129話 リハビリ夢の中 Ⅶ ~美しい四人の姉妹~
むかしむかし、あるところに、美しい四匹の姉妹がいました。
一番上の姉は、賢い青いネコ、二番目の姉は、奔放な真っ赤なネコ、三番目の姉は、なんでも器用な七色のネコでした。
そして末の妹が、桃色のウサギです。
三匹の姉と、桃色ウサギ、そして、褐色の大きなライオンさん。
彼ら兄妹は、とても仲がいい兄妹でした。
三匹のネコとライオンさんは、ウサギさんとはとても年が離れていました。ウサギさんは、父親の後妻の子だったのです。もちろん、兄や姉たちとは、半分しか血がつながっていません。ですが、三匹の姉たちとライオンさんは、ウサギさんをとても可愛がっていました。
ウサギさんが物心つくころには、姉たちはとっくに嫁いでいましたし、長男の褐色の大きなライオンさんもまた、奥さんをもらうような年頃でした。ライオンさんは、青いネコさんのすぐ下です。兄妹の中でひとりだけ男であるライオンさんは、この家の跡取りでもありました。
ライオンさんも、ウサギさんを目に入れても痛くないほど可愛がっていました。なにしろ、この可愛らしいウサギさんは、とても不憫だったのです。
後妻のキリンさんは若くて美しく、ネコたちの父親は彼女に夢中でした。キリンさんもまた社交界が大好きな、奔放な女性です。
ウサギさんを産んだのはいいですが、あとはほったらかし。ウサギさんを黒ネコの乳母に放り投げて、しょっちゅう外出していました。
父親は、そんなキリンさんを咎めることもしません。彼は、年若く美しい妻に逆らえませんでした。
ウサギさんは、母親の胸に一度も抱かれることなく、けれども姉や乳母、兄の暖かい愛情によって、すくすくと育てられました。
そして、ウサギさんは、とても美しい娘に成長しました。
ウサギさんが年頃になってもまだ、褐色のライオンさんは結婚していませんでした。若い妻に呆けて仕事を放りだした父親に成り代わり、家を取り仕切っていたのです。結婚など、そんな暇はありません。
ですが、姉たちは皆、分かっていました。そんなのは言い訳で、ライオンさんが愛しているのは妹のウサギさん――彼は、美しく成長したウサギさんを、とても愛していたのです。
血が半分しかつながっていないとはいえ、妹は妹です。ライオンさんに、不義の道を歩ませるわけにはいきません。
姉たちは、しきりにウサギさんに、結婚を勧めました。ライオンさんから彼女を引き離そうとしたのです。
二番目の姉の、赤いネコは、ウサギさんにたくさんの見合い写真を見せながら言いました。
「ねえ、あなた。よくお選びなさいな。あなたは結婚を失敗してはだめよ? あたくし、結婚して幾年にもなるけれど、結婚なんて人生の墓場だわ! お分かり? あたくしの旦那――あんなシェパード! 退屈だったらありゃしない! あたくしほどの美貌がありながら、あんな成金夫の妻におさまっているだなんて! あたくしは、これだけの美貌と家柄の娘なのよ。お金もあるのに。もっと地位の高い方と結婚できたかもしれないのに! それもこれも、父上が結婚を急がせたからよ。妥協したのがまずかったのね。あなたはようくお選びなさい。急がなくていいわ。じっくり考えるのよ。あなたも美しいのだから、自分を安売りしてはダメ。妥協はもっとだめよ。いいわね?」
ウサギさんの手を取り、コンコンとそう言い聞かせて、赤いネコは自分の家へ帰っていきました。
三番目の七色のネコは、手製のお菓子を持ってきました。ハンカチーフにくるまれた菓子を上品につまみます。この菓子は、なんでもできるこの姉ネコが作ったものです。
「……ねえ分かって? あたくし、結婚を後悔はしていないのよ。あの方、チワワさまは素敵なかただわ。お優しいし……。でもね、でもよ? ときどき思うのよ。あたくしは結婚するより、職業婦人が似合っているのではないかしら? これから結婚するあなたにこんなことを言いたくはないのだけれど、結婚は人生の墓場だわ……」
昔から器用だったこの姉は、きっと世間に出て、その好奇心をたっぷり満足させる暮らしをしたかったにちがいありません。
女は家にいるものと決めつける、古風な家に嫁ぐよりは。
七色のネコは、帰り際にポツリと漏らします。
「あたくしもあなたのように、この家にいて好きなことをしたかったわ」
ウサギさんが一番大好きな姉――一番上の、青いネコは窓の外を見ながらつぶやきました。
「ねえ、あなた。あたくし、ほんとうは好きな方がいたのよ……」
ウサギさんは驚いて、思わず「それはだれ!?」と聞きました。
青いネコさんは、悲しいためいきを吐き、言いました。
「賢くて、気高くて、美しいライオンさん……」
ウサギさんにはすぐわかりました。兄の友人で、何度かこの家にも出入りしている大学の先生です。眼鏡をかけた、凛々しいライオンさん。
「お姉さまは、その方がお好きだったのに、椋鳥さんと結婚したのね?」
「だって、それがお父様のご命令ですもの……」
寂しげにつぶやく青いネコさんを見て、ウサギさんは、いよいよ、結婚なんかするものかと心に決めました。結婚は人生の墓場なのです。好きな人と結婚できないなら、結婚はしないとウサギさんは決めました。
ですが、もとから美しいウサギさんが年頃になれば、だまっていても拒絶しても、たくさんの男性が寄ってきます。兄のライオンさんが、なるべくウサギさんを社交場に出さないようにしていましたが、それも無理です。姉たちが、ライオンさんから、ウサギさんを離そうとするからです。姉たちは、いっしょうけんめい妹を社交場に招き、妹の結婚相手を探しました。
やがて、ウサギさんは、ひとりの美しい若者と恋に落ちました。
軍人の、銀色のトラさんです。
銀色のトラさんは、ウサギさんにひと目ぼれでした。結婚しないと言い張るウサギさんを、猛烈に口説き落としました。ウサギさんは、繰り返される愛の言葉と贈り物に、だんだん心を解され、優しいトラさんに魅かれていきます。
兄のライオンさんだけは反対しましたが、ウサギさんの父親もキリンさんも了承しましたし、姉たちも賛成しました。銀色のトラさんは立派な方でしたし、家柄も申し分ありません。なにより、妹をとても愛しています。申し分ない結婚でした。
――ところが。
なんということでしょう。結婚直前になって、銀色のトラさんの家から、破談を申し渡されてしまったのです。
理由は、姉たちでした。
姉たちは、嫁いで何年にもなるのに、一向に子どもができませんでした。どの姉もです。ウサギさんは初めて、姉たちが、子どもができないことによって、嫁ぎ先で冷遇されていることを知りました。以前の姉たちの言葉が、そのつらさから出ていたものだと気づきました。
姉たちは子どもができない体、だからウサギさんもそうだろうということで、銀色のトラさんの家は、ウサギさんとの結婚を反対したのです。
銀色のトラさんは、家を捨ててもウサギさんと一緒になろうとしました。子どもなんてできなくてもいい。ウサギさんを愛している。そう、トラさんは言ってくれました。
ですが、不幸は続きます。戦争が始まったのです。
もちろん、トラさんも戦争に行かねばなりませんでしたし、兄のライオンさんも、戦地に行かねばならなくなりました。
トラさんが戦争に行くまであと三ヶ月。ウサギさんは決心しました。兄たちの目を盗んで、トラさんと逢瀬を重ねることを。
せめてあと一回だけでもいい。彼にあいたい。
家の執事の息子のパンダさんは、心ひそかに美しいウサギさんを想っていましたが、身分違いも甚だしい恋です。パンダさんが自分に憧れていると知ったウサギさんは、パンダさんの両手を握って言いました。
「お兄様に内緒で、私をある場所に連れて行って」
お嬢様からは、話しかけてもらったこともありません。パンダさんは幸せで昇天しかけました。でもこのパンダさんは賢く、良識ある執事の息子でした。
「いけません、お嬢様」
一度は断りましたが、ウサギお嬢さんの柔らかな唇が頬に触れたときから、彼はウサギさんの言いなりになりました。
パンダさんは、銀色のトラさんが待つ秘密の屋敷へ、お嬢さんを連れて行きます。愛するお嬢さんは、そこでトラと会うのです。パンダさんは、その小一時間――慌ただしくも長い時間を、胸がつぶれるような思いで待たねばなりませんでした。
自分の愛するお嬢さんは、この屋敷で、ほかの男の腕の中にいるのです。雨の日も、嵐の日も、パンダさんはみじめさに打ちひしがれそうになりながら、お嬢さんの手助けをしました。
それが十数回繰り返され――やがて、トラさんは戦地へと旅立ちました。
兄のライオンさんも、戦地に旅立つ日がやってきました。兄のライオンさんは代わる代わるネコの姉妹を抱きしめ、そして、一番愛しい妹ウサギをきつく抱き、まるで畏れ多いものに口づけるように、彼女の小さな手に口づけました。
なにも知らなかった妹ウサギが、兄の熱い思いに気付いたのは、これが初めてだったかもしれません。
屋敷の主人である兄がいなくなり、屋敷からはひとり、ふたりと人が消えました。戦時中でもありましたし、いつこの町も空襲を受けるか分かりません。ウサギさんたちの父親とキリンさんは、とっくに国外へ逃亡していました。
ウサギさんは、この屋敷に残ると決めました。
この屋敷には、兄が帰ってくるかもしれないし、戦争が終わったら、トラさんが訪ねてくるかもしれない。ウサギさんは、よそへ行く気はありませんでした。
執事も去り、この家にはウサギさんと乳母の黒ネコ、パンダさんだけになりました。
戦争も激しくなり、空襲もひどくなりました。戦況は悪化、ウサギさんたちのいる国が劣勢になってきたのです。
黒ネコの乳母は言いました。
「お嬢様。ここはもう食料もありませんし、みんな疎開しています。パンダさんが言っているのですから、彼と結婚して、彼の田舎に一緒に行きましょう」
ウサギさんは、恐ろしいことを言われたかのように、猛然と首を振りました。
「いやよ! あんなパンダと結婚しろというの!」
ウサギさんが愛しているのはトラさんです。ましてや、そんな田舎に引っ込んで、下僕のパンダと結婚するなんて、ウサギさんは真っ平でした。姉の言葉が頭に響きます。
――結婚は人生の墓場よ!
パンダさんは、ウサギさんの強い拒絶を聞いて、ショックでよろめきました。愛しいお嬢さんだったから、わがままも聞いてこの屋敷に残ったのです。この町は、国の中でも危険な場所。いつ、大規模な空襲が始まるかもわからないのです。食糧不足の中、パンダさんは闇市で食料を手に入れ、自分は食べなくても、ウサギさんにだけは食べさせていました。
ひどいお嬢さん。でも、愛しいウサギさん。
パンダさんは、それでも、可愛いお嬢さんを見捨てることはできませんでした。でも、どうにもならない事態になりました。パンダさんも、戦地に駆り出されることになったのです。
男手がなくなった家は危険です。黒ネコさんは、何度もウサギさんを説得しましたが、ウサギさんは動こうとしません。
もう限界でした。黒ネコさんにも家族があります。黒ネコさんは、姉のネコさんたちに、ウサギさんをお願いしますと言って、田舎に逃げました。
ついに、大空襲の日が来たのです。
姉たちは、妹を助けに街へ行こうとしましたが、自分の実家があるその街は、一番空襲がひどいところ。空襲がはじまると町は火の海になり、逃げ惑う人々であふれ、もはや、助けに行くすべはありませんでした。
一番上の青いネコは、執事や家のみなと、地下室で夫の手紙を握りしめて、震えていました。夫の椋鳥さんは、たくさんの手紙を戦地から寄越しました。そのどれもが、青いネコさんを気遣うものばかりでした。
あたくしはライオンさんを忘れられなくて、彼に辛い思いをさせたけれども、椋鳥さんが帰ってきたら、今度こそ幸せな家庭を築こう、と心からネコさんは思いました。
二番目の赤いネコは、旦那の腕の中で震えていました。地味で目立たない夫が、どれだけ賢く、素晴らしい夫であったか、今頃気づいたのです。
夫のシェパードは、食糧難になってからもほとんど家族を飢えさせはしませんでしたし、さっさと家族を疎開させ、妹のために残ると言った赤いネコさんと一緒にいてくれました。パンダさんが戦地に行ったあと、妹ウサギも飢えずにすんでいたのは、夫のお蔭です。
「君は俺が守る。心配しないで」
赤いネコさんは、頼もしい夫の腕で泣きました。
「明日になったら、ウサギさんをさがしに行こう」
三番目の七色ネコもまた、夫とともに空襲の町中を逃げ回っていました。もう、嫁ぎ先であるチワワの家族とは、離ればなれになってしまいました。チワワの夫は、病弱なために戦地にはいきませんでしたが、七色のネコをいっしょうけんめい火の粉からかばってくれました。
「だいじょうぶだよ。あと少しがんばろうね」
シェパードさんの家の、地下室まであと少し。自分の手を引いて走り出す夫が、七色のネコさんははじめて頼もしく思えました。この人と結婚してよかったのだと、はじめて七色のネコは思いました。
ウサギさんは、屋敷の隅で、震えながらうずくまっていました。焦げ臭いにおいが鼻につきます。屋敷が、燃えだしたのです。
ああ、もうあたし、ここで死ぬのね……。
だれかが、ウサギさんを呼んでいます。なつかしい声でした。ウサギさんも叫び返しました。
「あたしはここよ!」
軍靴の音。ウサギさんの名を何度も呼ぶ声。なつかしい顔が、めのまえに現れました。ウサギさんは嬉しくて泣きました。帰ってきてくれたのです、彼が――。
「……助けに、来てくれたの?」
ウサギさんは涙を流し、彼と、固く固く、抱き合いました――。
大きな空襲が終わって夜が明け――町は廃墟になっていました。
三匹の姉ネコたちは、なにもなくなってしまった街に、呆然とたたずみました。青いネコと、赤いネコとシェパードさん、七色のネコとチワワさんは、姉妹の実家に来ていました。ですが、もう実家はありません。昨夜の空襲で燃え尽きてしまったのです。
姉たちは妹を探しました。やがて、屋敷の真ん中あたりで、ふたりの遺体が見つかりました。黒こげになっていて、だれだかまったく分かりませんが、小柄な方は、ウサギさんでしょう。
では――彼は?
もうひとりの大柄な身体が、ウサギさんを守るように寄り添って、倒れています。
だれなのでしょう。
一番上の青いネコは、最後まで一緒にいたパンダさんだと言い、二番目の赤いネコは、ウサギさんを愛していた兄のライオンさんだと言い、七色のネコは、絶対に銀色のトラさんだと言いました。体格的にも三人は、同じくらいでしたから。
おかしな話です。彼らは皆、戦争に行っているのです。
でも、ほかに思い当たる人物などいません。
戦争は終わりました。
兄のライオンさんと、執事の息子のパンダさん、銀色のトラさんの死亡通知が届きました。彼らは戦地で死んだのです。でもこの死亡通知は、まちがいということも多くあります。
青いネコさんの夫の、椋鳥さんは帰ってきました。青ネコさんがかつて愛した、賢いライオンさんは、戦地で死にました。
不思議なことに、その後、ネコさんたちは夫の子どもをつぎつぎと生みました。可愛い子ネコと子犬たちを引き連れて、姉ネコたちは、妹ウサギと兄ライオンの墓参りに毎月訪れます。
ネコたちは、妹と一緒に死んだ、だれか知らない男性を、一緒にお墓に埋めました。
一番上の青いネコは、パンダさんだと思い、二番目の赤いネコは兄のライオンさんだと思い、七色のネコは銀色のトラさんだと思っています。
でも結局のところ、彼がだれかは、ウサギさんしか分からないのです。




