130話 ヘビの皮をかぶったワシの子 3
「俺は、ロナウド家の者で、バラディア将軍の子で――運が良かっただけです。あなたほどの能力があれば、いまごろは大佐だ」
「まさか! 軍と言っても、所詮はひとづきあいがモノを言う。私はおそらく、陸軍では昇進できなかったでしょう。心理作戦部が私の居場所だ」
エーリヒのその言葉に裏はない。彼は、自分をよく知っていた。
「エーリヒ叔父、スコッチのおかわりは?」
「いただきます」
オトゥールは、エーリヒのグラスに手ずからスコッチ・ウィスキーを注ぎ、自分のグラスにも満たした。
「積もる話は山ほどあるが、まずあなたのご用件を。お忙しいあなたが電話ではなく、わざわざL19まで訪ねていらしたのには、よほどの理由がおありかと」
「いやなに。久しぶりにあなたの顔が見てみたくなっただけですよ」
エーリヒはそう言いつつも、軍服のポケットから、小さなビニール袋を取り出した。
「――これは?」
オトゥールは、渡されたそれをながめ、白い手袋をはめた。
中身はボタンだ。それも、ずいぶん小さいほうの。
「これが私の用事です」
エーリヒもまた、革手袋をはめた手で、ビニール袋からボタンを取り出した。
オトゥールはエーリヒの手から受け取り、それを一度見つめてから、拡大鏡を取りに行った。ボタンは拡大鏡を通して、はっきりとその模様を表した。
「ずいぶん古い紋章ですね。これがどうか、しましたか」
「これは、ダグラス・J・ドーソンの遺品の中にあったものです。彼の軍帽にくっついていた」
「ダグラスの軍帽に?」
オトゥールは、もう一度、ボタンを見つめた。
――これは、太陽だろうか。太陽のようなマークの中央に、今にも羽ばたきだすような恰好の、小鳥らしき形の鳥が、描かれている。
「おかしいな。ドーソン一族の紋章はワシでしょう。これは小鳥ですよ」
「そうなんです。彼の軍帽には、もちろんドーソン一族の紋章である、ワシの軍章もついていた。曹長の階級章、L18の軍章、心理作戦部の軍章、そしてドーソン一族のワシの紋章、もひとつおまけに、その小鳥の紋章がくっついていたんです」
「……」
「しかも、替えの靴をいつも必ず用意しているような、神経質なダグラスの軍帽のわりに、軍章のつけ方があんまりにも適当だった。不揃いというかね――で、私は考えた。ダグラスの遺品を整理していた不器用な軍人が、軍帽から外されていた軍章を、軍帽につけてあげたんでしょう。あくまでも親切心でね――その小鳥のボタンも、彼の軍章だと思って、つけてしまった。――おそらく、それはダグラスのものではなくて、この箱に入っていたものだ」
エーリヒは、持参の黒い革のバッグから、ビニールに入った、さびた缶を取り出した。
「それは――クッキーの缶?」
さびついて模様はほとんど分からないが、このクッキー缶の形には見覚えがある。
「ええ。L18の、ブレンダン・クッキーのケースですよ。甘くておいしい♪ ブレンダン♪ クッキー♪ オトゥール坊ちゃまも、昔食べたでしょ?」
L18では、どこのスーパーにも売っている、昔ながらのクッキーだ。ひと昔前のコマーシャルを真似たエーリヒの口ずさみに、オトゥールは思わず笑った。
「なつかしいな」
「おそらく、ボタンは、このクッキーの缶に入っていたんです。この缶はおよそ二十五年前のもの。土と植物の根が付着していましたから、だれかがこのボタンを缶に入れて、土の中に埋めたんです。それを、おそらくダグラスが掘り起こした――」
「いったい、なんのために」
「このボタンの正体が分からなければ、それは分かりません」
「なるほど」
エーリヒが訪問してきた訳が分かった。内密に――このボタンのことを調べてくれと。
「いいえ。このボタンは持ち帰りますから」
「ロナウド家で調べるのではないんですか?」
「坊ちゃまは、心当たりがないですか。このマークは」
「――いや。ないな」
オトゥールは、記憶をさぐったが、まるで思い当たる節はない。
「これ、昔実家の本で見たと思って、実家の本を手当たり次第にさがしたんですが、出てきませんでした」
エーリヒは肩をすくめた。
「私が学生時代に読んだ本なんです。実家にないとしたら、あとはここしかない。学生時代、あなたのお父様にこの屋敷に招待されて、夏季休暇の間滞在させていただきました。ここで読んだ本の中で見たのかも」
「この屋敷で見た本――」
オトゥールも、この家の書斎の本はかなり読んだが、見たことはない。
「いや、やはり俺は分からないよ。よかったら、あなたが書斎で調べてくれませんか」
「ありがたい。書斎に入らせていただける許可を?」
「そんなこと、いつでも言ってください。いつまで滞在できるんですか」
「一週間ほど」
「では、一度くらい食事に行けますね。ミランダもあなたに紹介したい。結婚式にも来てくれなかったんだから」
「ああいう場所に私が行っては、困るお方も多いのでね」
「でも、俺の招待は受けてくれるでしょう? 妻と、俺と、あなただけのディナーだ。父も入れたら申し分ない?」
「けっこうですな。バラディア様にも、長いことお会いしていない」
「よかった。じゃあそうしよう」
ふたりは、グラスをカチン、と合わせた。
「それからもうひとつ」
エーリヒは言った。
「あなたから頼まれていた、去年のL11の事件のことです」
「なにかわかりましたか」
オトゥールが身を乗り出してきた。エーリヒは、黒い革バッグから分厚い書類を取り出し、バインダーにはさんだそれをペラペラとめくり、クリアファイルに入ったページをそのままオトゥールへ差し出した。
「調査は、“極秘裏”に、B班が担当しました」
「ユージィンの目を盗んでよく、」
「そのあたりは。私も、一応心理作戦部の長ですので。
去年のクリスマスの一週間前――ですな。プチ・バブロスカ革命と言いましょうか――もっとも、もうバブロスカ監獄はないですがね。革命を起こしかけた、ドーソン一族の若手他十八名がL11送りになったと。
監獄星L11のスペース・ステーションから監獄へ移送する鉄道――鋼鉄列車、午前十一時三十五分発のものが、ツヴァーリ凍原のど真ん中で爆破――ちょうど、三列目だけ。三列目の内部で、ダイナマイトが破裂。ダイナマイトは、三列目の車両に、最初から仕込まれていたようです。鋼鉄列車で、しかも鉄格子の窓のみで、列車自体が頑丈なために、他の車両には被害なし。囚人が逃げないように、頑丈さがあればいいと思っているのか――、まあ、しかたない。特別護送車だったわけではありませんからな。
列車は脱線、四列目と二列目は、乗客に多少のけが人は出たものの、ほとんどの囚人は無事、軽症、死者はなし。――鋼鉄列車ですからな――肝心の三列目の惨状はまあ――あまり気分の良いものではありません」
「……だろうな」
オトゥールは、暗い顔をした。その中には、学生時代の友人が五人も乗っていたのだ。レオンも、マルグレットも。彼らは、粉々になってしまった。
自分もつらかったが、グレンの悲憤を思えば、胸がつぶれそうになる。
「やはり、爆破はドーソン一族の陰謀ですか」
「それはそうでしょう。証拠はありませんが、ドーソン一族のしわざでしょう。――ですが、問題は実行犯です」
「なんだって? 実行犯が分かったのですか」
エーリヒは、もう一枚の紙を取り出し、オトゥールへ渡した。
その紙には、列車内の図が書いてあり、だれがどこに座っていたか、位置が示されている。十八人の名が、座席の上に記入されていた。ダイナマイトが仕掛けられていた位置も記され、マルグレットは、ちょうどダイナマイトの真上に座っていた。レオンは、マルグレットの向かい席。位置としては、真ん中あたりの左座席。
「オトゥール坊ちゃま、――裏切り、があったかもしれません」
「裏切り?」
「最近は、肉片だけになっても、ちゃんと復元するようになってきたんですな、これが。所持品もね。L25の科学捜査班はものすごいですよ。……これが復元の図」
エーリヒは、もう一枚紙を出してオトゥールに渡した。
こちらは写真だった。眠っているように綺麗な死体が、「十七人」分、並んでいる。オトゥールは目を見張った。
「これは――」
「綺麗なものでしょ?」
「ああ――よかった」
思わず、オトゥールは目頭が熱くなった。マルグレットが、生前の美しい姿で残っていた。オトゥールは、五人の友人たちを写真の中から探した。マルグレット、ケイト、カイン――。
オトゥールは、気づいた。
写真の中に、レオンがいないことに。
「エーリヒ叔父、この写真は十七人だが」
「十七人しかいません」
「……なに?」
「十七人しかいなかったのです。その三列目の車両には」
「まさか――」
「そのまさかです。レオン・G・ドーソンは、この列車が出発するときには乗っていました。爆破数分前までね。それは、ステーションの監視カメラが証明しています。一緒に爆発した列車内の監視カメラは復元できませんが、爆破数分まえまでの記録はステーションの監視センターに残っています。監獄星ですからね、監視の目は厳重です。三列目の監視カメラは、爆破数分前に切られていました」
三列目の車両には、レオンの残骸はひとつもなかった。所持品も。こんなことはあり得ない。爆発物の一番近くにいたマルグレットでさえ、こんなにきれいな形で残っているのに。
「この用紙にない死体は、あとは四体分。それは、見張りの刑務官の分。彼らも気の毒でしたな。復元できたのは、この十七人と、刑務官四人分だけ。ドーソンが、L25に手を回したとは考えにくい。科学捜査班は、警備星直轄ですからな。いくらドーソンでも、干渉できない。と、なると、爆破の時刻には、レオンはすでにいなかったと考えた方が」
「レオンはどこにいったんです!?」
「消息不明――としか、言いようがありません。だがもしかすれば、」
エーリヒは無表情ではあったが、言葉を選ぶようにして、しばし間を置いた。
「もしかすれば、――爆破を決行したのは、レオンかもしれません」
オトゥールの手からグラスが滑り落ちて、絨毯に琥珀色のしみが広がった。
「すべては、推測の域を出ませんがね」




