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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜覚醒篇〜
284/943

122話 覚醒 Ⅱ 2


「――!?」


 セルゲイは、飛び起きた。


 朝だ。

 いつもそうするように、起きた瞬間時計を探す。枕元の腕時計で時刻をたしかめる。午前六時半。

 障子の隙間から、光がこぼれていた。

 

 ――夢か?


 耳の奥に、まだあの轟音が残っている気がする。すぐさま携帯電話で船内のニュースをチェックするが、雷が落ちたなんてニュースはどこにもない。


 ふわりと桜の香りに交じって、あり得ないはずの、濃厚な桃の香りがする。桃の木などない。ないはずなのに。


 昨夜の、月の女神の香りだ。

 




「おっはよおございまぁすセルゲイさん!! よく眠れましたか!?」


 アントニオが、朝からハイテンションで待っていたが、


「……ええ。おはようございます」


 テンション最下層のセルゲイに、「……そうでもないみたいですね」と返した。


 朝食は食堂に用意されているとのことだったので、セルゲイはひとっ風呂浴びて着替え、あちこち寄り道しながら食堂に向かった。やはり、この旅館はそんなに広くはない。大浴場の向こうに廊下なんてなかった。

 セルゲイは、仲居(なかい)をつかまえて聞いた。


「この旅館って、真砂名神社の奥殿というか――その、ギャラリーがあるところにつながっています?」

 それを聞いた仲居は大笑いした。

「まさか! 奥殿まではずいぶん離れてますよ。裏道から行ったって、車で一時間はかかるのに」


 昨夜のあまりにリアルな夢のせいで、夢遊病かと思ったが、そうでもなかったらしい。裸足で走っていたのに足の裏は汚れていないし、この旅館はそこまで広くはないのだ。やっぱりあれは、ただの夢だ。


 ただの夢であったことにセルゲイはほっとしつつ、食堂に入った。

 まとわりついていた濃厚な桃の残り香が、朝食の匂いにかき消された。


「まあまあ、飯食ってないと元気出ませんから! 食いましょう」


 食堂はそれなりに広い。客はちらほらいるようだが、みんな変わった民族衣装を着た人ばかりだ。セルゲイが席に着くと、すかさずお膳が運ばれてきた。

 そういえば、昨日は昼も夜も食べ損ねているのだ。コンビニで肉まんをもらったきり、なにも口にしていない。空腹も当然だった。


「パンのほうが良かった?」

「和食も食べられますよ」

「事前に言えばパンも用意してくれるんですけど。ここの名物が和食なモンで」


 二人分並べられたお膳は、典型的な和食だった。セルゲイには馴染みのないものばかり。米はカレンがよく食べているし、主食なので知っているが、お膳に並べられた料理は見たことがないものがほとんどだった。


「食事を作ってくれるエレナちゃんが和食文化だったので、最近、それなりには」


 セルゲイは、基本的に、出されたものを文句も言わずに食べるタイプだ。無論、食べられないものもあったが。


「こういうのって、食べる機会あまりないですしね。見たことがないのがいっぱいだ。……あ、でもこれとこれは、食べられないかも」


 L系惑星群では、惑星ごとに食文化がちがうことももちろんあるが、一般居住星では、だいたい親の食文化でこどもの食文化も決まる。同じ地域、隣同士に暮らしていても、食文化は多様だ。


 海が近くにある地域では独特の魚料理があったし、山が近くにあれば山菜が食卓に並ぶのは地球時代と変わりがない。L系惑星群は惑星ごとに必ず海と山は存在し、作物を育てる科学技術も保存技術も、流通も地球時代より発達している。だから地球から移住した後も、どこへ住もうが、以前と同じ食生活を続けることが可能だったのである。


 セルゲイは祖父母と暮らしていたときも、エルドリウスと暮らしていたときも、パン食だった。祖父母は黒パンにスープの朝食だったし、エルドリウスは地球時代の英国式――カリカリの薄い食パンに紅茶、魚と卵料理は必ず火が通っていた。


 米、という物体に初めて遭遇したのは、学生時代、学食で。

 本では知っていたが、実物を見るのは初めてだった。


 友人がそれを食べていて、はじめてパン以外に主食があることを知ったのだった。

 そして、生の卵と魚を食す文化があるということを。


 エレナとジュリもどちらかというと、カレンに近い食文化だ。最近は、エレナが食事を作ることが多いので、よく和食が食卓に並ぶ。エレナのpi=poステラにも、和食のレパートリーが多かった。


 慣れてはきたが、グレンとセルゲイは、和食になじみがない。エレナたちと住むまでは、朝食は好き勝手にとっていたし、セルゲイはいつもパンとコーヒーだった。グレンもだ。

 グレンとセルゲイは、米になじみがない点では共通していた。グレンもパンで育ってきた人間だ。


 ルートヴィヒもパンで育ってきた人間だったが、好き嫌いもないし、味噌汁とパンが一緒に並んでも、平気で食っているタイプだった。

 L5系の人間は、さまざまな食文化に触れる機会が多いので、抵抗は少ないのだろう。


「すみません。俺はハシが使えなくて」

「そうですか。ンじゃスプーンとフォークください」

「かしこまりました」

「そろそろ、ハシの使い方も覚えた方がいいかな」

「覚えといて損はないですよね」

「ですね。カレンだったら、大喜びしそうな朝食だな」


 生の卵は、セルゲイは気持ち悪くて食べることができないし、この黒い、四角い紙の様なものの正体が分からない。

 添えられているツケモノは、色がまだ強烈ではない。野菜の色をしていて、セルゲイはほっとした。


 そして、なんだか茶色い、へんな匂いのするもの――これは見たことがある。セルゲイは恐ろしくて食べられなかったもの――ナットウだ。エレナとジュリは平気で食べていた。いざ戦争に出ればなんでも食う軍人であるグレンと、軍人経験があるセルゲイも、蛇は食えてもナットウだけはダメだった。


 あのときのグレンの蒼ざめた顔は見ものだった。「健康にいいんだから食べなくちゃ」とエレナに押し付けられ、恐る恐る口にして、最後には朝からビールで流し込んでいた。

 ルートヴィヒもナットウには、鼻をつまんで逃げ出した。

 

 苦いなあ、と思いながら山菜の胡麻和えを噛み、セルゲイは生卵とナットウだけを残して完食した。黒い紙――海苔は、味がついていておいしかった。とても小さな魚をフォークでほぐそうと一生けんめいになっていたら、アントニオが笑いながら「それ、丸ごと(かじ)ってだいじょうぶですよ」と教えてくれた。


「いやぁ、セルゲイさんも可愛いとこあるんだなあ」

「……からかわないでくださいよ」

「だって、あの顔……!」


 フキノトウの和え物を食べている時の微妙な顔は、写真にでもおさめておきたかった。


「なんていうんですか、だって、……苦いのに、甘い……?」

「ぶはははは!!」

 その顔、その顔、とアントニオが指さして笑う。

「初めて食べました。あんな不思議な味のもの」


 椿の宿から、真砂名神社のわきを流れる川原まで、たいそうな距離はない。朱塗りの橋を渡り、真砂名神社のふもとまで来た。今日の風はおだやかだ。ぬるい風にのって、桜の香りが吹き付けてくる。


「アントニオさん」

「なんでしょ?」

「俺が泊まっていた部屋の外に、桃の木なんてないですよね?」

「え? 桃の木はないなあ。椿の宿にあるのは桜の木ばかり――のはず、ですよ」


 そうですよね、とセルゲイはつぶやいた。桜の木しか見当たらなかった。それに、あの桃の香りは、果肉を直接嗅いだような強い香りだ。

 花は、あんなに濃い匂いはしない。――あんなにエキゾチックな香りは。


 旅館のチェックアウトを済ませて外に出た。

 河原に出ると、屋台が数件並んでいる。観光客の姿もずいぶんあった。

 

「アントニオ! こっちよ!」

「あ、ミーちゃん! おっはよ~~!!」


 ミーちゃん? セルゲイは首をかしげた。

 振り返ると、真砂名神社の階段に、カザマがいた。手を振っている。

 ミーちゃんって、カザマのことか? セルゲイが考えていると、背の高いカザマの横から、ぴょこっと顔を出したウサギがいる。

 あろうことか、ルナだった。


「セールゲーイ! アントニオ!」


 ルナが、小さい身体をいっぱいに伸ばして、両手を振っている。セルゲイは驚きが先に立ち、ポケットに片手を突っ込んだままボケッと突っ立っていたが、ててててーっとルナのほうから走ってきた。


「セルゲイ、アントニオ、こんにちはっ!」

「よく来たね、ルナちゃん♪」

「ルナちゃん?」


 ルナは今日も元気だ。セルゲイのシャツの裾をつかんで、元気にあいさつをする。


「お友達に会いに行ったはずじゃあ……」

「キラにね、ドタキャンされちゃったの」

「ドタキャン?」

「うん。昨日は、会えないって断られちゃったの」


 ルナのしょぼくれた顔がかわいそうだったが、セルゲイはルナに会えたので、素直にうれしかった。


「おはようございます、セルゲイさん」

「カザマさん、お久しぶりです」


 カザマと目が合って会釈する。


「ここまで遠かったでしょ。カザマさんと一緒なの? ミシェルちゃんやアズラエルは?」

「あのね、あたし引っ越したの!」


 ルナは勢いよく言った。


「それでね、引っ越してね、引っ越しの作業はみんな業者さんがやってくれてね、アズは今日しごとなの。ミシェルとお茶するの、そしたらあたしカザマさんと用があって、お茶してね、アズはね、カザマさんと一緒だったらいいってゆうからお茶するからって、来たの!」


 うん、そうか。よく分からない。

 いつものルナだ。

 勢い込んでしゃべるルナは、支離滅裂(しりめつれつ)なことが多い。

 とにかく――ここへ来るのに、アズラエルの了承は得ているということだ。

 

「いつ来ても素敵ねえ。ルナさん、今日ちょうどいい時に来たわよ! 満開!」

「ほんとだ~♪ すっごい綺麗!」


 カザマに言われて、ルナがててててーっと桜のほうに走っていった。


「ルナちゃんとカザマさん、仲いいんですねえ」


 親子みたいだ、という言葉は辛うじて飲み込んで、セルゲイは言った。


「や、でも、あんな感じでしゃべるようになったのは、このあいだのバーベキューパーティー以来じゃないかな。そのまえまでは、電話連絡は取ってても、ほとんど会うことはないみたいだったし。ふつうに担当役員と船客、ってかんじで、あんなに仲良くはなかったよ」


 満開の桜を見ながら、アントニオとセルゲイも並んで、川辺に向かって歩き出した。


「ミーちゃんもね、あのひと特別派遣役員でしょ。だからいままで、ルナちゃんみたいなタイプを担当することなかったから。すっごく楽しそうなんだよ」

「特別派遣役員っていうと?」

「派遣役員の中でも、VIP専門」

「ははあ、なるほど」


 セルゲイはうなずいた。特別派遣役員がルナを担当? 少し引っかかったが、おそらくルナの危機とやらに関係あるのだろう。セルゲイはあえて、今は聞かなかった。


「VIPって面倒なんだよ。気難しい王族とか、下品な政治家の親父とか、わがままな貴族の小娘とか、そんなんばっかで。そんなやつらが桜見物なんて言っても、ミーちゃんはこき使われて、ゆっくり桜見物なんてしてらんない」

「でしょうね」


 話のネタにされている二人は、はしゃいで屋台を指さしている。

 親子――いや、贔屓目(ひいきめ)に見て、姉妹。


「ミーちゃんね、リズンに来るたび、あのバーベキューパーティー楽しかったって何回も言うんだ。よっぽど楽しかったんだろうね」

「……そうですね」


 セルゲイは、ジュリもカレンもエレナも、いまだにあのバーベキューパーティーのことを話題に出すことを思い出した。彼らも、よほど楽しかったのだろう。


 エレナはあれ以来、レオナとヴィアンカという新しい友達ができ、ママ会が前より楽しいらしい。ユミコとの再会も、あのバーベキューパーティーのおかげだろう。


 ジュリも、メリッサから特別な学校があることを聞いて、学校に通いだした。ジュリのような特殊な事情があって、教育を受けられなかった大人たち専門の教室があることを。

 子どもばかりの中には混じりたくないとこぼしていたジュリも、学校に行けるようになった。


 ラガーの店長も、バーガスも、ラガーで会えばバーベキューパーティーの話をする。


 特にバーガスは、あれ以来妻のレオナが百八十度変わって、出産に積極的になったので、もう上機嫌なのだ。


「ラガーの店長も、またバーベキューパーティーやりたいから、ルナちゃんにけしかけてくれって、うるさかったですもんね」

 セルゲイが言うと、アントニオは笑った。

「みんな、いいことずくめだったってことか」


 いいことずくめか――そうかもしれない。

 セルゲイも思った。


 もし、今この宇宙船を降りて帰ったら、なにが一番の思い出になるかと問われたら、あのバーベキューパーティーかもしれなかった。

 ある部分がすっぽり、記憶が抜け落ちたとしていてもだ。


 先日のグレン誘拐事件のときも、レオナの顔を事前に知らなかったら、セルゲイはレオナを不審者扱いして、非常ベルを鳴らしていたかもしれない。


 不思議なことに、あのバーベキューパーティーは為すべき時に為した、そんな感じがするのだ。



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