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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 ~記憶の扉篇~
310/956

133話 記憶の扉 Ⅱ 1


(なんだ、ここは……)


 グレンは、長く続く、階段のまえに立っていた。


 薄暗いが、まったくの夜というわけではない。だが、明け方なのか宵なのか、判別がつきかねた。時刻は深夜だったはずだ。

 椿の宿で浴衣を着て、アズラエルと飲んでいたはずの自分が、なぜ今こんなところにいる。


 自分は、宇宙船に乗ったとき捨てたはずの、L18の軍服を着ている。グレンはまず、武器の所持をたしかめた自分に舌打ちした。癖は、そう簡単には抜けないということか。短銃がホルダーに突っ込んであり、サーベルもある。


 おかしい。軍法会議で牢に閉じ込められたときに、銃もサーベルも取り上げられた。つまり、宇宙船内には持ってきていない。階級章は少佐のまま。軍帽に手をやり――髪をたしかめた。髪は、短かったころにもどっている。ピアスがない。


 ……まるで、L18にいた時分と同じだ。


 この階段はなんだ。ここはどこだ。


 幅広の石畳の階段だが、かなり上のほうに建物がある。暗闇で様子は分からない。グレンは朝霧の湿った空気の匂いを感じ、朝かもしれないと見当つけた。夜明け前か――後ろを向き、グレンは今自分がどこに立っているか、やっとわかった。


 異文化の建物が立ち並ぶ向こうに、巨大な鳥居。

 ここは、K05区だ。つまり、宇宙船の中。そしてこの階段は、真砂名神社へと続く階段か。


 グレンはためらいがちに頂上を見たが、やがて、一段一段、上り始めた。


 まだ夜は明けない。


 長い階段を上りきり、真砂名神社であろう、異文化の建築物を見た。白木と朱色でできた、ひねった縄がついている、不思議な神殿。静まり返っている。ひと気はまったくない。だが脇に、森の奥へと続く道がある。


 唐突に、ひとが現れた。L03の民族衣装を着た、若い男だ。グレンはこの顔をどこかで見たことがある。だが思い出せない。彼は、グレンに道の奥へ行くよう促し、ふっと消えた。


 ……森の奥へと続く道をしばらく歩くと、また建物が現れた。廊下がジグザグに立ち並び、いくつもの絵画が並べられている建物。


 なぜ、こんなところに美術館が?


 そこには、人影があった。ひとり――いや、三人ほどか。


(……!?)


 グレンは、目を疑った。

 ふたりは、L03の民族衣装を着た男性、だが、残りのひとりは、――。


(俺?)


 大柄な後姿の軍人がいた。髪は銀髪で、背格好も自分と似ている。ふいに、彼がグレンのほうを向き、グレンは思わず草陰に身を隠した。


(なんだ? ――なんであんなところに俺がいる)


 着ている軍服は微妙にちがう気がしたが、あきらかに自分だった。


 グレンそっくりの男は、絵画のひとつひとつを食い入るように眺めている。なにかを探すように。グレンは固唾(かたず)をのんで、男たちの動向を見つめた。


 やがて男は一枚の絵画の前で立ち止まり、がく然とたたずみ、――ひざまずいた。


(なんだ――どうしたんだ)


 グレンは思わず身を乗り出して、草むらから一歩、二歩、そちらへ進んだ。男たちが、グレンのほうを見た気がしたので、隠れようとしたが、彼らにグレンは見えていないのか、なにも言わない。グレンは慎重に近づいた。

 グレンそっくりの男は絵の前にひざまずき、涙していた。


「グレンさま――、この絵、なのですね」


 泣いている男はグレンと呼ばれた。やはり俺なのか。グレンが呆然としていると、泣いているグレンは何度もうなずいて言った。自分と同じ声で。


「間違いない――この絵だ」


「グレン」が仰いでいる絵画は、「マ・アース・ジャ・ハーナの神話~船大工の兄弟~」とタイトルが掛かっている。グレンは絵を見た。


 船大工の兄弟だろう二人の男が、枯れ枝を抱いて号泣している。


(なんだ、この絵)


 グレンは、胸が(うず)くような感じがした。


「では、この絵を」


 男たちは協力して絵を外し、絵が掛かっていた壁面に、ノミと金づちで穴を開けはじめた。

 しばらくのあいだ、カン、カン、という音が響いて、やがて夜が白み始めるころ、三十センチ四方の穴ができた。


 中には木の板が張られていて、そこへものが置けることをたしかめると、「グレン」は金庫を穴に入れた。そう大きくはない。三十センチ四方の穴に容易に入る大きさの金庫だ。


 今一度金庫を開け、中身を確認し、しっかりと錠をした。中身は、グレンにはよく見えなかった。アナログタイプのデジタル式の金庫で、さらに錠前をかけた。


 男の一人が、金庫を嵌め込んだ部分を塗り込める。そうして、また男三人は協力して、今度は別な絵をそこへかけた。金庫を埋めた場所を隠すように。


 その絵は、二頭のライオンがお姫様を襲おうとしている――絵本の挿絵(さしえ)のようなタッチの絵だった。周囲の絵画といっしょに並ぶと、おそろしく違和感がある。


(なにをやってるんだ、こいつらは)


 グレンは、呆然と事の次第を眺めていたが、男たちは木くずや資材を片付けてトラックの荷台に運び入れ、取り外した絵――船大工の兄弟の絵を布で包み、これもまた、トラックに乗せた。


「ではグレン様、お急ぎを」

「ああ」


「グレン」と男たちは、あわただしくトラックに乗って、この場を去った。ここに来る、別の道があるのか。グレンは彼らのあとを追いたかったが、車に追いつけるわけがない。


 グレンは、すっかりひと気のなくなった回廊へ、踏み込んでみた。


 さっき金庫を()め込んだ場所を見てみようとしたが、絵は大きかった。一人で動かすにはリスクが大きい。動かすには動かせるだろうが、傷をつけてしまうかもしれない。


 裏側から見られないか。グレンは、奥へ進もうとしたが、なぜか行けない。歩いても歩いても、同じ位置で足踏みを繰り返すだけ。先に行けないのだ。


(いったい、なんだったんだアイツらは)


 グレンは金庫が気になったが、仕方なく廊下を降りた。

 もと来た道を帰ろうとすると――。


(なんだ)


 さっきグレンが歩いてきた道は、鉄条網(てつじょうもう)でふさがれてと看板が貼られていた。


(この里宮の奥殿は、十年前から聖域として、立ち入り禁止になっている)


 後ろから声がしたので振り返ると、さっきグレンにこの道を行けと指示した、L03の衣装の、若い男が立っていた。


「俺はさっき、ここを通ったぞ……」

(そうですな。十年前とは言っても、百三十年前の十年前だから、あなたには百四十年前か)


 意味の分からないことを言う男だ。


「おまえはだれだ」

(私はサルーディーバ)

「あなたがか……!?」


 女ではなかったのか、やはり、男か。だが彼はオッドアイではない。


(私は百三十年前のサルーディーバだ。君の時代のサルーディーバは女性だよ)


「俺は――百三十年前の光景を見てるのか」


 グレンはやっと、状況を飲み込めた。これは夢か。椿の宿でルナが見たという、不思議な夢。


(そう。私は、あの絵を描いたサルーディーバ)


 そういって、サルーディーバは絵画を指さした。さっき、「グレン」たちが入れ替えた、二頭のライオンとお姫様の絵だ。


(さっきの「グレン」は君だよ。グレン・J・ドーソン。さっきの彼は、「グレン・E・ドーソン」……君の前世だ)

「……なんだって」

(まあそのうち、金庫の鍵が君に届くだろう。百三十年の時を経て)

「おい、ちょっと待て――意味が、」

(鍵を大切にね)

 

 サルーディーバは消えた。途端に強い風が吹き付け、グレンは身体をかばって目を閉じる。


 あっというまに、めのまえの景色は変わっていた。


 巨大な白い柱が並列する、大理石の廊下。この廊下は外廊で、外は砂漠だった。ヤシの木が生え、白壁の建物が立ち並んでいる。砂漠の中のオアシス。


 グレンはごくりと喉を鳴らした。


 ――この風景を、見たことがある。


 そうだ、ここはL05だ。この建物にも、俺は来たことがある。

 グレンは記憶を探りながら、廊下をまっすぐに進んだ。道なりに左に折れると、そこからは壁のある室内へ――一番奥の左の部屋。

 グレンは、大きな扉のまえで立ち止まった。

 この扉を覚えている。この扉の向こうに、だれがいるか知っている。

 グレンは、ゆっくりと、観音開きの扉を開けた。


 グレンの予想通り、そこには、「グレン・E・ドーソン」と、さっき真砂名神社でグレンを導いたサルーディーバがいた。そしてサルーディーバのそばに(たたず)む男が一人。


 グレンは目を見張る。――クラウドだ。

 クラウド。――クラウド。……アイツは、従弟だった。

 グレンはがく然とした。

 待て。俺はなにを見ているんだ。いったいなにを。


 サルーディーバとクラウドのそばには、あの絵画がある。


「船大工の兄弟」の絵が。


 その絵だけではなく、ここは大小さまざまなキャンバスがたくさん置かれていた。まるで絵の倉庫だ。


「グレン」は小さな机で作業をしている。

 白い封筒に便箋(びんせん)と大きな鍵を入れ、封筒を閉じた。赤い(ろう)を垂らし、ドーソン一族の(わし)の紋章がついた指輪を、溶けた蝋に押し付け、封をした。それを、船大工の兄弟の絵のうしろ、キャンバスの隅にはさんだ。


「ここは私の絵を保管している場所だ」

 サルーディーバは言った。

「私個人のね。心配いらない。百三十年はだれの手も入らんだろう」


「ありがとうございます。――なにもかも」


「グレン」はサルーディーバに頭を下げた。しばらくそうしていて、やがて彼がゆっくり頭を上げると、「クラウド」が「グレン」に歩み寄って手を握った。


「ありがとう、グレン」

「俺は、礼を言われることなどなにもしていない」


「グレン」の声は暗かった。「クラウド」は痛ましげに目を細め、


「いいか――俺がこんなことを言えた義理じゃないのは分かってる。だが、早まらないでくれ」


 グレンは混乱していた。クラウドはアズラエルの幼馴染みで、自分とは仲が良くない。

 だが、――そう。昔は、仲が良かった。仲の良い従弟だった。俺とクラウドは。

 昔って、いつだ。

 

「君は裏切ってなんかいない。俺が知ってる。……俺たちが若すぎたんだ。そして敵は、老獪(ろうかい)だった。そして、恋というやつが、いったいどんな不測の事態をもたらすかも知らなかった。若さゆえに」


 グレンには分かっていた。この「グレン」は、どんな慰めも必要とはしていない。このあとL18に帰った彼は、自分の書斎で拳銃自殺をする。

 結末は、分かっていた。


「クラウド・D・ドーソン君」

 サルーディーバは「クラウド」の肩をたたいた。

「その辺で」

 

 ……そうだ。いまの「グレン」には、なにを言われても責められているようにしか聞こえない。


 グレンは、この不思議な記憶に絶句していた。なぜ、こんなことを知っている。いや、知っているのではない、『覚えている』のだ。


 第二次バブロスカ革命の時代の記憶を。


「クラウド」は、「グレン」と同い年のいとこで、今のクラウド同様、やはり賢かった。ロメリアたちの行動を無謀だと、最初から止めていた。まだ早すぎる、十年単位の計画で臨むべきだと。だが、一度(あお)られた学生たちの動きは、もはやだれも止められないところまで膨れ上がっていた。十人の仲間たちは、もう暴走化した学生たちを止められなかった。


 ――自分たちの、死によってしか。


 第二次バブロスカ革命の首謀者のうち、生き残ったのは「グレン」と「クラウド」と「マリー」だけ。


 バブロスカ監獄の衛兵との銃撃戦で、ロメリアをのぞく六人は死んだ。「アシュエル」もロメリアを庇って死んだ。


 だが、「グレン」も自殺したことを入れると、生き残りはこの「クラウド」と「マリー」だけだったと言えるだろう。


 ほんとうに裏切ったのは、クラウドでもグレンでもなく、「マリー」。

「マリアンヌ・D・ドーソン」。

 ロメリアを愛していた、クラウドの妹。


 彼女が、こっそりと自分の父親に打ち明けた。「グレン」がロメリアたちの計画に関わっていると。「グレン」には密かに監視が付けられ、そのおかげで計画は漏れた。


 だがマリーがどうであろうと、監視に気づけず、ロメリアたちを直接死に追いやったのは自分だ。「グレン」はそう思っている。


 グレンはすべてを思い出した。――そうだ。サルーディーバのアドバイスに従って、俺は、地球行き宇宙船のあの場所に――真砂名神社の奥殿に、「あれ」を隠した。


 来たるべき、百三十年後のために。


「俺はサルーディーバさんとともに行く。みなの冥福を祈りたい。L03に骨を埋めるつもりだ」

「クラウド」は言った。

「俺は、もうこれ以上仲間の死を見たくない。……グレン、頼む。早まらないでくれ」


「クラウド」は一度だけ「グレン」を抱きしめ、物言いたげな目で下がった。彼はずっと「グレン」を見つめていたが、もうなにも言わなかった。彼はきっと、「グレン」の死を予測していたのかもしれない。


 ふたりをだまって見つめていたサルーディーバが、「グレン」の手を取り、「すべては真砂名の神の御手に」と言って別れを告げた。


「百三十年後に、ふたたびお会いしましょう」


 すべてのシーンを、グレンは覚えていた。


「グレン」が、二人に向かってかすかに微笑み、グレンの横を通り過ぎ、扉をあけて出ていく。


 ――時計が鳴る。


 かちかちかち、……三回。



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