128話 ツキヨおばあちゃん Ⅱ 4
ルナは、アンジェリカにしてもらった占いを思い出していた。
ルナが、ツキヨおばあちゃんと宇宙船に乗るシナリオもあったのだ。ルナは、今の今まで、地球のそんなルールは知らなかったし、ルナにチケットが来たわけではなかったけれど、ちょっとだけ恨めしく思った。
あたしにチケットが来ていたら、おばあちゃんを乗せてあげられたかもしれないのに――。
おばあちゃんは、ルナがこの宇宙船に乗ると言ったときも、そんなことはなにひとつ言わなかった。言ってくれれば――もしかしたら、おばあちゃんを乗せてあげることができたかもしれない。今となっては、可能性にしかすぎないけれど。
でも、おばあちゃんのことだから、ルナにチケットが来たとしても、自分を連れていってくれとは決して言わないだろう。
たとえ、自分が地球に帰りたくても。
「なあ、ばあちゃん――ユキトじいちゃんのことだが」
『その話は、今度しようかね。その話も長い話になる。今日ぜんぶ、しちまうことはないじゃないか』
「――それもそうだな」
おばあちゃんは、急須から湯呑に茶を注ぎ、しゃべりつくして渇いたのどを潤した。
『そういや、アズ、おまえ、このことは家族に話したのかい』
「いや――まだだ。俺も今日、知ったばかりなんだ」
アズラエルは、ふう、と息をついてソファにもたれかかった。アズラエルもまだ気持ちが落ち着いていないのだ。彼の混乱は、ルナにも分かっていた。アズラエルは、さっきから引っ切り無しに顎鬚に触れている。
『そうだったのかい、リンファンさんたちには?』
「まだ。おばーちゃんが一等先」
『……そうかい』
おばあちゃんは、なにか考えるようにうつむいたあと、
『そうだねえ、……アズ、おまえの家族にはなんとかなりそうなもんだけど、ルナ、おまえの家族には言いづらいねえ』
アズラエルが、その言葉に固まった。
『娘の父親なんて、大概そんなもんだけどねえ。ドローレスさんは筋金入りだよ。ルナを目に入れても痛くないほど可愛がってるからね。分からなくもないがね。……あの二人は、一度息子さんを亡くしてるわけだし。心配も人一倍だよ』
「……いや、まぁ、それはそうだが」
アズラエルの困惑をおもしろそうに眺めながら、ツキヨおばあちゃんは追い打ちをかけた。
『おや? あんたはアダムさんと顔は似てても、中身はぜんぜんちがうみたいだね。アダムさんは、最初っから最後まで堂々としてたもんだよ。あたしの前で、断りもなくエマルと結婚した非礼をわびて、「俺が絶対、命に代えてもエマルを守ります」って、誓ってくれたよ。ちゃあんとエマルを愛してるってねえ、あたしのまえで言ってくれた。エマルもいい男をつかまえたもんだと感心したよ。ま、ユキトじいちゃんにはアダムさんも叶わないがね――あんたはどうなんだい。生半可な気持ちでルナに手を出すんなら、ドローレスさんやリンファンさんより先に、あたしが承知しないよ』
おばあちゃんにじろりと睨まれて、アズラエルは両手を広げた。降参、のポーズだ。
ルナは、おばあちゃんにアズラエルの前歴――L18にいたころの派手な交際関係を暴露したらどうなるだろうと一瞬思ったが、言わないでおいた。これもアズラエルの名誉と、コトを拗らせないためだ。パパが知ったらアズの命が危ない。
それにしてもおばあちゃんはなかなか強者で、迫力のある目でじっとアズラエルを睨み据えている――こういうところはやっぱり、エマルさんの親だ。そっくりだとルナは思った。
アズラエルはもとから肌の色が濃いので、赤面してもあまりわからないが、本気で参っているのだけは分かる様子だ。ルナはしかたないなあ、と助け船を出すことにした。
「おばあちゃん、あのね、あたしはまだアズと――」
つきあっていない、その事実を言おうとしたルナだったが。おばあちゃんは、一度にっこり微笑んで、それから言った。
『ばあちゃんはね、いつだっておまえたちの味方だよ。覚えておきな。――ルナのご両親のほうはね、あたしにちょいとまかせてみな』
「いや、あのな、ばあちゃん」
アズラエルは冷や汗をかきながら、言い訳をした。
「じつは、さっきカレシなんていっちまったが、俺は、ただのボディガードで、ルナとは恋人同士でもなんでも……」
『だから、ばあちゃんが手助けしてやるって言ってんの! いい子だから、ばあちゃんにまかせておきな!』
さすがのアズラエルも、おばあちゃんのまえでは子ども扱いだった。
アズラエルは、なにか言いたげだったが、やがてひとつ嘆息すると、「分かったよ、ばあちゃん」と譲った。
「でもねおばあちゃん。あたしとアズは、まだつきあっていな……」
『だいじょうぶ。ばあちゃんは分かってるから』
あ、これ、ホントにわかってないやつだ。ルナも思った。
それからも、話は尽きずに続いた。いつのまにか、日が沈むころになっていて、キッチンのクラウドたちをようやく呼ぶことができた。四時間近くも話し込んでいたのだ。
ツキヨおばあちゃんは、久しぶりのミシェルにも満面の笑顔を見せたし、ミシェルの彼氏のクラウドには目を剥いた。「こりゃあ眼福だ! 綺麗なお人だねえ!」と叫んだ。クラウドとミシェルはしばらくおばあちゃんと話し、また画面を離れた。
ルナは最後まで、バブロスカ革命やアズラエルの家族のことは、夢の中で知ったのだと、おばあちゃんには言わなかった。おばあちゃんは、どうして知ったのかと、ルナにもアズラエルにも聞かなかった。親密な仲になれば、互いに身内のことを話すことも増えるし、きっかけはエルバサンタヴァだと言ったら、おばあちゃんは納得してくれた。
アズラエルもルナも、それでいいと思っていた。夢のことなど、話す必要はないと。だが――。
『……いいかいアズ、ルナ。その宇宙船は、不思議なところだ。理屈じゃ考えられないことが起こるとこなんだよ』
おばあちゃんは、通信を切るまえにそう言った。
『ばあちゃんは、その宇宙船で起こることだったら、なにを聞いてもびっくりしないよ。ばあちゃんは十年以上も地球にいて、地球行き宇宙船に関わってきたんだ。あそこは、奇跡が起きる場所だ。ばあちゃんにも、こんな奇跡が起きるなんて思わなかったけどね。――あんたたちが、お互いを愛し続けるなら、必ず奇跡が起きるからね。アズ、どんなことがあってもあきらめちゃいけない。ルナもね。二人で地球に行きなさい。そして、ルナがたとえどんな夢を見ても、バカにしちゃいけないよ』
「お、おばあちゃん?」
『また電話をくれるんだろ? 待ってるよ。あんたたちがヒマな時でいいからね。なんなら手紙でもメールでもいいさ。ルナが可愛い便箋でくれるの、ばあちゃんけっこう楽しみにしてるんだよ。またおくれ』
「う、うん!」
『じゃあまたね。ルナもアズと仲良くね。ばあちゃん、今日はすごくいい日だった。素敵な日だった。ほんとにありがとうね。またね、じゃあ切るよ――あ、あんたたちからお切り。――そう、そうだよ。――じゃあまたね、またね――』
「おばあちゃん、またね」
「またな」
アズラエルが通信を切り、おばあちゃんとの、長い通話が終わった。
窓の外は、すっかり夕暮れだ。
通信を切って、ふたりはしばらくなにを言うともなく、真っ暗になった画面を眺めていた。
「はは……」
アズラエルは、どこか底の抜けたような笑いをこぼし、ソファに身を沈めた。
「はぁ――」
そして、顔を覆った。
「アズ、だいじょうぶ?」
「ああ」
――ぜんぶの謎が解けた。
エルバサンタヴァの謎も、ルナのつくる食事が、口にあう理由も。
ルナに料理を教えたのはツキヨばあちゃんだ。それはルナが、最初に出会ったころに言ったから知っている。名前さえ言わなかったが、「あたしはおばあちゃんに料理を習った」と。
アズラエルに料理を教えたのもツキヨだ。一緒に暮らしたたった一年のあいだに、料理と掃除、洗濯――家事全般を教えたのはツキヨだった。
懐かしい気持ちがするのは当たり前だ。ルナもアズラエルも、同じ人から料理を習っていた。家事を習っていた。そのあと生きてきた環境はちがっても、どこか、根本のところは似通っていた。
「アズ?」
「……」
アズラエルは、両親たちと再会してから、家事を担うようになった。特に食事を。だが、ツキヨ直伝の料理を振舞うたび、母親がツキヨを思い出して泣きそうな顔をするので、やがてつくらなくなった。剛毅な母親の泣きそうな顔は、あまり居心地がいいものではなかった。
アップルパイだけは、妹たちが喜んだので、そのあとも作り続けた。
母親のエマルは、アズラエルががんばるならと、自分もツキヨの料理を再現しようと努力したが、ことごとく失敗した。エマルの作った食事は家族を病院送りにし、掃除は家を破壊し、洗濯は服が溶けた。
本質的に家事がダメな人間というものは、存在する。
「……」
「アズ?」
オチがついて、アズラエルはまた力のない笑いをこぼした。
さて、エルバサンタヴァの謎は解けたし、そろそろ降りるか?
アズラエルは自問したが、どうも、降りる方向にはいかないようだった。
おまけに、ツキヨは盛大な勘違いをして、アズラエルとルナの「仲」を、ルナの親に報告しようとしている――あの、「歩く冷蔵庫」にだ!
いま逃げたら、確実に報復にあうのでは?
娘をキズモノにした男はどこだ! とコンバットナイフを振り上げて追いかけてくる大男の姿が、アズラエルの脳内で、コメディチックに描かれた。
「……」
「あじゅ?」
アズラエルはやっと、言葉を発した。
「……俺はまだ混乱してる」
「……うん。あたしもかも」
「ルゥ。椿の宿で見た夢で、俺に秘密にしてることはもうないか?」
思いもかけないことを言われて、ルナはアズラエルの胸から顔を上げて、彼の顔を見つめた。アズラエルが、真剣にルナを見ていた。
「たぶん――ないと思う」
「たぶんって?」
「あんまりいっぱい夢を見たから――あたしも整理できてないことが多いの。あたしの日記帳を見ながらなら、思い出して説明できると思う」
「そうか。――思い出したらでいい。教えてくれ」
ふたりで、しばらくぼうっとしていた。リビングのソファで。
ルナは、おばあちゃんに手紙を書こうと思った。長い長い手紙を。
アズラエルもまた、きっと日を置かずにおばあちゃんに電話するだろう。誤解を解くために。
おばあちゃんが好きそうな、綺麗な花模様の便箋をさがしに行かなくちゃ。




