131話 またまた旅行へ出発! 1
気を取り直して、ルナは荷造りをした。
一ヶ月の旅行って、どれだけ用意すればいいのだろう。
ルナは思ったが、アズラエルに聞く気もなくて、旅行用バッグにもさもさと服をつめ、洗面用具を入れ、いつもどおりのふわふわワンピースとカーディガンに着替えた。
このあいだまで、ずっとグリーン・ガーデンにいた気がするのに。
ルナはもうすこしおうちにいたかった。
ルナがふて腐れていることを、まったく見ないふりをしているアズラエルは、「用意できたか」と言って、ルナが引きずってきた大きなバッグを、サッサと外に持ち出した。車のトランクが開く音がする。
ルナがだらだらとサンダルを履き、カギを閉めて階下へいくと、もうエンジンのかかったアズラエルの車が、スタンバイしている。ミシェルとクラウドも、見送りのために外へ出ていた。
「おみやげよろしくね~~♪」
ミシェルがぶんぶんと両腕を振っている。ルナはミシェルとクラウドにばいばいをし、助手席に乗って出発した。
「アズ、旅行って、どこにいくの?」
「最初の目的地は決めてる。そのあとのことは、おまえと相談しながらと思って」
「パンフレット持ってきた?」
「ああ」
後部座席には、船内の分厚いパンフレットがあった。
「アズ、あの箱はなに?」
パンフレットと一緒に、いくつかの菓子箱が席を埋めていた。
「ああ、エレナに」
「エレナさん?」
ルナは驚いて、アズラエルを見た。
「旅行じゃないの? エレナさんも連れてくの?」
「まさか」
アズラエルは笑った。
「レモンゼリーとタルトをな、届けるだけ」
アズラエルがさっき作っていた菓子は、レモンゼリーと、桃のタルトだったのだ。
「アズ、こっちからいくの? 高速乗るの?」
「先にK20に行く。レオナにも持っていくんだ」
「レオナさん」
レオナとバーガスの居住区、K20区はK27区の隣だ。アズラエルは車を走らせ、バーガス夫妻のマンションに向かった。
「おっきいマンションだねー!」
ルナは、首が痛くなるほど見上げた。この高層マンションが、夫婦の住処だ。広い地下駐車場に車をとめ、エレベーターで、三十五階の夫婦の部屋に向かう。
インターフォンのボタンを押すと、「だれだい?」とレオナの声が。「俺だ」のアズラエルの声に、急に通信が切れ、間髪入れずドアが開いた。そこにはいつもの、タンクトップ姿のレオナがいた。
「めずらしいやつが来たね。おや、うさこちゃんも一緒かい! 入んな入んな! バーガスは留守だけどね」
「邪魔するぞ」
アズラエルのあとを追い、ルナも部屋に入った。入ってすぐ、広い一室ほどもある空間が現れたが、そこはただの廊下だった。小窓が多く、明るい室内だ。ルナは、通されたリビングで歓声を上げた。
けっこうな広さのリビングの向こうは一面、ガラス張りだったのだ。街が遠くまで見渡せるほどの。
「すげえ部屋だな」
アズラエルも窓際へ行き、街を見下ろして感嘆の声を上げた。これは、夜景も美しいだろう。
「まるで、ホテルじゃねえか」
「最近やっと慣れてきたよ! バグムントがあたしらを最初に連れてきたのが、ここだったんだもの。家賃は高めだったけど、グレン坊やが住んでるK35区の部屋とたいして変わらないよ――なんなら、あんたらもここに引っ越してくればいいじゃないか。三十五階のフロア、全部空いてんだ」
「ほんとにか」
K35区くらいの家賃で住めるなら悪くねえな、とアズラエルがつぶやいている。ルナは少しいやな予感がしてアズラエルのシャツの裾を引っ張ったが、アズラエルはルナの頭をぽてぽて撫でたまま、街を見下ろしている。
――アズ? このあいだ引っ越したばっかりだよ?
「うん。両隣はいないし、さみしいもんだよ。三十二階まで降りると、やっと人がいるけどね、なんかL5系から来た高慢ちきな夫婦でさ、うちらとは合わないよ。あと、三十階に、宇宙船の役員だって人が住んでる」
「へえ。宇宙船の役員もいるのか」
「だけどね、旦那さんは忙しいんだかずっと留守にしてる。半年は留守なんだって。この宇宙船動かしてる作業員、だとか言ってたな。奥さんとはたまに話すよ。一階のロビーにさ、レストランあるんだよ。けっこうなんでもおいしくて、たまにおやつ食べにいったりするのさ。奥さんとは、そこで知り合った。この近所じゃ、あのひとだけが唯一の話し相手だね」
「そんなにヒマなら、おまえもムスタファに雇われりゃよかったじゃねえか」
「バーガスが来るなっていうんだよ! あたしに来るなっていうとこみりゃ、どんな悪さしてんだか」
宇宙船に入ったころは毎日、ドラマばっかり見てたよ、あれじゃ気も沈むってもんさ!とレオナはぺちゃくちゃしゃべりながら、甘いシロップの入った冷たい紅茶を、三人分入れて持ってきた。
「はい。うさこちゃんには、いちごあげようね」
ルナにだけ、ガラスの器に入ったいちごが与えられた。どうも、バーガス夫妻には、ルナは年相応に見られていない。口調も態度も、五歳児扱いである。おまけに名前を覚えていないわけではないのだろうが、バーガスもレオナも、そろってルナを「うさこちゃん」と呼ぶ。
夫婦にまったく悪気はないのだ。むしろ、ルナを可愛がってくれている。
「いいながめだろ。……そういやあんた、初めてじゃないか、あたしらの部屋に来たの」
「そういや、そうだな」
「たまにゃ、うさこちゃん連れて遊びにおいでよ! うちでだったら、いくら呑んでもかまやしないからさ。……ほら、うさこちゃん、ちょっとこっちおいで」
レオナはルナを、窓際に連れて行く。ルナは高所恐怖症のところがあるのでちょっと怖かったが、レオナもアズラエルもそばにいるので、恐る恐る近づいた。
「ほら、あそこごらんよ。見える? 天気がいいともっとはっきり見えるんだけどね」
レオナが指さしたほうにルナは目を凝らした。
「――あ!」
ルナはびっくりして叫んだ。
「海だ!!」
ルナが目を凝らした地平線の向こうには、紛うことなき海が見える。雲がかかって、うすぼんやりとだが、青い水面が。
「この宇宙船、海があるのだった!!」
「知らなかったのか?」
アズラエルが驚いてルナを見た。
「無理もないさ。けっこうみんな、知らなかったよ。エレナちゃんも、ここから海を見せたらびっくりしてた。ほら、宇宙船の入り口の裏っかわだからね。意外と気づいてないんだよみんな」
「だっておまえ、ルナ、船内の地図見てたろ?」
「ほええ……海だあ……」
「聞いてねえな。このチビウサギは」
宇宙船入口の街K15区は、この宇宙船に搭乗したときと、ナターシャたちを見送ったときくらいしか行ったことがない。アントニオとも海の話をした気がするが、すっかり忘れていた。
ルナが海に見惚れているのを放って、アズラエルはレオナに聞いた。
「どうだ。メシは食えてんのか」
「ガンガン食ってるよ」
「……ならいい。心配するだけソンしたな」
「なんだいそのいいぐさ」
あたしにだって、つわりぐらいあるさ! とレオナは威張って言った。
アズラエルは、紙袋に入った焼きたてのタルトと、レモンゼリーをレオナに渡した。
「なんだいコレ!? アンタが作ったの」
レオナは、袋をのぞき、目玉がこぼれそうなくらい見開いて、びっくりした。
「おう」
「あんたが!? そのでかい指で!」
「指のでかさは関係ねえだろ」
「うさこちゃんが作ったのを、あんたが作ったって言ってんじゃないだろうね」
「ち、ちがいます。アズが作ったの」
ルナがあわててフォローすると、レオナはやっと信じたようだった。
「あんたに、こんな可愛げな趣味があるとはねえ……」
「礼が先だろ。いらねえのか」
アズラエルが引き戻そうとすると、レオナは奪い返した。
「最近、妙に甘いモンばっか食いたくてね」
ウキウキとレオナは、タルトを持ってキッチンに行った。
「おい! 俺らの分はいらねえぞ。自分の分だけ切れよ」
「いいのかい? じゃあ遠慮なく。……こないだ、エレナちゃんとヴィアンカと、ケーキバイキングに行ってさ、」
レオナは、三十センチはあろうかというホールのタルトを、豪快に半分に切って、皿にのせて持ってきた。
「エレナちゃんも細いわりに食べること! なんだか知らんけど、あたしもヴィアンカもエレナちゃんも、妊娠してから甘いものが欲しくてさ、信じらんないくらい食べるんだよ。三人で、ケーキ食いまくってきたんだ」
「おまえらの食欲でケーキ屋つぶれたろ」
「バーガスと一緒で、小憎たらしい口をきくね」
傭兵が包丁持ってるときに悪態つくんじゃないよと言われ、アズラエルは肩をすくめた。
ルナもアズラエルも、呆然とレオナを眺めていた。大きなタルトが、瞬く間に消えていく。ショートケーキサイズの一辺が一口で消えていくのだから、それはたいした食欲である。
「あたし、そんなに甘いモン好きじゃなかったんだけどねえ」
レオナが二三、しゃべっているあいだに、タルトは消滅した。
「うまいよアズラエル! 桃のタルトってのもなかなかいいね! また作ってよ!」
「……喜んでもらえてなによりだ……」
満足そうに腹をさするレオナに、アズラエルは完全に胸焼けした声で答えた。
レオナの、しゃべりつづけたら止まらないマシンガン・トークがいったん落ち着いた一時間後、アズラエルとルナは隙を見て、おいとますることにした。
「ねえ、またバーベキューパーティーやろうよ! エレナちゃんの出産が終わったころにでもさ」
エレナの予定日は、五月の末ころだ。
「いいな。夏近くなったら、もう一回計画してみるか」
「そうこなくっちゃ!」
レオナはアズラエルの背中をバン! と叩く。アズラエルが「げほっ!」とすごい勢いで噎せた。
レオナは一緒に降りてきて、アズラエルとルナの車が駐車場を出るのを、見送ってくれた。
「……なんつう妊婦だ。あいつ、妊娠してからますます凶暴になった気がするぜ……」
アズラエルは車に乗ってもまだ咳き込んでいた。ルナは大笑いした。
次にアズラエルが寄ったのはK34区。街中の、古びたバーだ。ネオンはついていなかったが、夜になればさぞかしきらびやかになるだろうことは、ルナにも予想がついた。電飾が壁いっぱいに張り付いていて、錆びた看板には、「ラガー」と書いてある。
ルナは、ラガーに来たのは初めてだ。
アズラエルは道路わきに車を止め、紙袋を取り出して、助手席のルナに聞いた。
「ここで待ってるか?」
「ううん。一緒に行く」
ルナも下りて、アズラエルのあとをついていった。なんとなく、このあたりはさびれた雰囲気で、昼間なのに怖い感じがする。ルナは車の中に、ひとりでいたくなかった。このあたりは飲み屋界隈で、昼間はひと気がないのが幸いしているが、夜はほんとうに怖いかもしれなかった。
木のドアを開けると、ガラン、ガランと派手な音がする。中は昼間なのに薄暗くて、にぎやかなジャズが低音量で流れていた。夜だけではなく、昼間も営業しているのか。厚いカーテンで仕切られた向こうには、わずかだが人の気配がある。
「おい、オルティス、いるか!?」
カウンターでアズラエルが声を張り上げると、奥のカーテンのほうから、とびぬけてでかい店長が現れた。
「よお、アズラエルじゃねえか。――お?」
ラガーの店長、オルティスは、トレイに乗せたグラスをカウンターに置き、アズラエルの後ろにちょこんとたたずんでいるルナを覗き込んだ。
「うさこちゃんじゃねえか~!」
悪党面が、デレン、と笑顔になった。ルナもコワモテ面には耐性がついてきたが、やっぱり笑顔すら迫力がある。ルナは負けじと、大きな声で挨拶をした。
「こ、こんにちは!」
「おう。こんにちは。初めて、オレの城に来てくれたなあ」
オルティスは、やはりルナを持ち上げて高い高いをしたあと、ルナをカウンターのスツールにぽて、と置いてくれた。ルナは助かった。このスツールはずいぶん高くて、ルナはたぶん、よじ登らなければ座れなかったろう。
オルティスは、なにを呑むかと聞かずにカウンターの奥へ行き、黒ビールの瓶をあけ、グラスに注ぐとアズラエルに出した。「うさこちゃんはちょっと待ってな」と言い、調理場のほうへ入っていく。
「アズ、飲酒運転ダメだよ」
「運転する?」
アズラエルは黒ビールに口をつけてしまった。ルナは大喜びで「うん!」と言った。
「お待たせ、うさこちゃん」
しばらくしてラガーの店長がもってきたグラスは、ピンク色だった。上に絞り出した生クリームとさくらんぼが乗っかった――。
「いちごのあじがする」
ルナは一口、ストローで啜ってそう言った。イチゴのシェイクだ。
「甘くておいしい♪」
「そーかそーか。うまいか」
デレレンとヤニ下がった笑顔。それを眺めていたアズラエルが、眉を上げた。
「オルティス、おまえ、自分のガキ握りつぶすなよ」
怒ると思ったが、オルティスは一瞬黙り、それからひどく真剣な顔で言った。
「そうなんだよな」本気で悩んでいる口ぶりだ。「うさこちゃんでもこんなにちっちぇのによ、赤ん坊なんて、オレちゃんと抱けるのかな」
オルティスの深刻な口調に、アズラエルが笑った。
「心配すんな。俺の親父も握りつぶさなかった」
「アダムさんもでけえもんなあ」
昼間のせいか、客足も少なく、軍事惑星群の話になったらオルティスは止まらなくなった。ルナにはさっぱり分からない内容で、アズラエルとしゃべっている。
どんどん時間は過ぎていく。アズラエルは黒ビール一杯しか飲まなかったが、いつのまにか四時をすぎてしまっていた。
「やべえ。もうこんな時間か」
アズラエルが紙袋をオルティスに渡すと、オルティスは中をのぞいて礼を言った。
「悪ィな。最近ヴィアンカのヤツ、甘いモンに目がなくてよ。いくらだ」
「いらねえよ。俺は商売やってんじゃねえし」
「じゃあ、今日のは勘定なしだ」
「おい、オルティス、アレくれ、アレ」
「お? あ、ああ、アレな。ちょっと待ってろ」
ラガーの店長はカウンターの棚から瓶を持ってき、アズラエルのグラスに注いだ。薄緑の液体。アズラエルは苦い顔をしながら、一気に飲んだ。
「アズ、それなに?」
「うさこちゃんにゃ、ちょいと苦ェよ?」
ラガーの店長が差し出した瓶に鼻を近づけると、いかにも草、という匂いがする。
「うえ! なにこれ!!」
「薬草を煎じたモンだよ」
オルティスが言った。
「ビール一杯くらいのアルコールなら、すぐ消える」
ルナは口をあんぐりと開けた。……アズラエルは、やっぱりルナに運転をさせる気はなかったのだ。




