調査だ。クラウドとロビンを繋ぐのは、ロビンと同じメフラー商社の、アズラエルだろう。アイツは要注意だ。――とにかく、プラン・Aは実行可能だ。そう伝えろ」
「分かりました」
オルドが車を発進させながら、小さくつぶやいた。
「ボス、俺たちは、べつにドーソン一族の味方をしてるんじゃないよな……」
ライアンが、オルドの肩を励ますように叩いた。
「ちがう」
「……ちがうよな」
「俺たちは、レオンの友人だ。そうだろ?」
オルドは小さくうなずいた。
「だったら、できることをやってやるしかない。俺たちとドーソン一族は関係ない。俺たちはレオンのダチで、レオンを助けているだけだ」
雨がパラついてきた。オルドは迷いのあった目を、まっすぐにフロントガラスに向けた。
迷いを振り切るように。
車は、濡れて光が反射する道路をゆっくり、K36区に向けて走り出した。




