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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜覚醒篇〜
288/950

123話 迷える子羊 3


「――サルちゃん」


 サルーディーバは、アントニオの厳しい声にびくりと肩を震わせた。


「君は混乱してる。ずっとだ。それは俺も分かっている。だからルナちゃんには会わせたくなかった。……分かるよね」


 ちいさくうなずくサルーディーバは、零れ落ちる涙をぬぐった。


「君の言葉は、君が考える以上に重みがあるんだ。それは時に人を救いもするし、ひどく傷つけることもある」

「わたくしは……」

「長老会か、現職さまから、手紙が来たね?」


 サルーディーバが、先ほどの比ではないほどにうろたえた。


「どうして……」

「アンジェには秘密にしていたのにどうしてわかったって? 君の痩せようを見れば、なにかがあって、心労が重なったことは伺える」

「アントニオ、わたくしは、」

「今日、俺は君たちに、夜の神の儀式があることは話したけど、君たちをメルーヴァの手から守るためだという説明はしなかった」

「――え?」

「俺は、君たちに、自分の意志で、自由をつかみ取ってほしかったから」


 生き方も、恋も自由に。そうしてほしかった。だれかに決められた道でなく、自分で選んで歩く道。すぐにはできなくても、ふたりが生き生きと歩む道なら、応援したかった。

 けれど。


「サルちゃん、君が俺の妻になるかい?」


 サルーディーバはその言葉を聞いたとたんにますますうろたえ、目を泳がせた。

 アントニオの心は読めない。それは、力がなくなっていなくてもそうだ。彼の心だけは読めない。それが、サルーディーバをいっそう不安に陥れた。


「……長老会は、君を宇宙船に乗せた。それは、君を、俺の妻にするためだ。もともと、長老会は、たとえ予言されて生まれたといえど、サルーディーバが女として生まれたことを許せず、いつまでたっても君を、サルーディーバとして認めなかった。現職のサルーディーバさまは、年も年だ。引退していてもいいのに、君がサルーディーバとして認められないために、現職を退けない。だが長老会は、君をサルーディーバとして認めるくらいなら、どこかから偽物を連れてきて、サルーディーバにするほうがマシらしい。L03が築き上げてきた伝統までも破壊しようとした。そこまで腐ってるんだよ、長老会は」


「アントニオ……」


「あの下卑(げび)た連中は、君を犯せと堂々と書面に書いてきた。どうかサルーディーバを聖なる妻にしてくださいと美辞麗句(びじれいく)で飾って、ひどいことを書き連ねて来たよ。処女でなくなれば、君はサルーディーバとしての体面すら保てなくなる。もとから、革命があろうがなかろうが、長老会は君をL03にもどす気はなかった。君を、男として育て上げておきながら、今度は女にもどれと平然と言う。しかも、抱くことで女にしろというんだ、腐ったといっても度が過ぎてるよ。君が後生大事に守ってきたL03の教えは、その腐った長老会が勝手に作った、理不尽な掟なんだ。そんなものはもう捨てなさい」


 サルーディーバは顔を覆った。

 わたくしは――サルーディーバです。そう育ってきたのです。

 サルーディーバでなくなったら、わたくしの存在意義はどこにあるの?

 わたくしは、何者なの?


「俺は、長老会の手紙は無視する。だけど、現実は無視できない。君はもうL03から離れて、新しい人生を選ぶべきなんだ」


 長老会の連中は嫌いだが、その提案には乗る、とアントニオは続けた。


「イシュメルだのなんだの、もう君が考えることじゃない。グレンが愛する女が産むなら、グレンが愛する女が産むんだ。放っといてもグレンがだれかを好きになり、子を産ませればそれがイシュメルだ。君がグレンを好きなら、君がグレンの恋人にだって、妻にだってなっていいんだ」


「バカなことをおっしゃらないでください! グレンさんはルナを愛しているのです! ルナが、イシュメルを生むのです!」

「そのかたくなな思い込みが、すべてをおかしくしてるんだって、まだわからないのか」

「わたくしはサルーディーバです! だれの妻にもなれません! わたくしは生涯、清いままで……!」

「サルーディーバの名は捨てろと言っただろ」


「では、あなたがそれを取り上げてください!」

 サルーディーバは涙声で叫んだ。

「わたくしの名を、あなたが……!」


「じゃあ、俺の妻になって」


 ひるむ彼女が、アントニオはただひたすらに哀れだった。


「……あなたは、今しがた言ったではありませんか。下卑たことを、と」

「俺は、下卑た気持ちで君を抱くつもりはない」


 アントニオは、静かな声で言った。


「俺はねサルちゃん。妻になってと言ったんだ。君を理不尽に犯すつもりはさらっさらない。君を大切にする気持ちはある。守ってあげる、ずっと、君を妻として。大切にする。今までとなんら変わりなく」


「わ――わたくしは、――わた、は、」


「君は、これからどう生きていくつもり? いつまでも、サルーディーバはやっていられないんだよ? だれも君をサルーディーバなんて認めていない。メルーヴァの革命が成功したら、今後L03は近代化の道を歩むだろう。サルーディーバという象徴はきっとなくなる。君の居場所はどこにもない。君はサルーディーバとして持ち上げられて生きてきた、なにもできない、ただの人間だ」


 サルーディーバは絶句して、立ち尽くした。


「君はなにもできない。子ども以下だ。……L03の腐った教義に芯まで毒された、哀れな女性にしか、俺には見えない」


「アントニオ! なんということを……!」

 震えてよろけたサルーディーバを、あわててカザマが支えた。

「ひどすぎます! もう少しお言葉を――」


「俺の妻が嫌なら、グレンの妻になれ」


 アントニオの言葉は、最初から揺らいでいなかった。あまりにもおだやかだった。それが、カザマにもひどく恐ろしいことのように思えた。


 サルーディーバの身体が、揺れる。


「グレンさんが――わたくしを愛すると、お思いですか――」


 サルーディーバは呆然とつぶやいた。


 ……あんな過去を見せられて。あんなに長く、あんなにも気も遠くなるほど長い月日、生まれ変わり、繰り返し繰り返し、グレンはルナを思い続けてきた。ふたりのあんなにも深い絆を見せつけられて、どうやって、そのあいだに自分が入れると思うだろう。


「安心して。グレンは、君みたいに恋に恋するような感性は持ち合わせてない。二番目に愛した女だって抱けるし、妻にもできる。事実、愛してない女だって抱けるし、妻にしようとしていた」


「アントニオ、それはひどすぎます」


 カザマが抗議したが、アントニオはやめなかった。


「ひどくない。それが現実だ」


 アントニオは淡々と告げる。


「君をグレンの妻にするなら、いくらだって方法はある。俺は、君の意志を尊重しているだけだ」


 だから、君の意志をたずねている。何度も何度も。


「君が、自分はサルーディーバだと意固地に言い続けるなら、逆に意地でもグレンの妻になるべきだ。グレンに抱かれて、イシュメルを産めばいい。サルーディーバは、ひとびとの幸せのために生きるんだろ? 自分が愛されなくても」


 サルーディーバは、人形のようにたたずんでいた。


「……君は、ほんとうにかわいそうな子だ」

 アントニオは、哀れむようにサルーディーバを見た。

「だが、君のせいじゃない。君がそんなになったのは」


「アントニオ、どうか、」


 カザマが、サルーディーバをかばうように抱きしめた。今は、これ以上はやめてくださいと目が訴えていた。アントニオは嘆息し、


「毒抜きが必要だ。君にも、アンジェにも」


 毒抜きには苦しみが伴うものさ、とアントニオはやはりおだやかに言った。


「俺の妻になるのは、そんなにいやか」


 彼はもう、怒ってはいなかった。ただ、悲しげには見えた。


「グレンの妻になるのも嫌、」


 サルーディーバはついにひとりでは立っていられず、カザマに身を預けた。


「しかたない。ミーちゃんに免じて、今日はやめる。君が俺の気持ちを下卑たものとしてしかとらえられないなら、俺は君を抱きもしないし妻にもしない。俺だってむなしいだけだしね」


「わ、わたくしは、わたしは……、」


「君ではなくアンジェを妻にする。いいね?」


 サルーディーバは目を見張った。


「ま、待ってください! 待って、そんな、アンジェはメルーヴァが――!」


「ほんとは、こんなに急ぐつもりはなかった」

 アントニオは顔をしかめて言った。

「君たちに時間が必要なことくらい、俺だって分かってる。ほかに方法があるはずだと、俺もずっと考えてきた。だけど――メルーヴァたちは動き始めている。もう時間がない。……かわいそうだけど」


「お願い、アントニオ。妹には手を出さないで」


 あの子は、メルーヴァを必死に思って来たの。愛しているの、メルーヴァを。


「俺は、アンジェも君も、――ルナちゃんも、大切だ」


 メルーヴァに渡すわけにはいかない。……殺させるわけにも。


 サルーディーバはアントニオに縋ろうとしたが、カザマに止められた。


「ま、待って! アントニオ!! 代わりにわたくしが……!」


「代わりってなに」

 アントニオが悲しげに言った。

「君は、妹の代わりに俺に身を差し出すの。俺はとんだ悪党だね」


 そういって、彼は店の中に姿を消した。彼が、放心しているアンジェリカを抱き上げ、二階に上がっていくのが見える。


「アントニオ!!」

「サルーディーバさま!!」


 カザマが、必死でサルーディーバを止めた。


「シェハザールは、アンジェリカさまとあなたをとらえるために、奥殿へ入ったのです!」

「――え?」

「夜の神に焼かれたのは宝物殿のすぐ隣。あなたが毎日、斎戒沐浴して祈祷する部屋です」


 サルーディーバは絶句した。


「アントニオがあなたがたおふたりを隠していらっしゃる。でなければとうにお二人は、メルーヴァ様たちにとらえられています!」


「それでもよいです! わたくしは……それでも! メルーヴァの革命をわたくしは助けます! アンジェリカだって、メルーヴァに会いたくて――!」


「冷静にお考えになってください!!」

 カザマは必死で訴えた。

「メルーヴァ様は、ルナさんを殺そうとなさっているのですよ!? あなたのために、……イシュメルのために! アンジェリカさまを人質に、アントニオに、ルナさんを差し出せというに決まっているではありませんか!!」


「な――そんな……」


 メルーヴァは、そんな卑怯なことをする子ではない――サルーディーバは言いかけたが、


「サルーディーバさま、メルーヴァさまは、もう昔のメルーヴァさまではありません」


 カザマもまた、辛そうに言った。


「あなたも同様です。あなたがメルーヴァさまの元へ行けば、メルーヴァさまはあなたと引き換えに、ルナの命を差し出せと迫るでしょう。アントニオに、あなた方とルナさんを天秤にかけるなんて、そんなむごい選択をさせたいのですか!?」


 サルーディーバは、打ちのめされて地面に座り込んだ。

 最早、立ち上がる力がなかった。



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