135話 アズラエルとグレンの大ゲンカと、ベンという男について Ⅱ 2
グレンはさすがに息を呑んだ。
あの男のもとで? どうやって?
カイゼルが殺されてやっと、一連の事件はL18全土であかるみに出た。大きな事件で、一年は、L18を騒がせた。グレンもこの事件を知ったのはだいぶあとだし、詳しいことは知らない。
カイゼルの側近は、カイゼルを知らない遠い部隊から、生贄のように選ばれていた。ほとんど三日持たない。最長で一週間というところか。みんな、心か身体を壊して軍をやめるのが、通例だった。
それが、一年持っただと?
「……よく死ななかったな」
グレンは、それだけ言うのがやっとだった。
「だろ? だからエーリヒがスカウトした。ベンは事件の事情聴取のころ、憔悴はしていたが、五体無事だったそうだ。あのあと――事件のあとな、カイゼルの軍は解体されたから、ベンも一時、解雇扱いになって。それで、ベンは半年ほど療養した。まぁすくなくとも、すぐ仕事に復帰できる精神状態じゃなかった。でも、あのカイゼルのもとで一年間も無事だった。それだけでも感嘆に値する」
「ベンが犯人って――あの事件は迷宮入りで、もう時効だ。結局犯人は見つかってない」
アズラエルもうなずいた。
「これはクラウドが、時効になってから、独自に調査してわかったことだ。ベンが殺したのはたしかだ。カイゼルの宿舎で、一発眉間にぶち込んだ。なんで深夜に、ベンがヤツの宿舎にいたか――それは触れないでおく」
「なんでいたの?」
ルナは聞いた。
「ルナ、あえてそこを聞くか」
「多分、カマ掘られそうになって、銃が出たってことが、一番正しいだろうな」
「かま?」
「ルゥ。世の中には知らなくていいことが山ほどある。……みんな、銃声も、ベンが宿舎から出てくるのも見てるんだ。だけど、だれも口を割らなかった。その夜のことは知らぬ存ぜぬだ」
「なるほどな……。ベンを胴上げでもしたい連中ばっかだったってことか……」
「そういうことだ。みんなベンの味方はしても、売る気はなかったってことだな。なにせ、だれも手が出せなかった悪魔をぶっ殺してくれた人間だ。そのあと、クラウドがベンと一緒に仕事をするようになって、ヤツをよく知るようになった。直接あの事件について、ベンと話したことはないそうだが、ここからはクラウドの見解だ」
アズラエルは一呼吸おいて、言った。
「ベンは、非常に用心深い。だから、衝動的にカイゼルを殺したわけじゃない。たしかに身の危険を感じて、ついに銃を抜いた、というのは正しいかもしれないが、そこに至るまで、一年の間、ずっと探っていただろうというんだ」
「なにをだ」
「――カイゼルを殺す時期をだ」
「ヤツは、最初からカイゼルを殺す気だったって言うのか」
「そうだ。ベンの性格からして、衝動的に殺す、というのはあり得ないとクラウドは言う。ベンは一年間、じっと機会を伺っていた。たとえなにがあっても逃げずに、恐るべき忍耐力で、ベンは待ち、考えた。どうすればヤツを消せるかをな。緻密に計算していた。だれにも気づかれないように。自分がヤツを殺したところで、だれも自分を訴えないということも、分かってやった。計算ずみのうえでだ。ヤツは、じっくり対象を観察してるんだ。状況をな。動くべき時を見定める。そうして抜いた銃に、いっさいの躊躇いがない」
グレンは、嘆息した。
「――ある意味、一番恐ろしいやつだな」
「そうだな。笑顔を崩さずに、次の瞬間には躊躇わず銃をぶっ放せるヤツだからな」
「カイゼルはだれも殺せなかった男だ。ドーソンに近い家柄だし、ヘタをすればベンが軍法会議にかけられて、一巻の終わり。しかもカイゼルは大柄だったし、失敗して反撃に出られればベンの負けだろう。確実に殺される――。人間、大きな決断の前は二の足を踏むもんだ。どんな奴でも、多少の惑いは見せる」
「そうだ。それが、寸時のぶれも、ためらいもない。ベンは淡々と、眉間を狙って撃った。狙いは正確だった。額のド真ん中」
「襲われそうになって、あわてて銃を抜いたなら、狙い通りには撃てない――」
「そういうことだな」
「アズ、かまってなに」
アズラエルは、ルナの口と耳を塞いだ。
「おまえのボディガードに適任って意味が分かるだろう。ヤツは、常に慎重に状況を見定める。そして、忍耐強く機会を待つ」
「そして適応能力が優れているうえ、いざとなったら身体が反射で動く――なるほどな。アズラエル、ルナが窒息するぞ」
ルナがもがいていたので、アズラエルはルナの口から手を離した。
「アズはあたしをつぶしたり窒息させる気だ!」
そういってルナはグレンの膝に逃げ込んだが、めずらしくアズラエルは文句を言わなかった。
「グレン、できるなら、そのやかましい子ウサギをだまらせろ」
「話についていけなくて拗ねてんだよ、ウサギちゃんは。とりあえず、ベンのことは分かった」
宇宙船に乗ってくるとは言っても、来年のことだろ、とグレンは言った。
「さっき中断した話の続きをしよう。よかったな、ウサギちゃん。やっと話に参加できるぞ」
ルナはグレンのお膝の上で、バンザイと両手を上げた。アズラエルは眉間を押さえた。
「ルゥ、おまえ、いくつになりましたか」
「二十一歳!!」
「おめでとう。今年からはもう少し大人になろうな」
ルナはまたぺけぺけと暴れかけたが、今度はグレンががっしり捕まえていたので、身動きが取れなかった。
「オトゥールの野郎、即効切りやがって。バラディアさんのことを聞こうと思ったのにな」
「ああ。エーリヒが、そっちに行ってるかってこともな」
グレンとアズラエルは、薄情な友人はさておき、ルナの夢の話を解決しておくことに決めた。
この子ウサギは、話に参加できていないと、ちょこまかとうるさいし。
「ルゥ、さっきの質問の続きだ」
「ええと、どこまで聞いた。――そうだ、エーリヒは、椋鳥の紋章とやらを調べてたんだな?」
「うんそう。いっぱい本漁って、やっと見つけたーって大喜びしてたの」
「で、ヴァスカビル家の紋章だって?」
グレンが腕を組んだ。
「L18じゃ、ヴァスカビルって姓はめずらしくもなんともねえ。将校を出してる家柄でも、いくつかは聞いたことがある」
「たしか、同級生にも先輩にも後輩にも、ヴァスカビルっていたな」
「そのなかに、椋鳥を紋章にしてるおうちはあるの?」
ルナの問いに、グレンは首を振った。
「ねえよ。――第一、良く考えても見ろ。名家が椋鳥なんか家章にするか?」
「……それもそうだな」
アズラエルも納得したようだ。ルナだけがわからなかったので、「なんで?」と聞いた。
「あのな、軍事惑星群じゃ、ムクドリってのは嫌われてる。害鳥なんだよ」
「害鳥?」
「そう。害鳥。作物を荒らしまくるから。ただでさえ軍事惑星ってのは、土地の環境が厳しくて、作物が育たない。八割がたほかの星からの輸入で賄ってる。だから、昔はよく食糧不足の危機があった。椋鳥の大量発生で作物が全く取れなくなって、輸入も間に合わずに、地方で餓死者が出たときもあってだな。……だから、そんな害鳥を家章に掲げる家なんて、よっぽどひねくれた家だぜ。「うちは害鳥です」って宣言してるようなもんだろ」
「……そうなんだ」
「ドーソン一族の紋章はワシ。アーズガルドは鳩。ロナウド家と、――さっきのエーリヒの、ゲルハルト家はタカだ。ロナウドとゲルハルトは、濃い親戚筋だから、ゲルハルト家は鷹を紋章に掲げることを許されている。マッケラン家は白鳥。軍事惑星群の名家がそろって鳥を家章にしているから、ほかの家はよほどのことがなければ――この四家に許されたってことでもないかぎり――鳥は家章にはしない」
「ルゥおまえ、さっき白龍グループの紋章が、椋鳥だって言わなかったか?」
「ゆった。バラディアさんがね、白龍グループのアジトに旗が掲げられてるの見たって」
「――アレ、椋鳥だったのか。小鳥の類だとは思ってたが」
「アズ、見たことあるの?」
「ああ。メフラー商社も同じだからな」
「ほんと!?」
ルナは驚いて、大声を上げた。
「メフラー商社も椋鳥の紋章!?」
「うちは白龍グループみてえに大々的に飾ってねえけど、家章の旗はある。だけど、あの鳥がなにかなんて、考えたこともなかったぜ。一度っきりしか見たことねえし、普段はしまってあるからな。ついでに言や、白龍とヤマトとメフラー商社が、同じ紋章だったはずだ」
「――老舗傭兵グループがそろって椋鳥って、なにか意味があるのか?」
グレンがだれに言うともなく、疑問を口にして考え込んでいると、アズラエルが口を挟んだ。
「ロビンが、その紋章をタトゥにして、左の肩に彫って――あ」
グレンもアズラエルも、同時に口を開けた。
「アイツ、アイツの苗字、ヴァスカビルだ……」
「ええっ!? ――じゃあ、」
ルナの思いついたことは、別だ。
「“羽ばたきたい椋鳥”って、もしかして――ロビンさん?」
「なんだ? 羽ばたきたい椋鳥って」
今度、わけが分からないのはグレンだったが、ルナとアズラエルの中では、さまざまな線が繋がった。
ミシェルの夢の中で、ボタンを探していた大きな小鳥。
あれは、エーリヒが持っていたあの紋章を、探していたのではないか。
「まさか――ロビンさんが?」
「いや、でも……ロビンはメフラー商社に格別な思い入れがあるからな。アイツは孤児だったらしくて、メフラー親父に拾われて、親父とアマンダに育てられてきたんだ。だから、メフラー商社の紋章をタトゥにしてるだけで、特別な意味はないはずだが……」
「でもさ、あたしたちの身近にいる人で、ほかに“羽ばたきたい椋鳥”にぴったりくるひとはいないよ?」
「おい。だから、羽ばたきたい椋鳥ってなんなんだよ」
痺れを切らしたグレンが割って入ると、ルナはアズラエルと顔を見合わせ、嬉々とした表情で言った。
「グレンにね、ZOOカードのこと教えてあげる!」
話がだいぶ脇道に逸れそうな予感がしたアズラエルは、ふたたび眉間を押さえることになった。




