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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜覚醒篇〜
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124話 覚醒 Ⅲ 2


 アントニオが、どれだけこちらの手を読んで対処してくるか分からないが、あれはただの神官だ。太陽の神の化身とはいえ、太陽の神はマ・アース・ジャ・ハーナの神の臣下にほかならない。マ・アース・ジャ・ハーナの神が直接守護する、マ・アース・ジャ・ハーナの神の意志である、裁きのメルーヴァにはかなうまい。


 だが夜の神も、真昼の神も、月の女神を守るために動きはじめた。シェハザールが、夜の神の鉄槌(てっつい)を受けたのはそういうことだろう。夜の神は、妹神を守るためにわれらの敵に回った。


 そして、ルナ。


 月の女神の化身とはいえ、今は普通の少女だ。彼女は月の女神ではない。今世は、「月を眺める子ウサギ」というカードを戴いた、ただの少女。


 ルナをここへ呼び寄せるのは、役割のためだ。決して、われわれは、何の意味もなく、罪もない少女を手にかけるわけではない。


 われらの行動はすべて、マ・アース・ジャ・ハーナの神の意志に従っている。L系惑星群に恒久の平和をもたらす、イシュメルを誕生させるための行動だ。


 あの三柱の神がどれだけ邪魔をしようとも、われらはルナを(しい)す。


 ツァオが急に、大きな体を丸めて、声を低めて言った。言いにくいことがあるとき、この男はいつもそうする。


「その、アンジェリカ様を奪還するのではなく、グレンとサルーディーバさまを奪還し、グレンに事情を話せばよいのでは? サルーディーバ様は、その、グレンを好いてらっしゃるし、グレンとて男。サルーディーバ様は美しいお方だ。ふたりきりになれば、その、……いくらカタブツとて心が動くだろう。われらが、おふたりの、住処を提供して、」


「ツァオ、それは無理だ」


 ツァオのしどろもどろの提案にふたりはかすかに笑い、シェハザールが言った。


「今しがた、アンジェリカさまの奪還が失敗したばかりだろう」


 グレンのことと、奥殿の焼失、今回の一連の事件で、宇宙船の守りは厳重さを増すだろう。いざという時のために、これ以上の派手な行動は避けるべきだ。シェハザールは言った。


 もはや、アントニオの目をかいくぐり、サルーディーバ様を連れ去るのは不可能だ。


「う、うむ……」


「……マ・アース・ジャ・ハーナの神の予言によると、革命が終われば三年後、グレンがL03を訪れる予定になっていた。彼が地球にたどり着いたのち、サルーディーバ様に会いに来るという寸法だ。そして、サルーディーバ様とグレンは、ひと夜限りの契りを交わす。あの方は、イシュメルを産むため、グレンの寝所に忍び込む。サルーディーバ様は、愛するグレンに抱かれる喜びが叶うのだ。グレンは、五日の滞在ののち、L03を去る。そうして、イシュメルが生まれる。グレンは、サルーディーバ様との一夜は、夢の中のものだと錯覚するだろう。彼は、己の息子がイシュメルだとは思わず、生涯を終える。L18の政争に巻き込まれ、ドーソン一族のひとりとして、銃殺刑になるだろう」


「うむ」

 ツァオが重々しくうなずいた。


「この、サルーディーバ様が“宇宙船に乗らない台本(ギオン)”ならば、アズラエルも、ルナと別れることはない。あの方が、混乱して彼らの仲を引っ掻き回さないからだ。そうなれば、グレンはルナと結ばれることはないから、地球にたどり着いた後、L03へやってくる」


「そうか。そうだな」


「だから、サルーディーバ様が宇宙船に乗ってしまった時点で、このシナリオは砕かれた。ないものとなったのだ。今のシナリオはもうひとつの選択肢――だからわれらは、サルーディーバ様とグレンを結ばせるためにも、グレンの愛するルナを殺さなければならない」


「メルーヴァ様」

 ツァオが言った。

「果たして――ルナという娘を殺して、それでサルーディーバ様とグレンが結ばれるのでしょうか」


「怖気づいたか? ツァオ」


 たしかに、なにも知らない小娘を手にかけるのは心が引けるが、これは神の意志だ。

 シェハザールの言葉に、ツァオは首を振った。


「そうではない。――ただ、分からぬのです。マ・アース・ジャ・ハーナの神のお考えが」


「分からぬ?」


「そうです。マ・アース・ジャ・ハーナの神はおっしゃった、のですな? サルーディーバ様を宇宙船に乗せる乗せないで、L03のさだめが変わることはないと。変わるのは、L18のさだめだ。L18の滅びが始まるのが、このギオン。メルーヴァ様は、マリアンヌ様を弑したにっくきL18を滅ぼすために、このギオンを選ばれた――。たしかに、ルナがいては、グレンは、サルーディーバ様には惹かれない。そしてたくさんのことを知り過ぎたサルーディーバ様もまた、混乱されている。ルナがイシュメルを産むものと、己の心と葛藤しながら、イシュメル生誕のためなればと、グレンとルナを結び付けようとしている……」


「どうしたというのだツァオ」

 シェハザールが不審げに彼の大柄な体を揺すった。

「おまえらしくもない」


「分からぬ。このままいっては、いくらルナがいなくなっても、彼らは結ばれませぬ。――メルーヴァ様、ほんとうに、ほんとうに、サルーディーバ様とグレンは、結ばれるのですな? ルナという娘を殺すことで」


 すべてを収める、イシュメルの生誕のために。


 今まで口を開かなかったメルーヴァが、やっと口を開いた。


「それは間違いない。……ルナがわれらに殺されたあと、アズラエルは、“宇宙船を降りて”ルナのもとから離れたことを生涯悔やむだろう。そしてグレンとサルーディーバ様の間には、ルナの死と、L18に関わる出来事によって、ひとつの連帯感が生まれる。それが彼らを結び付ける。彼らが男女の仲になるのもすぐだ」


「メルーヴァ様、それは新しい予言ですか!?」


 シェハザールは、まだこの予言を聞いていない。ツァオもだ。


「いや。……おまえたちにはあえて話していなかっただけだ。……サルーディーバ様はグレンと結ばれるが、グレンはすぐ宇宙船を降りる。グレンの結末は、先ほどと一緒だ。彼はL18で銃殺刑。サルーディーバ様は、アントニオのもとでイシュメルを産み、L03へもどってくる――そういう筋書きだ」


「ツァオ、これが証拠だ」

 シェハザールが口を挟んだ。

「ルナという娘のZOOカードは、『月を眺める子ウサギ』だ」


「ウサギ、ですと……!?」

「そうだ。ウサギだ。……ZOOカードにおいて、ウサギの示すカードの意味を、おまえも知らないとは言わんだろう」


 そう。ウサギのカードは、自らを犠牲にして、他者を救うカード。

 マリアンヌもウサギのカードだった。マリアンヌのカードはなかなか出てこなくて、アンジェリカの占いに、マリアンヌのカードが「ジャータカの子ウサギ」と出たのは、マリアンヌが失踪したのちだった。 

 ――すべてが、手遅れだった。


「あの娘は、イシュメル誕生のために、マ・アース・ジャ・ハーナの神に捧げられた贄なのだ。われらの手にかかり、死して、サルーディーバ様とグレンを結び付ける役を背負って生まれた」


 ツァオはもはや反論はしなかった。だが、ひどく沈痛な顔をした。


「ですが結局、サルーディーバ様は、愛するお方と生涯結ばれるというわけには、いかないのですな……」


 グレンとサルーディーバの愛は、どの予言に従っても、ひと夜きりしか結ばれないのか。


「サルーディーバ様が、おかわいそうだ……」


 昔から、でかい図体をしてひと一倍心優しかった仲間の落胆に、シェハザールもメルーヴァも、肩を叩いて慰めた。


「……これもさだめであれば、サルーディーバ様もお覚悟のうえだ」


 シェハザールが言う。ツァオは、涙を拭って、メルーヴァを責めた。


「それにしても、そんなにはっきりした予言があったのなら、なぜ今まで我らに教えてくれなかったのですか」


「おまえたちを、この先連れて行くわけにはいかないからだ」


 メルーヴァは、二人を諭すように言った。


「――シェハ、ツァオ」


 メルーヴァは彼ら二人に向き直って言った。


「L03の革命は終わった。長老会はもうL03には戻れん。L03は徐々に変わっていくだろう。おまえたちはL03にもどり、新たなL03を築くことに邁進(まいしん)するがいい。ここから先は、私の、私だけの任務だ」


「バカなことをおっしゃいますな!」

 ツァオが叫んだ。「我らは、最後まであなたについていくと決めました!」


「そのとおりです」


 内臓の傷が治りきっていないシェハザールは、苦しげに息を吐きながら言った。


「メルーヴァのさだめは、まだ終わっていません。イシュメルが誕生するための任務ならば、これもまた、メルーヴァの任務ではありませんか! 私たちは、革命のために立ち上がったのではない、あなたのために立ち上がったのです! さあ。メルーヴァ様、私のキズを最後までお治しください。そして我らを連れて行ってください!」


「シェハ……」

 メルーヴァもまた、苦しげに言った。

「神に刃を向けるのだぞ。おまえたちはそれが分かっているのか」


「私は、何万年とても、あなたと運命を共にします」


 シェハザールの言葉に、ツァオも迷いなくうなずいた。


「――分かった」


 メルーヴァは静かに(ひざまず)き、L03の最大の感謝の礼を取った。三度お辞儀をし、舞う。


「おやめくださいメルーヴァ様!!」


 目上の者が、目下の者にする行為ではない。


「我らは同志だ。もはや主君も部下もない。――では、参ろう。同志よ」


 傭兵アダムが待つ、L53の、バクスターの私邸へ――。





「――サルーディーバ様」


 サルーディーバは、カザマとともに、サルーディーバの邸宅にいた。カザマはサルーディーバの好きなバターチャイを入れ、寄り添うように座った。サルーディーバは、なにも見ていない。チャイも、カザマも、なにも。


「アントニオは、あなたを愛しています。それはまちがいありません」


 カザマは、サルーディーバの、ひどく細くなってしまった背を撫で、優しく言った。


「アンジェリカさまのことも、愛しています。アントニオは大切にしてくれます。絶対に。どうか、彼と暮らしていくことを、考えてみてください」


 サルーディーバは、返事をしない。


「あなたは、去年の誕生日がとても楽しかったとおっしゃられた。アントニオとの日々は、あなたがそんなに難しく考えているようなものではない。去年の誕生日のような日々が、続くのですよ。それはあなたにとってもしあわせなことでしょう?」


 サルーディーバのまるで動かなかった両手がピクリと動き、やがて顔を覆った。あふれる涙ごと、目を覆うために。


「だいじょうぶ。焦らなくていいのですよ。アントニオもわたくしも、ついていますから」


 カザマは、母親そのものの慈愛を込め、サルーディーバを抱きしめた。


「焦らないで。わたくしたちと一緒に、一歩ずつ、あなたの新しい人生を築いていきましょう……」





「よお。遅かったな」


 セルゲイがただいま、と帰った途端に、グレンのニヤケ顔が待っていた。


「泊りがけとは、よっぽど楽しかったみてえだな、男二人の花見が」

「うん。楽しかったよ」


 なによりも一番、ルナちゃんといっしょだったことが――といったら、この子はなんていうんだろう。


 そろそろ日付が変わるころだ。グレンはシャワーを浴びたあとのようで、冷蔵庫からビールを出し、いい音をさせてプルトップを開ける。


 セルゲイが、腕を組んでじーっとこっちを眺めている。

 グレンは、「なんだよ」と言いかけ、セルゲイの顔を見て固まった。


「なに? どうしたの? グレン」

「あ、――いや、なんか、」

「なんか?」

 グレンはためらいがちにつぶやいた。

「おまえ――なんか、――冗談ききそうにない顔してる」


 素直に、「怖い」と言えないグレンの、精いっぱいの表現だった。

 冗談のきかない顔……。いや、威厳があるといえばいいのか。

 なんだこの、へんな威厳は。

 このあいだまでのセルゲイには、少なくともなかった。


「冗談きかない顔? きくよ、試してみて」

「い、いや、遠慮しとく……」


 そういって背を向けたグレンだったが、いきなり後方から頭をわしわしっと撫でられて、驚いて振り返った。ほかのヤツだったら、条件反射で投げ倒しているところだ。

 セルゲイの、不気味なくらい満面の笑顔がそこにあった。


「グレン」


 グレンは、全身が、異様に張りつめているのに気付いた。セルゲイは、グレンの針金頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「――許してあげる」


「は?」


「さーって、ゆっくりシャワーでも浴びようかな」

 

 グレンもアズラエルもいい子♪

 だから、許してあげる♪


 そう歌いながら浴室に入っていくセルゲイを、グレンはこれ以上ない恐怖の目で見送った。


「なあ! ルーイ!! 俺セルゲイになんかしたかな!?」

「は? セルゲイの買ってきたビール勝手に飲んだとかしたんじゃねえの?」

「そんなのいつもやってることだ!」

「ダメじゃねえか! 温厚なセルゲイせんせだって怒るぜそれは!」

「だ、だよな……。やっぱビールが原因か……」

「でも、セルゲイせんせだったら、すぐ怒ってそれで忘れそうな気もすっけど?」

「だよな!! だとしたらなんだ!? うああ、思い浮かばねえ~!」


 セルゲイの意味深なセリフは、それからしばらく、グレンを悩ませることになったのだった。




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