15話 羽ばたきたい孔雀 Ⅰ 1
「ここがルナちゃんの部屋か――ずいぶん、可愛い家具がそろっているね」
「そなえつけだったの!」
セルゲイとアズラエルとクラウドがそろったら、もはやリビングは手狭になった。二人掛けのはずのソファはひとりずつで余白が不足したので、クラウドはしかたなく床に座った。
重苦しくなるような緊張が、この狭い部屋に漂っている。
「三人は、知り合いだったの」
まさか、またセルゲイに会えるなんて。
これは運命かもしれない。
ルナはのんきに、そんなことを考えていた。
ウキウキしながらコーヒーミルで豆を挽き、ていねいにドリップして、淹れたてのコーヒーと、毬色で買った手作りクッキーを提供した。
とんでもなく重い空気などみじんも読まずに。
「どうぞ」
「おかまいなく」
ステレオタイプの会話が、緊張感を台無しにした。セルゲイはコーヒーを喫し、ルナに「おいしいね」と微笑み、閻魔大王みたいな厳しい顔をアズラエルには向けた。
ルナも、なかなか怖いと思う表情だった。優しさをつめこんだ顔は、裏を返せば大魔王だった。
「用件を先に話そうか。それとも、ルナちゃんに俺たちの関係を教える方が先か?」
クラウドは、部屋の狭さはともかくも、コーヒーの美味しさには合格点を出し、機嫌よく言った。
「あたしに教える方が先!」
「いいとも。教えよう」
クラウドは手短に説明した。セルゲイの自己紹介付きで。
セルゲイと、同乗者のカレンという――友人は、K35区に住んでいる。
彼らが住んでいるマンションの隣人は、L53出身の水泳インストラクター、ルートヴィヒと、L18の軍人、グレンという男性だった。
「グレン!?」
ルナは思わず叫んだ。
「グレンって、グレンさんって、あの、銀髪で、ピアスがいっぱいついてて……」
「そうだよ」
セルゲイはうなずいた。
「あたしがさっき会ったグレンさんと、セルゲイさんのお隣さんは、同一人物かな!?」
「おそらく同一人物だろう」
あれがふたりもいたらむさ苦しい。クラウドが言った。
「マタドール・カフェでひと騒動起こした人物も彼だ。その節は本当に申し訳ないことをした。彼になりかわって謝るよ」
セルゲイは嘆息した。ルナは口をパクパクさせ、さまざまなことを言おうとしたのだが、口から出たのはこのひとことだった。
「グレンさんは、軍人」
「おまえ、俺の話を聞いてなかったのか」
「そう。ちなみに私の同乗者は、L20の首相の娘――彼女も軍人だ」
「え!?」
セルゲイも軍事惑星群出身者だし、あちこち、軍人だらけだ。
しかも、首相の娘だって?
首相の娘と一緒に乗ったセルゲイは何者?
セレブ御用達のお医者さん?
ルナがあらゆることを聞きたそうな顔でセルゲイを見ているのに気付いて、彼は言った。
「私は、カレンの友人。ちなみにグレンも、L18の名家の生まれだ。つまり、お坊ちゃまだね」
セルゲイは、自分で言っておきながら、なぜかお坊ちゃまという言葉に苦笑いした。
「お坊ちゃま……」
ルナがつぶやくと、
「お坊ちゃまと言っても、まったく可愛い感じではないけどね。それで――グレンとカレンは、K34区のラガーって店が好きで」
ラガーは、アズラエルがよく飲みに行くバーだ。ルナは、つながりが分かった。
「グレンは、アズラエルとは合わないんだが、ルーイが、アズラエルと仲良しなんだ。私は、クラウドやロイド君とはよく話す」
セルゲイはつづけた。
「だから、顔見知りではあるんだ」
「ミシェルやロイドのことも知ってるんだ……」
「それで」
アズラエルが話をさえぎった。
「用件っていうのは」
セルゲイとクラウドが、真面目な顔で目配せを交わした。
「セルゲイが、アズに会わせろって、俺の携帯に怒鳴りこんできたのが一時間前」
「怒鳴りこんではいないよ」
セルゲイは否定した。
「そして、アズを罵る放送禁止用語で構成された悪態が俺の留守電に入ってきたのが二時間前」
「なぜ、おまえの携帯に」
アズラエルは、先日別れを告げた女たちを、着信拒否していたことを思い出した。
クラウドは、自分の携帯電話の留守録を再生した。たしかに放送禁止用語の羅列だった。アズラエルはルナがもがくのを押さえつけて耳をふさいだ。録音は、途中で切れながら、三回も入っていた。
聞き終えたアズラエルは不審な顔をした。
「キマが“降ろされた”?」
ルナはアズラエルのせいでまったく聞けなかったので、ほっぺたはパンパンに膨らんでいた。
「聞こえませんでした!!」
「ルナちゃんにもわかりやすいように言うとだな」
クラウドは携帯電話をポケットにしまいこんでから、説明した。
「アズラエルがラガーで知り合ってつきあってた女がいる。キマって名だ。L45から乗ったとか――だよな? アズ」
「ああ」
「アズはルナちゃんと暮らす直前に、彼女と別れた。それは俺も知ってる。彼女はアズに本気だったみたいで、別れを告げられたことがこたえたのか、しばらくラガーで友人たちに愚痴をこぼしていた。アズを待っていた節もあるな。でも彼女は、宇宙船を降りる気はなかった。それなのに、今日、宇宙船を出ることになった――彼女の話がほんとうなら、正しくは、“追い出される”ことになった」
「え?」
ルナの目が丸くなった。
宇宙船を、追い出される?
「俺の留守電に入っていた文句の九十パーセントはアズの下半身についてだが、残り十パーセントは、彼女の近況を語っている――それを要約すると、彼女は金を積まれて、宇宙船を出て行けとおどされたらしい。おそらく、“アズとつきあっていたせいで”」
「ええっ!」
ルナはついに絶叫した。
「その一時間後に、これだ」
クラウドは、説明権をセルゲイに譲った。セルゲイの顔が、ものすごく怖くなったので、ルナは「ぴぎっ」と叫びそうになった。
「カレンがケガをしたんだ。ムスタファ邸で」
「なに?」
今度口を開けたのは、アズラエルだった。
「それで、調査の結果、結論だけ言うと」
セルゲイの声はますます重みを増した。重力で、窒息しそうなくらい。
「黒幕は、“アンジェラ”だ」
アズラエルは呆気に取られて、セルゲイを見返した。
――アズラエルは、宇宙船に乗ってまもなく、認定の傭兵だという理由で、石油王ムスタファのパーティーに招かれた。
そのパーティーには、アズラエルだけではなく、幾人かのもとSPや警官、傭兵、軍人がいた。
彼らにはずいぶんな好条件で、ボディガードへのスカウトがあった――しかし、正式な契約ではなく、この宇宙船の特異性もあって、半分以上、客人あつかいだった。
本気で彼のボディガードになるというのであれば、もっと綿密な身辺調査と面接が必要になる。つまり、ムスタファが今後親しくしておきたい人間を集めたにすぎない。
なかには、本当にムスタファのボディガードになった人間もいたが、だいたいが、上流階級のパーティーに招かれた船客に過ぎなかった。
ボディガードといっても、しているのはほとんど屋敷の警護である。
クラウドはそのかかわりの中で、ララというE.S.Cの主要株主と知り合い、アズラエルも、ララの同乗者であるアンジェラという人妻と関係を持った。
「ひとづま!?」
ルナは叫び、アズラエルはきまり悪げな顔をしたが、クラウドがフォローした。
「アズが口説いたんじゃない。アンジェラが近づいてきたんだ。アズは、彼女たちから見たら非常に魅力的だ」
ルナはそうだろうと思ったが、目は座った。
「それに、アンジェラの周りには、アズだけじゃなく、そういう男がいっぱいいる。彼女の下僕となる男たちが、ものすごくたくさんね」
アズラエルは、大多数の中のひとりのはずだった。現に、アンジェラは、自分のもとからだれが去ろうが、気にも留めていないふうに見受けられた。なにせ、いい男を見繕えるパーティーはしょっちゅうあるし、アンジェラの美貌と権力に引き付けられる男はいくらでもいる。
「俺はアンジェラに別れを告げたはずだ」
「相手は、そう思ってなかったってことじゃないかな」
セルゲイは苦々しさを込めてそう言った。
今日の午前中のことだ。とんでもない事件が起こった。
アズラエル曰く、ムスタファのパーティーによく招かれているL20の首相のご息女、カレンお嬢さま――お嬢さまというには、ほとんど男性の外見だが。
「カレンはべつに、アズとそう仲がいいわけでもないんだけど」
カレンもまた、ラガー経由で、アズラエルの知人でもある。
彼女もなかなか「訳アリ」で、VIP扱いではなく「一般の」船客として、地球行き宇宙船に乗っているので、セレブの社交場にしか顔を出さないというわけではない。
アズラエルとは、仲がいいわけでもないが、無視しあっているわけでもない。どちらかというと、カレンの性質もあって、男同士の仲間といった感じだ。なにかおもしろいことがあって、カレンが笑いながらアズラエルと肩を組んだ――。
「へ?」
ルナがクエスチョンマークを掲げた。
「どう考えても、最近のカレンとの接触って、それくらいしかないはずなんだが」
アズラエルも、理解しがたい顔をしていた。
「カレンも同じことを言っていたね。君との接触なんて、その程度だって」
セルゲイも、そこは同意した。
嫌がらせ、などという言葉におさまりきる事態ではなかった。
カレンがムスタファ邸のパーティーに参加していて、ボディガードの仕事をしているアズラエルを見つけて声をかけたことがある――ムスタファ邸での彼らの接触はその程度。
だが、今日、カレンはムスタファ邸のボディガードに襲われたのである。
とっさに傭兵のバーガスという男がカレンを守り、事なきを得た。
よりによって、ムスタファ邸宅の庭で起こった出来事である。どこから賊が入り込んだかと思ったら、捕らえられた男は、アンジェラの取り巻きのひとりだった。
カレンは首相の娘だ。暗殺はそちら関係かと疑われたが、カレンの命を狙った男は、カレンを殺すつもりは毛頭なく、ただ、ケガをさせるのが目的だった。ケガをしたことで、おびえて宇宙船を降りればいい――そのためにした行動だった。
彼はあっさり、アンジェラの手先だと白状した。カレンとアズラエルの仲を誤解した、アンジェラのしわざだと。
彼は、「カレンの正体」が分からないチンピラであった。カレンがL20の首相の娘だと知ってはじめて、「アンジェラにだまされた!」とわめいた。もちろん彼は降船処分プラス執行猶予付きの警察星行きとなった。
これはさすがに、由々しき事態である。
アンジェラにも任意の降船指示が出されたが、彼女が宇宙船を降ろされるということにはならなかった。
「え?」
ルナはびっくりして思わず声を上げたが、クラウドは肩をすくめた。
「主要株主の同乗者だ。事件は、闇から闇へ葬られた、というわけさ」
ララは、同乗者の不始末をカレンに丁重に詫び、二度とこんなことは起こさせないと固く誓った。
カレンも、そもそも首相の娘という立場であるのに、ボディガードをひとりもつけずにいた現状もある。この宇宙船の安全神話はほぼ絶対的であり、油断していたことは否めない。
それに、実際アズラエルとはなんの関係もなかったし、彼女は彼女なりに、ララとのつながりがあるので、アンジェラの勘違いが解けたのならそれでいいと、それらは表ざたにはされず、暗黙の裡にカタはついた。
「――待て。ホントに。これだけは言っておきたいんだが、俺はアンジェラとは切れた」
「切れたって、彼女はあきらめていないのに?」
「なんでおまえがそんなことを知ってるんだよ」
「カレンだって、君と同じでムスタファのもとに出向いてるんだ――知らないはずないだろ」
セルゲイとアズラエルの会話は、堂々巡りだった。アズラエルは「別れた」と言い、セルゲイは「あきらめていないんだから、別れたとは言えないだろ」の会話の繰り返し。
アズラエルは、やっとのことで言った。
「わかった、百歩譲って、別れてはいなかったとしよう――だが、俺とアンジェラの関係はかなりゆるいもので、俺がアイツの屋敷に行かなくなりゃ、終わりのはずだったんだ」
「セルゲイ、それはたしかだ。俺も保証する」
クラウドも横から言った。
「アンジェラが、だれかに執着したなんてことは、いままでなかった。自分の屋敷に来なくなった男を、未練がましく追いかけるなんて」
そう、あのプライドも果てしなく高い彼女が。
「……そういう人物らしいってことは、私も聞いてる」
セルゲイはまだ視線をやわらげてはいなかった。
「だが、ひどく気まぐれでわがまま。彼女の身辺にはなにが起こってもおかしくないってことも、聞いている」
アズラエルとクラウドは顔を見合わせ、ルナは三人の顔をキョロキョロと見た。




