15話 羽ばたきたい孔雀 Ⅰ 2
「それで、カレンは無事なのか」
「無事じゃなかったら、私が今日中に、君に文句を言いに来れると思う?」
痛烈な皮肉。
ルナにもわかった。セルゲイは、アンジェラという女性に対して、ひどく怒っている。
「カレンならまだしも、ルナちゃんが嫌がらせをされたら、君、守れるの」
「カレンならまだしもって」
「カレンは首相の娘だし、カレンに迷惑がかかるようなことをしたら、ララさんが怒る」
「……」
「でも、ルナちゃんはふつうの子だ。アンジェラの嫌がらせから守ってくれる後ろ盾は、なにもないんだぞ」
ルナは「それもそうだぞ」と主張しようとしたが、毬色のクッキーがものすごく美味しかったので、しゃべることができなかった。
アズラエルは、しかめっ面で言った。
「……それを、どうしておまえが言うんだ」
おまえはルナの兄貴か? とアズラエルは口中でつぶやいた。ルナだけが、その言葉を聞き取り、だとしたら最高のお兄ちゃんだなあと、のほほんとクッキーをつまんだ。
「この子が心配になってきたんだよ。こんな不誠実な男と付き合っているなんて」
「ふごっ!!」
吹いたのは、アズラエルではなく、呑気な顔でクッキーをかじっていたルナだった。
「――は?」
アズラエルはコーヒーもクッキーも吹かなかったが、こめかみに青筋は立てた。
「そもそも、どうしておまえがルナを知ってる?」
カレンに対する嫌がらせより、アズラエルにはそっちの方が重大だった。ルナは説明しようとしたが、セルゲイが簡潔にまとめた。
「サンダリオ図書館で、本の探し方が分からなかった彼女に教えたんだ。それで、彼女が読みたがっていた本が、私の失態のせいで借りられてしまった。だから、お詫びとして、お茶をおごった」
「下心は……」
いいかけたアズラエルを、さえぎってセルゲイはつづけた。
「傭兵のことを知りたいと彼女は言っていて――L77の子だっていうし、論文を書くのでもなさそうだから、何が理由かと思ってはいたけど。まさか恋人が傭兵だったなんてね。その時点で、思い出した。“ルナ”という名で、お相手は君。――そう。“グレンの失態”のことも思い出したんだよ。だからお詫びは、そのことも入っている」
セルゲイは頭痛がするような顔で額を押さえた。
「誤解しないでほしいんだが、傭兵と付き合うことをべつに反対はしないよ。私はL19の出で、“軍人”の家で育ったけれども、お義父さんがそういう人ではないし、私も差別には全面的に反対だ。――でも、アズラエルはだめだ。この男は“典型的”な傭兵だ」
「ちょっと待ってくれセルゲイ」
クラウドが焦ったように止めた。
「いまは、カレンの話をしてるんだろう」
「ルナちゃんはアズラエルの女グセの悪さを知っているのか?」
「まぁまぁ、セルゲイ……」
「そもそもカレンのことだって、アズラエルの女グセが原因で――」
「セルゲイ。アズは、ルナちゃんとつきあってから、ほかの女との関係はすべて切った」
アズラエル本人ではなく、クラウドが必死で言い訳をした。
「信用ならないな」
セルゲイは吐き捨てた。
「いや、ほんとだって……」
「あのね、そもそもね、あたしは、アズとつきあってはいな……」
いいかけたルナの口は、クラウドが塞いだ。ものすごい笑顔で。そして、ルナの言葉というか、存在自体を消滅させるかのようにはっきり結論付けた。
「ともかく、これだけははっきりしている。アンジェラは、アズにもどってほしいあまりに、アズとつきあっていた女性を――誤解もあるが――つぎつぎと襲っている」
ルナは、このタイミングで謎の三人組に襲われたことを話したら、ますます話がこじれるような気がしたので、口をつぐんだ。
アズラエルも言わなかった。
「発端は、君とアンジェラの関係だろう。なんとかする気がないなら、私にも考えがある」
セルゲイの「私にも考えがある」はなんとなく怖かった。
「ルナちゃんを一度でも危険な目に遭わせてみなさい。担当役員に言って、君のほうを降船させるからね」
かなり恐ろしい報復を三人は想像したが、意外と常識的な方法だった。
「セリョージャ、それは困るんだ」
クラウドはセルゲイの愛称を口にしたが、逆効果だったようだ。クラウドは鋭さが増したセルゲイの視線をなんとか受け止めながら、はっきりと言った。
「俺もなんとかする。ルナちゃんを危険な目に遭わせるつもりはないさ」
「……」
セルゲイも分かっている。ここでアズラエルに何を言ったところで、溜飲は下がるが、根本的な問題は解決しない。
「……今日は帰るよ。カレンも大事はなかったけど、心配だから」
そう言って、立った。
「でも、次になにかがあったら、私は実行するからね。いま言ったことを」
セルゲイがやると言ったらやるだろう。それだけの迫力はあった。
「ああ」
クラウドがなにか言うまえに、アズラエルはうなずいた。
「カタはつける」
セルゲイは、とりあえずその言葉にうなずき、ルナには笑顔を向けた。
「ルナちゃん」
「ぷ?」
「コーヒー、ごちそうさまでした」
「セルゲイさん、もう帰っちゃうの」
夕ご飯は食べて行かないのかなあとルナは言いかけ、アズラエルのひと睨みで黙った。
「ルナちゃんなら、セリョージャと呼んでもいいよ。男性は不可」
「悪かったよ。二度と言わない」
クラウドは肩をすくめた。
「今日はとりあえず帰るけど、なにか困ったことがあったら、すぐ連絡するんだよ」
セルゲイの言葉と同時に、ルナの携帯電話の液晶画面が光る。そこには、セルゲイの連絡先が写しだされていた。顔写真のほかに、電話番号、メールアドレス、現在の住所に加え、以前の勤め先である、L53ケムタック・シティ中央大学病院、の名があった。病院の連絡先もある。
「ぜんぶ納得したわけじゃないけどね」
セルゲイのひと睨みは、クラウドやアズラエルも、一瞬だけだが硬直するだけの迫力があった。
「セルゲイ!」
ルナは叫んだ。
「いろいろ、ありがとう!!」
「どういたしまして。またね」
おだやかなセルゲイの声が遠ざかる。
やがて、ドアを開けて出ていく気配がした。アズラエルの深々としたためいきが、狭い部屋に満ちた。
「セルゲイがルナちゃんを知っているのはびっくりしたけど」
クラウドは、勝手にコーヒーをサーバーから注ぎ、セルゲイがさっきまで座っていたソファに腰かけた。
「セルゲイの話だと――俺もにわかに信じられなかったけど――まさか、アンジェラは、君をあきらめてないの」
ルナも、アズラエルを見た。その話が本当なら、大問題だ。
アズラエルは切れたつもりだが、彼女のほうは、まだあきらめていない、という話だが。
アズラエルは首を振った。
「あれきり、接触はないんだが、なァ……」
ルナのアパートに、エルバサンタヴァの材料を携えて来た日。
あの日、別れを告げて彼女の屋敷を出てから、アズラエルは一度もアンジェラの屋敷には行っていない。あちらから連絡を寄こすこともなければ、会ったこともなかった。それでいいはずだった。
いままでだって、アンジェラのそばには、勝手に人が増えては消えていく。アズラエルも消耗品のはずだ。
「だが、アイツの言うことが本当なら」
相棒の深刻な声に、クラウドの顔からも笑みが消えた。
「いっそ、降りるか」
アズラエルの嘆息と同時に、ルナとクラウドがいっしょに「「ダメ!!」」と怒鳴った。クラウドは、ルナと満面の笑顔でハイタッチをした。
「アズは、俺が雇って乗せたんだぞ」
「アズは、あたしのボディガードだし、試験のパートナーになるって言いました!!」
アズラエルは困り顔で振り返った。
「だが、セルゲイのいうことももっともだ」
顔には笑みがない。クラウドも、冗談だけで通す気はなさそうだ。
「アンジェラが、ルナちゃんに手を出すって?」
「さっそく今日、それらしいことはあったんだよ」
アズラエルは決して、さっきのセルゲイの言葉を聞き流しているわけではなかった。
「なんだって?」
「中央区のスポーツセンターで、誘拐されかけた――らしい。それで、グレンが助けた」
「どうしてルナちゃんが、スポーツセンターに?」
こればかりは、クラウドもすぐには解けない謎のようだ。
「おまけに、グレンだって?」
「そっちはともかくとして――キマが無理やり金を積まれて降ろされて、さらにカレンが襲われた。だとしたら、ルナも誘拐して、金をわたして、降ろさせるつもりだったのか」
クラウドは黙った。
「アズ……?」
ルナの座った目が自分に向けられ、アズラエルは「ちょっと待て」と冷や汗交じりで言った。
「パートナー解消する?」
「おい、ちょっと待てって」
「パートナーをやめよう! 宇宙船をおろされるなんてそんなのイヤだ!!」
逃げる態勢に入ったウサギを、アズラエルはなんとか羽交い絞めにしてつかまえた。
「たのむ、待ってくれ」
アズラエルは――この男にしては、必死なほどに言い訳をした。
「俺が守る! ぜったいに守るから――とりあえず落ち着け!」
クラウドは、アズラエルの台詞が、彼に泣きすがった女たちと後半部分がほぼ同じなのに気づいているだろうかと思ったが、それ以上に感嘆していた。
アズラエルに「いかないで!」と言わしめた女性は、いまのところルナだけである。
「ルナちゃん、アンジェラはもしかしたら、まだアズをあきらめていないかもしれないが、もうカレンにしたような派手な行動はとらないと思う――つまり、ルナちゃんが暗殺者に狙われる、なんてことは」
それはクラウドの予想だったが、確信はあるのだった。
「ほんとに?」
「アンジェラは、とにかくカレンとL4系の女性の件に関しては、かなり衝動的に行動したと思うんだが、ララにこっぴどく叱られてるはずだからだ」
「ララ――さん?」
クラウドが知り合った株主だ。
「ああ。ララの傭兵部隊の一部は、カレンのボディガードも兼ねている。そのカレンを、知らないとはいえ危険にさらしたことは、ララにとってもとんでもないことで、二度とするなと厳命されているはず。おまけに、アズラエルはあきらめろと、キッチリ諭されているはずだ。そもそも、ひとりの男に執着するなって」
ルナは疑り深い目で、アズラエルとクラウドを睨んだ。
「そんなんで、そんなメチャクチャなひとがあきらめるかな?」
「アンジェラはたしかにメチャクチャだ」
クラウドは同意した。
「彼女を制御できるのは、ララだけだ」
「……」
「カレンに手をかけ、L4系の女性を強引に追い出した。それだけでも、水面下で行われたこととはいえ、ララにとっても体裁が悪い。ララだって、あの事件にずいぶんな時間を割かれ、あとしまつに奔走してるはず。ララがこれ以上、アンジェラに悪さはさせないだろうさ」
クラウドは、ダメ押しをした。
「もしまた、アンジェラがなにかしたら、俺がララに直接話す」
ルナの座った目はもどらなかったが、だいたい夕方だったので、生姜焼きの材料を買ってこなければならないのだった。
「生姜焼きをつくるので、アズが材料を買ってくるのです」
「わ、分かった」
アズラエルは素直に応じた。クラウドは待ってましたという笑顔を見せた。
「俺とミシェルも、ぜひいっしょに夕食を囲ませて。そろそろミシェルが帰ってくるはずなんだけど」
クラウドの言葉が終わらないうちに、インターフォンが鳴った。鳴らしたわりには、ミシェルは合鍵で、中に入ってきた。手には手芸材料の袋。いつもの、K27区の手芸店に行っていたのか。
久々に友人の顔を見て、ミシェルの顔もほころんだし、ルナのウサ耳がぴょこーん!! と立った。それを見て、クラウドが「!?」という顔で目を見開いた。
「ただいま、ルナ、ひさしぶり!」
「ひさしぶり! ミシェル、今日は生姜焼きです!!」
「まじで! ヤッター!! ところで明日の朝、シャケ食べたい!!」
「アズ、おいしい塩鮭も買ってくるのです!」
子ウサギと子ネコが「わあー♪」と手を取り合うのを見て、二頭の大型ライオンは微笑んだが、目はちっとも笑っていなかった。
(アズ、ご機嫌とらなきゃ。ルナちゃんの好きなお酒はなに)
(甘い酒ならなんでも喜ぶ)
(そう、じゃあ手当たり次第に買ってこよう。それで、アンジェラの話だけど)
(ああ)
(いまアンジェラのお目付けとして残されているのはアレニウス・O・セター。なかなかの食わせ者らしい)
(食わせ者?)
(とりあえず、罪もない船客を何人降ろそうが、ララはアンジェラを降ろす気はないし、金を積む気はあるってことさ)
アズラエルは、思わずクラウドの顔を見た。
「アズ、お買い物行ってきて!」
「あ、ああ……」
生活費の入った財布を目の座ったウサギに渡され、アズラエルとクラウドは追い出されるようにして、部屋を出た。ようやく、ふつうの音声で会話ができる。
「金を積む、だと?」
「アンジェラはこの先、リリザにマルカ、E353、停泊エリアで“個展”がいくつか予定されてる。ララだって、彼女を降ろすわけにいかないだろ」
「今度はルナを?」
アンジェラは、あのかわいそうな女にしたのと同様、ルナを脅して、宇宙船を追い出そうとするだろうか。
「その場合は、金を受け取って、ルナちゃんとリリザあたりで暮らし、三ヶ月以内に船内にもどるのを繰り返せばいい」
この宇宙船は、どこから乗るのも降りるのも自由だが、三ヶ月以上宇宙船を離れると、乗船資格をはく奪されるというルールがある。
「おまえな……」
アズラエルは額を押さえたが。
「なら、ルナちゃんを連れて降りる? 彼女は地球に行きたがってるけど」
「……」
「同じ地球ファンとしては、ともに地球の土を踏みたいけどね。でもまァ、危険には変えられない。なんなら、来期分のチケットと賠償金を、俺がアレニウスと交渉して引き出してもいい」
クラウドは、なんの感情も持たない声でそう言った。
「ララはむずかしいかもしれないが、アレニウスは可能だ」
「ルナがそれで納得するか?」
アズラエルは言った。
「だったら、アズはアンジェラの元にもどることだ」
結論としては、それが一番正解なのだ。アズラエルがルナと離れてアンジェラのもとにもどる。かつてのアズラエルなら、そうしていたはずだ。だが、「ルナと離れる」というセリフに――いや、とにかく、現状、まだつきあってはいないのだけれども――まったくうなずこうとしない幼馴染みの変貌は、クラウドには興味深かった。
「アズは降りるんじゃないぞ。俺と契約してるんだからな」
「だったら、アンジェラをなんとかしろ」
「そのうちあきらめるだろ――アズよりサディストな男は、世界にはまだまだいるはずだ」
「おまえが紹介してやれ」
「アズより容赦のない男が見つかればね」
のんきな二人は、口調よりさらにのんきな歩調で、K27区のスーパーに向かった。




