127話 ツキヨおばあちゃん Ⅰ 1
「ウサギ!」
ルナは飛び起きた。いきなり飛び起きたので、隣のアズラエルも跳ね起きた。
「ウサギ!」
もう一度ルナは叫び、ベッドから飛び出してぱたぱたぱたーっとそこらを走りまわり、なにかを探すようにウロウロした。
「……ルゥ? 寝ぼけてンのか? なにを探してる?」
「でんわ!」
アズラエルは「リビングだ」と言ったが、ルナがそっちへばたばた駆け出していくと、自身もすぐベッドから降りて追い、ルナが自分の携帯電話にたどり着くまえにつかまえた。腕の中のウサギがじたばたして「でんわ!」と叫ぶ。
アズラエルはルナをベッドまで連れてきて座ると、冷静に尋ねた。
「ルゥ、起きろ」
「起きてるよ! 寝ぼけてないです!!」
「だれに電話する気なんだ?」
「アンジェ!」
「なんで」
「ウサギ・コンペの夢を見たの!」
「……」
アズラエルは、大きく、それはそれは大きく嘆息し――深呼吸とも思えるほどの――、
「……………その、ウサギ・コンペとやらの内容をひとつ、聞かせろ」
と言った。
ルナは、一生懸命、寝起きの、まだ回らない頭で、なるべくわかりやすく説明しようとした。だが、話すたびにアズラエルの顔が、かわいそうなものを見るような目になっていくのはなぜだろう。
ルナが話し終わると、アズラエルはうんざりした顔で言った。
「……ルゥ。俺の気持ちも少しは理解してくれ。毎朝、起きるたびに隣で寝ていた恋人が、夢の話をする。訳の分からん内容をだな、ウサギコンペだかなんだかしらねえが、そんな夢を見たからって、こんなに朝早く、他人に電話するのかおまえは」
時計は、午前四時にもなっていなかった。ルナは決まり悪げにうつむいたが、あきらかに頬はふくらんでいた。すねたのだ。
「だってアンジェが連絡くれって」
「時間ってモンがあんだろ! それに、俺のこともすこし考えてみろ。恋人がいきなり目覚めた瞬間、ウサギ! なんて叫んで暴れだしたらおまえはどう思う? 俺がライオン! とか叫んで走り出したらおまえはどう思うんだ?」
「まだ、つきあってはいないのだけども」
ルナのこの意見は、ほっぺたを両側からつぶされることで却下された。
「アズはライオンだからウサギに興味ないんだよね。おなかすいたときしか」
「そうじゃねえ。俺は人間だ」
アズラエルはルナを枕元に置いた。
「おまえと俺は、根本的に考え方がちがう。それはおまえもわかってるよな?」
「うん」
「おまえが、厄介な夢を見ることはわかってる。だがな、ウサギがゾロゾロいて、会議してたって夢は笑い飛ばしていい部分か? それともそのウサギ会議の夢は、なにか意味があるのか? それを教えろ先に」
「アズって、ほんと現実的だよね。ぜったいウサギが会議してる夢なんか見なさそう」
「あのな、俺がどれだけ譲歩してるか分かってるか? ほんとなら、こんな話バカらしくてできたもんじゃねえよ! おまえだから、俺は話しあってんだ。俺がウサギの夢なんか見るときは、イカレちまったときだ。俺をおまえのともだちと一緒にするな」
「夢の話、しちゃだめってこと?」
「そうはいってねえだろ!」
泣きそうな顔をしたルナに、アズラエルはあわてた。
「それが意味のある夢か、おまえのマヌケな脳みそが見せたただの夢か、どっちか先に言えって言ってるんだ」
「……たぶん、いみのあるゆめだよ?」
ルナは頬をぷっくりとふくらませ、すねた顔で言った。
「おにいちゃんとか、でてきたもの……」
ルナは、怒っているのかムッとした顔でだまり込み、やがて――アズラエルにはとことん理解不能な言葉を残した。
「アズなんか、マシュマロになればいいのに」
「……なんだかくたびれてるんじゃない、アズ」
クラウドが、朝からゲッソリしているアズラエルを見て、含み笑いをしつつ、そう言った。
引っ越してから数日が経った。リビングのデジタルカレンダーは、三月十六日を表示している。このカレンダーは、アズラエルが宇宙船内で購入したものだ。入船したときもらったカレンダーとは別物。宇宙船内の日付と時間が中央に表示され、軍事惑星群の日付と時間が、周囲に三件、表示されている。L18と19、20の日付と時間が。自分の出身星との時差が分かる、便利な機械だ。
今日は、引っ越してはじめて、四人で朝食をとった。
今までルナたちが暮らしていたアパートの、はす向かいのアパートに引っ越したわけだが、仕様がL5系の住民向けということもあって、一部屋一部屋の間取りが広く、天井も高かった。申し分ない。ルナとミシェルも、この部屋は想像以上だったようで、大感激して入居を賛成した。
もちろん、アズラエルがK36区の部屋でつかっていたベッドもなんなく入ったし、彼らの生活は順調といえた。
――多少の、意見の相違があったとしても。
ルナとミシェルは、朝食の片づけが終わるなり、公園へ出かけると言って出て行った。
女二人で、話したいことがあるらしい。
アズラエルには見当がついていた。どうせ、夢の話だろう。今朝がたの。
理解できなくて悪かったな。
アズラエルはふて腐れ、引っ越し祝いにとバーガス夫妻がくれたエスプレッソ・マシーンを指で弾きながら、ぼやいた。
「ルナのあの突拍子のなさは、あれはどうにかならねえもんかな」
「どうにかなってたら、そんなの、ルナちゃんじゃないと思うけど」
ルナちゃんはカオスだからルナちゃんなんだよ、とクラウドは自分だけ納得した顔をしていった。
アズラエルも分かっている。ルナは、ああだから、ルナなのだ。それは分かっている。そういうルナが好きなのも、自分だ。
「しかしマシュマロとは恐れ入ったね」
「なぜだ? なぜあの会話の結末にマシュマロが出てくる。訳がわからねえ……」
「もうちょっと柔らかくなれっていう、ルナちゃん的表現じゃない?」
アズラエルは、不思議なものでも見るようにクラウドを見た。
「おまえの頭ンなか、マジでどうなってるんだ?」
「俺じゃなくてもミシェルならわかるよきっと。アズはさ、ルナちゃんの話をぜんぶ理解しようとするからくたびれるんだよ。アズは俺の話だって七割聞いてないだろ? それでいいんだ。三割聞いててくれれば。ルナちゃんの宇宙語はアズに理解できなくて当然。それを理解しようとするからおかしくなるのさ。俺と会話してるときの冗談だったら、マシュマロの意味わかるだろ」
「……おまえは理解してやれそうだな」
「そんなやきもちの目で睨むなよ。俺だってルナちゃんの理解は無理だ。混沌だもの彼女は。俺だって無理なんだから、知性が筋肉になってるアズには無理で当然」
「その知性的な筋肉で締め上げてほしいのか」
笑いもしない冗談でまとめたあと、クラウドがボソッと言った。
「ミシェルも、昨日、おかしな夢見たみたいでさ……」
新聞を眺めながら、濃いコーヒーを啜る。
「最近、悩んでるみたいだったしね。夢の話なんて、可愛いもんじゃない。女の子たちって、そういうふわふわした話、好きだろ? 男の俺たちには分からないこともあるよ」
「おまえが、ミシェルのネタで聞き分けがいいっていうのも不気味だな……」
「まアね。そりゃ俺だって、できればなんでも話してほしいよ」
クラウドは新聞を畳んで、次の新聞へと手を伸ばした。アズラエルと話しながらも、クラウドは隅から隅まで読んでいる。
コイツの頭の中身は、特別だ。アズラエルは眉を上げて、たくさんある新聞を一瞥した。
「でも、このあいだのことで、ミシェルに怖い思いさせたのも事実だし。俺、別れるって言われなくてほんとうに良かったと思ってる。クラウドといるのは怖いから別れるって言われたらそれまでだしね……。それを考えたら、ルナちゃんと秘密の話ぐらい、可愛いもんさ。それでなくてもただでさえ、L18の男性は“嫉妬深さナンバーワン”に輝いてるんだから」
「……なんだそれ」
「まえ、どっかの雑誌で読んだだろ。嫉妬深いオトコは軍事惑星がナンバーワン。中でもL18はぶっちぎりだって」
「マジかよ」
アズラエルは、二人分のカップを片付けるために立ち上がった。新聞は、L系惑星群の政治情勢が載ったものと、軍事惑星のだけ、あとで読もう。
「なあ、L03情報、なんかあったか?」
「特にないね」
「ってことは、L03の革命は、今ンとこ小康状態ってことか」
「落ち着くも落ち着かないも、取材ができないらしいからね。いまだに封鎖は解かれてないし。だから、専門家のくだらない推測ばかり」
クラウドは新聞を放り投げた。
「軍事惑星のほうはどうだ」
「こっちも大きな動きはないなあ。だけど、オトゥールと、マッケラン家のミラ大佐が、会合を続けているのはたしかだ」
「ミラ大佐って――」
「そう。……たしか、カレンの叔母に当たるんじゃない?」
クラウドは、アズラエルの想像を読むように、言った。
「今マッケランは、ミラ大佐が仕切ってるけど、本来の主には、姪を据えたいらしい。ミラ大佐がインタビューでそう言ってる。名前は出してないけど」
「姪ってのは、カレンだろうな……」
「――たぶんね」
クラウドは、話をそこで打ち切った。アズラエルが話を変えただけで、クラウドは話を変える気はなかったのだ。
「アズ、とにかく、ちゃんとルナちゃんの夢の話は聞いておいた方がいい」
「あ?」
「訳が分からなくても、バカバカしくてもね」
「おまえは、今朝のミシェルの夢とやらを聞いたのか」
「ああ」
クラウドは十三種類ある新聞に、すべて目を通した。最後の新聞をたたむ。
「聞いたよちゃんと。青いにゃんこの大冒険」
「青いにゃんこだあ?」
アズラエルは、理解できない、というふうに首を振った。
「収穫はあったよ。かなりね」
「マジかよ」
「新しい、ZOOカードと思われる名称が出てきた。“八つ頭の龍”。それから、もしかしたらエレナが、ミシェルと深い関わりがあるかもしれないってこと。それから、ルナちゃんの日記帳にあった、羽ばたきたい椋鳥が、少なくとも性別は分かった。男かもしれない。まだだれかはわからないけど」
「――クラウド、おまえの脳みそ貸してくれ。三十分だけでいい」
「アーズ」
クラウドはアズラエルを睨んだ。
「ルナちゃんの話をちゃんと聞いてやれ。脳みそを貸すのはそれからだ」
「――だからね、アズ、最近怒りっぽいの。ちゃんとあたしの話、聞いてくれないの」
ルナが、ロイヤルミルクティーのカップを両手で持ち、ぷんぷんと怒りながらいった。
「今日だってね、アズが話しろってゆったんだよ? なのにさ、現実的じゃないとかゆうの。夢なんか現実的じゃないってあたしだってわかってるよ! だからね、アズはマシュマロになったほうがいいの!!」
ミシェルは大笑いした。
「やだよ、あんなムキムキのマシュマロ!!」
「ムキムキがぷよぷよすればいいんだよ! そしたらすこしかんがえも柔らかくなるよ!」
ミシェルは腹を抱えて笑い転げる。
「ヤ、ヤダそれ……! おデブのアズラエルなんて……!!」
ちょっと、想像したくない。
今日は薄曇りだったが、外でお茶ができないというほど寒くはない。リズンに直行したルナとミシェルは、外の席で、今朝の夢の話を話し合っていた。
ミシェルは、ひとしきり笑ったあと、大好きなアイスコーヒーをストローでぐるぐるかき混ぜながら、つぶやいた。




