133話 記憶の扉 Ⅱ 1
(なんだ、ここは……)
グレンは、長く続く、階段のまえに立っていた。
薄暗いが、まったくの夜というわけではない。だが、明け方なのか宵なのか、判別がつきかねた。時刻は深夜だったはずだ。
椿の宿で浴衣を着て、アズラエルと飲んでいたはずの自分が、なぜ今こんなところにいる。
自分は、宇宙船に乗ったとき捨てたはずの、L18の軍服を着ている。グレンはまず、武器の所持をたしかめた自分に舌打ちした。癖は、そう簡単には抜けないということか。短銃がホルダーに突っ込んであり、サーベルもある。
おかしい。軍法会議で牢に閉じ込められたときに、銃もサーベルも取り上げられた。つまり、宇宙船内には持ってきていない。階級章は少佐のまま。軍帽に手をやり――髪をたしかめた。髪は、短かったころにもどっている。ピアスがない。
……まるで、L18にいた時分と同じだ。
この階段はなんだ。ここはどこだ。
幅広の石畳の階段だが、かなり上のほうに建物がある。暗闇で様子は分からない。グレンは朝霧の湿った空気の匂いを感じ、朝かもしれないと見当つけた。夜明け前か――後ろを向き、グレンは今自分がどこに立っているか、やっとわかった。
異文化の建物が立ち並ぶ向こうに、巨大な鳥居。
ここは、K05区だ。つまり、宇宙船の中。そしてこの階段は、真砂名神社へと続く階段か。
グレンはためらいがちに頂上を見たが、やがて、一段一段、上り始めた。
まだ夜は明けない。
長い階段を上りきり、真砂名神社であろう、異文化の建築物を見た。白木と朱色でできた、ひねった縄がついている、不思議な神殿。静まり返っている。ひと気はまったくない。だが脇に、森の奥へと続く道がある。
唐突に、ひとが現れた。L03の民族衣装を着た、若い男だ。グレンはこの顔をどこかで見たことがある。だが思い出せない。彼は、グレンに道の奥へ行くよう促し、ふっと消えた。
……森の奥へと続く道をしばらく歩くと、また建物が現れた。廊下がジグザグに立ち並び、いくつもの絵画が並べられている建物。
なぜ、こんなところに美術館が?
そこには、人影があった。ひとり――いや、三人ほどか。
(……!?)
グレンは、目を疑った。
ふたりは、L03の民族衣装を着た男性、だが、残りのひとりは、――。
(俺?)
大柄な後姿の軍人がいた。髪は銀髪で、背格好も自分と似ている。ふいに、彼がグレンのほうを向き、グレンは思わず草陰に身を隠した。
(なんだ? ――なんであんなところに俺がいる)
着ている軍服は微妙にちがう気がしたが、あきらかに自分だった。
グレンそっくりの男は、絵画のひとつひとつを食い入るように眺めている。なにかを探すように。グレンは固唾をのんで、男たちの動向を見つめた。
やがて男は一枚の絵画の前で立ち止まり、がく然とたたずみ、――ひざまずいた。
(なんだ――どうしたんだ)
グレンは思わず身を乗り出して、草むらから一歩、二歩、そちらへ進んだ。男たちが、グレンのほうを見た気がしたので、隠れようとしたが、彼らにグレンは見えていないのか、なにも言わない。グレンは慎重に近づいた。
グレンそっくりの男は絵の前にひざまずき、涙していた。
「グレンさま――、この絵、なのですね」
泣いている男はグレンと呼ばれた。やはり俺なのか。グレンが呆然としていると、泣いているグレンは何度もうなずいて言った。自分と同じ声で。
「間違いない――この絵だ」
「グレン」が仰いでいる絵画は、「マ・アース・ジャ・ハーナの神話~船大工の兄弟~」とタイトルが掛かっている。グレンは絵を見た。
船大工の兄弟だろう二人の男が、枯れ枝を抱いて号泣している。
(なんだ、この絵)
グレンは、胸が疼くような感じがした。
「では、この絵を」
男たちは協力して絵を外し、絵が掛かっていた壁面に、ノミと金づちで穴を開けはじめた。
しばらくのあいだ、カン、カン、という音が響いて、やがて夜が白み始めるころ、三十センチ四方の穴ができた。
中には木の板が張られていて、そこへものが置けることをたしかめると、「グレン」は金庫を穴に入れた。そう大きくはない。三十センチ四方の穴に容易に入る大きさの金庫だ。
今一度金庫を開け、中身を確認し、しっかりと錠をした。中身は、グレンにはよく見えなかった。アナログタイプのデジタル式の金庫で、さらに錠前をかけた。
男の一人が、金庫を嵌め込んだ部分を塗り込める。そうして、また男三人は協力して、今度は別な絵をそこへかけた。金庫を埋めた場所を隠すように。
その絵は、二頭のライオンがお姫様を襲おうとしている――絵本の挿絵のようなタッチの絵だった。周囲の絵画といっしょに並ぶと、おそろしく違和感がある。
(なにをやってるんだ、こいつらは)
グレンは、呆然と事の次第を眺めていたが、男たちは木くずや資材を片付けてトラックの荷台に運び入れ、取り外した絵――船大工の兄弟の絵を布で包み、これもまた、トラックに乗せた。
「ではグレン様、お急ぎを」
「ああ」
「グレン」と男たちは、あわただしくトラックに乗って、この場を去った。ここに来る、別の道があるのか。グレンは彼らのあとを追いたかったが、車に追いつけるわけがない。
グレンは、すっかりひと気のなくなった回廊へ、踏み込んでみた。
さっき金庫を嵌め込んだ場所を見てみようとしたが、絵は大きかった。一人で動かすにはリスクが大きい。動かすには動かせるだろうが、傷をつけてしまうかもしれない。
裏側から見られないか。グレンは、奥へ進もうとしたが、なぜか行けない。歩いても歩いても、同じ位置で足踏みを繰り返すだけ。先に行けないのだ。
(いったい、なんだったんだアイツらは)
グレンは金庫が気になったが、仕方なく廊下を降りた。
もと来た道を帰ろうとすると――。
(なんだ)
さっきグレンが歩いてきた道は、鉄条網でふさがれてと看板が貼られていた。
(この里宮の奥殿は、十年前から聖域として、立ち入り禁止になっている)
後ろから声がしたので振り返ると、さっきグレンにこの道を行けと指示した、L03の衣装の、若い男が立っていた。
「俺はさっき、ここを通ったぞ……」
(そうですな。十年前とは言っても、百三十年前の十年前だから、あなたには百四十年前か)
意味の分からないことを言う男だ。
「おまえはだれだ」
(私はサルーディーバ)
「あなたがか……!?」
女ではなかったのか、やはり、男か。だが彼はオッドアイではない。
(私は百三十年前のサルーディーバだ。君の時代のサルーディーバは女性だよ)
「俺は――百三十年前の光景を見てるのか」
グレンはやっと、状況を飲み込めた。これは夢か。椿の宿でルナが見たという、不思議な夢。
(そう。私は、あの絵を描いたサルーディーバ)
そういって、サルーディーバは絵画を指さした。さっき、「グレン」たちが入れ替えた、二頭のライオンとお姫様の絵だ。
(さっきの「グレン」は君だよ。グレン・J・ドーソン。さっきの彼は、「グレン・E・ドーソン」……君の前世だ)
「……なんだって」
(まあそのうち、金庫の鍵が君に届くだろう。百三十年の時を経て)
「おい、ちょっと待て――意味が、」
(鍵を大切にね)
サルーディーバは消えた。途端に強い風が吹き付け、グレンは身体をかばって目を閉じる。
あっというまに、めのまえの景色は変わっていた。
巨大な白い柱が並列する、大理石の廊下。この廊下は外廊で、外は砂漠だった。ヤシの木が生え、白壁の建物が立ち並んでいる。砂漠の中のオアシス。
グレンはごくりと喉を鳴らした。
――この風景を、見たことがある。
そうだ、ここはL05だ。この建物にも、俺は来たことがある。
グレンは記憶を探りながら、廊下をまっすぐに進んだ。道なりに左に折れると、そこからは壁のある室内へ――一番奥の左の部屋。
グレンは、大きな扉のまえで立ち止まった。
この扉を覚えている。この扉の向こうに、だれがいるか知っている。
グレンは、ゆっくりと、観音開きの扉を開けた。
グレンの予想通り、そこには、「グレン・E・ドーソン」と、さっき真砂名神社でグレンを導いたサルーディーバがいた。そしてサルーディーバのそばに佇む男が一人。
グレンは目を見張る。――クラウドだ。
クラウド。――クラウド。……アイツは、従弟だった。
グレンはがく然とした。
待て。俺はなにを見ているんだ。いったいなにを。
サルーディーバとクラウドのそばには、あの絵画がある。
「船大工の兄弟」の絵が。
その絵だけではなく、ここは大小さまざまなキャンバスがたくさん置かれていた。まるで絵の倉庫だ。
「グレン」は小さな机で作業をしている。
白い封筒に便箋と大きな鍵を入れ、封筒を閉じた。赤い蝋を垂らし、ドーソン一族の鷲の紋章がついた指輪を、溶けた蝋に押し付け、封をした。それを、船大工の兄弟の絵のうしろ、キャンバスの隅にはさんだ。
「ここは私の絵を保管している場所だ」
サルーディーバは言った。
「私個人のね。心配いらない。百三十年はだれの手も入らんだろう」
「ありがとうございます。――なにもかも」
「グレン」はサルーディーバに頭を下げた。しばらくそうしていて、やがて彼がゆっくり頭を上げると、「クラウド」が「グレン」に歩み寄って手を握った。
「ありがとう、グレン」
「俺は、礼を言われることなどなにもしていない」
「グレン」の声は暗かった。「クラウド」は痛ましげに目を細め、
「いいか――俺がこんなことを言えた義理じゃないのは分かってる。だが、早まらないでくれ」
グレンは混乱していた。クラウドはアズラエルの幼馴染みで、自分とは仲が良くない。
だが、――そう。昔は、仲が良かった。仲の良い従弟だった。俺とクラウドは。
昔って、いつだ。
「君は裏切ってなんかいない。俺が知ってる。……俺たちが若すぎたんだ。そして敵は、老獪だった。そして、恋というやつが、いったいどんな不測の事態をもたらすかも知らなかった。若さゆえに」
グレンには分かっていた。この「グレン」は、どんな慰めも必要とはしていない。このあとL18に帰った彼は、自分の書斎で拳銃自殺をする。
結末は、分かっていた。
「クラウド・D・ドーソン君」
サルーディーバは「クラウド」の肩をたたいた。
「その辺で」
……そうだ。いまの「グレン」には、なにを言われても責められているようにしか聞こえない。
グレンは、この不思議な記憶に絶句していた。なぜ、こんなことを知っている。いや、知っているのではない、『覚えている』のだ。
第二次バブロスカ革命の時代の記憶を。
「クラウド」は、「グレン」と同い年のいとこで、今のクラウド同様、やはり賢かった。ロメリアたちの行動を無謀だと、最初から止めていた。まだ早すぎる、十年単位の計画で臨むべきだと。だが、一度煽られた学生たちの動きは、もはやだれも止められないところまで膨れ上がっていた。十人の仲間たちは、もう暴走化した学生たちを止められなかった。
――自分たちの、死によってしか。
第二次バブロスカ革命の首謀者のうち、生き残ったのは「グレン」と「クラウド」と「マリー」だけ。
バブロスカ監獄の衛兵との銃撃戦で、ロメリアをのぞく六人は死んだ。「アシュエル」もロメリアを庇って死んだ。
だが、「グレン」も自殺したことを入れると、生き残りはこの「クラウド」と「マリー」だけだったと言えるだろう。
ほんとうに裏切ったのは、クラウドでもグレンでもなく、「マリー」。
「マリアンヌ・D・ドーソン」。
ロメリアを愛していた、クラウドの妹。
彼女が、こっそりと自分の父親に打ち明けた。「グレン」がロメリアたちの計画に関わっていると。「グレン」には密かに監視が付けられ、そのおかげで計画は漏れた。
だがマリーがどうであろうと、監視に気づけず、ロメリアたちを直接死に追いやったのは自分だ。「グレン」はそう思っている。
グレンはすべてを思い出した。――そうだ。サルーディーバのアドバイスに従って、俺は、地球行き宇宙船のあの場所に――真砂名神社の奥殿に、「あれ」を隠した。
来たるべき、百三十年後のために。
「俺はサルーディーバさんとともに行く。みなの冥福を祈りたい。L03に骨を埋めるつもりだ」
「クラウド」は言った。
「俺は、もうこれ以上仲間の死を見たくない。……グレン、頼む。早まらないでくれ」
「クラウド」は一度だけ「グレン」を抱きしめ、物言いたげな目で下がった。彼はずっと「グレン」を見つめていたが、もうなにも言わなかった。彼はきっと、「グレン」の死を予測していたのかもしれない。
ふたりをだまって見つめていたサルーディーバが、「グレン」の手を取り、「すべては真砂名の神の御手に」と言って別れを告げた。
「百三十年後に、ふたたびお会いしましょう」
すべてのシーンを、グレンは覚えていた。
「グレン」が、二人に向かってかすかに微笑み、グレンの横を通り過ぎ、扉をあけて出ていく。
――時計が鳴る。
かちかちかち、……三回。




